第14話 悲しい歌




 学校に通い始めて、2年が経った。

 ノアは12歳になり、クラス編成も変わった。


 2年が経って、リュカと同じクラスになったのだ。


 リュカは相変わらず不器用に優しくて、時々聴く歌はノアを癒した。


 魔物退治には、ノアとリュカの2人で行くことが増えた。2年の間に、ユナンをはじめとする一部の教員はノアの力を把握し始めていた。

 レイモンドが信頼できる教員に話したのだ。


「ノア様、お客様です」


 アシュレイがいつになく不機嫌な顔で、扉を開けた。

 ここ2年で薄々気づいていたが、アシュレイはノアのことをあまり好いていないようだった。

 リュカのことも好きではなさそうだが、ノアに対する態度に比べればまだ、リュカに対しては不機嫌を隠している。


 ただ、なぜ嫌われているのかはわからない。


「ありがとう、アシュ」


 不機嫌な態度であっても、ノアに対して嫌がらせをしてくるわけではないので、誰かに相談もしていない。


「ノア!」


 アシュレイの後ろから、女性が1人駆け寄るように入ってくる。


「……かあさん!?」


 掛けられた声は、間違いようもなく母の声だった。

 それから、その後ろから見覚えのある少女。


「ノア、久しぶり」


 アンナだった。

 記憶の中にあるよりも、少しやつれたような母と、少し背の伸びた幼馴染。


「ノア様、紅茶でよろしいですか?」


 アシュレイの言葉に頷き、お願いしておく。

 母は恐る恐ると言うふうに近づいてきて、ノアを抱きしめた。


「あぁ!ノア、ノア!元気だった?あぁ、大きくなったわね」


 よく顔を見せて、と頬や頭を撫でられる。

 幼馴染の前でそれをされるのが恥ずかしくて、顔を背ける。


「ノア、お客さん?」


 リュカの部屋の扉が開いた。

 リュカはローブを羽織る前の祭服を着ていて、白い制服がスマートに着こなされている。

 みるみるうちに、アンナの顔が赤く染まる。


「ノア!この人は誰?」


「ぼくのルームメイト。リュカ・ディル・モンテスさん。リュカ、騒がしくしてごめん。ぼくの母と、幼馴染のアンナ」


 双方に紹介しつつ、母の手から逃れる。


「初めまして、ノアさんにはお世話になっています。リュカ・ディル・モンテスです」


「初めまして、ノアの母です」


「初めまして、ノアの幼馴染です」


 紅茶が届いて、気を利かせたアシュレイが椅子を二脚持ってきたので、リビングルームのテーブルに4人揃って席に着く。


「ノアがいつも迷惑をかけてませんか?この子おっちょこちょいで。朝は1人で起きてますか?ご飯は食べてますか?」


 母はリュカを質問攻めにした。


「迷惑だなんて。むしろ僕がお世話になっています。朝は少し弱いみたいですけど、1人で起きてますよ。ご飯もしっかり食べてます」


 リュカは一つ一つ、丁寧に答えた。

 アンナはずっとリュカのことを眺めていた。


 騒がしい訪問は昼過ぎまで続いた。


「そうだ、ノア。おばさんは村へ帰るけど、私はここに残るから」


「え」


 アンナが呑気に言い張ったので、ノアが目をぱちぱちさせる。


「ここの寮で働くの。女子寮だけど」


 そんなことはありなの?とリュカに視線を向けると、リュカはうーんと考え込む。


「推薦があれば不可能じゃない。珍しいことだけどね」


 ノアは知らなかったが、この寮で働くものはみんな愛子の関係者らしいのだ。


「ハーデン様に推薦状いただいたの」


 アンナがふふーん、と笑って懐から推薦状を取り出した。


「おばさんが心配しているし、私もノアのこと心配だから」


 言葉は優しさに溢れているが、その目はリュカに止まっている。

 アンナは昔から面食いで、整った顔の美男に目がない。


「レイモンド様が……」


「レイモンドの推薦状なら、問題ないだろうね」


 リュカは呑気に頷いている。

 アンナは得意気だ。


 母はノアにまた会いにくると告げて、子供にするように額にキスをした。

 アンナはすぐに会えるわね、と言って女子寮の方へ消えていった。


「ノアは愛されているね」


 嵐のような2人に疲れたのだろう。

 リュカは少しくたびれた顔で、いいね、と言って部屋へ引っ込んでいった。


「ノア様は良いですね、呑気で。ボクはノア様のことが嫌いです」


 アシュレイが、リビングルームの片付けをしながら憎々し気につぶやいた。


「アシュ?」


 ノアが振り返ると、アシュレイはトレイに乗せた空のカップや食器類を運び出すところで、返事はなかった。




「ノア?」


 夕食時、浮かない顔のノアを心配してリュカが声をかけてくる。


「大丈夫?」


 気にかけてくれるのは嬉しいが、アシュレイのことをリュカに話すべきかどうか悩んだ。


「大丈夫。何でもないよ」


「ほんとに?」


「うん」


「……もしかして、アシュのこと?」


 リュカは勘が鋭いようだ。

 目を逸らす。リュカの金色の目がずっとこっちを見ていることはわかっていたが、ノアはだんまりを決め込んだ。


「わかったよ、話したくなったら言って」


 根負けしたのはリュカの方だった。

 それから、会話もなく時間が過ぎていって、今日はお休みもなく2人共が自分の部屋に入って眠った。


 2年もすればノアも祭服着るのに慣れる。

 だが、ついついリュカの手に甘えてしまい、今日もリュカに着せてもらってしまった。


「……リュカ。君の歌が好き。君の気遣いに溢れた言葉が好き。優しい態度が好き。だから、心配させたくない」


 できたよ、とローブを留めたリュカの手を引き止める。


「突然だね」


 本当に突然だった。

 でも、ずっと思っていたことだった。

 リュカが読み書きを教えてくれたことも、優しい歌声も、みんなノアの心に沁みて、それはやがて恋に育ってしまった。


「ありがとう、ノア。僕も君のことが好きだよ。君はタフだし、強いし、素直だから。でも、だから心配する」


 ロマンチックのかけらもなかった。

 最近のリュカは表情が少し柔らかくなって、冷徹なモンテスと言われなくなってきていた。

 端的に言えば、モテるようになってきたのだ。

 それがノアには悔しくて仕方ない。

 優しいことをずっと知っていたのはノアなのに、と。


「……アシュは、ぼくのこと嫌い?」


 リュカが優しく心配するので、ノアは思わず口を滑らせた。


「嫌い、何だと思う。というより、アシュは愛子という存在を憎んでいる。神様のことも、嫌いなんだ。嫌いよりももっと複雑な感情だよ」


「よくわかんない」


「癒しの歌消失事件は聞いた?」


 首を振る。


「まだだったか。……もしかしたら、ショックを受けるかもしれないけど、知りたい?」


 頷いた。

 じゃあおいで、とリュカがノアの手を引いて、ノアの部屋のベッドに腰掛けた。


「リビングルームだと、アシュが入ってきてしまうかもしれないからね」


「アシュに聞かれるとまずいの?」


「これは、アシュの話だから」


「歴史に載ってるのに?」


「そう。不幸な神様の愛子の話。神が愛するのが愛子なのに、愛子がどこに生まれるかなんて、神は考えないんだ。

 ノア、信じられないかもしれないけど、アシュレイは愛子なんだ」


 リュカの言葉に、ノアは目を瞬いた。


「でも、アシュは白いローブを着ていないし、愛子からは感じる歌の気配がない」


「神様に見捨てられた愛子だから」


「どう言うこと?」


 リュカは驚くノアを宥めて、続きを話す。


「アシュレイはノアと同じように辺境の地で生まれた。不幸だったのは、彼の周りに神の愛子のことを詳しく知る人物が1人もいなかったことだ。大体は、歌えば神の愛子とわかる。そして王都に、教会に預けられる。けれど、彼が歌っても誰も神の愛子に対する知識がないから、教会に連れて行かなかった。

 癒しの手は村では特別な力と祭りあげられた。もっと不幸なのは、愛子の歌が魔物を呼ぶことも、誰も知らず誰も気づかなかったことだ。

 ノアの村と同じように、アシュレイの村にも魔物の群れが襲撃した。アシュレイは傷つく村人のために歌った。先天性の病と、欠損、死以外はどうにでもなる奇跡の歌は、村人達に地獄を与えたんだ。アシュレイの存在に気づいた教会の手の者……レイモンドとシュゼが村を訪れた時、村は地獄絵図だった。虫の息の村人は、欠損が激しいと言うのに生きている限りアシュレイに癒され続ける。アシュレイは正気を失い、歌い続ける。悪循環だった。

 アシュレイが気を失い、歌うのをやめた時。1人残らず村人が生き絶えた。

 アシュレイが歌っていたのは、今までに聞いたことのないほどの悲しい歌だったとレイモンドが言っていた。

 目覚めたアシュレイは絶望して、神を呪った。愛子の力を憎んだ。世界を嫌った。すると神に見放され、アシュレイは歌を歌うことができなくなった。それから、歳も取らなくなった。神の御許へ、老衰ではいけないように。これが、癒しの歌消失事件だ。

 ノアはアシュレイと同じ状況だったのに、魔物を全て撃退し、村人をほぼ無傷で救った。だからアシュレイは、ノアのことを見当違いだと言うのに憎んでいる。憎むのをやめられないんだ」


 ノアは何も言えなかった。

 無邪気そうなアシュレイに、そんな過去があったなんて知らなかった。

 アシュレイはこの2年、身長も何も変わっていないように思える。


「可愛い子ほど、憎くなるととことん憎くなるんだろうね。神様の根本は人間と変わらないのかもしれない」


 

「昨日、ぼくの母と幼馴染が来てたから、イライラしてたのか」


 アシュレイが失ったもの。

 ノアが守り切ったもの。


 それらが重なって、アシュレイはノアにあんなことを言ったのだろう。


「この寮に勤めるものは、愛子を中心とした魔物の襲撃により、帰る場所を失った人々。アシュレイの件は流石に極端だけど、似たような状況の元愛子も、数えられる程度にはいる。愛子のことはまだまだ未知数で、アシュレイがこのまま歳を取らずに永遠に生き続けるのか、案外病気や怪我で死ぬことができるのかはわからないんだ」


 2年ここにいて初めて知る事実に、ノアは驚くばかりだった。


「ノア、大丈夫?」


「……うん。ぼくは、恵まれていたんだね」


「それは、そうだね。君は9歳まで村で過ごすことができたし、村への魔物の襲撃を防ぐ力も持っていた。それは奇跡みたいなことだよ。アシュレイのような地獄は珍しいけど、愛子を含めて村が全滅する話は珍しくない」


「ぼくは、辺境の村で生まれた愛子を1人でも多く救いたい」


「ノアがそうしたいなら、付き合うよ」


 リュカが頷いた。

 どの村に、どのタイミングで生まれるかなんて分からないが、愛子同士はお互いに何となくわかるのだ。

 ぐるぐると巡回するように旅をすれば、見つけられるかもしれない。


 そのためには、やっぱりもう少しこの場所で知識や力をつけなければならない。





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