第13話 初めての魔物退治




 魔物退治が目前に迫ったある日、ノアはリュカに連れられて王都を守る壁の上に立っていた。


 自分が高所が得意だとか不得意だとか考えたことはなかったが、壁の下を覗くと足が震える気がした。


「大丈夫?」


 子鹿のような足を見て、リュカが心配そうにしている。


「怖いなら、手を繋ごうか?」


「うん」


 冗談のつもりで言ったらしいリュカは、差し出した手にノアの手が乗って戸惑っている。


「だって、怖いから」


 壁の頂上は人が歩くことは想定しているだろうが、配慮はされていない。

 手すりなどはなく、壁の側面には気持ち程度の柵がしてあるが、それも膝ぐらいまでだ。

 少しでもバランスを崩せば落ちてしまいそうで、考えただけでも冷や汗が出る。


「落ちても、死ななければ治してあげる」


 リュカの冗談は分かりにくい。

 無表情で、声色も変わらない。


「……痛いのは嫌い」


「冗談だよ。絶対落とさないから」


 困ったようにリュカは眉を寄せていた。


「うん。お願いします」


 ぎゅっと手を握る。

 リュカもぎこちなく握り返してくれた。


「ところで、今日はどうしてここに?」


「今日、今度君たちが行く魔物の森で大規模な魔物退治が行われる。魔物退治が行われる日は万全を期しているはずなんだけど、何体かは取り逃してしまうことがよくある。逃げた魔物はどこへ行くと思う?」


「うーん。違う森?」


「いや、錯乱した魔物は餌である人間の沢山いる場所、つまりは王都を目指すんだ。王都には結界はあるけど、ノアも教えてもらった通り、守りの歌は完全じゃない。揺らいだり、歪んだり、弱くなるタイミングがどうしても出てしまう」


「じゃあ、魔物が王都に侵入してしまうかもしれないってこと?」


「そういう事。そこで、攻撃の歌の出番」


「……リュカ、ここにはぼくと君の2人しかいない気がするけど」


 リュカは内緒話をするように声を潜めた。


「レイモンドから、君のことはくれぐれも頼むと言われているんだ。君は、本当は、凄い歌が歌えるんでしょう?」


「……レイモンド様から?」


「火事場の馬鹿力なんて、馬鹿馬鹿しい。村を一晩守って、王都までの道のりでも魔物の群れをやっつけてしまった。そうでしょう?」


 リュカの顔は、無表情ではなかった。

 そうであって欲しいと、祈るような顔だった。


「神の愛子は、人々に敬われているけど、その実、ただの道具だ。傷や病を癒したり、魔物をやっつけたり、王都を守るための道具。たくさんたくさん、愛子が死んだ。人々を守るために。そんなのって馬鹿馬鹿しいでしょう。ノア、君は守りの歌も必要ないほど強いって聞いたの。君は死んだりしないでしょう?」


 どうして泣き出しそうなんだろう。

 冷徹のモンテス。そう言われるほどなのに。


「……ノア。歌って」


 頭の中、普段は囁くような小さな歌が大きくなっている。

 魔物の森は密集した木々の集まりで、王都の壁からはよく見える。そこから、蜂のような姿の大きな魔物が飛来する。

 その後ろからは鳥型の魔物。

 地面を狼の形をした魔物が駆ける。


 王都を目指しているというよりも、王都に逃げているという風だ。

 それでも魔物がこちらに敵意を持っているのはわかった。


 絶唱。

 絶叫。

 喉の奥から、歌が溢れて止まらない。


 癒しの歌のような優しい響きも、守りの歌のような包容力もない、ただただ音の暴力のような歌。

 歌が届いた瞬間、魔物達が潰れ、引きちぎれ、裂けて、落ちる。

 地面の魔物ももがいて苦しんでいるが、やがては地面に沈む。


「凄い」


 リュカが、笑った。


 魔物の襲撃は長くはなかった。

 逃げ出した魔物は森の中に住む魔物の一部に過ぎない。森の中でも神の愛子達が魔物退治をしていて、逃げ出せる魔物も少ないのだろう。


 頭の中に響く歌が穏やかになり、肩で息をする。


「お疲れ様、ノア」


 喉が酷く痛む。

 ノアのは歌じゃない。王都にきて、愛子達の歌を聞いて気づいた。


「もう、まものはいない?」


 声を出す喉がヒリヒリする。

 頭の中の歌が小さくなったことが魔物がいないことの証明なのに、不安になって尋ねる。


「うん。もういない。凄いよ、ノア。本来なら今日みたいな日は攻撃の歌を10人以上の愛子で歌う。その周りを守りの歌で固める。その上で癒しの歌を待機させるんだ」


「……でも、きょうはぼくとりゅかだけ?」


「うん。試すようなことをしてごめん。どうしても、知りたかったんだ。君が特別かどうか」


 リュカが歌う。

 ノアのために。ノアの喉を癒すために。

 優しい歌が沁みて、ノアの喉の痛みがスッと消える。

 ノアの歌とは違う。優しい歌だ。


「大丈夫?」


「うん」


 すっかり痛みは消えた。


「どうして、こんなことしたの?ぼくが特別じゃなかったら、王都は魔物に襲われてたかもしれない。それに、君もぼくも死んでたかもしれない」


「ごめん、ノア」


 リュカが頭を下げた。

 一度下に降りよう、と言ってノアの手を引く。


 壁の下では、この国の兵士たちが働いている。壁を守るために。

 リュカは壁周り、兵士たちの巡回するところを重点的に回りながら歌った。

 日々の彼らの業務はそれこそ命がけで、村での魔物の襲撃はないまでも、彼らが魔物を追い払わなければならない状況はよくあることだった。


 リュカが歌いながら壁周りを歩くと、兵士たちの顔色は良くなり、怪我や病気が治っていく。

 一通り怪我人や病人を癒すと、リュカは兵士たちの詰め所に向かう。


「こんにちは。リュカ・ディル・モンテスです。怪我人や病人を治しにきました」


「おお!神の愛子様!」


 兵士たちが駆け寄ってきて、リュカの前で頭を下げた。


「いつもありがとうございます。酷い状態の者達は、奥の救護室です」


「わかった」


 リュカは頷いて、兵の案内のまま奥へと進んだ。その途中、詰所にいる兵士たちの傷なども治していく。

 リュカは救護室で寝かされ、唸り声を上げながら寝ている兵士たちの手を取ったり、頭を撫でながら歌った。

 リュカの歌を聞いているうち、兵士たちの寝息が穏やかなものに変わる。


「やっぱり凄いな。癒しの歌は」


 ノアが呟く。

 攻撃の歌も凄いのだろうが、ノアにとっては癒しの歌や守りの歌の方がよっぽど素敵に感じる。


 全ての怪我人や病人を癒してしまうと、リュカはノアを連れて壁を離れた。


「甘いものを買って、寮に戻ろうか」


 リュカがケーキやクッキーを持ち帰り用に購入する。

 馬車ではマルセルが待っていて、2人が乗り込むと無言で馬車が走り出した。


 馬車の中で、リュカは無言だった。

 寮に戻ると、アシュレイに頼んで紅茶を淹れてもらう。

 まるでいつも通りのティータイムのようにテーブルの上が整ってから、ようやくリュカが口を開いた。


「ノアの力が特別じゃないことは、分かっていたんだ。レイモンドやシュゼに聞いていたから」


「レイモンド様は、国王陛下にもぼくの力を内緒にするように言っていたのに、リュカには伝えていたの?」


「うん。ルームメイトだから、隠せないと思ったんだと思う。それに、僕は前線に出たい」


「どうして」


 リュカはずっと、自分の力を卑下している。

 守りの歌や攻撃の歌を素晴らしいものだと言って、癒しの歌はおまけだと言う。


「僕ら癒しの歌を歌う愛子は、前線に出る君たちの訃報を、いつだって後から聞くんだ。酷い時には、死体が送られてくることもある。僕らは欠損と、先天性の病、死以外のあらゆる病気と怪我を治すことができるけど、死んだら無意味なんだ。死んだことすら、一泊遅れにしか知らされない」


 同じ神の愛子なのに。

 リュカは悲しんでいた。

 リュカは苦しんでいた。


「でも、何もできないこともわかってる。僕らが前線に出ても足手纏いだって。だけど、僕らだって戦いたい。僕だって、君たちの横に肩を並べたいんだ。君の存在を知った時、僕のペアになって欲しいと思った。歌の届く範囲の魔物を全部殲滅してしまう能力。守り手のいらない愛子。強すぎる歌ゆえに、歌った後の癒しが必要な存在。レイモンドは僕の望みを知っていた。だから、教えてくれたんだ」


 ノアの前のルームメイトは、リュカと仲の良い男の子だったそうだ。リュカよりも年上の彼は、リュカよりも早く前線に出て、いつの間にか帰らぬ人となった。

 リュカのクラスメイトも、何人か魔物にやられたらしい。


「愛子の数が少ないのは、すぐに死んでしまうからだ。癒しの歌は前線には響かない。癒しの力は、愛子を救えない。ノア、強い君が好きだよ。死なないでほしい。でも、死ぬなら僕のそばで死んで欲しい。死ななければ僕が治してあげるから」


「……リュカの歌が好きだよ。優しい歌。人を癒す奇跡の歌だ」


 リュカはゆるゆると首を振った。


「こんなのはおまけの力だよ。僕らは愛子よりも、普通の人を救った数の方が多い」


 リュカは頑固だった。

 今日の壁の上での魔物退治は、本当なら複数人でこなさなければならなかったが、リュカはノアの力を信じたくてノア1人を連れて行った。

 レイモンドには相談をしたが、ノアの力を知っているレイモンドは寧ろ、ノアの歌の練習に丁度良いとその提案に乗ったらしい。


「そうだ、伝え忘れてた。レイモンドからの伝言。今度のクラスメイトとの魔物退治では、一体ずつ倒すように、って」


「なるべく頑張る」


「多分、無理だと思う。ノア、自分の歌、コントロールできてないでしょう?」


 リュカに問われ、俯く。

 ノアの歌はノアの意志なんて関係なしに飛び出てくるのだ。魔物が近くにいる限り。

 リュカは呆れたように笑って、「まあ、バレたらバレたで仕方ないと思う」と告げた。






 それから、いよいよ魔物退治の日がやってきた。

 いつものローブの中に、みんなそれぞれがリュックを背負っている。

 非常食や飲料水などの入ったリュックは重いが、備えておけば安心だと、ユナンにクラス全員が持たされた。


「この間、大規模な魔物退治が行われているので、この森にはそこまでたくさん生物はいないはずですが、もし危険があれば狼煙をあげてくださいね」


 ニコニコ穏やかに、いつもの教室での授業のようにユナンが告げる。

 魔物の森の最深部へと入り、その道中に、どんな魔物でも良いので倒してその証拠を持って帰ってくれば良いらしい。

 倒す魔物は一体でもいいし、何体でもいい。それから、メンバーの誰も欠けないこと。それがこの授業の合格条件らしい。

 一体も倒せなかったとしても、メンバー全員が無事ならいいんですけどね、と最後にユナンが付け加えた。


「では、解散」


 ユナンがぱちぱちと手を2回叩いた。

 クラスメイト達が事前に決めた3人1組で森の中へと消えていく。


「じゃ、行くか、ノア、アリア」


「うん」


「はーい」


 怖いもの知らずのオルムが先陣を切る。

 オルムは小さく守りの歌を歌い始めていた。

 ノアが小声でも歌うと、魔物が寄ってこなくなるので、黙っておく。

 森の中は鬱蒼としていて、どことなく不気味だ。

 魔物の声なのか、野生動物の声なのかわからない鳴き声が時々響いていたり、足音や木を削るような音まで聞こえる。


「魔物がいるわ」


 アリアがすっと指をさす。

 指で示された木の根元に、大きな牛の形をした魔物が座り込んでいた。こちらを狙っているのか、涎を垂らしながら鼻息を荒げている。


 ノアが歌った。

 一頭だけだからか、歌はいつもよりも穏やかに響いた。

 牛は少し苦しんで、それから地面に倒れ込んだ。


「魔物を退治した証拠って言ってたけど、何を持って帰ればいいの?」


 倒れた魔物のそばにアリアが寄る。

 魔物は顔を歪めて倒れていて、死んでなお恐ろしい。


「うーん。ツノとか?」


「魔物のツノや爪は武器になるんだっけ?」


 一度歌を中断したオルムも、話に参加する。

 3人で話して、牛のツノをもらっていくことにした。

 不思議なことにツノを取るのは簡単で、とれた部分は硬いのに、手で掴むとすぐにポロリととれた。


「さ、最深部に行こう」


 アリアは持ちたくないと言うので、仕方なくノアのリュックの空いているスペースに牛のツノは仕舞われた。


 その後も何体かの魔物に遭遇したが、近づかれる前にノアの攻撃で倒すことができた。

 多くとも3体までの魔物としか出会わなかったので、ノアの歌は暴走することもなく、普通の攻撃の歌にとどまっていたようで、オルムやアリアが疑問に思うことはなかった。


 森の最深部には、既にユナンがいた。

 ユナンの後ろには何体かの魔物の死骸が積まれていた。


「ユナン先生も攻撃の歌を歌うらしい」


 オルムが小さく耳打ちしてくる。


「あら、ノアさん、オルムさん、アリアさん。一番のりですよ」


 3人に気づいたユナンが近づいてきたので、魔物のツノや爪を見せる。


「うんうん、3人ともさすがですね」


 小さく手を叩いて拍手する。

 その後、クラスメイト達が続々と最新部についた。

 各々どのペアもきちんと戦利品を持っていて、傷のあるペアもいなかった。

 ノアはそのことにホッとした。


「今年の森は静かですね。大規模な魔物退治のあとでも、凶暴な魔物が残っていたり、一度森から逃げ出した魔物が戻ってきて群れをなしていたりすることがあるんですけど、今年はそう言ったことがなかったようですね」


 ユナンは全員が最深部へ辿り着いたことを褒めた後、そう言って木々の隙間から空を見上げていた。





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