攻撃の歌と癒しの歌

第11話 教会学校へ



 10歳の誕生日の朝、ノアはリュカに起こされた。

 ここでの生活も2ヶ月目に到達しそうだ。


 ブランシュは最近、リュカのベッドの上で寝ているらしく、時々リュカのベッドの方から「ぐえっ」という声が聞こえる。

 ブランシュはこの1月でむくむくと成長しており、横になっている時に飛び掛かられると胃が飛び出そうになる。


「おはよう、ノア」


「おはよう、リュカ」


 いつものようにリュカがノアの身支度を手伝い、リビングルームに向かうとそこには既にレイモンドとシュゼ、リリアンとアシュレイ、少しずつ話をするようになったメイドの2人、最近よくお世話になる御者のマルセルが揃っていた。


「あの。何かあったんですか?」


 普段はリュカと2人、それからアシュレイが朝ごはんの準備をしたり、アシュレイの代わりにメイドが来るなどして、最大でも3人しか集まらないリビングルーム。

 今日は何人もの人がいる。


 びっくりして目をぱちぱちさせると、レイモンドが呆れたように笑った。


「何、って今日はノアさんのお誕生日じゃないですか」


「あ」


 すっかり忘れていた。


 ここへ来てからの日々があまりにも新鮮で、毎日があっという間に過ぎる感覚だった。


「それから、明日からはいよいよ教会学校に通いますからね」


「ノア、誕生日おめでとう」


「ノア様、おめでとうございます」


「ノア様、お誕生日おめでとうございます」


 みんなが口々にお祝いしてくれる。

 リリアン、アシュレイやメイドからは美味しいご馳走と誕生日ケーキ。

 レイモンドからは装飾の美しい懐中時計。

 シュゼからは、藍色の石のついたブローチ。

 リュカからは、装丁の綺麗な、絵本ではない本。


 他にも実用的な誕生日プレゼントを複数もらった。

 ブランシュは珍しくノアの足元に寄ってきてうるうると鳴き、ノアが何事かとしゃがみ込むと鼻を寄せてきて、ノアの鼻にキスをした。

 用は済んだとばかりに、ブランシュは澄まし顔でいつも通りの卵形のソファに座り、毛繕いを始めた。


「ありがとうございます」


 人生で初めての盛大な誕生日会だった。

 ここには母も幼馴染のアンナもいない。そのことが少し寂しくて、去年までの村での誕生日を思い返した。




 教会学校は、教会の奥にある建物で運営されていた。

 朝、リュカが登校した後にレイモンドとシュゼが迎えにきて、案内してくれた。

 馬車を使わず、子供な足でもすぐに着く距離にあり、寮の裏の門から出たら真っ直ぐに学校までの道が伸びている。

 ノアと歳の変わらない子供、少し上の子供がちらほらと歩いているのが見える。

 彼らはみんな白いローブを着ていて、ノアと同じ神の愛子達だと分かった。


「初めまして、ノアさん。わたしは教会学校で教師、ユナン・キルシュルクです」


 教会学校に着くと、レイモンドはノアを教員室へと連れて行った。

 ユナン・キルシュルクと名乗った女性は白いローブを着ている。


「ノアさん、教会学校の教員はみんな神の愛子です。生徒である皆さんと共に魔物退治に出ることもあるので」


 確かに、引率する教員が魔物への対抗手段なり癒しの力なりがなければ、生徒を連れて行くのは負担だろう。


「初めまして、キルシュルク先生。ノアです」


「はい。昨日10歳になったんでしたね。おめでとうございます。みんなユナン先生と呼んでくれるので、ノアさんもそうで呼んでください」


「わかりました。ユナン先生、よろしくお願いします」


「ユナン先生、ノアさんのことよろしくお願いしますね」


 それでは、とレイモンドが去っていく。


「ノア様、頑張ってくださいね」


 シュゼが頑張ってください、と握り拳を作り、去って行った。


「じゃあ、ノアさん。行きましょうか」


 ユナンは綺麗な銀色の髪の女性だった。透き通るような青い目が、ノアを見ている。


 教会学校は3階建ての建物で、ノアの入ることになるクラスは一階の隅っこにあった。

 クラスの人数は10人前後で、時々国の辺境から見つかるノアのような子供のために、年齢と学習速度など、さまざまなことを考慮して組み分けしているらしい。


「皆さん、おはようございます。以前からお伝えしていましたが、このクラスに新しい仲間が増えることになりました」


 ユナンに外で待つように言われ、廊下で待っている。

 廊下に響くユナンの声を聞きながら、少し緊張してくる。

 ノアの村にいる子供は少なく、たくさんの子供と過ごしたこともなければ、こう言った教育機関に通ったこともなかった。


 貴族の子供が多いためか、ユナンの言葉にざわめくこともなく教室は静かだ。


「ノアさん、どうぞ」


 ユナンが廊下に顔をひょっこり出して、声をかけて来る。

 ノアは促されるまま、ゆっくりと教室へと入った。


 教室の中には、ノアと同じ年頃の子ども達がいた。

 静かではあるが、その目はキラキラとしていて、ノアの一挙手一投足をじっと見つめている。


「じゃあノアさん、ご挨拶を」


「はじめまして、ノアです」


 声が震えてしまったのはご愛嬌だろう。


「ノアさんの席は窓側の後ろの空いている席ですよ」



 ユナンに示された席へと着くと、少し落ち着いた。

 クラスの中にリュカの姿はなかった。


「さあ、今日の授業を始めますよ」


 教会学校の授業は特殊で、この国の歴史だけではなく他国の歴史を習ったり、他国の言語を習ったり、この国の作法、他国の作法、と多岐に渡った。

 テストはあるが、順位を決めたり追試があるものではなく、自分たちの得意・不得意を把握し、望めば点数の悪かった学科の補習を受けることは可能だ。

 あくまで神の愛子が他国へと渡ったとしても不利益を被らず生きていくための術を手に入れるための授業だった。


「ノアって呼んでも良い?」


「ノアは〝村〟から来たんでしょう?村ってどんなところ?」


「ノアは今10歳なんでしょう?10歳まで、家で暮らしてたの?魔物に襲われなかった?」


「村に来た魔物の群れをやっつけたって本当?」


「ノアは攻撃の歌が歌えるのよね?私は守りの歌が歌えるの。私とペアを組まない?」


 休み時間になると、さっきまでの静かさが嘘のようになり、ノアのもとに子供達が駆け寄ってきた。

 次々と質問を受け、ノアは返答を返す隙もないこの状況に困ってしまった。


「ノア。大丈夫?」


 聞き慣れた声がして、ノアが後ろを振り向くと、リュカがいた。


「げ、冷徹のモンテス……!」


 リュカがにこりともしない目で周囲を見渡すと、周りは口々に「げっ」だの「うえっ」だの声を上げ、蜘蛛の子を散らすように去っていく。


「嫌われたもんだ」


 みんなに逃げられたというのに、リュカはどこ吹く風で気にする風もなく、そう呟いた。


「昼ご飯は一緒に食べよ、ノア。残りの授業も頑張って」


 時計を見たリュカが去っていく。

 1分もしない内に始業の鐘が鳴る。


 授業はどれも面白かった。

 読み書きは過不足なくリュカが教え尽くしてくれていて、授業についていくのも問題なかった。

 最近リュカが勧めてくれていた本は実際の歴史を元にした物語ばかりで、特に歴史を学ぶのが楽しい。


 終業の鐘が鳴る。

 周りの子供は授業が退屈らしく、時々あくびをしたり、窓の外を眺めたりしている。

 教員はそれを分かっているようだが、他の生徒の邪魔にならない限りは叱ったりしない。


「ノアー、モンテスとはどういう関係?」


「ノア、いじめられてるの?」


「モンテス怖いよ」


 終業になった途端、クラスメイトが駆け寄ってきて円を作る。やっぱり口々に話しかけられる。


「待って待って、」


 ノアがやっとのことでそう口を開くと、みんながピタッと口を閉じた。


「やっとしゃべってくれたー」


 どうやら、ノアが話すのを待っていたらしい。

 待っていた、というには怒涛の質問攻めだったが。


「リュカは僕のルームメイトだよ。冷徹のモンテスって、なあに?怖いって、どういうこと?」


 質問の中から聞き取れた分を返すと、クラスメイトは顔を見合わせる。


「モンテスは癒しの歌を歌うでしょ」


「癒しの歌を歌うときもにこりともしない」


「モンテスはいっつも無愛想で」


「いっつも仏頂面で」


「仲間が血を流しても、顔色ひとつ変えないでしょ」


「だから、冷徹のモンテス」


「友達1人もいないんだよ」


「モンテスは私たち仲間を、仲間と思ってない薄情者」


「怖いよな」


「怖い怖い」


 口々に、リュカのことを好き勝手いう。


「待って待って、リュカは怖くないよ。確かにあんまり笑わないけど。でも、ぼくに文字を教えてくれたし。猫を助けてたし。教会だって」


「ノア、ノア、待って」


 リュカがどれほど怖くないか言い募っていると、後ろから口を塞がれた。


「ひゅか!」


 手の合間から出た言葉は潰れている。

 リュカの顔は相変わらずで、金の目も冷ややかだが、その耳は赤く染まっている。


「わ、わ、モンテス!」


 また、クラスメイトが散っていく。

 その様子見をながら、リュカがノアから手を離す。


「ノア、昼ご飯行こう」


「う、うん」


 リュカの耳はまだ赤い。

 教会学校には、別棟に食堂があった。

 リュカと共にトレーを持って並び、昼食をもらう。

 リュカは迷いなく隅っこの席を選ぶ。

 まるで席が決まっているかのように、リュカが選んだ席には誰も座っていない。

 周りの席も空いている。


「ノア、さっきのことだけどね」


「うん」


 昼食を食べながら、話し始める。


「僕がみんなに怖がられているのは知っているし、それで普通だから。ノアが庇う必要ないからね」


「でも。リュカは優しいのに」


「優しい?そうかな」


 リュカが形の良い眉を寄せる。


「うん。優しいよ」


「そう感じているのは、ノアだけだよ」


 そうかなあ、そうだよ、とやりとりしながら食事をとる。


「でも、クラスメイトが優しそうでよかったね」


「あ、うん」


 クラスメイトはノアを除いてみんな貴族の出身らしい。だが、5歳から親元を離れるせいか傲慢さなどはなく、驚くほど純粋そうだった。

 質問攻めにされたことは困ったが、意地悪はされなかった。


「すぐに友達もできそうだね」


「……うん」


 怒涛の質問攻めのせいで、正直クラスメイトの名前はひとつも覚えていない。

 毎日一緒に過ごしていれば、自然と覚えられるだろうと楽観視しているが。


「午後の授業も頑張って」


 昼食を摂り終えると、リュカは食堂を出て行った。

 ノアもリュカと共に歩いた食堂までの道を振り返るようにして教室へと戻った。


 午後の授業は礼儀作法の授業で、ノアはこれが一番苦手だと知った。


 この国の作法は、読み書きと一緒にある程度リュカと練習した。だが、外国のものになると左右が反対だったり、この国では失礼に当たることが、して当然の作法だったりと頭がこんがらがりそうだった。


「ノア、また明日ね」


「バイバイ、ノアー」


 1日の授業が終わると、みんながそう言って手を振ってくれる。帰る場所はみんな同じで、男女に分かれた寮だ。


「ノア、一緒に帰ろうぜ。おれ、209号室のオルム・ネーヴェ。オルムって呼んでくれ」


 オルムは活発そうな子で、赤い髪と瞳が印象的だった。

 クラスメイトから質問攻めにされていた時には、オルムは自分の席からじっとノアのことを眺めているだけで近寄っても来なかった。


「ぼくに興味ないんだと思ってた」


「まさかー!あの冷徹のモンテスと同室だろ?気になってたに決まってる。おれのルームメイトも、お前がモンテスにいじめられてないから気にしてたぞ」


「そうなの?」


「おう。ルームメイトの部屋が、208号室と接してるんだけど、毎晩耳をこう、ぺとーって」


 ない壁に耳と手をつける真似をして、オルムは目を瞑る。


「それ、何か聞こえるの?」


「いんや、なにも。寮の壁分厚いんだよな。金かかってる感じする」


 おおよそ貴族の子供とは思えない言いように、ノアが吹き出す。


「オルムって面白いね」


「そうか?」


 オルムはキョトンとしている。


「あぁー、おれの家は商売で儲けて爵位を買った家で、古くからの由緒正しい貴族!じゃないからそう感じるのかもな」


「そうなんだ」


「おう。そういえば、ノアは村で魔物の群れを1人で倒したって本当か?」


「え?あぁ、うん」


「すっごいな。9歳の愛子魔物撃退事件って言われてるぜ。多分そのうち歴史に載る」


「え」


 愕然とするらノアに、オルムはカラカラと笑う。


「神の愛子の動向は世界的に注目されてるからな。変なことしたり、逆に大きな救いをもたらしたり、大きな事件が起きたりしたら割と簡単に歴史に残るんだよ」


「そうなの?」


「そうだ。歴史の授業、好きだろ?」


「うん」


「熱心に授業聞いてたもんな。多分これから、沢山愛子の話も出てくるぞ。一番直近は、辺境の村で起きた、癒しの歌消失事件だな」


「何それ」


 オルムは詳しく教えるつもりはないみたいで、肩を竦めて首を振る。


「そのうち授業に出てくるさ」


 寮に着くと、「また休みの日に遊ぼうな。また明日ー」と手を振って209号室へと消えていった。


 少しするとリュカが帰ってくる。


「初日だけど、どうだった?」


 リュカがアシュレイに頼んで紅茶を淹れてもらう。

 椅子に座ったリュカの膝の上に、ブランシュが飛び乗った。

 リュカはブランシュの頭から背中を撫でながら、ノアを見つめる。


「楽しかった。歴史の授業が特に面白くて。でも、礼儀作法の授業はちょっと苦手」


「あぁ、そうだね。また一緒に練習しようか。でも、何度も言ってるけど、神の愛子は礼儀作法なんて、出来なくても良いんだよ」


「出来なくて良いかもしれないけど、やっぱり失礼なことはしたくないから」


「ノアは真面目だね」


 リュカは呆れた顔だ。


「でもリュカは礼儀作法完璧でしょう」


「まあね」


 リュカはどうやら優秀らしい。

 ユナンはノアが読み書きできることを褒め、リュカに教えてもらったと伝えると、「さすがリュカさんですね。わからないことはリュカさんに聞くと良いですよ。あの子は正直、学校に通う必要ないほど優秀ですからね」とにっこりしていた。


 それから、隣の部屋のオルムと帰ってきたことを伝えると、リュカは紅茶を一口飲んで頷いた。


「ネーヴェは優しいので、仲良くしておくと良い。クラスメイトとペアを作って魔物退治にいくなら、ネーヴェはお勧めだよ。彼は魔物に動揺しないから、強固な守りの歌を歌ってくれる」


「そうなの?よく知ってるね」


「お隣だからね。ある程度は知ってる」


 リュカはつまんなそうに言った。


「まあでも、クラスメイトのことをよく知って、ペアの相手を選ぶように。ノアは攻撃の歌が歌えるけど、歌っている間の愛子は無防備だから」


 ノアはリュカが気遣ってくれているのだと分かって、深く頷いた。


 紅茶を飲み終わった頃に、アシュレイがお風呂が沸いたことを教えてくれる。


「リュカ、先に入る?」


 リュカは困ったように首を振り、膝の上に視線を落とした。

 ブランシュは既に寝息を立てていた。


 やっぱりリュカは優しいひとだ。

 リュカに促されて、ノアが先にお風呂に入った。出てきた頃にはブランシュは卵形のソファに移動していて、リュカは痺れた足で少しぎこちなく歩いていた。



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