第8話 新しい愛子
国王陛下は興味深そうにノアに視線を向けている。
本当なら生涯会うこともなかったであろうこの国の主。
「はい、陛下。ここにいるのが新しい神の愛子である、ノアです。遠い村で起きた魔物の群れの襲撃は陛下も知るところではあると思いますが、彼のおかげで被害を最小限にとどめています」
レイモンドに軽く背中を押されて、ノアは一歩前へと出た。
「そうか。その話なら報告を受けている。ハーデン殿、神の愛子はみんな、ノア殿のようなことができるのか?」
「いいえ。恐らくは、火事場の馬鹿力のようなものだったのでは、と思います。大抵の場合、あのように大規模な襲撃を受ければ、愛子が生き残ることも、村が無事で済むこともありません」
「ほう。火事場の馬鹿力、つまりは奇跡、あるいは偶然だと言いたいわけだな?」
「その通りです。神の愛は平等ですから」
国王陛下はレイモンドの顔をじっと見つめる。
レイモンドはいつも通りの綺麗な笑顔を崩すことなく、国王陛下を見つめ返している。
ふ、と息を吐いたのは国王陛下だった。
「ふむ。其方がそういうのであれば、そうなのだろう。まあ、この国のためにその力を使ってくれるのであればなんの支障もない」
ノアは、王都へくる道中にレイモンドが、火事場の馬鹿力ではなさそうだと言ったことを覚えている。なので、この説明には困惑しか無かった。
「さて、ノア殿。レーツェル王国の首都、ハイデンヘよく来てくれた。余が18代国主、ロレンツォ・レン・レーツェルだ」
にっ、と笑う国王陛下に、平民暮らしだったノアは返答できずに困ってしまう。
「ハハ、初々しいな。愛子達は自分達の価値がよく分かっているから、そのように余の前で萎縮する者は珍しい。良い良い。ノアよ、また困ったことがあればハーデン殿を通してでも、伝えてくれれば良い。余ができる限り、なんでも準備しよう」
愉快そうに豪快に笑うと、「では、気をつけて帰ると良い」と送り出した。
「さ、帰りますよ。ノアさん」
用事は終わったと、レイモンドが国王陛下に背中を向けた。
来た時と同様、身なりの良い紳士が王城の外まで案内してくれる。来た道を引き返しているだけなのだが、やっぱり複雑で、置いていかれれば2度と外に出れないような気がした。
「本日はありがとうございました、神の愛子様方」
紳士は丁寧なお辞儀をして、馬車に乗り込むレイモンドとノアを見ていた。
馬車の窓から確認すると、かなり長い間見送ってくれているのが分かった。
「さて、ノアさん。今から少し寄り道をしますね」
王城を出れば真っ直ぐに寮へと帰るのだと思っていたノアは、どこへ?と頭を傾ける。
「必要な物が沢山ありますから」
そうそうそれから、とレイモンドが馬車の中、レイモンドの横に乗っていた荷物を探る。
ずっしりとした巾着を、どうぞ、とノアに差し出した。
ジャリジャリ音のするそれは想像通り重たい。
「これは、ノアさんに支給されたお金です。そうですね、お給金だと思っていただければ。あなたの村を守った報酬でもあります」
袋の口を少し開けば、そこからは金色と銀色がのぞいている。
「こんなにもらえません……」
重たい袋を返そうとするが、レイモンドは受け取らなかった。
「お給金だと言ったでしょう。ノアさんはこれから、この国を守るために動かなければなりません。もちろん断ることもできますが。ですが
神の愛子に生まれた以上、あなたの中の歌は沈黙してはくれませんから」
それはレイモンドの言う通りで、村で母親から禁止されていたときに比べれば頭の中に流れる歌は控えめだが、止むことはない。
「それに、魔物と対峙することは、命の危険もありますから。危険手当も含んでます」
そう思えば安いでしょう。と。
ノアの村でお金の流通はないため、今手に持っている金額が多いのか少ないのかもよく分からない。
だが、そんな物だと言われれば納得するしかない。
渋々頷いて、ノアは袋を大事に抱えた。
次に馬車が止まったのは、書店だった。
「あぁ、今日の買い物は全て私が持ちます。というか、陛下よりあなたの準備費用を預かっていますので」
早速もらったばかりの金貨の入った袋を抱えたまま馬車を降りようとしたノアを、レイモンドが押し留める。
そして書店にスタスタと入っていく。
「ノア様、どの愛子様に対してもこうですから、ここは甘えてください」
レイモンドを追いかけられずにもたもたしていると、後ろからシュゼがやってきてノアの肩をとん、と軽く叩いた。
「分かりました」
そう言われるなら、とノアもレイモンドに続いて書店に入る。
背の高い本棚にぎっしりと詰められた本。美しい箔押しの本や、紙の束を無造作にまとめただけのものなど、とにかく本という本が集められている。
レイモンドは本棚から次々と本を抜いてはノアの腕に積み、それから筆記具も、とペンやノートなどを手に取った。
「これからノアさんはいろんなことを学ばないといけないので」
積み上げられたそれらを見ていると、レイモンドがそう告げた。
それから、本屋を出た後は服屋へ。
服屋では服を買わず、ノアの体の身長や胴回り、腕の長さに足の長さなどを測られる。
「これからノアさんは色々なところに出向かないといけないので」
困惑するノアに、レイモンドはそう告げてデザイナーに色々な注文をつけた。
それから、レストランへ。
初めて入るレストランは格式高く、店の出入り口に屈強な見張りが立っていた。
「店にそぐわないものを追い返したり、食い逃げ客を捕まえたりするためにいるんですよ」
店の中に入った後、シュゼが冗談めかして言うが、恐らく冗談ではないのだろう。ノア達の後ろから入ろうとしていた平民であろう人々が止められていた。
少しずつ出てくる料理に首を傾げると、レイモンドが「これはコース料理と言って、前菜から順番に食事が出てくるんです。今日は記念すべき国王陛下へのご挨拶の日でしたからね」と教えてくれた。
初めて食べるフルコースの料理に、戸惑いながら手をつける。
使う食器は、後ろで控えていたシュゼがさりげなく教えてくれた。
「作法なんかは、教会学校で習えますよ」
レイモンドの綺麗な食べ方に見惚れていると、そう教えてくれる。
「見つかりやすさから、神の愛子は貴族の子供が多いわけですが、5歳までしか生家にいません。なので、大体は家庭教師などはつけず、読み書きや基本的なマナー程度の教育しかせずに教会へ預けます。なので、平民で見つかった愛子とそこまで大きな教育の差はないんです」
5歳で見つかれば、の話ですが。と、ノアを見て少し哀れみを見せる。
「そうそう、ノアさん。私含め神の愛子達の間話をしました。ノアさんの特別大きな力について」
メインの肉料理を食べている時、レイモンドが一度カトラリーを置き、口元を拭って手を止めた。
「国王陛下に言っていた、火事場の馬鹿力の話ですか?」
「そうです。愛子の力はまだまだ未知数です。そもそも愛子が少ないですし、私たちは特別な存在であるとされているので、大々的に、例えば人体実験だとか、そういうことはされたことがありません。
正確に言うならば、人体実験のため捕えられた過去はありますが、その際神の愛子は一斉に力を失った上で神隠しに逢いました。その時の愛子達は1人も見つかっていません。その上で、首都が壊滅するほどの魔物被害に遭っています。なので、私たち愛子はより神聖視され、触らぬ神に祟りなし、と害することは禁じられています。
ノアさんの力も悪用を防ぐために、隠すことにしました」
シュゼも後ろから口を挟む。
「自分も同意見です。ノア様の力は規格外。ノア様1人いれば、村程度ならカバーできますし、小さめの町も守れるでしょう。でも、その分の負担は大きすぎます」
「良いですか、ノアさん。神の愛子は命懸けなんです。人を護るとか綺麗事を言って、危険な役回りを押し付けられているだけ。愛子の数、覚えていますか?」
「……132人です」
「その通り。この街、王都の人口は5000人ぐらいです。この国の人口はおおよそ1億人います。どう思いますか?」
「愛子って少ないんですね……」
「そうです。発見されにくいというのも、生まれにくいと言うのもありますが、大人まで生きられないというのもあるんです」
急に、ノアへ途轍もなく大きな何かを背負わされた気がして、肩が重くなる。
「怖くなりましたか?」
「……はい」
「少しでも危険を減らすために、愛子は複数人で魔物と戦います。攻撃の歌と、守りの歌。後方に癒しの歌。基本は2人1組で、そこに1人癒し手が加わる形です。そして襲撃の規模に合わせて複数の組みで撃退します。ですが、ノアさんの力が周知されれば、貴方は1人で戦わされることでしょう。ですから、貴方の力は内緒にするんです」
わかりましたか?と、確認する様に尋ねてくる。
ノアは恐々頷いて、食事を再開するレイモンドに続いて肉を突いた。
慣れない食事は、美味しくも感じた一方で、話の内容のせいかやけに重たくも感じた。
ようやく寮に帰り着いた頃、部屋には既にリュカが帰ってきていた。
「おかえり。遅かったね?」
既にお風呂に入ったのだろう。
神の愛子の象徴である白いローブは脱ぎ、ラフな格好に着替えている。
金色の髪が湿っていて、毛先に水滴が付いていた。
ソファの上に片足をあげ、その膝の上に絵本を開いている。
「国王陛下の謁見に行ってきたんだ。それから、レイモンド様に連れられてあっちこっち行ってきたよ」
「うん。お疲れ様。ノア、先にお風呂に入ってきなよ。まだ温かいから」
「ありがとう。そうするね」
リュカの気遣いに感謝して、浴室へと入った。
まだまだ寮生活には慣れない。
贅沢な食事、豊富な水。
自分が家事をしなくても、畑仕事などの分かりやすい仕事をしなくても食べ物にも住む場所にも困らないことが不思議でならない。
だが、浴槽に肩まで浸かると気持ちが良いのは確かで、うとうとと眠ってしまいそうだ。
ほどほどに温まって、ポカポカした体でリビングルームへと出る。
「ちゃんと髪乾かさないと」
ソファに手招きされ、リュカの隣に座ると、リュカが思いの外雑な手つきでノアの髪の毛をゴシゴシとタオルで拭いた。
「リュカの髪も濡れてるよ」
ノアの髪から滴る水がなくなったのを確認して、リュカは手を止める。
「ん?あぁ、そういえばそうだね」
ノアの髪を触るよりも乱暴に、リュカはタオルで髪を拭く。
「そんなことより、これ。僕が読み聞かせてあげる。読み書きができないと、教会学校通えないらしいから」
リュカは、ノアが隣に座った時に一度横へと避けた絵本を開いた。
絵本は、ノアが昨日開いていた、神様と神様の愛子を描いたと思われるものだ。
「読み聞かせ」
「うん。貴族の子供達は、まずはそうやって読み書きを覚える。僕も母様にそうしてもらった覚えがあるよ」
平民ではまず、絵本を買うお金がない。
特に今手元にある様な装丁の綺麗な本は、村にはやってこない。
だから、そうして読み書きを覚えるのだと言われて驚いた。
「……まあノアが子供みたいに読み聞かせされるのが嫌だって言うなら、やめておくよ」
「あ、嫌じゃないよ。ただ、読み聞かせ、って初めてだから」
「あぁ、そうか。そうだよね。じゃあ、今日から少しずつしてあげよう」
「お願いします」
それから、昼間は教会学校へ向かうリュカの時間に合わせて、毎晩の読み聞かせが始まった。
あの美しい絵本の内容は、ノアが予想していた通り神様と神様の愛子の話だった。
タイトルは「神様と神様の愛子」。
魔物被害に困った人々が神様に助けを求めると、神様は人間の中から自分の気に入った者を選び、力を授ける。
神様に選ばれた者は、神様の愛子と呼ばれ、人々を守る力を振るう。
魔物を直接攻撃する力。
魔物の攻撃から身を守る力。
魔物から受けたケガなどを癒す力。
人々は神様の愛子を神様と同じぐらい尊い存在として、崇めるようになった。
そういう話だった。
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