第5話 王都での出会い




 ブランで十分なもてなしを受けた後、少しの物資の補充を行い、再び馬車での移動となった。



「シュゼさん、隣に座っても良いですか?」


「どうしました?」


「馬車の中より、外の方が歌も響くと思って」


「なるほど。それは良いアイデアですね。ハーデン様が良いと仰るなら、お隣へどうぞ」


 街を出る前、ノアがシュゼにそう話すと、レイモンドが横から「別に構いませんよ」と頷いた。


「結構高いんですね」


 シュゼに手伝ってもらい、御者台に座ったノアは、馬車の座面よりも高い位置に椅子があることに気づいた。

 地面が遠い。


「そうですね。落ちたら危ないので、しっかり座っててくださいね」


 落ちたら怪我をするのは間違い無いだろう。

 こくこく頷いて、座り直す。

 中の座面より、こちらの方がクッション性が薄くお尻がやや痛い。


「ノア様はお肉が足りませんもんね……」


 何度か座り直していると、若干哀れみに似た視線を感じた。



 馬車は順調に旅路を進む。

 魔物と遭遇することもなく、ノアは気持ちよく歌いながら森の木漏れ日を眺めた。


 村を通り越し、町を眺め、4度の夜を越して、ようやく大きな外壁が見えてくる。


「ノア様、そろそろ着きますよ」


 そびえ立つ、という表現が正しい石造りの外壁は大きく見上げてもてっぺんが見えないほどだった。


「あはは、口が開いてますよ、ノアさま」


 ポカーンと、口を開けて見上げていたらしい。

 シュゼの指摘に慌てて口を閉じる。


「まあ、驚くのも無理ないですけど。自分もあれ初めて見た時は、わあって声出ちゃいましたし」


 大きく頑丈な外壁は、魔物から守るためらしい。

 王都には多くの人がいて、魔物からすると格好の餌場なのだ。


「どこの国もこのぐらい大きな外壁を作っていると思いますけど、十年に一度は魔物に壊されてます」


 笑い事で済んでいるのは、迅速に神の愛子達が魔物の対処をしているからだという。

 壁は壊れても、人の被害はいつも最小に済んでいるのだそうだ。


「さ、横は回りましょうね」


 外壁の真ん中にはこれまた大きな鉄扉がついた門があり、そこには大量の馬車と人が列をなしている。

 ブランの街の検問所も大勢の人がいるなあと思ったものだが、王都のそれとは比較にもならないほどだ。


「こっちは一般用。今から回るのは、貴族や愛子達が通る専用の門です。愛子は国の要請に応じて魔物退治に出かけるので、一般の人に混じってると効率が悪いんですよね」


 ここでも、神の愛子は特別扱いらしい。

 専用の門の人はまばらで、進みも早い。


「ハーデン様。おかえりなさいませ」


 すぐにノア達の順番が来た。

 窓から顔を出したレイモンドに、門番が労いの言葉をかける。

 どうやら顔見知りらしく、レイモンドはノアの方を手のひらで示した。


「新しい愛子です。ノアさんと言います。また門を通ることもあると思いますので、顔を覚えてください」


 門番達の顔が一斉にこちらを向く。

 強面のおじさん達は、ノアを見るとニッと笑った。


「初めまして、ノア様。ようこそ、レーツェルの王都・ハイデンへ!」


 門は分厚く、トンネルのようになっていた。

 門を抜けると、眩しい日差しが降ってくる。

 今まで見たどんなところよりも賑やかで、煌びやか。

 すれ違う黒塗りの馬車には貴族が乗っているのだろう。御者の人間も口髭を蓄え、高そうな服を纏っている。


「シュゼさん、あれはなんですか?」


「あれは、噴水ですかね?」


 馬車が抜ける大通りの中心に、大きな噴水がある。

 常時水が噴き上げ、涼しそうだ。

 遊び場にもなっているのか、子供たちが薄着で噴水に入り、水遊びをしている。


「王都はすごいんですね」


 村にはなかったものばかりだ。

 キョロキョロ、落ち着きなく視線を彷徨わせ、見知らぬ建造物を眺める。


「人も物も溢れていますからね」


 あははー、とシュゼは笑い、馬車を進める。

 馬車はどんどん閑静な街中へと進んだ。

 豪勢な門構えの大きな屋敷が隣り合って立っている。


「ここは貴族街です。大体の貴族は領地にいますけど、大きなパーティーの時や国への納税の際にはこの王都に構える屋敷へと来ます。領地を持たない貴族なんかであれば、年中ここにいますけど」


 心なしか、やや小さめの声でシュゼが説明してくれる。

 なるほど、と頷いて村長の家よりも大きな屋敷を眺めた。

 今並んでいる屋敷の大半は主人が不在なのだろう。活気がない。


「まずは教会へ向かいますね」


 貴族街を抜け、街の中に意図的に作られた林の中を抜けていく。


「教会は、街の中心からは外れるんです。神の愛子達は喧騒を嫌いますからね」


 そうなんですね、と相槌を打ち、小鳥が囀るのに耳を傾ける。

 林を抜けると、黒い屋根に白い外壁の大きな建物が現れた。その横には、屋敷が両サイドに一つずつ建っている。


「右側が女性、左側が男性の寮です」


 馬車はゆっくりと教会の目の前で止まった。

 シュゼに手伝ってもらい、御者台を降りる。


「ノアさん、まずは大司教様にご挨拶に行きますよ」


 馬車を降りてきたレイモンドが先に立ち、ノアの手を引いて教会へと入る。


 ギギィ、と軋んだ音を立てて重たい木の扉が開いていく。

 教会の中はがらんとしていた。

 最奥に祭壇があり、そこへ至るまでに長椅子が2列、ずらっと並んでいる。


 祭壇のさらに奥には、男女のどちらともつかない神を模した像が、無表情で両手を組んでいる。


「おや、ハーデン殿。今日お帰りだったんですね」


「はい。ただいま戻りました。大司教様」


 祭壇の横、丁度神の像の影になるところに扉があったらしい。

 小さな扉の向こうから、腰を屈めて白い髪の混じり出した紳士が出てきた。

 痩せた紳士は、柔和な笑顔を浮かべている。

 レイモンドと同じ柄で、黒地に白い糸で刺繍の入ったローブを纏った紳士は、足音を立てずに近づいてきた。


「そちらが、例の?」


「ええ。辺境の村の、ノアさんです」


 レイモンドに背中を押され、ノアは前に進み出る。

 紳士のグレイの瞳がノアをじっと見た。


「初めまして、ノアさん。ようこそ、シャリテ教会へ。わたしはシャリテ教会の大司教を任されています、ルイズ・マージです」


「初めまして。ノアです。よろしくお願いします」


 ぺこっと頭を下げ、ルイズ大司教に求められるまま握手する。


「ノアさん、大司教様はシャリテ教会の中で、法皇を覗いた一番偉い人です」


「そうなんですね」


「彼は神の愛子ではありませんけど、頼りになる人間ですから、困った時は相談すると良いですよ」


「出来る限り、お力になりますからね。ノアさん」


「はい」


 ルイズ大司教は満足そうにノアの頭を撫で、レイモンドに手招きする。


「さて、ハーデン殿。報告を聞きますので、こちらへ。シュゼさんはノアさんを部屋へ案内してあげてください」


「はい、大司教様」


 今度はシュゼが軽く一礼し、ノアを連れて建物を出た。


「今、この世界には132人の愛子がいます。その内、未成年者、5歳から18歳の者は120人です。10歳までは教会の養護施設で育て、10歳以降は教会の左右にある寮に入り、教会学校で基本的な知識と力の使い方を学びます。ノア様はもうすぐ10歳とのことでしたので、今日から早速寮に入ることになっています」


 ふんふん、と頷きながらもノアにはあまりイメージが湧かない。

 ノアの村に学校はない。寮もない。


 教会の左側の建物へ入ると、中はまるで貴族の屋敷のようだった。

 少なくとも、ブランの屋敷よりも広く天井が高い。


「初めまして、ノア様。ご苦労様です、シュゼ様」


 音もなく近付いてきたメイド服の女性が、深々と頭を下げた。


「どうも、リリアンさん。もうご存じと思いますけど、新しい寮生のノアさんです」


「えぇ、存じております。わたくしはここの寮の管理を任されています。リリアン・ティカンと申します。ノア様のお部屋は2階、208号室です」


「同室者は?」


「リュカ・ディル・モンテス様です」


「……ノア様、頑張ってくださいね」


 シュゼの視線に、ノアが首を捻る。


「何か問題があるんですか?」


「うーん、問題と言いますか……」


「端的に申しまして、リュカ様は無愛想で、気難しい方です」


 言葉を濁したシュゼの代わりに、リリアンが続ける。


「まあ、そんな感じです」


「仲良くなれますか?」


 シュゼは誤魔化すように笑って、リリアンは「ノア様が仲良くしたいと思うなら、なれるんではないでしょうか」と至極真面目に答えた。


「では、自分はハーデン様の元へ戻ります。リリアンさん、ノア様をよろしくお願いしますね」


 シュゼはノアへ頑張ってくださいね、と拳を握って励ましてから、去っていった。

 まさかここで置いて行かれるとは思っておらず、ノアはびっくりしてお礼を言うタイミングを逃してしまった。


「また会えますから大丈夫ですよ。それに、ノア様の案内はシュゼ様のお仕事ですから、特別御礼を伝える必要はありません」


 そんなものか、と納得できるはずはない。

 ここへの道中、レイモンドもシュゼも良くしてくれていた。

 レイモンドは説明が足りていないところもあったが、なにくれとなくノアを気遣っていたし、シュゼもそれを補う形でノアを助けてくれていたのだから。

 モヤっとした気持ちはあったが、また会える、というリリアンの言葉に頷いて、次会った時にはちゃんとお礼を言うぞ、と心に決める。


「さ、それではお部屋にご案内しますね」


 リリアンが先導し、2階への階段を登る。

 玄関から広がる大きなホールの正面に造られた階段は、一段一段が低めに作られている。両サイドの手摺りには繊細な彫り込みが入り、触ることを躊躇わせた。


 階段を登って、左から201号室だと教えられる。

 一部屋一部屋が広い作りなのだろう。扉同士の間隔が遠い。

 階段右側へと案内され、扉の上側中央に金字で〝208〟と書かれた扉をリリアンがノックする。


「どうぞ」


 中から、扉越しにも分かる声変わり前の少年の声が聞こえた。


「リュカ様、先日お伝えしていた、ノア様が今日王都に到着されました。本日よりここへ入られますので、くれぐれも、よろしくお願いしますね」


 扉を開けると、窓枠に座って本を読んでいた少年がパタンと分厚い本を閉じて立ち上がる。

 その切れ長の金の目が、不機嫌そうに細められる。


「今日だったんだ」


 さらさらの金髪が、うっすら開いた窓の風に揺れる。

 見惚れるほどに整った顔立ちだった。


「初めまして、ノア。僕はリュカ。よろしく」


 どうせフルネームはそこのリリアンに聞いたでしょ、と肩を竦めて名前だけを名乗る。

 それから、これまた形の良い手で右側の扉を指した。


「あっちが君の部屋。こっちが僕の。間違えないでね」


 部屋の中に扉があることに不思議に思うと、リリアンがノアの部屋となる右側の扉を開けた。

 中は広々としていて、壁に沿ってベッドが一つ、備え付けの本棚、ウォークインクローゼット、勉強机が置いてある。


「これ、1人部屋ですか?」


「そうですね。この部屋自体はノア様お1人でお使いになられるお部屋です。先ほどリュカ様のいらっしゃったお部屋はリビングルームで、リュカ様との共用部分になります。お風呂やお手洗い、洗面台も共有になります」


 同室者が、との話だったが、これだけプライベート空間が分かれていれば、あまり顔を合わせることもなさそうに感じる。


 一度部屋を出て、ノアの部屋の出入り口よりやや手前にもう一つ少し細めの扉があるのを見つける。

 リリアンが扉を開け、どうぞ、とノアを誘導した。


「中がお手洗いと、洗面台、浴室です」


 今までの宿のような大浴場に比べればこじんまりしているが、使う時は1人だと考えれば十分なスペースがある。


「こちらには、ミニキッチンがあります。使っている方を見かけることはあまりありませんが、お湯を沸かしたりするのに便利だそうですよ」


 リュカ側の扉の手前、浴室などと同じデザインの扉を開くと、小さな台所があった。使用された形跡はほとんどなく、水垢もない。


「それから」


「まだなにかあるんですか?」


「はい」


 もう見える範囲に扉はなく、十分室内の説明はしてもらったように感じていたが。

 リリアンは一度208号室の外に顔を出して、「アシュ」と声をかけた。


「はーい」


 小柄な男の子が、駆け足で部屋に入ってきた。


「この子はアシュレイ。この部屋の小間使いです」


「アシュレイです!アシュと呼んでください、ノア様!」


 元気にビシッと挨拶し、膝につくのではないかと思うほど深々と頭を下げる。

 そばかすの散った、愛嬌のある顔立ち。茶色い丸い目が小動物を思わせる。


「あの、小間使いってなんですか?」


「この部屋の雑用と、ノア様とリュカ様の身の回りのことをしてくれます」


「身の回りの世話……」


「お着替えの手伝いや食事の準備、部屋の掃除など、ノア様が必要な部分全てを補います」


「はい!お任せください!」


「そんなのいらない……」


「ええっ!ボクはが不要ですか?」


 捨てられた子犬のように涙目で見られると、うっ、となってしまう。


「いやだって、リリアンさん、こんな小さな子に雑用なんて」


「ノア様、アシュは小さいですが、ノア様よりも2つ年上です」


 ええ、と驚く。

 隣に並んでも、ノアよりも身長が低く痩せている。


「ボク、ノア様よりお兄さんですよ!」


 むー、と頬を膨らませるのが更に幼く見せている。


「アシュ、紅茶淹れてきて。リリアン、もう後は僕が説明とかするから、もういいんじゃない?」


「リュカ様が?では、お願いしましょうか」


 ノアが案内を受けている間、読書をしていたらしいリュカが近づいてきて、リリアンを追い出してしまう。


 リリアンとアシュが部屋を出たのを見て、リュカは扉をしっかりと閉じた。


「ねぇ、ノア。君は何の歌を歌うの?」


「えっと、攻撃の歌」


「そう。村を襲った魔物を、1人で全部倒しちゃったってホント?」


「え、うん」


「ここへ来るまでに、魔物の群れを1人でやっつけたのも?」


「うん」


「へぇ。優秀なんだ」


 窓枠に腰掛けながら、リュカの目がノアを見つめる。


「早くここでの生活に慣れなよ」


 どことなく居心地の悪さを感じながら、ノアは頷いた。


「アシュがそのうち紅茶を淹れてきてくれるから、ゆっくり飲んだら良い。僕は部屋に行くから、アシュに部屋に持って行くよう言ってくれる?」


「あ、うん」


 リュカはそのまま部屋にこもってしまった。

 そのうち、アシュが温かい紅茶を淹れてきてくれたが、味はよくわからなかった。

 ミルクと砂糖をたっぷり入れたが、やっぱり甘くも美味しくもなかった。




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