第4話 神様の愛子の地位



 午前中の内に必要な食料や水分を買い込んだノア達は町を出て、再び馬車に乗る。

 窓の外を見ながら、ノアは歌を口ずさむ。


 ノアの歌が魔物避けになるとは俄かに信じがたいが、シュゼに感謝されているのは嬉しい。

 少しでも助けになればと思っていた。


 けれど、しばらく馬車で走っていると頭の中の歌が少しずつ響く音が大きくなってきて、頭痛がし始めていた。


「ノアさん?」


 顔を顰めたのがわかったのか、レイモンドが気遣うように声を掛ける。


「あの。頭の中に、ずっと歌が鳴り響いていると思うんです。神歌が」


 レイモンドも神の愛子だ。

 この頭の中に響く歌と、それによる頭痛の原因がわかるかもしれないと、尋ねてみることにした。


「頭の中に?」


「はい。……レイモンドさんは、そんなことありませんか?」


 レイモンドは考え込むような顔をして俯く。


「常に頭の中に歌が響くんですか」


「神の愛子はみんなそうじゃないんですか?」


「大抵の愛子は、一定の条件を満たすと頭の中に歌が響くそうです。例えば、攻撃対象の魔物が現れたとき。魔物から攻撃を受けそうなとき。怪我負ったものがいたとき。私は守りの歌を歌うので、魔物から攻撃を受けそうな時に歌うべき神歌が頭に鳴ります」


「……そうなんですね。ぼくは、常に歌が響いているんですけど、その、それがさっきからどんどん大きくなってきていて」


 馬車が急ブレーキをかけて止まり、それ以上話すことができなくなった。

 座席から飛び出したノアの体を、レイモンドが支える。


「何がありました?」


「魔物です!」


 シュゼの怒鳴り声が聞こえる。


「ウオオオオオ……!!」


 何らかの大型魔物の咆哮が、腹の奥までビリビリと揺らす。


「あなたの頭の中の歌が大きく響くのは、恐らく魔物の接近を示していたのでしょう」


 レイモンドが馬車の扉を開け放つ。


「シュゼ、下がっていてください。ノアさん、歌ってください」


 馬車の外には狼のような姿をした魔物が、涎を垂らしながら洗い息を吐いている。

 先頭には一番大きな狼。

 その後ろには、ひとまわり小さな狼達が群れをなしている。


「あれはシュゼ1人では手に負えませんが、ノアさんの神歌ならどうにでもできるでしょう」


 狼の姿を目にし、ますます頭の歌が大きくなっている。

 早く歌えと言わんばかりに。


 息を深く吸い、ノアは歌い始めた。

 歌うと同時に、頭痛が和らぐ。


 ノアが歌い出すとすぐに狼達が苦しみ始め、その体がどんどんと歪んでいく。

 まるで、上から何かに押し潰されているかのようだ。


「ぐぅぅう……!」


 三十頭近くいた狼達が、次々に死んでいく。


「これはなかなか……。恐ろしい光景ですね」


 レイモンドが呟く。

 ノア達を襲おうとしていたのは狼達だけだったようで、目に見えている魔物がみんな倒れると、ノアの頭の中に響いていた神歌も落ち着いてくる。


「はぁ、はぁ、はぁ、」


 今回は短かったので、気を失うことはなかった。

 だが、息が切れる。

 喉が痛い。

 まるで大声で叫んだ後のようだ。

 激しく咳き込んで、肩で息をする。


「ノアさん、ゆっくり深呼吸ですよ。シュゼ、聖水を撒いておきなさい。魔物の血で地面が穢れます」


「了解です。それにしても、すごいですね。ノア様は」


 馬車の御者席の下は物入れになっているらしい。

 そこから数本の聖水を取り出したシュゼは、地面に雑に振りかけながらノアを振り返った。


「そこが片付いたら、馬車を出してください」


「分かりました」


 レイモンドに命じられて、シュゼは残りの聖水をバシャバシャと地面に撒き、空の瓶を抱えて御者台へ戻った。


 ノアを気遣ってか、馬車はゆっくりと走り出した。


「ノアさん、君の力は正直、普通とは外れていますね」


 ノアの呼吸が落ち着いた頃、レイモンドが話し出した。


「そうなんですか?」


「えぇ。普通、攻撃の歌は全体攻撃は不可能なんです。魔物を意識して、その魔物に向かって歌う。すると、魔物への攻撃手段になる。意識できる魔物の数は人によりますが、一度に攻撃できるのはせいぜい、三体が限界でしょう」


 ノアは今回も、村の時も、何十体もの魔物を同時に攻撃した。

 ノアの攻撃範囲は、声の届く限り、だ。 


「村でのことは正直、火事場の馬鹿力のようなものだと思っていました。ですが、今の様子を見ると違うようですね」


 レイモンドは嘆息する。


「普通、愛子は1人で魔物と戦うことはしません。攻撃の歌を歌う間無防備になる愛子を、守護の歌で守るのですよ。それから、万が一に備えて癒しの歌が歌える者も待機する。それが普通です。3人1組なんです」


 なのに、とさらに深いため息を吐く。


「あなたには守護の歌は不要でしょう。必要だとすれば……その喉を癒す歌でしょうね」


「ぼくの力は、ダメなんですか?」


「ダメなんてことはありませんが。神は平等なんです。何事にも。私たち愛子の力も平等なはずだったんですよ。神は依怙贔屓をしません。だから、あなたの力には正直戸惑っているんです」


 馬車がゆっくりと加速している。

 町を出てから、村からこっちまでの道に比べればまだ整っているのか、馬車が跳ねる回数が少しマシになっている。


 ノアは息切れが落ち着くと小さな声で歌い出す。

 その後の道中、ノアが歌っている間は魔物が現れることはなかった。


 小さな町を2つ通り、それぞれ一泊ずつした後、大きな街へついた。


「王都?」


 今まで通ったどこよりも大きく、門を守る兵は銀色の重そうな鎧を着て、強そうな槍を持っている。

 地面は土ではなく石畳が敷かれ、その上を馬車は滑るように動いた。


 門番は馬車一つ一つの中身を確認しているようで、門の前は渋滞が起きている。


「いえ、ここは王都の二つ手前の街、ブランです」


 こんなにも立派なのに、まだ王都ではないらしい。

 しばらく列に並んで、ようやく順番が来た。


 厳しい兵士が、よく通る声で馬車の中に話しかけてくる。


「どこからの者だ」


「シャリテ教会のレイモンド・ハーデン様、ノア様です。自分は護衛兼従者のシュゼ・ビスティン」


「シャリテ教会の者だったか。失礼するが、扉を開けるぞ。少し前、教会からの使者を名乗る盗賊が街で悪さをしてな。そのせいで教会の名があっても例外なく検問する決まりになったんだ」


「それはすごく罰当たりですね。開けるのはいいですけど、あんまり驚かさないでくださいね。ハーデン様はともかく、ノア様は小さなお客様ですし」


「子供が乗っているのか?それは悪いが、この顔で怖がられなかったことがないぞ」


 シュゼと門番の気安いやりとりが馬車の外から聞こえる。


「シャリテ教会は、魔物退治を一番に担っているので、検問は免除されることが多いんですけどね」


 やれやれ、とレイモンドはため息を吐いた。

 扉が些か乱暴に開け放たれ、むしろ門番が悪人なのでは?と思うほどの人相の兵がギロリと馬車を覗き込む。

 目が合ったら食われそうな気がして、そっと目線を外す。


「神の愛子様のローブ……。これは失礼しました」


 門番はレイモンドの羽織る白いローブに目を留めて頭を下げた。


「ご苦労様」


 レイモンドは大仰に手を振って、扉を閉めるよう促す。

 しまった扉を見ながら、レイモンドはノアに向き直った。


「いいですか、ノアさん。このローブ。デザインに関してはシャリテ教会に属するものが身につけるものですが、この白い生地に金の刺繍は〝神様の愛子〟だけを表します。

 現在、この国、いえ、この大陸には確認されているだけであなたを含めて132名の神の愛子がいます。彼らは皆教会に所属していて、厳密にはこの国には属しません。私たちが頭を下げるのは神様だけ。王すら、私たちを従えることは出来ません。この国、レーツェル王国は神の愛子である私たちに対して衣食住と金銭の補償をしています。それから、教育の場の提供。その代わりとして、神の愛子は魔物を屠ります」


「神の愛子は、偉い存在ということですか?」


「まあ、端的に言えばその通りです」


 レイモンドがこっくりと頷く。

 馬車が動き出した。


 馬車は舗装された道を進む。

 窓から見える街並みは、今までの町の中よりも整然としている。

 歩く人々も、どことなく品のあるように見える。


 馬車はそのまま街の中央まで進んだ。

 中央に進むほど、民家と思しき建物が大きくなる傾向にあるらしい。

 カラフルな外壁を眺めていると、馬車は一際大きな建物の前で止まった。


「レイモンド様、宿ですか?」


 窓の外からレイモンドへ視線を移して聞くと、レイモンドは首を振る。


「いえ、領主の館です。……この街では一番偉い、貴族の城です」


「貴族様のお城ですか」


 はぁー、と感嘆の息を吐いて見上げる。


「王都の、王族が住まう城はもっと凄いですよ」


「想像がつきません」


「もうすぐ見れますよ。さ、降りましょう」


 シュゼによって馬車の扉が開かれる。

 レイモンドが先に降り、ノアの手を取って馬車から降りるのを手伝う。


 馬車から館の出入り口までは少し距離があり、扉の近くには数人のお仕着せを纏った男女が頭を下げて待機していた。

 その一番奥には、身なりの良い男女が1組、愛想の良い笑顔を浮かべている。


「ようこそ、ブランへ。領主の、エドワード・ブランです。こっちは妻のナーシャ」


「初めまして、レイモンド・ハーデン様」


「どうも」


 レイモンドはいつも通りの綺麗な笑顔を浮かべて、短く返す。


「ハーデン様、そちらは?」


 エドワードが怪訝そうな顔で、レイモンドに手を繋がれたままだったノアに視線を向ける。


「新しく見つかった、神様の愛子です。まだ迎えに行った帰りなので、あまりお気になさらず」


「そうでしたか!ノア様もゆっくりお寛ぎくださいね。ささ、どうぞ中へ」


 神様の愛子だと知ったブラン夫婦のノアへの態度が、ガラリと変わったのを感じた。


 案内された客室は広く、豪勢だ。

 広々としている部屋の隣には、使用人の部屋が繋がっていて、シュゼはその部屋に泊まるらしい。

 使用人の部屋も覗かせてもらったが、今までの宿の部屋程度の広さはあり、窮屈さは感じない。

 ベッドも上質なものが入っていた。


 案内する間も夫婦はレイモンドとノアの2人にペコペコとして、何度も不便があればすぐお申し付けくださいね、と告げていた。

 若い女性のメイド2人が世話係として部屋に付き、温かい紅茶を淹れると、礼儀正しく頭を下げて退室していった。


「あの、ハーデン様」


「なんでしょう?」


「今日はここに泊まるんですか?」


「えぇ。ノアさんは、街の宿の方が良かったですか?」


「そうではないんですけど……。どうしてかなって。ここ、偉い人の家なんですよね?」


「まあ、そうですね。ここは、ブラン子爵の家です。貴族には、〝神様の愛子〟が自分の領地。訪れた場合、手厚くもてなす義務があります。なのでここへ来ましたが、ノアさんが嫌なら今から移動もできますよ」


「嫌じゃないんですけど、落ち着かなくて。今までの町は、宿だったし……」


「そうですね。小さな町には町長がいますが、彼らは貴族ではありませんし、地方ではこのローブが神様の愛子を示すものだと知らない者も多いんですよ。ノアさんも知らなかったでしょう?」


「確かに、その通りです」


 レイモンドの説明に頷く。

 村には時々、税を納めるように、と役人のような人間が訪れることがあったが、それ以外に貴族のような人間が立ち寄ることはまずない。

 村長はもしかするとあの村を管理する領主、貴族と面識があったかもしれないが、ノアはあの村が誰の管轄にあるのかすら知らなかった。

 そんな小さな世界で生きていて、教会の服だとか神様の愛子しか許されない服だとかを知っているはずがない。


 そもそも神様の愛子という存在も知らなかったぐらいだ。


「なので、町では宿に泊まりました。ですが、ここには貴族がいますので、今回はここへ泊まります。代わりに、この街の周辺にいる魔物は追い払うか、倒してしまいます。ノアさんの歌で大分追い払えたと思いますし」


 綺麗な細工のティーカップを手に取り、レイモンドが一口飲み込む。


「ノアさん、私たちは別に搾取しているわけではないんですよ。対価を受け取っているだけ。あなたには神様の愛子であるという自覚が必要です」


 さあ、あなたもどうぞ、と紅茶を勧められる。

 初めて飲んだそれは、琥珀色をしていて良い香りがした。

 少し渋くて顔を顰めると、レイモンドが貸してみなさい、とノアの手から紅茶を取り上げ、角張った白くて四角い物と、ミルクを入れてかき混ぜた。


「砂糖とミルクを足すと甘く、飲みやすくなりますからね」


 さあどうぞ、と再度ノアへ紅茶を勧める。

 薄茶色の液面を眺め、一口啜る。

 今まで飲んだことがない甘くて美味しい飲み物だった。


「どうですか?」


「美味しいです」


 反応を伺っていたレイモンドに返すと、それは良かった、と微笑んでいた。


「ハーデン様、ノア様。お茶菓子をお持ちしました」


 貴族の家は至れり尽くせりだった。

 初めてのものは紅茶だけでなく、ケーキやマカロンなどの甘味などそうで、ノアは目を丸くしながらそれらを食べた。


「ハーデン様。あの、母さんに最後に渡したのって、……お金ですか?」


 レイモンドも甘味が好きだったらしく、3個目のケーキをつついている時だった。

 どうしても、村を出てからずっと気になっていたことを尋ねた。


 レイモンドは手を止めてフォークを置き、口を拭ってから穏やかな笑顔を作る。


「えぇ、そうです。神様の愛子を産み育てた家に等しく渡しているお金です。慎ましく暮らすなら、死ぬまで苦労しないでしょう」


「母さんは何か言ってましたか?」


 やっぱり、と思いながら最後までノアが村を出ることを反対し悲しんでいた姿を思い出す。


「そんなものはいらないから息子を返して、と。お金はあの家は置いてきましたが。あなたは愛されていますね」


 母の姿を思い出して、胸が痛くなる。

 だが、ノアがあの村にいるのは難しいのだろう。

 魔物の群れでの襲撃など、あの村ではもう何十年となかったと聞く。

 それだけでも、ノアがいることで起こる悲劇に胸が張り裂けそうになる。


 レイモンドやシュゼはノアの力を規格外と評するが、あの晩の襲撃を退けられたのは奇跡に近いと聞く。

 ノアもあの夜は満身創痍で、もう少し夜が長ければ、もう少し魔物の襲撃が長引けば、耐えきれなかっただろうと感じていた。


 だから、あの村を出るしかないと思ったのだ。


「あなたの選択は間違ってませんよ」


 レイモンドは、珍しく作り笑いではない顔で微笑んでいた。




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