第3話 王都への道



 ガタガタと馬車が揺れる。


 村を出ておよそ三日。

 馬車の外に広がるのは、豊かな緑ばかりだ。


 馬車の中で会話はない。

 村を出てすぐ、ノアはレイモンドに歌える限り歌い続けてください、と言われていた。


 鼻歌でも、口ずさむのでも良い。

 とにかく、歌い続けろと。


「わわっ」


 ガタン、と一際大きく馬車が揺れて、ノアは歌を中断する。


 そもそも馬車は貴族用らしく、平民が使うような乗合馬車よりも性能がいいらしい。

 馬車の中の椅子にはクッションがついているし、極力御者は跳ねないように気をつけているとのこと。

 なのに、この馬車の揺れはどうしたものか。


 お尻が数センチは浮き上がり、柔らかいはずの座面に叩きつけられるような感触。

 まともに歌ってなどいられない。


 なのに、向かいに座るレイモンドは涼しい顔だ。


「あの、ハーデン様」


「レイモンドで良いですよ。なんですか、ノアさん」


「どうしてずっと歌えと言うんですか?」


「そろそろ喉が辛いですか?」


「いえ、あの、そうじゃなくて。わ、わっ」


 また大きな揺れ。

 レイモンドは嘆息する。


「あぁ、この揺れですね。この辺りはどうも道が悪い。どんなに良い馬車を用意しても、悪路には敵いませんね」


 レイモンドは浮いているのだろうか。

 ノアが無様に跳ね回っていると言うのに、レイモンドの姿勢は一度も崩れることがなかった。


「もうすぐ町に着きますから」


「王都ですか!」


 ようやくこの揺れから解放されるのかと喜んだのも束の間、レイモンドが首を振った。


「いえ。小さな町ですよ。宿と、買い物できる露店があります」


「王都じゃない……。ぼくたちは、王都に向かってるんですよね?」


「もちろんですよ。ですが、一度ここへ寄らないと、三日は風呂に入れていませんし、まともに横にもなれていないでしょう?」


 休息と物資の補充。

 そう聞いて、旅はまだ長そうだとノアはがっかりした。


「さあ、舌を噛まないように気をつけて。続きを歌ってください、ノアさん」


「あの。レイモンド様は歌わないんですか?」


「君が歌うことに意味があるので」


「どういう意味ですか?」


「君は〝魔物を殺す歌〟が歌える。私には歌えない。ただそれだけですよ」


 レイモンドの言葉はやっぱり分からなかった。


 しばらくして、日が暮れるよりも前に町に着いた。



 ノアのいた村よりも広くて、出入り口にはちゃんとした門があった。

 門番は馬車をチラリと見て、中を確認することもなく門を開いた。


「さあ、ノアさん。降りましょうか」


「お城……?」


「これは宿ですし、王城はもっと大きいですよ」


 まるで村長の家のように大きい建物に驚いているノアを見て、レイモンドは呆れている。


「宿?」


「知りませんか?……旅人を泊める建物です」


 ノアの小さな村には滅多に旅人など来ないが、ヘレンの泉を探しにきた者が村に来た時には村長が家に泊めていたはずだ。


「町や王都では権力者の家に無償で泊めさせてもらうことはできません」


「そうなんですか……」


「不用心ですからね。さ、入りましょう。ノアさん。馬車を頼みますね」


「かしこまりました」


 ノア達を宿の前に下ろした御者は、軽く頭を下げて馬車を移動させた。


「いらっしゃい」


 宿の受付の女性が、カラッとした笑顔を浮かべて元気に声をかけてくる。


「三人で泊まりたいんですが、一人一部屋で三部屋。空いてますか?」


「そのちっちゃいのも一人で?」


 女性が驚いた顔をする。


「……では、この子は私と相部屋で。二部屋貸していただけますか」


「あいよ。料金は先払い。風呂は共用。食事は夕刻半。過ぎたら出さない」


 女性に頷いて、レイモンドが言われた金額より少し多めに払う。

 鍵が二つ渡された。


「奥の階段登って、右側ね。奥から二部屋」


「ありがとう。あとで連れが来るので、部屋の場所だけ伝えて欲しい。赤毛の男だ」


「わかったよ」


 軋む階段を登り、女性に言われた通りの部屋へ向かう。

 一番奥の部屋が二人部屋で、一つ手前が一人用だった。


「今日はようやく足を伸ばして寝れますね」


 ここまでは馬車の中で眠った。

 レイモンドと御者は交代で野生動物や魔物を警戒して番をしていた。


「ハーデン様、戻りました」


 扉がノックされ、御者が入ってくる。


「あぁ、ありがとう」


 御者の手に、隣の部屋の鍵が渡る。


「夕飯は夕刻半だそうだが、露店で買ってきても良いですよ」


「あと少しありますね。買い出しに行ってきます。ハーデン様は何か必要なものがありますか?」


「私はないよ。そうだ、ノアさんを連れて行ってください。ノアさん、社会勉強です。そこのシュゼについて、町を見てきなさい」


 レイモンドに背中を押され、馬車の揺れのせいで痛むお尻を摩りながらシュゼと呼ばれた従者に近づいた。


「えっと。よろしくお願いします」


「はい、ノア様」


 シュゼは愛想の良い男だった。

 ノアの前に立ち、町中を歩く。

 町中はノアの村よりも人が多くて活気があり、建物も遠い印象を受けた。

 シュゼが言うには、この町は町の中では大きい方だが、王都に比べれば小規模らしい。

 ニコニコと笑いながら、いろいろなことを教えてくれる。


「ノア様。あれが露店です。串焼きを売っているみたいですね。食べますか?」


 シュゼの指差す方向には、道端で肉を焼く店がある。

 そもそも物々交換が基本の村を出たことのないノアには、その食べ物の出し方にもお金を払うということも馴染みがない。

 悩んでいる間にもシュゼはすでに露店に近づき、串焼きを2本購入していた。


「実は食べたかったんです。ノア様もどうぞ」


 お腹減りました、とシュゼはふたくちで串焼きを食べ切ってしまった。


 シュゼを見習って齧ると、塩焼きにしたその肉は想像よりも硬く、ノアは苦戦した。


「あはは、お上品な肉ではないですね」


 なかなか噛み切れないそれと格闘しているノアを、シュゼは柔らかい表情で見つめていた。


「ノア様、ありがとうございます」


 ようやく肉を食べ終わり、肉を買った露店で串を返すと、シュゼはノアが迷子にならないように手を引きながらそう呟いた。


「何でですか?」


 お礼を言われるのが分からない。

 むしろ、串焼きを買ってもらったのにお お礼を言っていないことに気がついて、慌てて頭を下げる。


「あはは、串焼きはハーデン様にお礼を言ってください。お小遣いもらってきたので」


 からからと笑いながら、膨らんだ財布を揺らしている。


「お礼は、この道中のお礼です。ずっと歌っていただいていたので、魔物が1匹も寄ってきませんでした」


「ぼくが歌っていたから?」


 馬車の揺れで途切れ途切れだったあの歌が、役に立っていたのだろうか。


「ええ!そうです。行きは酷いもんでしたよ。道中も旅の途中の野宿も、気が抜けたもんじゃない」


 その苦労を思い出したのだろう。

 シュゼは肩を竦めて苦笑いしている。


「攻撃の歌は、持続的に歌うと魔物避けになるんです。まあ、歌い続けるのはしんどいらしいですし、効果は神の愛子の個人差があるらしいですけど」


「じゃあ、どうしてレイモンド様は歌わないんですか?」


「あの方は攻撃特化ではないので」


「そうなんですね。魔物が出た時はどうしてたんですか?」


「そりゃあ、これでとりゃあ!っと」


 シュゼはただの御者ではないらしい。

 腰に下げた剣を撫でて、空の手で空を斬るように振り上げる。


「強いんですね」


「神の愛子の護衛兵ですので。まあそれに、彼の方は守護の歌が歌えるので、その効果の内側から魔物を貫くことが出来るのも勝因ですね」


「そうなんですね……」


 シュゼは御者ではなかったようだ。

 たくさんの情報が出て、ノアは混乱する。


「とにもかくにも、ノア様のおかげで安全にここまで来れましたし、残りの王都までの道もよろしくお願いしますね」


「頑張ります……」


 あの揺れで、どのぐらい歌えるだろう。

 お尻の痛みを思い出して、撫でる。


「さあ、ノア様。ノア様に必要なものを買いましょうね。まずは着替えですよ」


 ここまでの道中には村も町もなく、ノアは家を出た時のままの格好だった。

 着古した服は村の中では普通だったが、町の人たちに比べるとみすぼらしい。


「ノア様の村で魔物の襲撃があったと王都に情報が届いた時、ノア様のご年齢がわからなかったので、教会でお召し物の準備ができなかったんです」


「神の愛子がいることは、何故わかるんですか?」


「そうですね……。まずは、大規模な魔物の襲撃。それから、自己申告と、あとは噂ですね」


「噂?」


「神の愛子が歌うと、なんらかの奇跡が起きるので、その噂です。ノア様の場合は、お母様が歌わないように徹底していたので、噂が全く立たなかったんです。あ、ここですよ」


 シュゼは露店ではなく、一つの家の前で立ち止まった。

 目の前に立ってようやく気づくような小さな看板が置かれている。

 それから、可愛らしいワンピースの絵もついていて、服屋さんとわかる。


「さ、入りましょう、ノア様」


 扉を開けると、扉のてっぺんに付けられたベルがカランカランと軽快な音を立てる。


「いらっしゃいませ」


 グリーンのワンピースを身につけた若い女性が、ノアとシュゼを見比べて微妙な顔をする。


「えっと。男物の服はあちらですけど……。あまり店内を汚さないでくださいね?」


 指で場所を示し、それ以降は話しかけても来ない。


「ぼく、場違いですか」


 シュゼは、細身のズボンに白いシャツ、その上からズボンと同色の黒いジャケットを着ている。


 比べてノアの服は、ズボンは裾が短く、シャツも元は白かった気がするが、洗濯では取り切れない汚れでまだらにグレーに染まっていた。

 どちらも端が擦り切れ、靴も地面の凹凸がわかるほど薄くなっている。


「すみません、ノア様。やはり、教会から着替えを準備すべきでしたね」


 シュゼは申し訳なさそうだ。

 だが、今の今までノアは自分の格好を意識しなかったし、女性の態度も哀しいと言うよりも納得だ。


「あの、ぼく、これとこれにします」


 できるだけ服などに触れないように気をつけながら、服のセンスもないノアは適当にシャツとズボンを指差す。


「あまり良い店ではないようですね。最低限だけ買って、出ましょう」


 シュゼはノアが指差した服を手に取り、そこからさらに服を何枚か見繕う。


「この町には、他に服屋はないのか?」


 シュゼは、ノアやレイモンドに話し掛ける時とは違う冷えた声で女性に聞く。


 女性は、シュゼから服を受け取りながら、

「この町に服屋はここだけです」

 と戸惑ったように伝えた。


「はぁ。ここはダメだな。靴は?」


「ここには、女性物の靴しかありません。男性物をお探しなら、2個向こうの通りの露店です」


「そうか。これだけもらっていく」


 女性に服を渡し、支払いを終える。


「ノア様、いきましょう」


 シュゼは不機嫌そうだった。


「嫌な思いをさせましたね、ノア様」


「いえ、ぼくはただの村人ですし」


「ノア様は尊い神様の愛子なのですよ。宿に戻ったら、湯船に浸かって、服を替えましょうね。それから、御髪も整えさせていただきたいんです。ハーデン様はその点無頓着ですし」


 時々母がハサミを入れてくれていた藍色の髪は、切り揃っておらず、3日間水浴びをしていないのでパサついている。


 露店の店主は無愛想だが、ノアを邪険にはしなかった。

 売っていたシンプルなデザインの靴を何点か試着し、サイズのあった物を購入する。


「疲れましたね。はっ、ノア様、食事の時間が迫ってますよ!」


 シュゼの言う通り、日が傾き始め夜の雰囲気が忍び寄っている。


「ちょっと失礼しますよ」


 シュゼがしゃがみ、ノアを抱え上げる。

 早くに父を亡くしたノアは、抱え上げられると言う状況が滅多になかったのでびっくりして目をぱちぱちさせる。

 シュゼはノアを抱えたまま走り出す。


 ノアが走るよりも随分早い。

 耳の横で風を切る音がするほどだ。


 途中から楽しくなって笑い出すと、シュゼも「あはは!」と笑っていた。


 宿には夕刻半直前に着いた。

 宿の女性に食堂に案内されると、いつも通りの綺麗な笑顔に若干の呆れを含んだような複雑な顔をしたレイモンドが先に座っていた。


「何をしてたんですか?」


「ノア様の服を選びに行ってました」


「ふむ。そうですね、ノアさんには服が必要そうだ」


 三日間馬車で過ごしていたというのに、レイモンドは何故こんなにも綺麗なのか。

 白いローブにはシミひとつないように見える。


「そうだ、浴場を1時間ほど貸切にしておきました。食事が済んだら、入りましょうね」


 食事は、ノアが食べたこともないほどの量が出てきた。

 野菜を沢山煮込んだスープと、白いパン、サラダ、それから甘辛いタレで焼き上げられた肉。


 タレの味は美味しかったが、肉は硬めでなかなか切り分けられず、口に入れた後はなかなか飲み込めず、途中でお腹がいっぱいになってしまった。


「ノア様、苦手な物でもありましたか?」


 途中で手の止まってしまったノアに気づき、シュゼが声をかけてくる。


「あ、いえ、どれも美味しいんですけど、お腹がいっぱいになっちゃって」


「じゃあ、もらってもいいですか?」


 わくわく、といった表情でシュゼがノアの皿に手を伸ばす。


「シュゼ」


 綺麗な作法で食べ進めていたレイモンドが、ちらりと視線を向けてシュゼを止める。


「あ、やっぱりダメですか?」


「……いや、良いでしょう。ノアさん、少しずつでも食べられる量を増やしてくださいね。あなたは小さすぎます」


「はい」


 半分以上残してしまった食べ物を見て、ノアはため息を吐く。

 今まで、食べる量が少ないだとか、体が小さいだとかは意識したことがない。


 シュゼの手に渡った料理達はあっという間に食べ尽くされた。


 食事を終えた3人は、宿の従業員に案内されて浴場へと向かった。


「あの、レイモンド様」


「なんですか?」


「ぼく、その、お風呂に入ったことがなくて」


「あぁ、そうですね」


 小さな村のどこにも、浴場はない。

 ヘレンの泉とは反対側の村の外に、小さな川が流れている。

 村人はそこで洗濯や水浴びをしている。

 冬は川の水を家まで運び、沸かしてタオルで拭く。


 なので、お風呂というものがわからない。


「大丈夫ですよ、ノア様。誰だって初めてはあります!」


 よくわからないフォローに、ノアがおずおずと頷く。


 程よく温められた脱衣所にも、もくもくと湯気で白く濁る浴場にも目を瞬かせながら、ノアはシュゼに世話を焼かれた。


「シュゼは世話好きなんだ」


 ノアの髪を洗い、体を洗い、湯船に浸かるまで世話をしたシュゼは満足そうに適当に自分の体を洗って、ノアの隣に入った。

 勢いよく浴槽に入った反動で跳ねる水滴を受けたレイモンドが、低い声で「シュゼ……?」と唸る。


「あはは、すみません、ハーデン様」


 シュゼはあまり悪びれた様子はなかった。


 新しい服は擦り切れていないし、試着をしていないせいか若干大きめのサイズではあったものの、以前の服に比べれば身綺麗になった。


 部屋へ戻るとシュゼは、ハサミをチョキチョキさせながら近付いてくる。


「さ、ノア様。切り揃えましょうね」


 椅子に座らされ、されるがままになる。

 前髪や後ろ髪、バラバラになっていたところを切り揃えられる。


 村では村長の家にしかない鏡を手渡され、落とすんじゃないだろうかと青ざめながら覗き込むと、ノアの知らない顔が写っていてびっくりする。


「ありがとうございます」


「素敵になりましたね。王都に戻ったら、サイズの合うお洋服を買いましょうね。それから、ハーデン様のようなローブも作らなきゃいけませんし」


「あの白い布ですか?」


「そうですそうです。あれは神の愛子様用の正装ですので」


 なるほど、と頷く。


「では、ノア様、ハーデン様。おやすみなさいませ。何かありましたらお呼びくださいませ」


 シュゼはノアの髪を切った後片付けをすると、恭しく頭を下げて部屋を出ていった。


「明日は食べ物などの必要なものを買ってから出発します。ノアさんも、何か必要なものがあれば言ってください。さあ、寝ましょう」


 横になったベッドは、村のベッドよりも柔らかかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る