第2話 神様の愛子



 目覚めた時、体を起こしたくないほどの疲労感に襲われていた。


 ノアの体の上に上半身を預けて眠っていた母が、ノアの身じろぎに気づいて目を覚ます。


「ノア。身体は、大丈夫?」


 母は複雑そうな顔をしていた。

 ノアは、歌うなと言っていた母の言葉を思い出してて、怒られるのではないかと身を硬くする。


「……」


 ごめんなさい、母さん。


 そう言うつもりで口を開けたが、喉を掠れた声にもならない音が通過するばかりで、言葉にはならなかった。


「水を飲んで、ノア」


 口を開閉させたノアに優しく微笑んで、母がコップに入った冷たい水を渡してくる。

 それを一口飲んでから、ふぅ、と一息つく。


 どうやら喉が渇いていたらしく、その水はとても美味しく感じた。


「ノア。ノアが無事でよかったわ。ノアには話さないといけないことがあるけれど、その前に、目覚めたら村長が話があるって言っていたから。まずは村長を呼んでくるわ」


 母の目にあるのは、心配と不安の入り混じった複雑な感情のようだった。


「まって、かあさん。むらのみんなは……」


 掠れて上手く出ない声だが、水を飲んだからだろう。

 先ほどとは違い、なんとか言葉になった。


 窓から見える景色は、魔物の襲撃が嘘のように静かだったが、その地面には赤い跡が残り、魔物の死骸こそ無くなっているものの地獄の名残があった。


「怪我をしている人はいるけど、みんな無事よ。ノア、あなたのおかげ」


「あんなと、ゆーなおばさんも?」


「えぇ」


 大事な幼馴染も無事と聞いて、ようやくノアは安堵した。


「じゃあ、村長のところへ行ってくるわね」


 こくりと頷いて、母を見送った。


 村長の家は村の一番奥にあって、お城のように広い。

 聞くところによると地下室もあるらしく、この間のような魔物の襲撃や大きな自然災害の際には避難所として開かれるそうだ。


 村長の家に行ったことはないが、村長に会ったことはあり、優しそうな好々爺然とした人だ。


「やあ、ノアくん」


 少しうとうととしている間に、母に連れられて村長が来たらしい。


 白髪の、腰の曲がったその老人は、老いを感じさせないしっかりとした目でノアを見ていた。


「そんちょうさん……」


 起きようとして、全身の筋肉痛のような痛みに阻まれて失敗する。

 そんなノアに母が駆け寄って、体を起こすのを手伝ってくれる。

 背中の後ろにクッションや布団を詰めて背もたれを作り、それにもたれかかって身を起こした。


「まずは村を代表して言わせてくれ。ありがとう、ノアくん。君のおかげでこの村は救われたよ」


 村長自ら深々と頭を下げたことに、ノアはびっくりした。


 ノアはこの村を救った、だなんて思ってはいない。


「あぁ、まだ声を出すのは辛いだろうから、何も言わなくてもかまわない。さて、話が変わるが本題だ」


 村長が頭を上げて、話を切り替える。


 母が粗末な木の椅子を村長に勧めると、村長はゆっくりと腰をかけてノアと目線を合わせた。


「君は歌が特別なものだと知っているかい?」


 それは、再三母から聞いたことだった。


 歌は特別なもの。

 歌は神様のもの。


 母にちらりと目線をやると、母はぎゅっと唇を引き結んでノアから視線を外した。


「はい」


 村長に視線を戻して、掠れた声で頷く。


「なぜ特別か、はわかるかい?」


 逡巡する間に、村長は続けて口を開く。


「神様のものだからだ。正確には、神様が与えてくださるものだから。君は歌を歌えるね?」


 悩んで、ゆっくり頷く。


 きっと母は、ノアが歌えることを人に知られたくないと思っている。


 歌は身近にあって、ノアにとっては特別にでもなんでもないのに。


「それは君が神の寵児だからだ。神の使い、神の愛子、神に祝福されし者。とにかく、歌が歌えることは神の寵愛を受けた証だ」


 話のスケールが壮大すぎて、ノアでは理解ができない。

 目をぱちくりさせると、村長は真剣な顔で続ける。


「歌は誰にでも歌えるものじゃないんだ。君たちが歌う歌は神歌(じんか)と呼ばれる。神の与えし歌だ。私たちは歌えない。歌い方を知らない」


 ノアは首を傾げる。

 歌を歌うのは簡単だ。口を開き音を乗せる。

 ただそれだけ。


「君は字が書けないね?」


 頷く。


 貧しい村人に字を学ぶ暇はないし、教える人もいない。

 母もごく簡単な、例えば自分の名前のような文字、単語しか知らない。


「そう、知らないことはできない。普通の人にとっての歌がそれだ。モノマネのようなものはできるが、それはただの音の羅列で歌ではない。紛い物だ」


 少しだけ理解できてきた。


「神歌については、まだまだわかっていないことが多いが、神歌は大きな力を持つことがわかっている。大まかに分けて、神歌には三つの力のいずれかを持つことがわかっている。ノアくん、君が今回やってのけたような〝魔物を殺す力〟がそのひとつだ。それから、〝万物を癒す力〟と〝全てを弾く力〟がある」


 魔物を殺す力。

 村に来た魔物達が地に伏したあの光景を思い出す。


 これは神歌の力だったのか。


 喉に手をやり、摩る。

 頭の中の歌は今は不思議と静かだったが、意識すれば頭の端でずっと流れているのがわかる。


「神歌は、ひとりにひとつの力だ。君は攻撃の歌しか歌えない。守りの歌も、癒しの歌も歌うことは出来ない。それから、もうひとつ。君は王都へ行き、正しい教育を受けなければならない」


「待ってください!村長!」


 母がノアに駆け寄り、強い力で抱き締める。


「この子の歌のことを知っていながら隠していたのは私です!まだ幼い我が子を、国に差し出せというのですか!」


 目に涙を溜めながら、村長に向かって叫んでいる。

 取り乱す母を見るのは初めてだった。


「神歌は国のためにあるべきものだ。村を守ったように、国を守らなければ。力ある者の義務だ」


 冷たい村長の声に、

「嫌です!」

 と母は叫び声を上げる。


「……何も言わずとも、迎えが来る。大規模な魔物の侵攻があったことは、もうすでに王都に伝わっているだろう。それを防いだ者がいることも」


 村長が椅子から立ち上がる。


「ノアくん。君は我が村の誇りだ。王都に出られるのは誇らしいことだ。迎えがきたら、行きなさい。君の力は万人のために使うものなのだから」


「村長!」


「わたしは何もしてやれんよ。小さな、名もないような村の長だからね」


 ふぅ、と息を吐いて村長は家を出て行った。


 母はしばらくノアを抱きしめて泣いていた。


 泣き疲れた頃、ようやくノアを離し、ベッドに横たわるのを手伝った。


「ノア、ノア、ノア……。あぁ。あれほど言っていたのに。どうして歌ってしまったの。連れて行かれてしまう。私の可愛い子。そんなの、耐えられない」


 ノアの頭を撫でながら、俯いている。


「ごめん、かあさん」


「あなたが謝ることじゃないの。話しておけばよかったんだわ。そしたらあなたは歌わなかったかもしれない」


「じんかのことを?」


「そう。そうよ。あれを歌えば、あなたは国に取られてしまう。ここを離れなければならなくなるのよ」


 生まれ育った村。

 大事な母と、幼馴染。

 親のように見守ってくれている大人達。


「でも、うたわないと。みんな、おそわれてたよ」


 掠れた喉で呟いて、母を見上げる。

 母は悩んでいるようだった。

 悲しんで、苦しんでいるようだった。


「わかってる。わかってる、ノア。あなたが歌ったからみんな救われたの。あなたがいなければきっと……きっと、みんな死んでいた」


 魔物は血肉を求めて人を襲う。

 あの群れは村人の数よりも多く、大型の魔物も多かった。


 村人全員食らっても、彼らは空腹のままだったことだろう。


「でも、でもね、ノア。私にはあなたが一番大事なのよ。この村が……。やめましょう。ノア、難しい話はおしまい。まずは体を休めて。あなた、三日も寝ていたのよ。まだ辛いでしょう」


 母が部屋のカーテンを閉めて暗くし、ノアの休める環境を作る。


 まだ話していたかったが、身体は疲労感に沈んでいくようだった。

 意識するまでもなく、眠りに落ちた。


 次に目が覚めると、母が温かいシチューとパンを持ってきた。


 それから、魔物の襲撃も村長の話も忘れるほどに穏やかな日々が続いた。


 穏やかな日々ではあったが、以前通りの日々ではなかった。


 母は一度もノアを外に出さず、ノアを訪ねてくる誰も彼もを追い返していた。

 ノアにお礼を言いたいという村人のことも、ノアと遊びたいという子供達も、風邪が治ったからと尋ねてきたアンナのことさえも。


 母は穏やかな笑顔を作りながら、その目はずっと笑っていなかった。


 やがて、母が何もよりも恐れていた日が来てしまった。


 立派な黒塗りの馬車が、不釣り合いな貧しい村の、舗装もされていない地面をガタガタと大きく揺れながら走り、やがてノアの家の前で止まった。


 馬車の中から出てきたのは、金の刺繍の入った白いローブの、美しい男性だった。


 年齢不詳の彼は、ローブのフードを外してノアの家の扉を、細く白い手で叩いた。


「こんにちは」


 まるで歌うような声。

 その声に触発されるように、ノアの頭の中で響く歌が一層美しいソプラノを響かせた。


 何故だろうか。

 まだ直接話したわけでもないのに、彼はきっと神歌を歌える、神の愛子であることが分かった。


「行かないで、ノア」


 窓からその美しい男性を眺めていた。

 ノックに出るために、立ちあがろうとするノアの手を母が掴む。


「行かないで」


 懇願するように、母が言う。


「母さん。ぼく、行かなくて良いようにあの人に聞くよ」


 ノアだってここを離れたくはない。

 母の手をゆっくりと外す。


「お待たせしました」


 男性はきっと、高貴な人だ。

 見様見真似の丁寧な言葉遣いを心掛けて話し掛ける。


 アンナがひっそりと教えてくれたのだ。

 王都の尊い身分の方は、平民の態度で罰を与えることがある、と。


「ノアさんですね?」


 男は綺麗な微笑みを浮かべていた。

 綺麗すぎて、感情が読めないほど。


「はい」


「ふむ。何歳になりましたか」


「えっと……9歳です。もうすぐ10歳になります」


「そうですか。本来なら、神の愛子は五歳の誕生日までに神殿に迎えられるんです。ノアさん、少し話をしましょう。中へ入れていただいても?」


 柔らかな物腰ながら、拒否を許さないような態度でもあった。

 気圧されるまま、ノアは男を家へと招き入れた。


 家に入った途端に母はノアの手をとって、自分の背中の後ろへとノアを追いやった。

 そんな母の姿に男は何度か瞬きしてから、品の良い笑みを浮かべた。


「改めて、初めまして。ノアさんをお迎えにあがりました。シャリテ教会から参りました、レイモンド・ハーデンと申します」


 男はそう名乗って、母とノアに綺麗な礼を見せた。


「ハーデン様、わざわざお迎えに来ていただいたのに申し訳ないですが、ノアは私の子です。どこへも行かせるつもりはありません」


「ふむ。困りましたね。良いですか、ご婦人。神の愛子は教会で育つものです。一人の例外もなく。平民の子も、スラム街の子も、貴族の子も、王族の子も。彼らは人間の分類による身分ではなく、神に選ばれた子らであることが何よりも重要なのです」


 母の主張は必死だが、レイモンドの方は余裕そうだった。


 困りました、と言いながらも少しも困った様子を見せない。


「それでも、私の子です」


「もちろんですよ、ご婦人。あなたはノアさんのお母様だ。教会は神の愛子を保護し、適切な教育を施す義務があります。ですが、親子の縁は切れません。またノアさんに会いにくれば良いではないですか。シャリテ教会は、お母様をお待ちしていますよ」


 レイモンドが慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。計算されたその表情はいかにも慈悲深く、愛に溢れているように見えた。


「ご婦人、ノアくんと少し話がしたいのですが、よろしいですか?」


「ノアに何を話すの?」


 母は警戒しているようで、ノアを一層自分の体の影に隠すようにレイモンドから一歩遠ざかる。


「それは、神の愛子にしか話せない話を。ノアさん、君はこの話を聞いてから、教会へ来るか村に残るか決めると良い」


「残っても良いの?」


「もちろんですよ。神の愛子の意思を、神以外の誰も無視はできないし、強制もできない」


 レイモンドは肩を竦める。


 母の顔を伺うと、母は難しい顔をしたままノアを見つめた。


「ノア、あなたの部屋に案内してあげなさい」


 やがて諦めたように、母がため息を吐いた。


 ノアは頷いて、母の手をゆっくり解いた。

 それからレイモンドに「こっち」と声を掛けて、家の少し奥にある扉を開いた。


 小さなノアの部屋は、ベッドと書き物机しかない。

 高貴そうなレイモンドを座らせることのできる場所が見当たらず、ノアは困ってしまった。


「ノアさん」


 レイモンドはノアの部屋をぐるりと見渡して、それからノアの前にしゃがんだ。

 背の高いレイモンドがしゃがむと、ちょうどノアよりも少し低い位置に頭がくる。


「どうして教会が神の愛子をわざわざ家族から引き離すかわかりますか?大抵の家族が何故それを拒否しないか、も」


「わかりません」


「それはね」


 幼子に諭すような口調で、レイモンドが続ける。


「神の愛子は魔物の大敵であるとともに、それを本能的に察した魔物が大群を成して襲ってくるからです。災害級の魔物の襲撃の中心はいつも、保護され損ねた神の愛子達なのです」


 レイモンドの言葉に、あの地獄のような魔物の襲撃を思い出す。


 どきりと跳ねるノアの心を見透かしたように、レイモンドの目に載る感情が憐れみに変わる。


「ノアさんのことがわかったのも、この村が大規模な魔物の襲撃に遭ったからですよ。今まで襲われなかったのが不思議なくらいですけどね」


 まるで、先日の悪夢がノアのせいだと言っているかのようだ。


 いや、間違いなくあの悪夢を指して言っているのだろう。


「どうして、そんな大事なこと……」


「誰も知らないのかって?王都の貴族や王族達は暗黙の了解として知っていますよ。魔物の脅威であることはまず間違いなく、彼らはリスクよりも利益を守っていますがね。逆に平民が知らないのは、神の愛子を教会に届けるすべもなく、魔物に襲われるぐらいならと神の愛子を亡き者にする不届き者がいるからです」


 ノアは村から出たことがないが、王都が徒歩ですぐに辿り着ける場所にあるとは到底思えなかった。


 この村から見えるのは見渡す限りの森と山。

 隣村すら、どこまで歩けば辿り着くのかノアにはわからない。

 ともすれば、この村こそ世界の全てのように思えてくるほどだ。


 村の中では物々交換で成り立つ食料の確保も、外では金という誰にとっても公平な価値を持つものが必要だと聞く。

 王都にたどり着くまでに一体どれほどの金が必要なのか、ノアには見当もつかない。


 それを思えば、魔物を呼び寄せると思える神の愛子を切り捨てるのも納得がいく。


 だから、その事実を隠すことも。


「聡い子だね。よしよし。教会は愛子を保護する。愛子は人々のため、世界のために戦う。愛子を産んだ家族には謝礼を支払う。永遠の別れじゃない。愛子が願えば里帰りも可能だし、会いに来た家族を追い返すこともしない。ノアさん、もうどうすべきかわかりますね?」


 レイモンドの話をどこまで信じて良いかわからない。

 半ば脅しのようだと思う。


 目を閉じて、あの悪夢を思い返す。

 ノアの歌は万能だろうか。

 あの日のように一晩でも二晩でも歌い続ければこの村は守れるだろうか。


 想像して、それがどれほど危険なことかを考えて、ノアの気持ちは揺れた。


「……本当に、いつでもここへ帰って来れる?」


「もちろん。君が望むなら」


 まだ決心はつかない。


「一晩じっくり考えると良い」


 レイモンドは立ち上がり、白いローブの裾を翻してノアの部屋を出て行った。


 少しして、慌てた様子の母が部屋の中へと入ってきて、ノアのことを抱きしめる。


「ノア、お願い。どこへも行かないで」


「母さん、ごめんね」


 本当はどこへも行きたくない。

 だけど、レイモンドの話が本当ならノアの居場所は魔物によって潰されてしまうのだろう。


 その日の夜はうまく寝付けなかった。


 夜が来て、朝が来て。


 いつもと変わらない日だったのに。


「母さん……また、帰ってくるから。ぼく、行くよ」


「ノア……」


 母は泣きそうな顔でノアを見つめ、でも何も言わずに項垂れた。


 そんな母を見ながら、これが今生の別れではない、と自分に言い聞かせてノアは家の外に出た。


 母には、自分がいたからこの村が襲われたのかもしれない、ということは言えなかった。


 母に嫌われるのが怖かった。

 村人達が、ノアを産んだ母を責める可能性があることを想像してしまった。


 だから、言えなかった。


 ノアはレイモンドに言われるまま、何も持たずに家の前で待っていた。


 やがて、馬車がゆっくりとノアの家の前に停まった。


「ノアさん。どうするか決めましたか?」


「あなたと王都へ行きます」


「それが最善です。本来なら、五歳を迎える頃には教会へ入るのが決まりです。歌の力が定まるのが五歳。魔物が神の愛子であることを嗅ぎつけるのも五歳なんですよ」


 レイモンドは、豪奢な馬車にノアを案内し、中の椅子へと座らせた。


「ここで少し待っていてくださいね」


 馬車の扉を開けたまま、レイモンドは降りていく。

 御者席に座る男から重そうな布袋を受け取って、ノアの家に入って行った。


 昨日言っていた、家族には謝礼を、というものかもしれない。


「ノア。行っちゃうの?」


 ぼんやりと家の扉を眺めていたノアの視界に、一人の女の子がひょっこりと顔を出す。

 アンナだった。


「元気になった?」


「うん。ノアが泉の水を持ってきてくれたからね。ありがとう、ノア。それに、村の魔物をやっつけたって聞いたよ。ノアは凄いね……!」


 純粋な賞賛の目が向けられる。


「ノアは凄いから、王都は行くんでしょう?こことは違ってにぎやかで、きらきらしてるんだって」


「うん……そうだね」


「また帰ってくるんでしょう?アンナ、待ってるからね」


 ニコニコと眩しい笑顔が向けられて、

「うん、またね」

 と小さく手を振った。


 アンナよりも遠くから、悲しそうなユーナがこちらを見ていたがノアと目が合うと近付いてくる。


「元気でね。あんまり無理しないようにね」


「うん。ありがとう、ユーナおばさん」


 ユーナとアンナが馬車から距離を取る。

 家からレイモンドが出てきた。


 彼は静かに馬車に乗り込むと、ガタガタと馬車が走り出した。


 母は見送りに出てこなかった。

 村人達がかわるがわる、ゆっくり走る馬車に声を掛けては手を振ってくれる。


 あの日、村を救ったノアへの感謝とともに、口々に別れを告げてくる。


「愛されてますね、ノアさんは」


「みんな家族だから」


 小さな村は、ノアの全てだった。


「そうですか」


 レイモンドは静かに微笑んだ。


「あなたが村を離れる決断をしてくれてよかったです」


 小さな囁き声に、窓の外を見ていたノアはレイモンドを見たが、彼は何も言ってないかのように微笑むばかりだった。



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