2
後部座席で眠ったふりを繰り返して約二時間。
車は田園風景の真っ只中を突っ切っていく。
薄く開いた視界をふと窓の外に向けると思いがけず、無数に立ち並んだ黄色い花が後方に流れていくのが見えた。
向日葵……か。
ため息をつきたくなった。
向日葵はあまり好きな花ではなかった。
ぼってりとした大きな花はいつも明るく笑っているようで、僕にはそれがいかにも無神経に感じられる。
心にまた毛羽立ちを感じて、目を逸らすとそこに背の低い鉄塔のようなものが見えた。どうやら半鐘台らしいと目処が付いたもののやはり特に興味などあるはずもなく僕は再び目を閉じて眠ったふりをした。
カーラジオから古い洋楽が流れてきた。
聴いたことがあると思ったが曲名は知らない。
それはとても情熱的で優しい歌声の男性デュオだった。
曲が終わると男性のラジオパーソナリティが「サイモン&ガーファンクルで明日に架ける橋でした」と抑揚のない声を添えた。
心がまたチクリと傷んだ。
明日に架ける橋なんて、僕のはずっと通行止めに違いない。
しばらくして車が速度を落として右に曲がる揺れを感じた。
目を開けるとフロントガラスの向こうにこんもりとした竹藪が覗いていた。
車がその麓にたどりつくとそこに隠れるように建つ古めかしい日本家屋があった。
車から降り立った僕は都会よりもずっと酸素濃度の濃い気がする暑い空気を遠慮がちに吸い込み、それからあたりをざっと見渡してみる。
水の張られていない小さな池。
あまり手入れが行き届いているとは言えない松や楓の木。
いかつい灰色の瓦屋根に煤けた色の木造家屋。
雨戸の隙間に見える曇りガラス。
そして軒の深い薄暗い玄関先。
ああ、そういえばこんな景色だったかも。
幼い頃に何度か訪れたことのあるこの家の記憶に引き連れられるように、不意に祖父の声が甦った。
「智史、この世に生まれてきたからにゃあ、やりたいことをやればええんだ」
逆光に黒ずんだ祖父の輪郭がぼんやりと浮かんだ気がした。
「智史、荷物持って早くいらっしゃい」
僕は母の声にハッと我に返り、すでに玄関先にたどり着いている二人に駆け寄った。
出迎えてくれたのは今もこの家で暮らしている叔父さんだった。
叔父さんはやはり数年前に奥さんを病気で亡くし、今は独りで暮らしている。
法事が始まるまでにはまだ少し時間があり、両親と叔父さんは居間でちゃぶ台を囲んで近況などを語り合い始めた。
僕はその場にいるのがなんとなく気詰まりでトイレを口実に席を立った。
そしてそのまま縁側に面した長い廊下の途中で立ち止まり、窓の外をぼんやり見つめていると、またしても祖父の声が鼓膜に響いた。
「好きなことすりゃあええ。誰に遠慮することもない。人様に迷惑掛けんかったらそれでええんじゃ。思う通りに生きたらええ」
あれはいつのことだったのだろう。
多分、祖父が亡くなる少し前のことだった。
末期癌で延命治療を拒んだ祖父がこの家を終の住処と決めて戻ってきたと聞いて、家族全員でやってきた時のことだと思う。
そのとき、どういう経緯か僕は祖父と二人きりになった。
僕たちは二人並んでこの縁側に座り、外を見つめていた。
夏だった。
激しい陽光が真上から降り注いでいた。
クマゼミの大合唱が耳にわしゃわしゃと鳴っていた。
その蝉時雨の中、たしか僕は祖父に訊いたはずだ。
「おじいちゃんの好きなことってなんだったの」
逆光のシルエット。
その痩せこけた頬が微かに弛んだ。
「ワシか。ワシはこれよ」
そう言って祖父は右手の人差し指を顔の前で何度も折り曲げて見せたように思う。
あれはなんのポーズだったのだろう。
聞いた気もするけれど思い出せない。
僕は足下にある陽だまりに胡座を掻いて座り、難しい顔をして記憶を浚った。
そのうちにひとつふたつ欠伸が出た。
そして気がつくと僕はいつのまにか小さな屋台を前にしていた。
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