ウィスキーと美人とささくれと

磧沙木 希信

ウィスキーと美人とささくれと


 行きつけのバーで一人静かにウィスキーを飲む。


 そんなささやかな幸せを隣に座った名も知らない美人に邪魔される。


 たまにはそんなハプニングもいいだろう。



「お隣、よろしいかしら? 」


 三十代半ばぐらいだろうか、スタイルが良く、長い黒髪が良く似合う美人だ。


 俺は無言でウィスキーグラスを揺らし、氷が鳴る音で返事を返す。



「ふふふ、ずいぶんとキザなのね。でも、私は好きよ。そういうの」


 やけに長いタバコに火を点けた彼女は、一息だけ吸うとすぐに消してしまった。



「あなた、なんだか昔付き合っていた人に似てるわ。……まぁ、ヒモだったんだけどね」


 注文したカクテルのふちを指でゆっくりとなぞり、遠い目をしながら話し始めた。



「あの頃の私、まだ初心だったのね。一生懸命に彼のために働いたわ」


 カクテルを一口飲み、口紅のあとを優しく指でぬぐった。



「昼はスーパー働き、夜は居酒屋で働いたわ。……ん?                    いいえ、その頃は水商売なんて絶対にいやだったわよ」


 自分の手を懐かしそうに見ている。



「あの頃のせいかしらね。今でも手はすぐに荒れてしまうの」


 スラっとした指が美しい手だ。確かに、遠目でも少し荒れているのがわかる。



「私の手を見て。……どう、”ささくれ”ばっかりでしょう」


 手の甲をこちらに見せる。彼女の歴史が刻まれた、しわの多い手だ。


 ……でも、これが”ささくれ”だって? そんなはずはない。だって、これは……。


 マスターもグラスを拭く手が止まる。


 しかし、さすがはプロだ。何食わぬ顔でまたすぐにグラスを拭き始めた。



「色んなスキンケアをしてみたんだけど、ダメね。すぐに荒れて血が出ちゃうの」


 しわに沿って赤くなっているのがわかる。


 何度も血が出たのだろう。うっすらと赤い線が出来ている。



「俺は好きだな、その手。働き者の手だ。でも……」


「あら、ありがと。手を褒められたのはいつ以来かしら。……私の”ささくれた”心も少しは癒されたわ」


 俺の言葉をさえぎる様に声を重ねた。



「……それじゃ私、もう行くわ。お話し、楽しかった」


 残りのカクテルを一息で飲み干し、千円札を一枚置いて席を立った。


 俺はウィスキーグラスを鳴らし、美人と別れを告げる。


 ハイヒールの高い音を鳴らしながら、美人は去って行った。


 残ったのは、タバコの匂いとやけに甘ったるい香水の香りだけ。


 俺はテーブルを軽く二度叩き、空になったウィスキーグラスを満たしてもらう。



「……マスター。どう思う、今の話し? 」


「さぁ、どうなんでしょう。私は、しがないただのバーテンダーです。……でも一つだけ気になる事があります」


「やっぱり、マスターもか。俺もなんだ」


 俺はウィスキーで口を湿らせる。



「あれは……。あの指先にできていたのは……」


 ……

















「”あかぎれ”だ」

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ウィスキーと美人とささくれと 磧沙木 希信 @sekisakikisin

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