次の人生

三鹿ショート

次の人生

 眼下の人間が二度と動くことはないと理解しているにも関わらず、私は身を震わせながら、彼女の言葉を頭の中で反芻していた。

「次の人生で、私は必ずあなたに報復します」

 彼女の次なる生命が人間であるのかどうかが不明であるにも関わらず、私は何時の日か報復されてしまうのではないかと恐れた。

 ゆえに、自宅に戻った私は、それから外に出ることを止め、同時に、他者と接触することを止めた。

 彼女を殺める前に誕生していた人間すべてを恐れる必要は無いのだろうが、彼女が現在生きている人間の肉体を奪った場合のことを考えたために、私はあらゆる人間と接触することを止めたのである。

 このときほど、自宅で仕事をすることができる環境に感謝したことはなかった。


***


 他者と接触することがない生活を送ってから半年ほどが経過したある日、呼び鈴が鳴った。

 部屋の中から声をかけると、どうやら隣に引き越してきた人間による挨拶らしい。

 失礼であることは重々承知しているが、私は相手の年齢を尋ねた。

 相手の返答によると、私よりも一回りは上の人間らしい。

 私が殺めた彼女が生まれ変わったわけではないことに安堵したが、油断は禁物である。

 もしかすると、彼女が相手の肉体を奪っているかもしれないのだ。

 ゆえに、私はそれ以上の会話をすることなく、仕事に戻ることにした。


***


 家から出ることがなくなった私を心配したのか、家族や友人が訪ねてくることが多かったのだが、私は室内から会話をすることに専念した。

 そのような行為を繰り返していたためか、何時しか私を訪ねてくる人間は皆無と化してしまったのだが、私はそれで構わなかった。


***


 一体、どれほどの時間が経過したことだろうか。

 気が付けば、私の皮膚には皺が目立つようになり、頭髪も姿を消していた。

 他者と接触することなく、これほどまでに長く生き続けた人間は、それほど多くは存在していないだろう。

 私は何故か、達成感のようなものを覚えていた。

 だが、私は其処で、あることに気が付いた。

 かつて殺めた人間に怯えながら、老人と化すまで生き続けてきたものの、その間に、私は何を得たのだろうか。

 私の人生というものは、休日に友人と外出して気分転換をすることもなく、恋心を抱いている相手と結婚することもなく、病気で苦しんでいる家族を見舞うこともなく、ただ家の中で仕事を続け、腹が減れば食事をし、眠くなれば寝るという、同じようなことを繰り返していただけだった。

 このような日々に比べれば、外の世界を堪能している最中に踏み潰される蟻の方が、生命体としては良い時間を過ごしているだろう。

 つまらぬ人生とは、私のような人生を表現しているに違いない。

 しかし、一方で、これは彼女を殺めた私に対する罰であるということも、考えられる。

 罪を犯した人間が相応の罰を受けることは当然であり、それがこのようなつまらぬ人生を送るということならば、充分な意味を持っている。

 ゆえに、私はこのままこの部屋の中で孤独に過ごすべきなのだろう。

 そのようなことを考えていると、呼び鈴が鳴った。

 部屋の中から声をかけると、どうやら隣に引き越してきた人間による挨拶らしい。

 現在では、ほとんどの人間よりも年上であるために、私は相手の年齢を尋ねることなく、そのまま寝床へと戻っていった。


***


 気が付けば、私は宙に浮かんでいた。

 眼下には目を閉じている私が存在していることから、どうやら私は、眠っている間に生命活動を終えたということらしい。

 味気なき人生だったと苦笑していると、背後から声をかけられた。

 振り返ると、其処には彼女が存在していた。

 だが、今の私は彼女に対して恐怖を覚えていることはなく、同時に、彼女もまた、私に向かって敵意を示しているようには見えなかった。

 既に生命活動を終えたことから私が報復される心配は無く、彼女もまた、報復する必要がないためだろう。

 彼女に向かって、私は問うた。

「次なるきみは、どのような人生を送っていたのか」

 その言葉に、彼女は首を左右に振った。

「私はこの場所で、あなたのことを見ていただけです」

「報復するつもりだったのではないのか」

 私の問いに、彼女は笑みを浮かべた。

「そのようなつもりは、毛頭ありませんでした」

「では、何故あのようなことを告げたのか」

「私のことを忘れてほしくはなかったからです。あなたが私の報復を恐れる限り、あなたが私のことを忘れることはないでしょう。そのために、私はあのような言葉を吐いたのです」

 その言葉から、私がどれほど無駄な時間を過ごしてきたのかを理解した。

 しかし、私には彼女を責めることなどできるわけがない。

 たとえ彼女が私のことを恨んでいなかったとしても、私が罪を犯したことには変わりはなく、その罰が、退屈な人生だったからに違いないからだ。

 私が頭を下げ、謝罪の言葉を吐いた後、顔を上げると、彼女の姿は消えていた。

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