なんの変哲もない日常に帰るとき。

メラミ

***

 ある日、稽古中のことだ。

 ヨリトは三人芝居をしている。立ち位置は彼女の初恋相手である。

 彼女にもう一人の男が告白をしているシーンを目撃してしまうシーン。

 問題はその次にくるシーンだ。

 自分が彼女に告白をして失敗するシーン。

 なにも感じ取ることができないわけではない。

 ただ、何度やってもぎこちない演技になってしまうのである。

 ヨリトは稽古中に監督から何度も同じシーンでダメ出しをもらう。


「うーん。もう一回やり直して」

「はい!」

「あのさぁ、やる気あるのはいいんだけどさ……君、ささくれできたことある?」

「はい?」


 返事のイントネーションが疑問符に代わる。

 監督は続けて唸りながらヨリトの演技にアドバイスをする。


「そこのシーンさぁ、ささくれができたときの気持ちなのよ」

「はぁ……」

「ささくれができるような気持ちが君にはわからないのか」


 初恋相手でありながら、ほかの相手に彼女を取られてしまうのではという焦燥感、それは伝わっているらしい。最終的にみずから彼女の手を取り自分が彼の前に立ち向かっていき、彼女にふたたび思いを伝える。問題はその間のシーン。

 声の張り方、動き、所作というもの全てが演技にとって大切である。

 そんなことはわかっていた。もっと深いところでの演技が必要なのである。


「……ささくれか……」


 ヨリトは台本を眺めながら呟いた。

 どうしてもこのシーンを演じるのに足りないものはなんなのか演出家に尋ねる。


「ささくれなんて今まで気にしたことなんかなかったんですよね……」

「あーそうねぇ。ささくれができたときのあの気分ってさ、剥こうとする時ちょっと痛いよね。一瞬の痛みってやつよ。取れたあともしみるしねぇ」

「一瞬の痛みがあと引く感じ……ですかね?」

「そこまでわかってんならあと少しじゃない?」

「……っすね。ありがとうございます」


 ヨリトは自宅で台本を読み直す。自分の台詞にボールペンでチェックを入れては、読み方を変えてみたりする。自分に足りなかったものはまさしく心情であった。

 二日目の朝、ヨリトの指先にささくれができる。


「うわっ……。いててて」


 無理に取ろうとすると痛い。そういえばここんところ一杯のカップ麺ばかりを食べていて野菜不足だったかもしれない。

 そんなことを考えながら稽古場に着く。

 ヨリトは監督に挨拶をする。あの例のシーンの心情が今度はわかった気がすると話す。


「じゃ、やってみようか」

「はい!」


 高校生だった頃。バレンタインの日、何回も告白して芝居だと思われたが本気だと気づいてもらえた喜び。その後のホワイトデーのお返しをしたときに振られた気持ちと繋がった。彼女が振った気持ちと、今演じている自分の立ち位置がよく似てる。

 ふたりきりで話しているところを目撃して焦った後の告白に失敗してしまう男。


 一瞬の痛み、ささくれができるような気持ち。


『これ以上ない喜びをあなたと共に分かち合いたい。僕と汽車に乗って行きましょう。さあ今すぐ!』

『なにを仰ってるの? 初めから好きなのはあなたの方なの』


 彼女はそう言いながら誤った選択をしてしまう。


『だけど今じゃないの。ごめんなさい』

『今じゃなかったらいつなんだ。いつ会える?』

『今度会うときは、あの男も一緒だわ』

『あんな男とは別れてしまえばいい。好きでもない相手と一緒にいることなんか必要ないだろ』

『そうね……あなたの言う通りだわ』


 彼女を引き留めようとして一度失敗する。

 ヨリトは彼女の辛そうに初恋の男に別れを告げる姿に自分が重なる。

 ソロ活をして出会った彼女も寂しそうだった。それなのにフラれた。

 振った人はすぐ忘れるというが、そういう人ばかりではなかったことを思い出す。

 振られた人は一生の傷になる。小さなささくれのような傷であっても忘れることはないだろう。


『またいつか会いましょう。さようなら』

『僕は……待っていますから。あなたのことが好きだから――っ!』


 カチンコが稽古場に鳴り響いた。


「はいカーーット!」


 監督と演出家がにこやかに目を合わせて微笑んでいた。

 ヨリトはその微笑みが不気味に思ったのだが、勇気を出して今のシーンの出来栄えを尋ねてみる。


「どう……でした?」

「うん、とてもよかったよ。ね?」

「そうですね。これが監督の言うささくれですね」

「本番もこの調子でいこう!」

「はい! ありがとうございます!」


 ヨリトは指先をふと見つめる。今朝できたささくれはまだ残っていた。

 ささくれは皮を伸ばして居座っていた。


 ――演技のヒントをくれるものになってくれて助かったよ。サンキュー。


 ヨリトはささくれに感謝をしたのであった。

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