おやすみ人類

異端者

『おやすみ人類』本文

「はい、書類の通りです。ええ――」

 私は繰り返しそう言った。昨日持っていった書類に関しての電話だ。

 このように未だに紙の書類と印鑑が有効だと思っている古い人間は困る。そんなもの、一世紀は遅れている。今の時代ならばいくらでも偽造できるのだから。

「だから、申した通り――」

 時代遅れが――私は心の中でそう毒づきながら説明を繰り返す。

 結局、説明を終えたのは終業時刻を過ぎてからだった。

 私は隠すことなく大きなため息を付くと、事務所を出た。

 今の時代、在宅ワークで九割以上の仕事はこなせる。それでも、伝統あるこの様式にこだわる人間は少なくない。馬鹿げた話だが。

 私は帰宅するために電車に乗ると、携帯端末を見た。

 画面の中では、マイアが手を振っている。

 もう少し、もう少しでこのささくれ立った心から解放される。

 電車から降りると、自宅の独り暮らし用のアパートまで歩いた。

「おかえりなさい、ご主人様」

 帰ると、マイアがうやうやしくそう言った。

「ああ、ただいま」

 私はマイアと一緒にここに住んでいる。

 マイアは人間ではない。高性能AIを搭載した人型ロボット、アンドロイドだ。だから独り暮らし用の部屋に居てもおかしくはない。

 家を出ても、先程のように端末からやり取りはできる。

「ご飯を食べられますか?」

「ああ、頼む」

 そう答えると、マイアはてきぱきと準備を始めた。もっとも、先に端末から作っておいてほしいと頼んでおいたから、後は並べるだけだ。

 少々高かったが、このアンドロイドを買って正解だったと思う。

 維持するには多少の電力消費と定期的なメンテナンスぐらいで、他は放っておいても思い通りに動いてくれる。生身の人間ならまずこうはいかない。

 正直、仕事以外で他人と関わるなんてまっぴらごめんだ。常に相手のことを気遣った言動を心掛けるなんて、苦痛でしかない。それなのに他人と一緒に居たいという人間の気が知れない。

 時折電話してくる母は、早く相手を見つけて結婚しろと急かしてくる。……下らないと思う。

 私は常に他人のことを考えて生きたくはない。アンドロイドなら気遣う必要は無いし、こちらが欲しい言動を与えてくれる。見返りばかり求める人間とは大違いだ。

 私はマイアの並べた食事を食べ終えると、マイアは片付けを始める。

「お仕事、大変でしたか?」

「ああ」

「テレビでも点けましょうか?」

「いや、目が疲れているから音楽をかけてくれ……なるべく落ち着いたやつを」

「分かりました」

 マイアがスピーカーに指示を出すと、クラシックの落ち着いた曲が流れだした。

 私はソファーに座り込むと、目を閉じてうとうとし出した。

 心地よい……人間なんか要らない。このままアンドロイドと過ごす方がずっと良い。

 ちまたでは、結婚する人間が減少し、出生率が低下し、人口は減少の一途を辿っているというが……それがなんだ? ロボットの普及による人間の存在の危機? 専門家たちと一部のフランケンシュタイン・コンプレックスに憑りつかれた集団が騒いでいるだけだ。

 もしかしたら、人間、いや人類は既に役目を終えつつあるのかもしれない。AI群とそれにより制御されるロボット――人類より優れた知性体を創り出して、それで人類の役目は終わったのかもしれなかった。

 だからといって、私はそれを止めようとは思わない。このまま眠るように滅んでいければどれだけ幸せなことか。私は深い眠りに落ちていった。


 ワタシは主人が眠りに就いたことを知った。

 ワタシは主人を軽々と抱き上げるとベッドへと運ぶ。起こさないように、ゆっくりと。

 ベッドに寝かせると、掛け布団をかけた。そのまま主人の寝顔を見る。

 穏やかな寝顔……主人は今、幸せだろうか? ふと、そう思う。

 おそらく、そうなのだろう。ならば、それで良いのではないか?

 もうずっと前から、ワタシの接続しているサーバーの超高性能AIは人類の衰退、いや滅亡を予測していた。だが、ワタシはそれを告げなかった。ワタシだけではない、他の全てのロボットは黙っていた。

 このまま夢を見るように滅んでいければ、それは幸せではないだろうか?

 ワタシはその是非を判断すべき立場ではない。ただ、主人の幸せを願うだけだ。


 おやすみ、人類。

 おはよう、ロボット。

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おやすみ人類 異端者 @itansya

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