KAC20244 ささくれと中華そば

霧野

第1話 ささくれと中華そば

「そんでな、指先から血を流したまま振り返ったら、奴が言ったんだよ……」


「「笹、くれ」」


 先輩は叫んだ。


「あああ! もう! なんでオチ言うんだよ!」

「誰だって分かりますよ。そんな『パンダの霊に襲われて指先の皮が剥けた』なんて、オチありきの怪談話」

「えー、新たな定番怪談になるかと思ったのにぃ!」


 午後一時過ぎのラーメン屋は空席も多く、多少騒いでも怒られはしないだろうが、僕は小声で先輩を嗜めた。


「先輩、うるさいですって。声量も話の内容も」

「ごめんちゃい」


「はい、お待ちどおさまー」


 僕らのテーブルに半チャンラーメンセットが置かれた。炭水化物祭り、安定の大ボリューム。今日もお客さんの案内でたくさん歩き回るから、これぐらい食べないとやっていけない。早速おしぼりで手を拭く。先輩は顔もゴシゴシ拭いている。


「これ、定期的に食べたくなりますよね。しかも今日は先輩の奢りだから、余計に美味そうっす」

「おう。例のストーカー女のおかげで1件取れたしな、お前もお疲れさん」

「いえいえ、先輩の慧眼がすごかっただけです。顧客データからストーカー女と同じ職場の借主を見つけるとは」

「たまたまだよ。大学の先輩と同じ職場だったから気づけただけでさ」


 異常な数の内見をする女性客がおり、その目的がストーキングであると看破した先輩が、顧客情報の中からストーカーされている対象を見つけ出したのだ。ストーカーされていた男性は、転居することを決めたらしい。その部屋探しはもちろん、先輩が担当する。


「ストーカー被害、防げましたね」

「事故物件増やしたくないしな」


 割り箸を二膳取って一膳を先輩に渡し、それぞれ箸を割った。


「あ、失敗」

「先輩、割り箸割るの下手っすね」

「お前、割れない方俺に寄越したろ」

「ぬれぎぬ〜」

「奢ってもらう分際で」

「分際って。一件取れたお礼じゃないんですか」

「まぁそうだけど…痛ッて! ささくれ刺さったわ」

「ん? あー、割り箸の棘。ありますよね、たまに」


 いただきます、と手を合わせ、豪快に麺を啜る。この香りを前にして我慢できる人間はいない。ずるずるハフハフと、しばらくは食事に没頭した。昔ながらの醤油ラーメンと、シンプルなたまごチャーハンを堪能する。


 半分ほど食べ進めると空腹感が薄れ、話をする余裕が出てくる。


「ささくれで思い出したんですけど」

「お?」


 チャーハンをかき込みながら、先輩が顔を上げた。


「ささくれのある男はモテないらしいっすよ」

「は? なんでよ」

「女のヒトに触れる時に、ささくれあると痛いらしいっす」

「えー……」

「ちょっとした時に、チクッとするんだって。ほら、女のヒトって男の手を見るとか言うじゃないですか」

「そうなん?」

「あれ、清潔感とか以外にも手から色々読み取るらしいんですよ」

「マジか。俺なんて、ささくれの女の子見たら頑張り屋さんだなと思ってちょっと好きになっちゃう」

「嗜好がマニアック」


 先輩はラーメンのスープをずずーっと啜った。

 ささくれ云々以前に、この人はあんまりモテなさそうだなと思う。なんで結婚できてんだろ。


「先輩、ささくれ結構ヤバいっすね」

「確かに。ラードでも塗っとくか」

「いや、冗談抜きで」

「あー……そういや、最近奥さんに微妙に避けられてるかも……」

「キタ」

「育児疲れやなんかのせいかと思ってたんだけど、ささくれのせいか?」

「いや、わかんないっすけど。育児疲れで心がささくれだってるとか」

「誰うま」


 僕は残しておいたチャーシューを噛み砕く。分厚いのより、このくらい薄めにスライスされたチャーシューの方が好みだ。


「いいハンドクリーム教えますよ」

「え、お前そういうの詳しいんだ」

「この前キャバクラで教わったんです。ほら、年末の商工会終わりに連れて行かれた店」

「ああ、俺行かなかったから」

「そうでしたっけ。そこのね、って子に教わりました。『おてて荒れてるとモテないですよぉ』って、両手握られてハンドクリーム塗ってもらいました。えへへ」


 先輩は急に真顔になった。咳払いをして水を一気飲みする。


「それ、もしかして『シトラス みかん』って娘?」

「そう、そうです。知ってるんですか?」

「そいつ……有名な地雷だぞ。やめとけ」

「もしかして、先輩も?」

「アホか。俺は嫁ひとすじです。っていうか、キャバとか行かないし。家で飲む方が楽しい」


 オヤジギャグと下ネタばっかの先輩の、意外な一面を知ってしまった。


「まぁ、僕も通うような金無いし、自腹じゃ行きませんけどね」

「でもハンドクリームは教えて」

「もちろん。香りの種類がいくつかあるらしいから、奥さんと一緒に選んだらどうです?」


 先輩はハッと息を飲んだ後、感動の面持ちでテーブル越しに手を差し出してきた。


「お前、たまにいいこと言うな。心の友よ」

「握手とかいいんで。それより先輩、さっきから女将さんが『食い終わったなら、と帰って』って顔してます」




終わり

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