――特別な存在――
はなだ とめと
【短編】
ずっとモヤがかかったようだった意識が今日は鮮明だった。白濁していた思い出や過去の出来事も、なぜか明瞭に脳裏に再生される。
おそらく、もうすぐ私は死ぬのだ。
これが噂に聞く、死に際に起こるという人生回顧というものなのだろう。人によっては、走馬燈のように思い出が駆け巡る場合もあるらしいが、私の場合は、どうやらそのような幻想的な雰囲気ではないようだった。長らく意識が混沌としていたせいもあるのだろが、死に合わせてじわじわのんびりいくらしい。
私は病院のベッドに寝ていた。
たった今、それに気が付いたような気もするし、前々から知っていたような気もする。
一体、いつから入院していて、どれぐらいの間ここに居るのか、意識がハッキリしたとは言え、それはよく判らなかった。
「しっかりしてください。わかりますか」
これまで見たこともないような、高度で先進的な医療機器が私を取り囲んでいた。医師や看護婦が、私を助ける為に全力を尽くしてくれているのが判る。
良い病院だ。
とても有り難いことだ。
こんなにも一生懸命に助けようとしてくれる人達がいるのなら、是非、助かってそれに報いたいという気持ちも湧き上がるが、残念ながら、そう長くは生きられないことを、何となく自分で良く判っていた。
死の淵に立つというのはもっと恐ろしいものを想像していたが、案外、心は穏やかだった。
私の人生は幸せだった。不満もない。後悔することは何もないが、ちょっとした疑問のようなものが一つだけあった。それも、今になって思えば、気にする程のことではないのかもしれない。思い込みだったと思えば、それで何もかも解決する。ただ頭では判っていても、私の芯にある部分が、なかなかそれを納得してくれなかったのだ。
それが、私が――特別な存在――であるということだった。
実際には、まったく特別なことなど何もない平凡な人生だった。私の人生を総括するなら、その―特別な存在―を追いかけた人生と言ってもよい。
物心がついた頃にはすでにそれを自覚していた。或いはそう思い込んでいた。自身が、周囲にいる人間とは違う――特別な存在――であるということを。
ただし、天から啓示を受けたとか、長く白い髭を蓄えた老人が枕元に立ったとか、そんな物語のようなエピソードはない。
ただ単に自身でそう思っていただけである。
それを「思い込み」「勘違い」と言われれば、返答に窮するわけだが、まるで根拠がなかろうと、裏付けがなかろうと、私自身にとっては確固たるものであり、人生で一度として疑うことはなかった。もうすぐ死ぬのだというところまで来てなお、その思いを持ち続けていることが、我ながら可笑しい。
幼稚園へ入園したての頃、他の子供たちが母親恋しさに泣いている時も、私はそれどころではなかった。とにかく自分が何者なのかを知ることに躍起だったからである。
そう、残念なことに、私が――特別な存在――であるということは判然たる事として捉えていたが、何が、どう特別なのか? いつ、どこで、そのような存在になるのか? それが判らなかったのだ。
だから、いつでも何でも全力で取り組んだ。周囲でふざけている子供たちを尻目に、懸命にお遊戯をした。必死で歌った。力の限り駆けて、猛然と縄跳びを跳んだ。幼い私には、やってみることでしか答えの出しようがなかったからである。
幼稚園の講堂に父母を招いて行われた劇でも、主役の相手役のお父さんの弟という園児にとっては何とも解読しづらい役柄だったが、その役に全力で臨んだ。
「おい、おい、そこで何をしているのだね。ワハハハハ」
という、たった一つのセリフを繰り返し、繰り返し、さらに繰り返し、天から役が降りて来るまで繰り返し練習し続けた。
その甲斐あって、劇本番では、見事な程、上手く主役の相手役のお父さんの弟という役を演じきった。ただ役柄が役柄だけに、目立つこともなく、褒められることもなく、また貶されることもなかった。
結局、三年間という幼稚園生活では、自分が、何の――特別な存在――であるのかということは判らぬままに終了した。
それでも私に焦りはなかった。まだ幼稚園が終わったばかりである。開花はまだ先のことだろうと、楽観していた。
小学生になったが、勉強はあまり得意な方ではなかった。学校の成績はごく普通で、運動の方もとりわけ脚が速いわけでもなく、喧嘩をしても勝つときもあれば負けるときもあり、無口ではないが、口が達者というわけでもなかった。
クラス内では、殊更目立つ存在ではなく、だからと言って、誰からも相手にされないようなこともなかった。誰かにいじめられたという記憶もない。
おそらく、あと4、5年も経てば先生も名前を思い出すのに苦悶してしまうような、ごくごく普通の児童だった。
中学生になると部活を何にするかで、大いに悩んだ。その選択の如何によって、――特別な存在――としてのルートが、かなり左右されそうな気がしたからである。
たとえ才能が開花するのが先であったとしても、出来ればこのあたりで、その道筋だけでもつけておきたい。そんな気持ちだった。
小学生の頃に少しだけ少年野球をかじったことがあった。だから人気ナンバーワンの野球部は最初から考えなかった。野球の才能が高が知れていることは、やってみてよく判っていたからである。
二番目に人気のサッカー部。これもやめた。授業でするぐらいなら真面にプレー出来るが、これも特別だと言うほどではなかったからである。
バレーボール部、バスケット部。私は中肉中背であり、父や母を見ても、この先それ程大きくなることは見込めず、これらも特別有利に働くこともなさそうだった。
そこで全くの未経験のことをしてみようと思い立った。
そして消去法で選んだのが剣道部だった。
やったことがないのだから、もしかしてということもある。先々、大剣豪と呼ばれる日が来るかもしれない。
剣道部には、大抵が小学生から、或いはもっと小さい頃から地域の道場に通い、中学に入ってもそのまま続けているという者が大半だった。中学生になって初めて竹刀を持つという私のような者は少なかった。
それでも私は人一倍努力した。臭い部室、臭い防具、臭い仲間に囲まれながら、剣道部で汗を流した。
そして私は誰よりも成長したことを自負した。
上級生が引退すると、真面目さを買われて副キャプテンに任命された。3年生になった最後の地方予選の頃には、部内でも五番手、六番手を争う強さにまでなった。ついにレギュラーに選ばれた時は、心が震える程嬉しかったのをよく憶えている。
試合当日、先生からメンバー構成が発表された。私は大将になった。ついにこの時が来たのだと思った。
別に、先鋒や中堅が悪いと言っているわけではない。次鋒だって副将だって大切なポジションだ。そんなことは3年間、剣道をしてきたのだからよく理解している。けれど、私が――特別な存在――であるならば、やはりそれは、勝負を決する大将なのである。
ところがであった。私が竹刀を持って試合会場の真ん中に立った時、すでに味方は三敗した後だった。つまり五人いる内、すでに三人が負けているのだから、勝負はついているのである。それでも教育の一環である中学生の部活は、勝ち負けに関係なく試合を続行させる。勝つには勝った。が、茶番だった。相手にやる気はなく、その勝ちに価値はなかった。そこで私の剣道時代は幕を閉じたのであった。
高校生になってからの私はプレッシャーを感じるようになっていた。誰からというわけではない。自分が自分にである。
同じ中学校出身の先輩からは、剣道部へ入るよう誘われたが、丁重にお断りさせて頂いた。剣道をこのまま続けても、先がないことを判っていたというのもあるが、それよりも――特別な存在――から解放されたい。そう思うようになっていたのだ。
それが思春期というのかもしれないが、その頃の私はパンクやヘヴィーメタルなどの刺激が強い音楽に衝撃を受けて、気まぐれにギターを始めていた。
またその頃、月並に彼女も出来た。
私がギターを弾いていると、いつも隣に座っていた。とびきり美人というわけではなかったが、可愛らしい女の子だった。
ある時、文化祭でバンドをやらないか?と友人に誘われた。もちろん私はギターをやるつもりだったが、メンバーの中に、私なんかでは到底敵わないギターの達人がいて、いつの間にか私はベースを持たされていた。
「ブッ♪ ツン♪ ブッツン♪ フッツン♪ フツウ♪」
文化祭の本番で、私はステージ端の暗がりに立っていた。楽器にまで、フツウ、フツウと言われているような気がして、気が滅入るような日々を過ごした。
高校三年生になった私は受験勉強を猛烈に頑張った。
この頃になると、途切れかけていた――特別な存在――を再び意識するようになっていた。怠けたいという衝動を跳ね返し、自身を机に向かわせる為には、うってつけの燃料になった。
とにかく東京の大学へ行こう!
そう思ったのである。いつまでも田舎にいるから普通なのだ。大都会でなら、私が――特別な存在――である何かが見つかるはずだと、そう信じた。
そして、二流ではあるが、見事、東京の大学の合格通知を手にすることが出来た。
大学生活はそれなりに順調だった。始めての一人暮らしは楽しかった。親との約束もあり、大学へはきちんと通った。夕方から短時間の居酒屋でのバイトも始めた。大学の仲間は皆楽しく、周囲も親切な人たちばかりだった。
五月頃になって、彼女が出来た。入学早々始めたバイト先の居酒屋の先輩店員だった。けっして美人ではなかったが、なにげない仕草や目の動かし方が色っぽくて都会の女性という感じがした。また何より私は発情していた。女が欲しくてたまらなかった。そのタイミングで、そこにいたのが彼女だったのである。
とにかく彼女とは毎日会った。バイトは週3回で、彼女と同じシフトになるのは週に一度ぐらいだったが、彼女は毎日私の一間しかないボロアパートにやってきて、互いの体を貪り合った。
そんなある日、突然、チャイムがなった。この日は休講で、昼間から素っ裸になった彼女の股間に顔を埋めていた時だった。
最初は無視していたが、やたらと執拗にチャイムがなるので、私は腰にバスタオルを巻いたまま、玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは地元に残して来た彼女だった。
よくよく考えれば、いや考えなくても、まだ正式に別れていなかったのだ。別に浮気とか、二股とか、そんなつもりはなかった。ただ、何となく。そう、何となく、そういう普通の修羅場になったのである。
地元の彼女は玄関先から丸見えの一間しかない部屋の中にある布団の膨らみを見てプルプル震えていた。その膨らみの端には乱れた長い髪があり、それが女性であることは、彼女でなくても判っただろう。
「久しぶり……だね」
それまでの私にそんな経験があるはずもなく、その様な状況に自分が立たされることなど想像すらしていなかったのもあって、何と言い訳すれば良いのか、まったく判らなかった。だから、そういう普通の対応しか出来なかったのである。
彼女は能面のような顔をしていた。そして古い木造モルタルアパート全体が震える程、乱暴にドアが閉じられたのだった。
大学生になって最初の正月。私は帰省することになった。
お盆は恐ろしくて帰ることが出来ずそのまま東京にいた。地元でどんな悪評が立っているのかと戦々恐々としていたのだ。
浮気野郎、二股男、セックスマシーン、どんな罵声を浴びるのだろうか……。もしかすると――特別な存在――というのは、そう言うことなのかもしれないと思った。
これまでヒーロー的な良い方にばかりに思いを廻らしていたが、特別に悪い存在であるということも考えられた。
物心がついた頃から思っていた――特別な存在――は、何が、どう特別なのか、いつ、どこで、どのような存在になるのか、まったく判らなかったのだから、その可能性だって大いにあった。
飛行機に乗れば2時間足らずで地元に到着するのは判っていたが、少しでも先延ばしにしたいという気持ちで、夜行バスに乗り。わざわざ一夜をかけて帰った。
実家に着いても正面から両親の顔を見ることが出来なかった。地元の彼女は両親にも紹介していたからである。母親とはかなり仲良くしていたのをよく憶えている。
けれど両親からは普通に歓迎された。どうやら何も知らないようだった。父親はともかく、母親に、その様なことがあったことを知られていないことに、、すこしホッとしていた。
その矢先に高校の友人から同窓会の連絡が入った。
声のトーンから、吊るし上げられるということは無さそうだったが、もし彼女が来るのなら、誠心誠意謝らなければならないと思った。もちろん復縁したいなどと図々しいことを言うつもりはなかった。ただただ謝るのみである。
予約されていた居酒屋の座敷に入るまでは、ずっとドキドキしていた。そして彼女の姿がないことにホッとしている己の浅ましさに、自分は本当に――特別な存在――なのだろうかと疑問を感じた。
地元の友人たちは、東京でのことを何も知らないようだった。皆、彼女がなぜ来ていないのか? と私に訊くぐらいであった。その都度、私は「さぁ~」と顔を傾げて、月並みな誤魔化し方をした。
私のグラスにビールが注がれた。まだ19歳、法律上飲んではいけない。愛と正義と勇気をモットーとし、ルールを守ることを信条として――特別な存在――と成るべく生きてきた私は、それを断るべきなのだが、ついつい飲んでしまう。尤もビールの味は東京でしっかり覚えてしまっていた。
この時程自分で自分を残念な男だと思ったことはない。私は彼女を深く、とても深く傷つけてしまったはずだった。東京までせっかく会いに来てくれたのに、私は昼間から裸になってサルのようにサカっていたのである。
あの後すぐに彼女に二度ほど電話を掛けた。きちんと謝罪するつもりだったが、着信拒否されていた。声も聴きたくないほど怒っているのだろう。そう解釈して連絡するのもやめた。
だから地元では、とんでもないことになっているだろうと考えていたのだ。彼女が、私の蛮行を周囲に訴え、その友人が悪評を流布して、それにあることないことまで尾鰭がついて、私はスケベですごくカッコ悪い――特別な存在――になっているのではないかと思っていた。
ただそれも自業自得だと、覚悟をもって地元へ戻った。
が、彼女は誰にも何も言っていないようだった。周囲の友達に愚痴すら漏らしていないかった。そんな律儀で健気な人を、私は裏切ったのだ。
私は、目の前に注がれたビールをグビグビと音を鳴らして飲んだ。
「久しぶり~、元気やった。東京の生活はどう?」
ビール瓶を持った女性が隣に座った。飲み干した私のグラスにビールを注いでくれている。先ほどビールを注いでくれたのも彼女のようだった。
けれど、一瞬、誰だか判らなかった。顔を凝視して漸く地味で目立たない学生服を着た以前のクラスメートと合致した。
「そんなまじまじ見らんでよ~」
化粧をして、少し綺麗になった彼女は笑った。
「私、今、浪人しててね。来年、東京の大学に行くことになると思うの。そん時はよろしくね」
もう、ここで言ってしまうが、彼女が、将来私が結婚することになる女性である。
それから春になって、彼女は東京へやって来た。こっちで生活する為の買物や必要な手続きなど、いろいろ手伝っているうちに、段々、親密になっていった。
彼女の通う大学は、私の大学より1ランク、いや2ランク上の、所謂一流大学だった。私も一端の東京人になったようで、学校の格の違いに臆するようになっていた。
だから彼女とは仲良くしていたが、付き合おうという気はなかった。けれど、数年経ったある日、彼女の方から告白されたのである。就職活動に明け暮れていた時のことだった。
「もう、そろそろ、私のこときちんとして」
二流大学出身のオレで良いのだろうか。すっかり東京人の発想である。確かに地元にいた時には考えもしないことだった。人として、家としての格はあっても、学歴で序列を付けたりなどしない。彼女は三年、東京にいても、まったく東京に染まっていなかった。
ひと月もせずに東京で生まれ育ったような顔をしていた私は、なんて愚者なのだろうと、己を罵った。――特別な存在――になる為にも、私には彼女が必要だと思った。
その後私は必死で就職活動に勤しんだ。そして大会社とは言えないが、それなりに有名な中堅クラスの会社の内定を取り付けた。
そして彼女にプロポーズをした。彼女は嬉しそうに頷いてくれた。
それから数年が経ち、数人の部下を持つようになって実入りが安定したことを機に、特別豪勢とは言えなかったが、結婚式も挙げた。
そして2DKの社宅での新婚生活が始まったのである。彼女は、私の会社の社長程度なら手もみして愛想笑いしてしまうぐらいの、大手出版社に就職していたが、私を支える為に出世は望まず、定時に帰ってきて、毎日おいしいご飯を作ってくれた。
子供も二人設け、社宅が手狭になってきたこともあって、郊外に小さな家を買った。狭いが庭もあった。会社からは少し遠くなったが、バスと電車を乗り継げば、通えない距離ではなかった。とにかく幸せな日々だった。
会社では、ひと仕事、ひと仕事、或いはプロジェクトに呼ばれるたびに、――特別な存在――という思いが脳裏を過ぎった。ただ会社というのはそれ程余裕があるわけではなく、次々に宛がわれる仕事をこなすだけで精一杯だった。
時はあれよと言う間に過ぎた。60歳の誕生日。
「課長、お疲れ様でした」
若い部下から花束が渡された。課のスタッフが総立ちになって拍手を贈ってくれた。自然に目から涙が溢れてきた。それなりに苦労して、楽しいばかりではなかった。たくさん失敗して、数えきれない程頭を下げてきた。それでも頼りになる上司と巡り合えた。優秀な部下にも恵まれた。社会人としては、それなりに良い仕事をしてきたと思う。
ただ結局、私は――特別な存在――でも何でもなかった。それでも会社で過ごした日々に後悔はなかった。
帰宅すると、家の中は賑やかだった。すでに息子と娘はそれぞれが家庭を持ち独立していた。その子供たちが家族を連れて、小さな我家に集合していたのである。
「おじいちゃん、お誕生日おめでとう。そして、お仕事、お疲れ様でした」
孫たちが花束を私に差し出してきた。折り紙で作った愛らしい手紙が添えてある。可愛い孫に私の目尻は下がりっぱなしだった。
「お父さん、おめでとう」
「オヤジ、おめでとう」
「お義父さん、おめでとうございます」
愛しい家族が私を取り囲んでいる。私の人生は幸せそのものだった。
これから、どう過ごしていこうかと私は考えを巡らす。
もう――特別な存在――などという思いに煩わされることもないだろう。と言うより、この先、――特別な存在――になりえるチャンスがないことぐらいは、さすがに判っていた。
私の人生は終わったのだ。残りは余生である。
それからは元気なうちにと、妻とあちこちを旅行をして回った。地元にも帰った。すでに互いの両親とも他界してしまっていて、帰る家はなかったが、それでも、そこには懐かしい風景があった。
そんなある日、妻が倒れた。医者は余命半年、持って一年だろうと、残酷な宣告をした。
妻は気丈だった。私は全力で妻を看病した。
そして宣告から約8ヶ月後に、彼女はこの世を去った。
私は途方に暮れた。自宅に篭る日が多くなった。
「ときどき散歩ぐらいしなさいよ」
週に一度ぐらい、近くに住む娘が家を片付けに来てくれる。
私は言われるまま公園へ行くようになった。そこで同じく会社をリタイアした人たちと出会った。そして日がな一日ベンチに座って、政治から芸能まで、どうでも良い話をするのである。
ある時、私はその公園で倒れた。
気が付いた時は病院のベッドの上だった。軽い脳梗塞が発症したとのことである。
すぐに退院して自宅に戻ったが、娘の反対もあって、その後はあまり出歩くことはなくなった。若い頃から趣味で集めていた時計を眺めたり、たまに来る孫と遊んだりしていると、一日は瞬く間に終わり、日々だけがどんどん過ぎ去っていくような気がした。
しばらくすると、娘があまり来なくなった。代りに妻によく似た五十代ぐらいの女性が来るようになって、私の身の回りの世話をするようになった。おそらく娘か息子が雇ったお手伝いさんなのだろう。
「いつもお世話になって、すいません」
私は、お金を払って雇っているお手伝いさんであっても横柄な態度はとりたくなかった。そう言う思いもあって、丁寧な話し方をするよう努めた。
「おとうさん、かなりボケてるみたいね」
眠っていると思っているのか、そんなことを言う娘の声が聞こえてくる。それを否定しようと娘を探すが、姿はない。
「ボケてなどいない。と娘に伝えて下さい」
仕方がないので、お手伝いさんに言うと、なぜか悲しそうな顔をされてしまった。
それからしばらく経って病院へ入った。気心が知れている同じお手伝いさんが看病についてくれたのは有り難かった。ただそのお手伝いさんもしばらく経つと来なくなった。随分、齢を取っていたようなので疲れたのだろう。
「おじいちゃん。お母さんも天国行っちゃったけど、今日からは私が面倒みるから!安心して」
娘が目に涙を一杯に溜めている。可哀想に、妻が死んでもう随分経つが、やはり母親を無くした悲しみというのは、早々に消えるものではないのだろう。枯れ果ててしまったと思っていた私の目からも涙が溢れてきた。
この頃から、なぜか娘は、私をおじいちゃんと呼ぶようになった。毎日が朦朧としていた。白濁としていた。そろそろお迎えが来るころかもしれないと思うようになった。
そうしている内に、また娘が顔を出さなくなった。そしてまた、あのお手伝いさんが戻って来た。休んでリフレッシュしたのか、少し若返ったように見えた。なんとなく亡き妻に似ている彼女に再会できたことを、私は涙した。
その後、一度だけ、どことなく娘に似てはいるが、明らかに知らない人が私の世話をすることもあった。だが、またしばらくすると、あのお手伝いさんが帰ってきた。
「なんで泣いているの? おじいさまは――特別な存在――なのよ。頑張って生きて」
お手伝いさんは静かに笑っていた。
定年後は、すっかり忘れていたことだった。ただ、なぜ他人であるお手伝いさんがそれを知っているのか判らなかった。他人どころではなく、父母、妻、娘や息子、戯言で友人にすら言ったことすらなかった。
――特別な存在――
それは、私の心の中にだけある秘め事だった。
物心がついた頃から、そして病院で死を迎えようとしている今も、私一人だけのものであり、一生を捧げて来た呪縛であり、宝物だった。
「今日は家族全員が集まっているのよ。大阪のひいおじいちゃんも来てくれているわ」
確かに、私が寝ているベッドの周りに沢山の人が集まっていた。小さな子供から、若者、中年、老人、そして私よりヨボヨボした人までいる。医師や看護婦はともかく、明らかに家族として記憶している者はいない。
ただまあ、死にゆく身としては、そんな些細なことはどうでも良かった。私は――特別な存在――などではなかったが、それでもとても充実した幸せな人生だった。最後に残せる言葉は一つしかなかった。
「ありがとう」
※テレビのチャンネルはどこを押しても彼の訃報が流れていた。新聞各紙は号外を出し、翌日の紙面トップは彼の最後の言葉とその笑顔で飾られた。
~総理大臣の弔意~
人類史上最も長く生きた彼が、昨晩、老衰のため亡くなりました。199歳でした。あと2日で200歳を迎えるということで世界中のメディアが注目している中での出来事であり、国としても、国家としても、残念でなりません。この悲しみは世界中に広がっています。
彼は、自らの最長寿記録を更新し続けることで、人が生き続けることに希望を与え、そしてまたその遺伝子によって、これまで治療困難とされていた数々の難病の謎を解明することにも貢献してきました。
彼は、我が国にとって、いや世界にとって――特別な存在――でした。
合掌。
――特別な存在―― はなだ とめと @hanada-tometo
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