絡めとられて、ささくれて。
石衣くもん
👐
「青井さんは相変わらず、綺麗な手だね」
にっこり笑って、そう言われたからには褒め言葉なのだろうか。文脈的には嫌味のような気もするが。
そもそも何の話をしていたんだったっけ。
そうそう、最近、洗い物をするとささくれが酷くなって困る、という話題だった。
「洗い物は私の係なの。ハンドクリームも塗ってるんだけど、なかなか治らなくて嫌んなっちゃう」
「食洗機でも買ってもらったら?」
「えー……でも、まだ二人分の食器しかないんだよ?」
そう言って、幸せな溜め息を吐きながらお腹を一撫でする様に、神経を逆撫でされたような気にさせられる。
彼女、赤坂りく美は数ヵ月前に、結婚した。
そして、妊娠もしているらしい。
メッセージでその報告をもらった時に、素直に、「おめでとう」とお祝いの気持ちを伝えたところ
「仕事辞めたから暇なんだあ。久しぶりに会って話さない?」
とお誘いをいただいたので、少し迷った末、のこのこ彼女の前に出てきた。
傷つくのは、予想がついていた癖に。
彼女との出会いは大学のゼミ。いつも人に囲まれている所謂陽キャで、あまり仲良くできるタイプじゃないなあ、という第一印象の通り、私は彼女と友達にはなかなかなれなかった。
基本的に、当たり障りない会話しかしないようにしていたのに、彼女が何を言っても、心がざわめき反発する。それを気取られないように細心の注意を払って、同じゼミの同回生という距離感を保っていた。
その距離をぶち壊したのは、彼女だった。
ある日、少し遅めのお昼を取ろうと学食に行った時、一人でぽつんと席に座り何を食べるでもなく、ただ静かに泣いている彼女を見つけた。
声をかけるのも、かけないのも気まずすぎるそのシチュエーションにうんざりして、彼女に気付かれないよう学食を後にしようとしたのだが、一足遅かったらしく
「あっ、青井さん」
なんて、声をかけられたのだ。
「あれ、赤坂さんじゃん、どしたの? いつもと雰囲気違うから全然気付かなかった」
わざとらしく驚いてそう言いながら、我ながら苦しい嘘だなと内心苦笑いをしつつ、彼女の隣の席に腰を下ろした。
「いつもと違うフインキって、いつもどんな感じなの?」
「明るい感じでしょ、人に囲まれてるイメージ」
いつも通りの当たり障りのない言葉をかけたのに、今日は彼女の心が何かしらの原因でささくれだっていたからか。
「青井さんは、そんな私のこと嫌いだもんね」
と、どきりとする切り返しをされて、思わず笑顔がひきつった。
「嫌いとか、じゃないけど」
「そう? だったら付き合ってもらってもいい?」
憂さ晴らしに、と手を掴まれた。
細い、キラキラしたピンクのネイルが施された指が、自分の飾り気のない手を握っている。
「青井さん、手が綺麗なんだね。特に指が、細くて爪の形が整ってて」
じっと、握った手を見つめながらそんなことを言うもんだから、心底居心地が悪くなって、
「……わかった、付き合うから、憂さ晴らし」
だから離して。
そう言えば、彼女は不満そうだったが漸く私の手を離した。
こうして、やや怪しいが私たちはこの日を境に友達になった。原因は教えてくれない、落ち込んだ彼女の憂さ晴らしに付き合って買い物に行ったり、カラオケに行ったり。
ずっとざわざわしている心は見ないようにして、普通の友達のように振る舞った。振る舞おうと心掛けていた。
「青井さんは、解決したがるよね」
「どういう意味?」
ある時、また原因はわからないが酷く落ち込んだ彼女に付き合っていたらそう言われた。
確かに、理由を聞き出そうとはしなかったが、いくつか理由を仮定してその解決方法は呈示した。だって、そうでないと私はざわつく心を押さえつけて彼女と一緒にいないといけないのだから。
「私は見たくないものは見ないし、したくないことはしないけど、青井さんは違うよね」
「そりゃ、見ずに済むなら見ないけど、一生見ずに済むことはないでしょ。だったらさっさと片付けた方がいいと思うだけ」
「ふふ、青井さんっぽい」
根本的に考え方が違うし、わかりあえないことも多いのに、いつの間にか私たちは彼女が落ち込んでいなくても一緒にいることが増えていた。いつも彼女は私に相談事を持ちかけて、私が解決策を呈示する。
けれど、一度たりとも彼女がその解決策を実行することはなかった。
大学卒業後も、たまに連絡はとっていたが段々疎遠になり、彼女のことを思い出すことも減っていた。だから、久しぶりに連絡がきて、会いたいと言われた時に、心がざわつく感覚を久々に味わった。
私の心は、彼女にしかざわつかない。
「ねえ、青井さん」
「なに?」
「全部嘘って言ったら、どうする?」
まただ。ざわざわ、心がうるさい。
「私が、青井さんに会いたいから、それだけの為に、結婚して妊娠したって嘘吐いたって言ったら」
真っ直ぐこちらを見つめられて、思わず目をそらした。そらした先にあったのは彼女の手。もうネイルはされていない、ささくれが遠目にもわかる荒れた指。
「ねえ、青井さん」
甘えたような、試すような、意図の読めない声と言葉。
わかっている、全部嘘、が嘘であることは。
この女は私のことをどう思っているのか。どうしてほしいのか。どうしたいのか。
また、彼女の手が私の手を掴む。
「やっぱり、綺麗な手」
私は固まって、手を振りほどくことも、やめろと咎めることもできない。
「昔、青井さんは解決したがるって言ったの覚えてる? だから、青井さんは私から離れられないのよ。私がいつまで経っても解けないから」
たぶん、また彼女は落ち込んでいる。マリッジブルーなのか、マタニティブルーなのか、別のなにかなのか、理由はわからないけど、酷く落ち込んでいるのだ。
「だから、私のことが嫌いな癖にいつまで経っても離れられないの。そうでしょう。そうだと言って」
友達になったあの日と同じ。普段の人当たりからは想像できない好戦的で挑発するような物言いで、私を絡めとっていくのだ。
私は何も言わなかった。
彼女は、静かに泣き始めた。
ささくれの目立つ手は、縋るようにまだ私の手を掴んでいた。
絡めとられて、ささくれて。 石衣くもん @sekikumon
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