【短篇】ささくれミニパンダ

笠原久

「ささくれ」「ささありがとう」

 昼休み、弁当を食べ終えたときのことだった。


「お、おい……! ささくれができてるじゃないか!?」


 弁当箱を片づけようとしていたとき、担任の教師が戦慄の表情で言った。教室中にざわめきが広がる――「うそ!? ささくれ……!?」「マジか!?」「おい! ヤバいんじゃないか!?」――そんな声が聞こえる。


 ざわめきはあっという間に波及し、他クラスの生徒まで俺のことを見に教室までやって来る始末だった。


 俺は自分の指先を見た。確かに、昨日からちょっとしたささくれができていた。だが今見てみると、だいぶひどくなっている。


 全部の指にささくれができていたのだ。


「なんですぐ言わなかった!? 早く病院に――!」


 担任が大げさに言う。


〔病院って……〕


 皮膚科か? そもそもささくれぐらいで、なにを大騒ぎしているんだと俺は思った。ところが、ささくれを軽く見ているのは俺くらいしかいないらしい。


 教室中――いや、教室に集まったほかのクラスの生徒、教師は誰も彼もヤバいものを見てしまったと言わんばかりに、俺を遠巻きにながめていた。


 ささくれとはそんな重病だったろうか?


「でも今の時間だと診察してないんじゃないですか?」


 俺の言葉に、担任は頭を掻きむしった。苛立たしそうに時計を見る。午後一時すぎ……たいていのクリニックは、二時から三時ぐらいにならないと診察してくれないだろう。


「とにかく、すぐ出発できるように帰宅準備をしておいてくれ」


 そう言って、担任は慌ただしく出ていき――俺は言われたとおりに帰宅準備をした。そうしているあいだに、指先から笹が生えてきた。


 笹である、植物の。


 ささくれから笹ができる――いや、ささくれとはそんな症状だったか?


 疑問に思うが、とにかく生えていたし、まわりの反応も「うわっ! お前、完璧に手遅れじゃん!」と治療が遅れたことに対するものだった。


 誰ひとりとして、笹が生えてきたことに疑問を持つものはいない様子だ。


 やって来た担任は額に手を置いて苦悶の表情を浮かべていたが、


「とにかく、すぐに病院に行こう。知り合いの医者に声をかけて、特別に診てもらえることになったから」


 そんなわけで、俺はすぐさま高校から病院まで連行された。時間外であるにもかかわらず、俺は駆け足でやって来た医者と看護師にうながされて診察室に入る。


「手遅れですね」


 そして医者はあっさり宣告した。


「さすがにここまで進行してしてしまうと……」


「あのー……引っこ抜くとか」


 俺が遠慮がちに言うと、医者は深刻そうな顔で首を横に振る。


「おすすめしません。ご存じのとおり」


 と、医者は語り出した……いや、全然ご存じじゃないんですが。


「この笹は神経とつながっています。無理にいじると、手に麻痺が残ってしまう可能性が高いんです。正直、特効薬もありませんし、自然治癒を待つしか……」


 診察室に暗い雰囲気が立ち込めた。医者も、看護師も、教師も、なんならおっとり刀で駆けつけた俺の両親でさえ、暗澹たる表情を浮かべている。


 俺だけが、こう状況について行けていなかった。


 とにかくささくれを治すために静養していろ、という話になり、俺はしばらく学校を休むことになった。休むといっても土日をはさんでいたから、そのあいだに治りそうなものだ、と俺は漠然と思っていた。


 そして家に帰った俺は笹について調べようと思ったが、スマホが起動しない。こんなときにかぎって壊れたのか? と思ったら母親が言った。


「なにしてるの。動くわけないでしょう。笹は電気を吸収するんだから」


 笹にそんな能力があるなど初耳である。ささくれが笹になっている時点で意味不明なのに、もっとよくわからない性質が付与されている。


 仕方がないので、俺は自宅でゆっくり静養することにした。


 基本的に外出しなければ普段どおり生活してよい、ということだったので、俺はいつもどおりに過ごした。


 といっても電気を吸収する性質上、スマホはさわれないし、ゲームもできないし、なんなら部屋の照明とかテレビすらつかない。


 なるほど。これは確かに不便だ。担任やまわりの反応もわかろうというものだ。


 両親も二次感染を恐れて、今は親戚の家に避難している――危険な伝染病患者か?


「なんなんだ、ささくれって……」


 わけがわからなかった。俺の知らないあいだになにが起きているんだ……。


 やることもないので、俺は日曜の夜、リビングのソファに座ってぼうっとしていた。明かりがつかないから、寝るくらいしかやることがない。


 だが、俺は現代日本の高校生だ。


 日が落ちたら寝て、夜明けとともに起きる生活には馴染みがない。いきなりそんな真似ができるはずもなく、俺はひとりたそがれていた。


 せめて明かりがつけば本を読むなりできるのだが……あいにくと電池すら無力化するらしく、懐中電灯すら点かない。


 ガスランタン、ガソリンランタンのたぐいがあれば明かりくらいは確保できたのか……? などと思うが、今さらである。


 そして、俺がそんな感じでどうするかなーと思っていたら、コンコンと窓を叩く音がした。誰か来たのか? と思って音がしたほうへ目を向けると、月明かりに照らされてパンダがいた。


 猫と同じくらいのサイズの、ミニパンダだ。


 鍵はかけておいたはずだが、なにか不思議な道具……銀色をした四角い金属製の物体を窓に押しつけると、かちりと鍵が開いてミニパンダが入ってきた。


「ささくれ」


 ささくれ……笹くれ? と、俺が頭の中で変換するよりも早く、ミニパンダは俺の手にかじりついた。


 すでに、笹は指先どころか手全体を覆うほどに繁茂していた。正直、ちょっと重たい感じすらしていたのだが、ミニパンダはバクバク食べている。


 両手の笹を全部食い尽くすと、ミニパンダは「ぷはぁーっ」と満足げに息をついた。


 それはいいのだが、俺の手はだいぶ傷だらけになっていた。あちこち引っかき傷――正確には噛み傷みたいなものができている。


 別段、痛みなどはなかったが、これ雑菌とか大丈夫なのか……? そんな心配をしていると、ミニパンダは窓の鍵を解錠した謎の機器を俺の右手の甲に押しつけ、どうやってかスイッチを押した。


 ぶぅん、という機械音がしたかと思うと、淡い光が俺の手を包んだ。同じように左手にも謎の機器を押しつけ、淡い光が包む。


 見ると、俺の手がきれいに治療されていた。笹はもちろん、ささくれひとつない美しい手だ。


「ささありがとう」


 ミニパンダはそう言って、俺にパンダのスタンプが押されたカードを渡す。よくがんばりました、と書いてある。


 なにこれ? と訊く前に、ミニパンダはすたすたと窓から出て行った。来たときと逆手順で窓を閉め、機器で今度は鍵をかける。俺が急いで窓際に駆け寄ると、ミニパンダは窓のない銀製の車みたいな物体に入っていった。


 ドアが閉まると、その物体は音もなくするりと空中に舞い上がり、空の彼方へ消えていく。


 翌日の月曜日、俺は登校した。


「もう治ったのか!?」


 すげぇ……! という声が聞こえる。通常――悪化したささくれは短くても二週間、長いと一ヶ月以上も完治しないらしい。


 このささくれはウイルス性で、感染力は高くないものの、不用意に患者と接触せず消毒とケアをしないと予防できない。また再発もしやすいため、一度罹ったものは予防に力を入れるべき――といったことがネットに書いてあった。


 俺はスマホを片手に、ささくれ関連の記事を調べる。


 高校に来ても、俺はスマホを手放さず、休み時間いっぱいずっとささくれについての情報を集めていた。


 なぜなら――あのミニパンダに関する話がひとつもなかったからだ。


 俺が見た幻覚だったのか? ネットの海をどれだけただよっても、謎のミニパンダがやって来て笹を食べてくれる……なんて話は出てこない。


 だが――と、俺はカードを見る。


 パンダのスタンプが押されたカードである。少なくとも、これは幻ではない。あれは実際にあったことなのだ。


 しかも気になるのは……このカード、スタンプを押す箇所が複数ある。あれ一回で終わりではないのだ。ここに来て、俺には変な選択肢が生まれていた。


 次にささくれになったとき――俺はどうすべきなんだ?


 またあのミニパンダに会うべきなのか? それとも金輪際、会うのをやめるべきか? そもそもスタンプが全部たまったらどうなる?


 ささくれが笹になるという謎現象の答えに迫れるかもしれないが、地球外生命体かなにかっぽい雰囲気の、あのミニパンダとの接触は危険そうな気配もした。


 俺はため息を吐いて、カードをながめるのだった。(了)

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