【KAC2024】昨日までは俺だったモノ

ポテろんぐ

第1話

 何も乗っていないローテーブルの上に白い小さな塊が見えた。


「ハルト、聞いてるの!」


 目を凝らすと、昨日、指にあったささくれだと分かった。

 向かいに座っているマネージャーの説教が鬱陶しすぎて、しばらく俺は無言でそのささくれを見ていた。


「ハルト!」


 マネージャーが怒りに任せてローテーブルを叩くと、昨日まで俺の一部だったささくれはバンと一瞬宙に浮いて、またテーブルに落下した。


「……謝らねぇって言ってんだろ。もう、話す事なんてねぇよ」


 それだけ言って俺はソファの背もたれに体を預けた。もう話し合いに応じる気はないという無言のアピールだった。

 そもそも、十歳も年上のマネージャーを地べたに膝を付かせて、こっちは足を組んでソファでふんぞり返っている。


 いつからこうなったのかは覚えていない。

 デビュー当時はテーブルの向こうで正座しているマネージャーの言う事を神のお告げのように聞いていた。

「この人の言う事を完璧に守っていれば、俺たちは確実に売れる」と俺も信じて疑わなかった。

 でも鳴かず飛ばずの日々が続き、次第に俺もメンバーもマネージャーの言う事を疑い始めた。そして、自分たちでアイデアを出し合い、このグループがどうやったら売れるかを必死で考えた。

 次第に結果が出始めると、マネージャーはああだこうだと指図をしなくなって行き、俺たちはドンドンと人気が出て、そして一番人気の俺の一挙手一投足を他のメンバーからスタッフまでもが緊張した目で追うようになった。


「じゃあ、どうするのよ、この騒ぎ。どう収まりを付けるのよ」


 マネージャーが昔の時代劇の決めポーズみたいにスマホを俺の方に見せて来た。


「ほかっとけよ。そんなもん、バカがギャーギャー騒いでるだけだろ」

「スポンサー様もカンカンなのよ! そんなんで済むと思うの!」


 ささくれがマネージャーの息でスーッとテーブルの上を滑っていく。


 売れれば売れる程、金を稼ぎたい奴らが群がって来て、自分たちの私腹を肥やし、ドンドン俺の自由を奪って行く。

 そして、次第に俺の部屋からモノが減って行った。

 モノがあると配置やバランスが気になって、イライラして仕様が無かった。だったらいっそ無い方がマシだと、引っ越しの際にそれなりに拘ったインテリアは次第に無くなって行き、ついにドーム公演が決まった時には全部捨ててしまっていた。


「ギャーギャー、騒いでんじゃねぇよ! 酔った勢いで口が滑っただけだろうが!」

「ファンの子に暴言吐いたのよ! 口が滑っただけで、済まされるもんじゃ無いでしょ! お酒のCMもしてるし、化粧品も!」


 事件は昨日のSNSでのライブ配信での事。

 今回は俺が少し酒を飲んで酔った状態で配信すると言う、いわゆるほろ酔い配信だ。前回も好評だった上に、新発売のチューハイの宣伝にもなると、やる前は全員が好評だった。


 しかし、最近の疲れのせいかちょっと飲み過ぎた俺は、自分の言動が次第に制御できなくなり、コメントでイジってきたファンに向かって「ブス!」などと連呼してしまった。

 その映像はすぐに拡散され、さらに酔っていた時の出来事の為、『冗談でした』と言い訳することができず、『ついにハルトの本性が出た』などと炎上した。


 炎上をしても俺の虫は収まらなかった。


──化粧品のCMしといて『ブス』ってw 最悪w ──


 揚げ足取りみたいなコメントを見て、余計に俺のはらわたは煮えくり返った。

 じゃあ、俺が一般人だったらブスって自由に言ってもいいのかよ! 

 そもそも何でこんな無関係な奴らに頭を下げなきゃいけないんだ。理不尽すぎる理由に俺はどんどんと意固地になって行った。


「なんでちょっとの失言も許されねぇんだよ」


 どれだけ努力して来たと思ってんだよ。なんで、何もしてないヤツらの暇潰しの為に俺の人生をボロボロにされなきゃいけないんだよ。


「アナタはそう言う立場の人間なの。口が滑ったじゃ許されないの」


 そう言ってマネージャーはテーブルの上を手持ち無沙汰で掃除し始めた。ガラスの上を滑っていた俺のささくれを持ってゴミ箱に捨てた。

 昨日まで俺だった体の一部は、もう今日にはテーブルの上を転がるゴミとなって、何事もなくゴミ箱に捨てられた。

 昨日の俺の失言だって、ささくれ程度の事じゃねぇか。


 ささくれは平気で捨てる癖に、ブスの一言は大の大人がこぞって集まって、大騒ぎかよ。

 くだらねぇ。

 誰のおかげでここまで来れたと思ってんだよ。

 無能マネージャーのくせによ。

 そこそこ愛想が尽きた。


「とりあえず、夜に事務所に来て、そこで動画を撮影するから」

「謝らねぇって言ってんだろ!」


 俺はガラスのテーブルの思いっきり蹴り飛ばした。


「ちょっと、なんでアナタが怒るのよ!」


 マネージャーは驚いた顔で立ち上がり、タタラを踏むみたいに後ろに下がった。


「イライラすんだよ。ささくれは平気で捨てる癖に、たかだか一言くらいで大騒ぎしやがってよ!」

「え? 何言ってるの? ささくれって何? ねぇ、大丈夫、アナタ?」

「大丈夫かどうか、お前の方だろ! とにかく謝らねぇからな、俺は」

「じゃあ、どうやって収集つけるのよ!」

「辞めてやるよ。俺がいなきゃ、何にもできねぇ癖に! クソが! 俺がトイレから戻る前に、家から出てけ!」


「ハルト!」ってマネージャーの呼び声を無視して、俺はリビングを後にした。


 トイレの便器に腰掛けると、少しだけ落ち着いた。


 家にいても、もうここしか俺の居場所は残っていない。スマホってモノが発明されてから、いつでもどこでも誰かが見てる。


「いてっ!」


 セーターの袖を治すと、昨日のささくれた所に毛糸が当たって、チクっとした。良く見たら、人差し指の爪の根本あたりが赤くなって血が染まっている。


「イッテェ」


 横の水道で洗うと痛みが更に染みた。

 あんなに小さい欠片でも、昨日まで自分の一部だった物を失ったんだ。これくらいの痛みは当然かもしれない。


 一人になると、昨日のことが頭を何度も過ぎる。


「ファンは俺の一部だ。俺がお前らごと、てっぺんに連れてってやる」


 まだブレイクする前、初めて満員になったライブで俺はそう言った。嘘じゃない、本当にそう思った。

 その日は大雨だった。俺だったら近所のコンビニにすら行く気が失せる程の豪雨だった。

 なのに自分たちの為にチケットを買った全員が約束を守ってくれた事に、俺は感動した。


 昨日の配信はファンクラブ限定のものだ。あの光の海の中にいた可能性だってある子だ。

 一人のファンでも、本気のファンが居なくなれば、染みるほど痛い。どこの誰だか分からないが、俺の一部が無くなれば、痛むに決まってる。


「何やってんだよ! クソが!」


 トイレのドアを右手で思いっきり叩いた。それでも左手の人差し指のささくれの方はジンジンする。

 本当にイラついてるのはスポンサーじゃない。

 平気でささくれみたいに自分のファンを捨てた自分自身に心底腹が立った。


 トイレから出ると、マネージャーが狼狽えた顔で立っていた。


「大丈夫?」


 見たら、右手が少し赤く腫れていた。


「ねぇ、俺が暴言吐いた子の名前とかって分からない?」

「え?」


 マネージャーは狼狽えたように考えた。


「さぁ、でもファンクラブの限定の配信だから……」

「じゃあ、そこで謝れば、その子に伝わる?」

「どうだろう?」


 マネージャーは首を傾げた。


「もう退会してる可能性もあるし」

「……そっか」


 俺はリビングに戻り、救急箱から絆創膏を出して、左の人差し指に巻いた。昨日から痛かったはずなのに、なんで今まで巻いていなかったのか、不思議で仕方が無かった。


「謝るよ、今日」

「え、本当? 大丈夫なの?」

「今の俺にはちょうど良い罰ゲームだよ」

 

 ゴミ箱の中のささくれが俺の体に戻ってくるまでを想像したら、途方もない長い時間に感じた。


「てっぺん連れてくって約束したから」


 もう一度、振り向いてもらえる男になる為に、また一から出直すしかない。


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