千葉県市川市での出来事
阿井上夫
千葉県市川市での出来事
二〇二四年四月一日午前三時頃、千葉県市川市鬼越の京成本線鬼越駅とその周辺の住宅地の一部が、高さ約五メートル、縦約五十メートル、幅が先端部分で一メートル、根本部分が約十メートルに亘って隆起した。
この影響で駅舎と住宅の一部が倒壊し、死者三名重軽傷者十三名の被害が発生し、京成本線は現在も、上りは東中山駅、下りは京成八幡駅での折り返し運転を行なっている。
これだけの大規模な地形変動にもかかわらず、近隣住民は発生時のことを記憶しておらず、あたかも「土の壁が忽然と現れた」かのような感覚であったという。
現在、地形変動に関する調査が行われており、それが終了したところで復旧工事が行われる予定である。
(二〇二四年四月二日 黄泉売新聞朝刊)
*
「はあっ、間近で見ると実に壮観ですなぁ」
死水建設公共工事本部土木部勤務の佐川信一郎(仮名)は、横倒しになった尖塔のように隆起した地面を下から眺めると、大きく息を吐いてからこう言った。
災害発生直後から現場周辺は二次災害防止の観点から半径七十メートルに亘って立ち入り禁止となっており、急増された高さ三メートルのフェンスが視界を遮っている。そのため、事故発生直後に通行人が撮影したスマホ画像と、マスコミが上空から撮影した画像、離れたところから撮影された画像以外には一般に流布されていなかった。
佐川は復旧作業の責任者として規制線内への立ち入りを許可され、その根元にあたる部分から上空を見上げていたところである。
「これほどのものとは想像もしておりませんでした」
佐川の隣に立っていた、東京科学工業大学工学部土木工学科特任教授の美濃山幸三(仮名)は、子供のような佐川の様子に、(死人が出てるんだがな)と内心眉を潜めつつ、
「確かに想像を絶する光景ですな」
と、特に感情をこめていない声で言った。
佐川はそのことには気づかず、隆起した地面の周囲を歩きながら、やはりあっけらかんとした声で言った。
「なんでこんなふうにめくれ上がったんですかねぇ。原因、何か分かったんですか」
「いや、それが不明でして」
美濃山は苦い顔をした。
前日の夕方、国土交通省主催の説明会で、目の前に並んだ記者たちから向けられた「何だよこの無能学者」という視線が脳裏に浮かぶ。眉を強く潜めると、美濃山は言った。
「そもそもこれほど鋭角的に地形が隆起することなんて、ありえんのです。もっと広範囲に円弧状に隆起するか、あるいはその一部が決壊して断層になるのが一般的で、こんなふざけた形になることはありえんのです」
「まあ、そうですわなぁ。私もこんなのは見たことも聞いたこともないです」
そう言いながら、佐川は隆起した地面のほうにさらに近づくと、
「それにしても、どうやって立っているんでしょうなぁ」
と、言いながら美濃山が制止する間もなく、隆起した地面を無造作に平手で叩く。
その瞬間、千葉県市川市付近を震源とした震度一弱の地震が観測されたことに、二人は気が付かなかった。
「まるでめくれ上がったような感じですなぁ」
佐川は下のほうを覗き込みながら言った。
「まあ、元に戻すのはさほど難しくはないですな。重機で先端部分から削るか、途中のところに力を加えれば自重で崩れるでしょうから」
そう言ってから佐川は、美濃山のほうを向いた。
「そろそろ作業に入っても構いませんかね」
美濃山はさらに眉間の皺を深くしながら、吐き捨てるように言った。
「国土交通省の許可は出ているんでしょう? 好きにしてください」
「了解しました」
*
巨大な重機が周囲を取り囲むのを見ながら、美濃山はふと、朝に気が付いた「親指の爪の端にあるささくれ」に触れた。
「うっ」
想定外の激痛で全身が震える。今日の彼の機嫌がすこぶる悪い理由は、その肉体の変動も影響していた。
彼はさらに苦々しい顔になりながら、こう考えた。
「とはいえ、不用意にささくれを取ろうとすると、さらに裂けて激痛がたまらんのだよなぁ」
目の前では重機の黒光りする鉄の爪が、横倒しの尖塔に突き立てられようとしていた。
( 終わり )
千葉県市川市での出来事 阿井上夫 @Aiueo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。千葉県市川市での出来事の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます