斧野束 路編 第1話 上

 十二月二十一日PM8:25 喫茶斧おのつか横 斧野束家本宅


「お父さんお母さん。今日は夜遅くまで出掛ける事になるけれどどうか許してください」


 斧野束路おののつかみちは仏壇前で手を合わせていた。位牌と共に飾られる、記憶に遠い父と母の写真を前にして。

 路の両親が亡くなったのは、もう二人の声もちゃんと思い出せないくらい昔の事だ。こうして毎日手を合わせるのも、これが生活習慣の一部だからか、それとも彼らとの良き思い出が今なお路をそうさせているのか、彼自身にも分からない。

 なぜ毎日手を合わせるのか、と問われれば路自身も答えに困るだろう。理屈や言葉では無いのかもしれない。手を合わせ毎日の出来事を伝える事で、やりきれない思いを消化しているのかもしれない。

 十秒、もしくは数十秒、目をつぶっていたかと思うと、


「行ってくるね」


 と路はそこにはいない両親に柔らかく微笑んだ。傍に置いていた懐中電灯とカメラを詰め込んだ小型の肩掛けカバンを背負って立ち上がる。


「爺ちゃんたちにも言っとかないと」


 祖母に贈られた厚手のコートを手に取り、玄関に向かう。正直言ってあまり路の好みではない柄だったが、これを着ていないと彼の祖母は分かりやすく拗ねる。そうなると機嫌が治るまでなかなか気を遣うのだ。

 機能面は十分であるから問題ない、と言い聞かせるも、玄関先の姿見に映った自身の姿に一瞬微妙な顔をしてしまう。確かに年齢より幼く見えるみちには少し大人びた、もといジジくさい色合いかもしれない。

 学校用とは違う、普段使いのスニーカーを履くと、自宅横の喫茶店に入店する。


 カラン、コロンと軽快な鈴の音と共に、淹れたての珈琲の苦くて目が覚める様な香りがふわりと鼻腔をくすぐる。入り口から直線上、カウンターのすぐ前で恰幅の良い老人が珈琲を注いでいる。路の祖父、斧野束おののつか晴道はるみちだ。


「いらっしゃい」


 声が掛けられる。まだ路に気がついてないらしい。


「爺ちゃん」


 路がそう呼ぶと、彼は珈琲を淹れる手を止める。豊かな口髭を曲げ、どこか路に似た人を安心させる柔らかな笑みを浮かべた。


「おぉ、路か。そんな格好して、そうか出掛けるんだったかぁ」

「うん。今日は晩ご飯はいらないかな。そんなに遅くはならないつもりだけど先に寝といてね」


 用件を伝えつつ、店内を見回す。店内の客は三人。

 カウンター奥がお気に入りのいつもミックスジュースを注文する強面のオールバック。今日は二日酔いなのか顔がどこか青褪めている。

 珈琲のおかわりを注文したのは、窓際の席で朝から晩まで書き物をしている作家らしきお姉さん。

 三杯目のカレーライスをかき込む男は、ここ大紀名市の土地の一部を自身の国だと主張するライオンみたいな髪型をした変わり者の自称王様。

 どれも常連で、時々店の手伝いをしている路もよく知る顔ぶればかりだ。


「いらっしゃいませっ」


 、と会釈すると皆柔らかい態度で返事をしてくれる。客たちも路のことをよく知る様子だ。ぐるりと一周見回して、もう一人の家族が見当たらない事に気が付いた。


「あれ、婆ちゃんは?」

「メイドなら便所掃除だ。全くもってよく働くババアよ。我が国民として迎えてやらん事もない。店主、カレーライスのおかわりを所望する」

「あいよぉ。福神漬けは」

「当然、たっぷりだ」


 傲岸不遜たる態度の男がカレーライスのおかわりを頼みつつ、みちの質問に答えた。自称王様の彼だ。

 古くからの常連である男は足を大股に広げ、腕組みをして背もたれに大きくもたれかかった。カレー臭い息を吐きながら、肉食獣の様な瞳をジロリとみちへ向ける。路も幼い頃は彼の目つきに怯えたものだが、今ではすっかり慣れたものだ。彼は路の事を上から下までじっくり眺め、お冷を手に取った。


「…小僧、この様な時刻に外出など珍しいな。ツガイでも出来たか」

「ち、ちちちち違いますよ!部活動の一貫で…」

「なんだツマらん。まぁ、小僧にはあの小うるさいババアがいるから当分は無理な事「誰がババアかぁっ!!!」カァっっ!?」


 カラスの鳴き声の様な悲鳴を上げた自称王様。脳天に便所ブラシが突き刺さっている。空のカレー皿に顔から倒れ込んだ彼の後ろには、メイド服を着込んだ年老いた老婆が怒り心頭の様子で立っていた。


「ババアババアとさっきから…!聞こえとるわこンのライオンヘッド!」

「婆ちゃん…!!だだだ駄目だよお客さんの頭を叩いたら!」

「ふ、ふふ…しかして王は寛大なのだ。ババア一人の無礼など、笑って許そうぞ…」

「あいよ。カレーライス福神漬け大盛りね。これはウチのもんが迷惑かけた分、サービスのコーヒーね」

「ふ、ふふ…苦しゅうない…。ミルクと砂糖をたっぷり頼む…」


 店主・晴道の心遣いに、倒れ伏したまま自称王様はサムズアップした。大丈夫そうだ(大丈夫ではない)。

 メイド服の老婆はふん、と鼻息荒くしながら路のすぐ前まで歩み寄ってくる。無駄に短いスカートがヒラヒラとして目に毒だ。


みちぃっ!!」

「はぃいっ!!」

「あんたこない時間から外出かっ!西大紀名神社行くんやったか!あそこは電灯無いからな、懐中電灯ちゃんと持ったか!今夜はよぅ冷えるでカイロ貼ったか!!水筒は持っていかんでええんか!!お友達に迷惑かけたらいかんよ!!!あんま遅ぅなってもあかんで!鍵は閉めとっから、いつもん所隠しとるわ!わかったか!」

「はっ、はいぃ!!」


 捲し立てる様に言いたい事を言う路の祖母、斧野束クララ。

 気の強いクララとマイペースな晴道。正反対ながらも賑やかな二人と、喫茶店の常連たちに支えられて今のみちがある。

 路はへにゃりとした笑顔を向けて、出掛けの準備を整える。

 手を振る祖父祖母。再び自称王様と目が合った。彼は何か考え込む素振りを見せると一言。


西大紀名にしおおきな神社か。前日よりも更に精霊共が活発だ。気をつけろ小僧。王からの忠告だ」

「……?はい、気をつけます」


 会釈して路が店を出る。クララが何やら意味深な忠告をした自称王に目を向けた。依然、堂々たる様でカレーライスを口に運ぶ男の顔は先ほど顔から皿に突っ込んだ影響で薄汚れていた。


「きったないねぇ。顔くらい拭きな。あんた雑巾!」

「あいよぉ。おしぼりね」

「…王たるものは寛大なのだ」


 …

 ……

 ………


 同日PM8:40 ハンバーガーチェーン ワクワクスルド西大紀名店一階


「えっと…みんなこのまま、時間までここで…?」


 喫茶斧の束から交差点二つ先の距離で彼らは時間を潰していた。

 前髪が目にかかりそうなほど長い、大人しそうな少年、斧野束路おののつかみちが遠慮がちに同席者たちに尋ねた。


「おひちゃんは一回帰ったよ〜」


 央尋を除く学生服の部員たちが頷く。そのうちの一人、路と同じクラスの諸井もろい美世土びよんどが口を開いた。


「おう。母ちゃんに電話しといたから余裕よ。オレちょっち追加注文しに行くけど、路そんなんで足りるか?なんか頼むか?」

「ん?う〜ん、大丈夫。お腹いっぱいだから…」

「そーか?食細いもんな路は。さ、次は…倍ビッグワックのセットでも倒しますかね…」


 ザッ…と謎のキメ顔をしながら席を立つ彼を見送りつつ、愛想笑いを返す路。美世土の席に積まれた空箱の山をチラ見した。ざっと十人前以上はある様に見える。どうも一人で全メニュー制覇を目指しているらしい。

 胸焼けしそうな気持ちでアップルパイとカフェラテの乗ったトレーを置き、席に着く路。

 左には新聞部部長である完伊賀ごついが古武ふるたけが。テーブルを挟んで正面には同部員の小動物系少女、芝桑しばくわ央尋おひろが私服姿で座っている。その右隣に座り、彼女と乳繰り合っているのは艶やかな黒髪の副部長、喝甲賀かっこうがえりが着席している。


「美世土くんの腹は無尽蔵だな。見ているだけで胸焼けがするぞ」


 言いながらカップの緑茶を啜るのは神経質そうな眼鏡の少年、完伊賀ごついが

 美世土びよんどの席とは対照的にドリンクと無料のガムシロップ以外、何も注文して無いらしい。彼の所有する式神蝶が無料のガムシロップに群がっている。


「部長は何も頼まなくていいんですか?」

「む?あぁ、僕は味の濃いモノは好かんタチでな。それに夜は基本的に食事を摂らないと決めている。しかし、喝甲賀かっこうが。貴様は美容がどうと抜かしていた割には豪勢な食事ではないか」


 ジロリと完伊賀の目が正面の喝甲賀に向けられる。因縁を付けられた喝甲賀はどこ吹く風で、ハンバーガーを齧っていた。


「むぐむぐ…。それは睡眠の話だよ部長殿。私は食事に関しては特別制限を設けていないからね。摂りすぎは良くないが、我慢しすぎるのも体に毒だ。時にはこういった食事も乙なものだよ」


 言いながらバーガーにかぶりつく襟。そう言いつつもサイドがフライドポテトではなくサラダな分、少しは気を使っているらしい。


「そーだそーだ!せんぱいはパイセンとは違うんですー!な、!」


 完伊賀に噛み付くのは央尋おひろだ。彼女は大型のタブレットを抱えていて、席にはホットのぬるくなったキャラメルラテと食べかけのポテトが置かれていた。

 突然、名を呼ばれた路はどう答えて良いのか分からず、え?やうんなどと曖昧な返事をなんとか返す。

 やいのやいの、と言い合いをしていた彼らだが美世土びよんどが戻り、全員が揃ったところで完伊賀が咳払いをした。


「ごほん!!諸君、よくぞ集まってくれた!!僕たちの今宵の目的はただ一つである!

 そう、それは記事のネタの入手!!もとい路くんが見た謎の光の正体に迫る…!各員、草の根かき分けてでも必ずやネタを見つけてくれたまえ…!」

「「「「おー……」」」」

「気合いが足ら〜〜〜ん!!!もう一度行くぞ!!!!」

「「「「おー……」」」」

「もういっちょお〜〜〜!!!!!」

「出ていけーーー!!!!!!!!!」


 店長の怒号と共にそそくさと彼らはその場を退散した。


……

………


 同日 西大紀名神社大階段前 PM8:55


 ワクワクスルドから徒歩でおよそ五分。距離はそう遠く無いが、この付近は木々が増え人の営みたる人工的な光が少なくなる。その場所に件の神社はあった。


「ここが西大紀名神社…」

「夏祭りと初詣くらいでしか来ねえけど、普段はこんな暗いのか」

「さむ〜っ…もっと着込んできたら良かったかも」

「オレも…」

「よかったらカイロあるよ」


みちに友よ、と央尋と美世土が抱きつく。ありがたやありがたや、とカイロを握りしめる彼らを前に完伊賀と喝甲賀はまるで寒がる事もなく黒の学生服そのままで階段の終着点である大鳥居を眺めている。

 道中で頼れる光はぼんやりと明るい提灯くらいだ。くるり、と完伊賀ごついががみんなを振り向き、右手を天高く掲げた。


「いよぉし!各々懐中電灯は持ったか?無いものはスマホでも構わん。足元に気をつけろ!近くを離れるなよ!!

 ではいざ!!!突入!!!」


 ノリノリの部長を先頭に、五人は大階段を登り始めた。


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