第25話 追想術式
苦しませる必要はない。ソリアは無感情に、正確に、リアンシェーヌの首筋に向けて手刀を振り下ろす。速度は音速。ソリアの小指から手首は、鮮血魔術によって刃物のように変質している。
当たれば確実に殺せる。リアンシェーヌは咄嗟に右腕で首元を守ったが、ソリアにはその腕ごと彼女の首を落とせる自信があった。
『しゅっ───修復術式展開!』
右腕に着弾する寸前、リアンシェーヌの口から言葉が紡がれる。効果は単純、人体の修復。リアンシェーヌはその治療の力を、ソリアに向けて使用した。
ソリアが魔術によって変質させた肉体は、瞬く間に元の形状に戻される。それどころか、無茶苦茶な魔術行使によってソリアの臓器と筋繊維は一部分破裂した。引き上げた身体能力は小娘のそれに戻り、威力は致命的に減衰する。ただの肉と骨の鈍器では、人間の首を切り落とすことは出来ない。
腕を掴まれる。しかし、ソリアの困惑は一瞬。リアンシェーヌの修復魔術を上回る速度で鮮血魔術を展開し、腕を振り払って身体能力を再び引き上げる。非接触での修復術式など、来るとわかっていれば脅威ではない。
しかしそれでも、リアンシェーヌが早い。
『検診術式展開』
鮮血魔術の効果は、魂と肉体の性質変化。似通った性質を持つ修復術式に対抗することは容易だが、魂の状態を読み取るだけの検診術式には対抗手段がない。
ソリアの手刀を介して、リアンシェーヌはソリアの記憶、思考、肉体情報、その全てを収集する。
(ああ、やっぱり……)
高速で上映されるソリアの記憶。彼女が本人であると確信していたのに、いざその記憶を見せつけられると、心がざわつく。怒り、痛み、憎しみ───そして、恐怖。そのすべてがまるで今目の前で起きたことのように駆け巡る。
しかし、リアンシェーヌがその憎しみにとらわれることはない。彼女が抱く一番の感情は、憎悪ではない。リアンシェーヌがたった今感じているものと、同種のものである。
遅れて、ソリアの蹴りがリアンシェーヌの腹に入った。しかし、致命傷にはならない。ソリアの思考を読み取ったリアンシェーヌは、咄嗟に腹部を手のひらで庇っていた。
リアンシェーヌがふっ飛ばされる。吐血を繰り返しながら、折れた腕で起き上がろうとする。その最中、地面に転がる何かに気がついた。
眼球だ。きっと、アルマのものだろう。
「ひっ」
怖い。
リアンシェーヌはぜーぜーと息を吐きながら、その場で身体を震わせた。しかし、ここで怖気付いてはいけない。恐怖の中で死ぬのは、正しい行いではないのだから。
「ソ、ソリアちゃんは願いを間違えてる……今、確信できた……ソリアちゃんの願いは復讐なんかじゃなくて……」
リアンシェーヌは膝をついたままにソリアを見上げた。
「全ては些事。あなたの正論が報われることはありません。この状況が、それを証明している」
ソリアは壁に突き刺さったままの戦斧を回収し、じりじりとリアンシェーヌに歩み寄る。議会は、対等でなければ成立しない。いかなる言葉も、ソリアには届かない。
「確かに、正しく生きることが、それだけが答えではないのかもしれないけど……これは、それでもこの場所は違うよ」
殺し合いにおいて、リアンシェーヌがソリアに勝つ術はない。修復術式でソリアの身体機能を減衰させようとも、斧を振り下ろされれば死ぬ。であれば、何ができるのか。
リアンシェーヌの取れる最善の行動とは、一体何であるのか。
───アルマの死体が、すぐ真横に転がっている。
ソリアからたった今収集した記憶には、当然彼女の今日までの魔術行使の経験が含まれている。有用な記憶だ。リアンシェーヌは果たして、それを模倣できるだろうか。
否。エヴァインの娘ではあるが、リアンシェーヌの鮮血魔術は見せかけだ。生まれつき自らの魂を知覚できない彼女には、その効果を正しく発揮させることは出来ない。
リアンシェーヌの武器は、治癒魔術。それだけである。
───アルマの死体が、すぐ真横に転がっている。
死が真横にある。恐怖がそこにある。
ソリアの経験を、自らの魔術に上乗せするのならば、それはリアンシェーヌ自らにではなく……
『修復術式展開』
リアンシェーヌはアルマの死体に手を伸ばし、彼の腕をソリアに向ける。蘇生を目的としたものではない。
魔術が血に宿るのならば、死体であろうともそこに術式は存在する。ソリアの魔術理論を自分自身に適応できないのであれば、別の誰かに使用させる。
『検診術式装填/転写術式仮構築』
ソリアの術式は借り物だ。術式の発動を命じているのはソリアだが、その制御をしているのは心臓部位のナタリーであるのだ。
だから魔術師になって一週間そこらのソリアでも、ここまで強い。
───であれば、リアンシェーヌも同じことをすれば良い。
修復魔術で無理矢理にアルマの術式を活性化させ、精神術式を使用させる。細かい術式制御はアルマの肉体に任せ、彼の魔術に自らの記憶を代入する。
リアンシェーヌの治癒魔術は一流だ。術式が血に宿っている以上、外部からでも正しく魔力を流し込んだのなら、魔術は発動する。
『精神術式:疑似展開』
目前にソリアの戦斧が迫ってきている。リアンシェーヌの死は、最早避けられないと言ってもいい。
間に合え、間に合え、間に合え。
リアンシェーヌの構築したその術式は、説得という一つの目的に絞られた結果、不安定かつ歪な魔術としてこの世界に生まれ落ちる。現代の術式にして、前代未聞。故にその魔術は、天上の承認を受けてこの世界に顕現する。
『───追想術式開始』
効果、未確定。範囲、不明。
しかしそれでも、リアンシェーヌの魔術は、アルマの遺体を乗せてソリアのもとに放たれた。
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