第24話 灰に還る夢
リアンシェーヌは明らかに混乱していた。血だらけのソリアの横に、頭蓋を潰された死体が転がっているのだ。ソリアのために義憤にかられ、カリアまでやってきた彼女にとって、この状況は予想外と言う他ないだろう。
一体自分に何を思うのだろうかと、ソリアは彼女を見下ろした。
リアンシェーヌは深く息を吐き、意を決して階段を登ってくる。ソリアに殺されてもおかしくない状況であるというのに、その足運びに躊躇いはない。
リアンシェーヌはソリアに並び立ち───通り過ぎ、そして、しゃがむ。彼女はアルマの死体を眺めて、手をかざし……一言つぶやいた。
『検診術式展開』
治癒魔術だ。リアンシェーヌの治療を何度も受けてきたソリアは、当然彼女の効果を知っている。
「……はあ。その男を治すことに、どれだけの意味があるのですか?」
リアンシェーヌは答えない。集中しているのか、青い顔をしながら検診術式を続けている。
純白のドレスがアルマの血によって穢れていく。これでは、きっともう二度と着ることはできないだろう。
「その男がいる限り、カリアが良くなることはありません。矛盾していますよ、それは」
やはり、リアンシェーヌは答えない。ソリアは彼女のことを蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、どうにも気が乗らず、代わりにアルマの死体を蹴り飛ばす。
「死者が出た時点で、それは最善のやり方ではありません」
ソリアに背を向けたまま、リアンシェーヌは呟いた。修復に手間取っているのか、その声色には余裕がない。
相変わらずだ。彼女の正義は綺麗事で、中身がない。
───気に食わないな。
リアンシェーヌを殺すのは簡単だ。だが、彼女を殺せば、ソリアの復讐は終わってしまう。
残る復讐対象は、ソリアの力では殺せないのだ。グラースもアリオトも、戦うとなれば相打ち覚悟での戦闘になってしまう。きっと、結果を確認できる復讐はこれが最後だろう。
呆気ない終わりではつまらないと、ソリアは思う。彼女の理想も全てへし折って殺さなければ、きっと満足はできないだろうと。
「リアンシェーヌ様は、妄想を最善と呼んでいるのですか」
リアンシェーヌの肩がピクリと跳ねる。
アルマに触れるその手には、もう魔力は通っていなかった。彼は完全な死体だ。治癒魔術を発動しようにも、参照する魂の情報が欠落していてはどうしようもない。
「理想に生きることを、最善と呼んでいるのです」
リアンシェーヌは立ち上がり、アルマの死体を見下ろした。治療の際に、彼の記憶の一部を目撃したのだろう。その瞳にはどうにも、憐憫が宿っているように見える。
その眼差しは、自分も向けられたことがある。
「マリエルの導きにより、あなたの魂が迷うことなく光の中へと旅立ちますように」
追悼の言葉を述べて、リアンシェーヌは目を瞑った。
「出来もしないことを、無意味に試す。馬鹿のやることですね」
「それでもやるんです。最初から諦めるなんて、怠慢ですから」
アルマの死骸からは、まるで噴水のようにとめどなく血液が溢れている。こんな死に方をした人間が、はたして楽園に行けるだろうか。
ソリアは失笑を堪えられなかった。
「あなたはソリアちゃん、なんですよね」
ついにリアンシェーヌは、ソリアと目を合わせた。カリア邸の静寂を破るのは、彼女の言葉のみであった。
「なんですか?急に」
ソリアは言葉を返してから、リアンシェーヌの意図に思い至る。彼女が治療の度に記憶を読んでいたのなら、平民生の自分が魔術を使用可能であることに疑問を持つのは当然だと。
ソリアが沈黙で答えると、リアンシェーヌは視線を強めた。ソリアの対応をどう受け取ったのか……リアンシェーヌは深く息を吸い込みながら、言葉を選んでいる。
「こんなやり方は、正しくないです」
「この破壊は、悪徳でしか成せません」
やはり、表情は揺らがない。いいや、よく見ればリアンシェーヌの目元には、涙が滲んでいた。溢れないように、必死に堪えているようだった。
「ソリアちゃんが助けた奴隷は、このままじゃ暴動の責任を取らされる……執行官に殺されてしまいます。復讐のために仲間が危機にさらされるなんて、本末転倒じゃないですか」
「意味はありますよ。少なくとも、アルマグループの壊滅は達成できました」
「そんなやり方じゃ、大勢の犠牲者が出ます!奴隷の扱いが悪化する可能性だってあるじゃないですか!」
リアンシェーヌが反論する。正論だ。ソリアとて、この行為が状況を直接好転させる可能性はそう高くないだろうと自覚している。
「結果は誰にもわからない。無意味に見えようとも、もしかしたら千年先、今日の歴史を嘆くものが現れるかもしれない」
これは詭弁だ。しかし、結果が未知数であるのなら、この行いを否定される謂れはないと、ソリアは思う。
「まあ、ここにいる奴らが苦しむのであれば、正直なんでもいいんですけどね。死んだ後のことなんて、そこまで興味はありません」
「ええ……?」
「大義よりも満足です。悪徳の快楽は……破綻の中で満たされる」
前言を撤回するようなソリアの論調に、リアンシェーヌは混乱した。ソリアはカリアの友人たちのために行動を起こしたはずなのに、興味がないなんて矛盾していると。
しかし、復讐とは善性の上に立つものではない。未来に向かうものでもない。リアンシェーヌの思考回路とは、根本的に相い入れない。
「振り向いてみてくださいよ。見えますか、あの炎が」
仕方がないから、ソリアは玄関ホール側にある大きな窓を指差した。流石はカリアの屋敷というべきか、外の景色がよく見える。
燃え上がるカリアの街並みは、赤黒い煙を立ち上らせていた。
「綺麗だとは思いませんか」
思わずソリアは、目を輝かせる。もっと高いところから見渡せば、きっとこれ以上ない絶景だっただろう。
「私はこの景色が見たかったんだって、そう確信できる」
ソリアは腕を大きく広げて、リアンシェーヌに見せつけた。燃え上がる炎はソリアの身体を激しく照らし、まるで夕焼け空の下にいるかのように、彼女の影を長く伸ばす。
「こんなの虚しいだけです。あんな炎、すぐに消えちゃうのに」
リアンシェーヌはソリアの言葉を一蹴した。美しい芸術を、まるで汚物を見るかのように眺めていた。
ソリアが軽く、眉をひそめる。
「中から変えるという、血を流さない選択もできたはずです。相談してくれたなら、どんな協力も惜しまなかったのに」
じりじりと歩みを進めながら、リアンシェーヌは説得を開始する。ソリアはそれに失笑した。
彼女の理想は、現実とあまりに乖離している。どうしてそんな言葉で、説得ができると思ってしまうのだろう。
「あなたはそれを示せなかった」
リアンシェーヌが目を見開いた。歩みを止めるほどに、核心をついた言葉だった。
「リアンシェーヌ様は、アルマを殺さないんでしょう?グラースにも力で敵わないのでしょう?身内の悪事にも気付けなかったのでしょう?そもそもリアンシェーヌ様のやり方は……遅すぎる。待てませんよそんなに」
捲し立てるソリアに、リアンシェーヌは後退った。
「正しいことだけでは、世界は変えられません。リアンシェーヌ様はそれがわかっていない」
それは、一種の真理であった。ソリアが、グラースが、アリオトが、リアンシェーヌにそうであると諭してきた、一つの終着点であった。
事実として、正しさのみを求めたリアンシェーヌは、何一つ理想を実現できていない。
「それでも、正しい道の中で、生きたいんです」
リアンシェーヌが一歩、ソリアに踏み出す。一滴の涙が、リアンシェーヌから溢れた。
「世界なんて変えられなくても、正しさの中で生きることに意味があるんです。誰もが悪いことをしたら、その悪行も、正義になってしまうから」
胸を張って、ソリアに迫る。まだ分かり合うことができると、リアンシェーヌはそう信じて。
二人は、やっと手の届く距離にまで近づいた。リアンシェーヌは見上げ、ソリアは見下げている。
「話、聞いてました?私は報復のためだけに、行動を起こしたって言ってるんですけど」
リアンシェーヌの唇が微かに震え、噛み締めるように閉ざされる。まるで、親に叱られる子どもみたいな表情だった。
「それだけじゃないはずです。ソリアちゃんには帰る場所があるじゃないですか」
思い出したかのように、リアンシェーヌはソリアの手を掴んだ。そういえば、一度記憶を読まれているのだったなと、ソリアは思い出し、そして。
「誰の話をしているんですか?」
思い切り手を振り払った。
「まったく、支離滅裂ですね。私を見逃すことは、正しい行いではないでしょう」
「友達を見捨てることは、決して正義にはなりません。だから私は、何があっても、味方でいてあげます。復讐のことなんて忘れられるくらいに、もっと良い場所に連れて行ってあげますから!」
かなり強く振り払ったはずなのに、リアンシェーヌは負けじと迫ってくる。あまりにも滑稽だった。彼女の言動は、全てが的外れで、幼稚で、中身がない。
「あははは!子どもみたいなことを言ってるんじゃあな───」
腹からこみ上げてきた笑いを堪えきれず、吐き出す最中。ソリアはある一つのことに気がつく。
リアンシェーヌが、自分より少し背が低いということに。
「あれ?」
どうしてか、嫌な予感がした。充満する血の匂いが、初めて気になった。
もとよりソリアは、年齢にしては低身長である。さっき教会を燃やした時だって、子どもと間違えられるくらいには。
それよりも背が低いということは、それはつまり。
「───リアンシェーヌ様って、いま、いくつでしたっけ」
「……?もうすぐ、13になります」
ソリアは今、16歳である。こんなことが気になってしまうのは、さっき殺した修道士が、子供だからと自分に情をかけたせいだろう。無駄な気づき、無駄な悩みだ。
リアンシェーヌも、困惑の表情を浮かべている。
「そうですか」
ソリアが頬を引きつらせる。
思い出すのは、妹の姿。そして、過去の自分。
三年前の自分は何をしていただろうか。少なくとも、今のように復讐のことなんて考えもしていなかったはずだ。
───どうでもいいことだとは、思わないか。
熱が静まっていく。
リアンシェーヌはきっと、正しくあろうと努力していたのだろう。苦しい境遇の中で、必死に生きていたのだろう。だがしかし、ソリアは思考を即座に振り払った。そんな同情は、ソリアのプライドが許さない。
リアンシェーヌが善良であると、ソリアは出会ったときから知っていた。奴隷である自分を気にかけ、アルマに意見し、今日まで自分を支えてくれた。
最初から彼女は、殺されていい存在ではない。年下だろうと年上だろうと、そこに変化はないだろう。今更ショックを受けるのは、筋違いというものだ。
「まあ、どちらにしろ、リアンシェーヌ様には死んでいただきます」
ソリアが今するべきことは、子どもをいたぶって楽しむことではない。ナタリーを死に追いやったエヴァイン家に痛みを与える。そうであったはずだ。
つまらないことをしたと、ソリアは自省する。
『鮮血術式:疑似展開』
善悪を顧みずに、この道を選んだ。リアンシェーヌにたとえ罪が無いとしても、見逃すことはできない。彼女の死は、エヴァインの人間にとって耐え難い痛みになるはずだから。
ソリアの腕が、硬化した細胞によって黒く染まる。ためらってはいけない。後悔は許されない。
もう、後戻りはできないのだから。
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