第23話 カリアが滅びる時

 教会には、火災から逃れた多くの人々が集っていた。修道士は家をなくした人や火傷を負った人々とあれこれ言い合い、無償で治療できるのは幼子だけだとか、寝泊まりはさせられないだとか、必死に説得している。

 ソリアはそれを見て、案外彼らは、悪い奴らではないと思った。幼いものであれば無料で診てやるというのもそうだし、要求している金銭も、大した額ではなかったからだ。

 噂と違う。カリアの教会は、弱者から金銭を巻き上げることしか頭にない場所だと、誰もが言っていたのに。

 しかし、万が一グラースがエヴァインとの裁判に勝ち残った時のために、彼女には社会的に、経済的に打撃を与えておきたい。それには、ここが邪魔だった。

 マルカブが使っていた魔術。アレの再現をしてみようかと、手を前にかざした瞬間。

「あ、あなた!血まみれじゃないですか!早く来てください、今すぐ手当を……」

 一人の修道士が、ソリアに駆け寄った。ソリアは今、数々の戦闘によってひどい格好をしていた。侍女服は焼け焦げ、さらには血まみれ。この状況では、半死半生の人間だと思われても仕方がない。

「私、お金はありませんよ」

 ソリアが返すと、修道士は顔を真っ赤にする。

「そんなのは大人になったときに考えればいいんです」

 つまりソリアは子供だと、修道士はそう言ってのけた。事実、ソリアはまだまだ成長途中だ。あと二十は身長が伸びる余地があるし、十人に聞けば半分以上はソリアは子供だと、そう答えるだろう。

「大人になったら、ですか」

 ここまで、沢山の人を殺してきた。悪人とは呼べないだろう人間を、たくさん殺した。復讐を果たせるならそれでいいと、この街の搾取に組みしたのなら同罪だと、そう正当化してきた、が。

『火炎術式:疑似展開』

 ソリアの右手の細胞が、燃え上がる準備を始める。脳からの指令が全身に伝わり、筋肉が微かに震えた。血流に乗った燃焼性物質が全身を駆け巡り、彼女の肌が赤く輝き始める。

「一度何かを犠牲にしたものは、決して立ち止まることはできないんです。後悔は、人生を無価値にするから」

 周囲に炎を撒き散らす。逃げる者は追わなかった。この教会と、そこで働く者を殺せるのなら、それで十分だったから。

「う、うわあああ!」

 修道士は慄き、後ろに逃げた。

 そしてそれが、彼の生死の明暗を分けた。放出される炎を正面から受けた修道士は、一瞬にして火だるまへと変わる。

「それに……私、善人って嫌いなんですよ。ほら、悪いことをしない人って、それだけで恵まれてると思いません?」

 ゴロゴロと転がる修道士に、ソリアはとどめを刺した。

 それは慈悲なのか、憎悪ゆえなのか。ソリアは教会の中にいる人間を殺し尽くした。

「まあ、あなたが本当に良い人であるのなら、きっと天国にいけますよ」

 焼け焦げた腕を治療する。見様見真似の術式なので、期待できる殺傷能力よりも自分へのダメージのほうが大きい。あまり乱用できるものではなさそうだった。

 傷は治せる。魔術というのは、回数に制限があるものではない。つまり理論上、肉体を作り変えられる鮮血魔術師は、不眠不休で永遠に戦い続けることができる。しかしソリアは今、疲れていた。精神的な疲労は、体を治してもごまかせないのだ。

 こんな状況で、複数人の執行官を相手取るような事態は避けたい。ソリアはナイフを心臓に突き立て、中に埋め込まれたパーツを強引に引き抜いた。痛みはあったが、しかし、どうでもよかった。何かが、摩耗していた。

 教会一つが潰れた程度では、グラースに打撃を与えたとは言い難い。しかし、貧民街の住民は復讐の対象ではない。彼女が憎んだのは、カリアを許容したすべてであって、カリアの住民そのものではない。

(ここでグラースを待ちますか……?)

 あくまで教会への破壊活動は、グラース殺害が失敗したときのための保険だ。付け焼き刃の魔術だが、火炎術式をぶつければグラースを殺せる可能性はある。

(……支離滅裂な考え、ですね)

 ソリアにグラースと再戦するだけの体力はない。初志貫徹をするのであれば、残りの教会を襲撃するべきだ。しかし、不思議とその方向に足は向かってくれない。

 リアンシェーヌの姿が、脳裏に過る。

 そうだ。ここにいるのは、カリアに虐げられる弱者ばかりだ。売り手も買い手も、皆満足な生活ができているわけではない。

 この貧民街を、単なる嫌がらせのために破壊する。それは復讐と呼べるのか。ソリアが恨んだのは、許せなかったものは、もっと別のところにあったのではないのか。

 ソリアは迷わない。矛盾を抱えたままでは、進むべき道を失ってしまうから。

 疑問を感じたのなら、その道に進むべきではない。であれば、残された仕事は、他の奴隷の解放と、アルマの抹殺だ。

 優先するべきは前者だろう。この暴動の成功は、きっと各地の奴隷たちを勇気づける。執行官をもってして管理が困難になるのであれば、奴隷を所有しようというものをきっと減らせるはずだ。

 ああ、しかし。どうでもいいなとも、思ってもしまう。

 自分が死んだあとのことなんて、どうでもいい。

 ただ、殺したい。

 アルマを、殺しに行こう。

 カリアが火の海に変わった以上、殺さずとも没落は確定しているが……しかし、ソリアはカリア邸に足を向けた。


 一つ一つ、燃やしていく。さながらレッドカーペットのように、赤い赤い炎がソリアに追従する。人々が次々に、ソリアから逃げていく。

 道中で、執行官と遭遇した。しかし、マルカブとの戦闘経験を得たソリアの敵ではなかった。

 そもそも、優秀な執行官や騎士は、カリアに駐留していないのだ。ここにいるのは、逃げ出した奴隷を捕まえることに特化した、中途半端な魔術師ばかりである。

 奴隷協会が既に燃えていることに気が付き、ソリアは感激する。自分よりも先に、ここに火を放った人間がいるのだ。

 暴動が起きてから、三十分。そろそろ王都の精鋭に情報が伝わる頃合いであるが、しかし、実際にカリアに出動するのはまだ先のことである。神聖騎士団は執行官の敗北を想定すらしておらず、外部に借りを作ることを嫌ったアルマは、未だに増援を要請をしていなかった。

 その楽観が、カリアを火の海に変えた。

「ここは、燃やせそうにありませんね」

 アルマが暮らすこのカリア邸は、狙ってか石造りであった。仕方なくソリアは火炎術式を解除し、門番の首を跳ね飛ばして正門を通過する。

 アルマの部屋は何処だろうか。逃げられていないといいなと、階段に片足を乗せた時。

 ───おなかがすいた。

 背中に汗が、びっしりと浮かび上がった。

 ───寂しいよ〜

 ぐるんぐるんと、目が回る。立っていられなくなって、私は手すりを探し。

 ───眠たくなってきちゃった。

 何かが、空から降ってきた。

「つっ!!!!」

 咄嗟に斧を振るい、空中より迫る片手剣の一撃を受け止める。気分が悪い。握っている斧の感触がない。

(これは……精神魔術!?)

 思考がまとまらない。危機的状況であるのにまるで恐怖を感じられない。しかし、だからといって、動かなければ死んでしまう。

 二歩下がる。襲撃者はかなりの軽装であった。整えられた短髪と、そこそこに整った風貌。しかし、中腰で構えるこの男は、暗殺者のようでもあった。

『奥義:逆破砕』

 ソリアの腹部をめがけて、大ぶりの一撃が迫る。目で追えない速度ではないが、この体調では反応も一段遅れる。

 火花が散る。斧は、弾かれこそしなかった。しかし得物同士のぶつかり合いは、的確にソリアの体勢を崩す。

 転ぶ。目の前には剣先が迫ってきている。世界が遅い。時間が、永遠に感じるほどに引き伸ばされていた。

(死ぬのか……こんなところで)

 諦念にも近い感情で宙を見上げた時、気がつく。踊り場にてて私見下ろしてくる、アルマと目があった。

『鮮血術式:律動』

 頭の中の全ての雑念が、音とともに消えた。

 ソリアは防御も回避も行わない。ただ、アルマに向けて、手に持った斧を放り投げた。

「な、なんだと!」

 襲撃者の意識が逸れる。この男は所詮は雇われ騎士、最優先にするべきなのは外敵の排除でなく、雇い主の命。襲撃者はその投擲を妨害しようとし、必殺の一撃を中断した。

 間に合わない。

 襲撃者は殺せたはずの命を逃し、更には雇い主を守ることにも失敗する。

 動揺は一秒にも満たなかったが、しかし殺し合いの場において致命的すぎる隙。

「死ぬかと思いましたよ、まったく」

 ソリアは鮮血魔術によって指先を硬化させ、襲撃者の心臓を貫いた。余った手は即座に襲撃者の頭をへし折り、的確に絶命させる。

「ある意味、グラースよりも厄介でしたね」

 眠気も空腹感も、既にない。魔術による精神干渉が解除され、ソリアはこれまでの肉体強度を取り戻している。あとは、アルマの生死を確認するだけだと、ソリアは階段を上った。

『精神術式展開』

 声が聞こえた。

 襲撃者によるものではない。声の主は、進むべき踊り場から放たれたものだ。

『戦って疲れただろう。眠れ』

 アルマが見下ろしている。肩口からだらだらと血を流しながら、ソリアを見下ろしている。やはり、急所を外したのかと、ソリアは奥歯を噛み潰した。

「誰が……!」

 襲い来る不自然な眠気を払い除けながら、ソリアは階段を一段一段上っていく。対するアルマは、じりじりと下がり距離を取る。あまりにも緩やかな鬼ごっこであった。

「なぜ裏切った。リアンシェーヌ嬢は頼りない女だが、それでもお前を養う甲斐性くらいはあったはずだぞ」

「どうでもいいことです。私の目的は、ずっと前から、この街を良しとした全てにあるんですから」

「全く、嫌われたものだ。売られた後のことは知らないが、少なくとも私は、お前たちの権利に他より向き合ってきたのだがな」

 アルマが壁に追い詰められ、声を震わせていた。精神魔術は、彼が持つ唯一の血統魔術であり、彼を貴族たらしめる神秘であった。

 それが通用しないとなれば、アルマに生き残る算段はない。

「私は奴隷が好きだ。付加価値が与えられるという点で、金よりも信頼できる財産であるからだ。だから私は奴隷を殺さないし、できるだけ長く使う」

 残された道は、対話のみ。しかしアルマには、奴隷に譲歩するという事はできない。彼にも誇りがあり、大義があり、正義がある。ここで生き残ったとしても、アルマ・フレイン・カリアでいられなくなるのであれば、それは死んだと同義である。

「お前のことも、期待していた。だからお前をエヴァイン邸に連れていき、お前が成長するための環境を整えた。平民では手の届かない医療を、私はお前に与えたはずだ」

 アルマという男は、事実、奴隷を大切に扱っていた。信じられない話だが、彼は一万という奴隷を数十年にわたって管理しながら、死亡届を奴隷教会に提出したことが数えるほどしかない。彼の奴隷が死ぬ時は、誰かに売られた時である。

「私を殺しても、カリアの奴隷に自由が与えられることはない。私は、ここにある制度を使っただけだ。最大限慈悲深く、そして自分のために使っただけだ。非難される謂れはどこにもない」

 アルマは確信している。自分は利益の中で、人道的な商売をしていたと。自分の奴隷は、今日を飢えて暮らす貧民街のそれより、ずっと報われていると。

 だから、奴隷を気遣うリアンシェーヌのことも、嫌いではなかった。良い労働環境が良い仕事を生み出すというのは、どんな職場でも同じことだ。医療に携わる人間が患者の健康を重視するというのは、それはもう理想的であろう。

『お前は私に感謝していた。脱走したときも、何もせず許してやった!』

 精神術式を重ねて使用する。この距離であれば、ソリアの精神は逆らえないはずだと、そう信じて。

 しかし、ソリアはゆらゆらと揺れながら、殺意の籠もった眼差しでアルマに近づいていく。

『お前の不幸に私は関係ない!お前が奴隷になったのは、私の責任ではない!』

 奴隷産業の中で悪人がいるとしたら、それは奴隷を奴隷に仕立て上げた存在だ。子を売った親であったり、敗戦した国であったり、人攫いだったりを恨むのが道理である。そうでないのなら、その仕組を肯定した、国そのものを恨むべきであるのだ。

『お前は私を殺せない!私がどれだけお前を支えてきたか、わかっているだろう!』

 死ぬべきものは自分ではない。だって、そう、自分は奴隷たちが好きだった。

 商売道具ではあったが、それでも、好きだった。だから自分の手の中にあるうちは、苦しむことが少なくなるようにと、努力していた。していたつもりなのだ。

「なんか、ちっとも響かないな」

 ソリアが、目の前に立っている。

 アルマはその時、万策尽きたのだと気がついた。

 精神魔術は、精神に揺さぶりをかける魔術。ある感情を増幅させることで、行動を制御する。

 彼は自らの言葉と魔術によって、ソリアの殺意を解くことができると思っていた。しかしその言葉は、彼女の罪悪感を揺さぶるどころか、ただ殺意を肯定するだけであった。

『や、やめろ……』

 ソリアが、アルマの腕を掴む。へし折れるまで、ぎゅっと掴む。

 もしアルマが、護衛の戦闘を援助していたときと同じように、飢餓感だとか疲労感を増幅させ続けていたのなら、こうはならなかっただろう。だが彼は、飢えの苦しみも疲労の苦痛も大して知らない。それがどれだけ耐え難いものであるのか、十分に理解していない。

「うーん」

 ソリアが態とらしく、悩むような素振りを見せた。それで彼は錯覚する。自分の言葉と魔術が、彼女の心に変化をもたらしたのだと思ってしまう。

『み、見逃してくれ』

 ダメ押しの一言。

 アルマは半笑いになりながら、ソリアに縋りつき。

「あなたには、なーんにも期待できないから、殺しちゃいますね」

 頭を壁に叩きつけられて、死んだ。カリア領を繁栄に導いた稀代の秀才は、ここで命を落とした。

 残るのは、ただ二人。

 殺戮者ソリア・ゾラと……

「ソリアちゃん……?」

 一階の客室から、騒ぎに気がついてやってきたのだろう。長い金髪を垂らし、純白のドレスを纏った、まるで物語のお姫様のような、そんな少女が自分を見上げていた。

「リアンシェーヌ様」

 ついさっきまで一緒にいたのに、ずいぶんと久しぶりであるような気がした。

 この場所を整えるためだけに仕えた、愚かで、善良な、我が主人。この街の在り方を憎み、正そうと努力していた正義の少女。

「遅かったですね。もう全部、終わってしまいましたよ」

 しかし、それも殺さなければならないのだろうか。

 彼女もまた、この街の悲劇を演出した一族の娘であるのだから。

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