第16話 葬礼術式

 目の前にカーテンと舞台があって、オークション会場はまるで劇場のようだった。収容人数は横十人、縦十三人。席は段々になっていて、奥の舞台がよく見えるようになっている。

 もうすぐに始まるというのに、席はまばらで、私たちを含めても八十人ほどしかいない。ソリアに聞くと、これでも多い方らしい。

「女性ばかりですね」

「色街ですからね。需要が外と違うんです」

 目録に載った奴隷の一覧には、その奴隷の年齢や容姿、技術なんかが書かれている。まるでモノを扱うような、簡潔で感情のない説明文だった。

 前半には二十代前後の女性、中盤に幼い女性や三十代の女性が売られるらしい。それ以降に売られる奴隷は、老若男女ごちゃ混ぜで説明文も簡素だった。

「震えていますよ」

 ソリアが私に手を重ねた。

 ああ、いけない。戦う前から怖気付いていたら、勝てる勝負も勝てないだろう。

 私はソリアに格好つけた言葉でも返してやろうと思って、やめる。競売人がやってきて、開始の宣言をしたからだ。入札は声をあげて行うので、私語は極力控えるように説明されている。

 最初の売り物が、台車に乗せられてやってくる。最高級の娼館で、長らくエースをやっていたらしい。確かに、顔立ちは整っている。

 競売人の一声で、オークション会場は沸いた。彼女は有名人なのだ。

 価格は一瞬で釣り上がっていき、すぐに家を建てられるような値段になる。私個人が支払える金額ではなかった。

「グラースが買いに出るのは、子供や老人の番が回ってきてからです。終盤までは手を挙げないでしょうね」

「え、ええ」

 同じようなことが、五度続いた。中には子供がいたが、彼女らは目玉商品で、グラースが好む子供とは別枠らしい。

 ここは、とても、とても騒々しい。男たちの欲望が、思惑が透けて見えて、気分が悪くなる。入札をすると決めたはずなのに、私の決心は揺らぎ始めていた。

 この空間の一員になりたくなかった。

「金貨一枚」

 静まり返った会場に、一人の女の声が響く。入札者の中に女が混ざったのは、今日初めてのことだった。

 声が上がったのは、最前列の右端だ。女は真っ黒な服で身を包んでいて、深くフードを被っていた。

 しかし、間違いない。

「グラース……」

 彼女が入札しようとしているのは、老婆だ。オークションも終盤に差し掛かり、需要の低い奴隷の番が回ってきているようだった。周囲に目をやると、さっきよりも空席が目立つ。目録の通り、めぼしい奴隷は全て売られてしまったようだった。

 迷っている暇はなかった。いや、迷う理由はなかった。

「金貨二枚」

 私が言うと、グラースの頭が、こちらに向く。表情はわからないが、彼女が私に気づいたのはわかった。

「金貨五枚」

 グラースは逡巡する素振りもなく、手を挙げる。すると、競売人が若干驚きながら、私に戦うかどうか尋ねた。

「お嬢様。いけません。あんな奴隷、買ったとして何の役に立つと言うのですか」

 手を挙げようとした私をユリアナが叱る。しかし、私はあの老婆に何かを求めているわけではない。死んでほしくないから、買い取って助けたい。ただそれだけなのだ。

「金貨六枚」

「お嬢様!」

 ユリアナが叫ぶ。私語は控えろと言われているのに。

「金貨十枚!」

 グラースが楽しげに叫ぶ。喧嘩を売っているのは明らかだった。値段を釣り上げれば怖気付くだろうと、私を舐め腐っているのだ。

 ユリアナが私の両手を力強く掴み、邪魔してくる。私と彼女には致命的な力の差があり、振り払うことはできない。

「金貨十五枚!」

 しかし叫んだ。ここでの入札は、言葉によって行われる。一対一の戦いに、最早挙手など不要だった。

 場が静まり返る。私たちの戦いは、誰にとっても理解不能だった。

 競売人が、グラースをじっと見る。彼女はしばらく、動かなかった。それを辞退の表明だと判断した競売人は、ゆっくりと手を振り上げ———

「金貨百」

 グラースが呟いた。その金額は、私の出せる限度額ギリギリだった。これに金額を上乗せすれば、私はこれ以降一切の奴隷を買うことができなくなる。

「お嬢様、諦めましょう。枢機卿とお嬢様では、財力に差がありすぎます」

 ユリアナがそう言って私を宥める。事実、私にはもうあの老婆を助ける手立てがなかった。

 老婆は落札され、次の奴隷が運ばれてくる。少年だった。生まれつき、視力が極端に低いらしい。

 グラースはそれも、金貨百枚で買った。次も、その次も、労働力としては期待できないような奴隷たちを全て、金貨百枚で買った。

 私はその全てに挑み、尽くで負けた。あまりにも無様だった。

 そうして、いよいよ、売り物の奴隷も最後の一人になる。しかし、今に運ばれてこようというところで、グラースは立ち上がった。予算がなくなったわけでもないだろうに、出ていったのだ。

「追いましょう」

 ソリアが隣でつぶやいた。ああ、そうだ。ここで追わなければ、彼女が買い取った奴隷は殺されてしまう。

 だから私は、立ちあがろうとして———売り物が運ばれてきた。

 見覚えがあった。

 彼女には四肢があって火傷後もなかったが、見覚えがあった。奴隷は口元をだらんと開けて、あらぬ方向を向いていた。

「では、今日の最後の商品に移りましょう。健康で従順な女性、サラです」

 競売人は、台車に乗った商品を、大げさに私に見せつけた。この空間には、私たちしか残っていなかったからだ。グラースと派手に戦ったせいで、他の参加者はいなくなってしまっていた。

「急ぎましょう。枢機卿は契約後すぐに奴隷を殺してしまいますから……」

 ソリアが私の手を引っ張る。しかし、サラと呼ばれた奴隷から、私は目を離すことができなかった。

 その名前に、聞き覚えがあったのだ。

「彼女は医療過誤によって廃人状態ではありますが、滑らかで若々しい肉体を持っています」

 彼女を手放して、もう何年になるだろう。今日まで彼女は、何をして過ごしていたのだろう。

 考えるまでもないことだ。考えても仕方がないことだ。

 ああ、私の目も見てくれないのか。

「トイレも食事も一人ではできないので、管理が少しばかり大変ですが、あなたの生活に温かさをもたらしてくれることでしょう!」

 競売人が声を張上げる。私しか、彼女を買える人間はいないのに。

「それでは金貨一枚からスタートです!」

 競争相手はいない。だから私は、一声上げるだけでいい。

「金貨一枚」

 金貨一枚。劇であれば二回、市井のレストランなら四回は楽しめる金額だ。大金ではないが、安くはない。しかし、人間一人の金額にしては、あまりにも安すぎた。

 やはり私の他に、入札者は出なかった。

 ああ、そうか。人を買うとは、こんなにも罪深いのか。

「ごめんなさい……」

 舞台の幕が閉じられ、会場に静けさが戻る。ソリアは私に痺れを切らし、グラースを追っていってしまった。

 朦朧とする意識の中、出口へ向かうと私は警備に呼び止められた。契約書を書く前に、どこかに行かれては困ると。

 ユリアナは何も言わなかった。買い取ったサラも、私に気づかなかった。


 ♢


「かつて、世界は永遠に続くものであった。暗く広大で、果てしなく永劫であった」

 奴隷達は牢屋から連れ出され、裏口に集められていた。奴隷契約書へのサインを済ませたグラースは、奴隷たちの前で最後の説教を始める。

 その地位に見合わない、簡素な修道服に身を包みながら。

「しかし、主は退屈し、変化を求めた。永劫を嫌い、有限のものを望んだ」

 彼女が語るのは、聖典の冒頭節である。ここにいる誰もが知る内容だったが、しかしグラースは、この節を説教の内容として選んだ。

「その瞬間、世界から永劫が失われ、代わりに命が誕生した」

 奴隷たちは、皆恐怖で顔を青くしていた。グラースが奴隷殺しであることは、彼女らに周知されていたからだ。

「苦しみも喜びも、限りあるものなのよ。永遠に思えるようなあなた達の苦痛も、いつかは必ず終わる」

 ポロポロと涙を流す少女の頬を、グラースは優しく拭う。親が子供に、あるいは教師が教え子にするように。

「理不尽だとは思わない?あなた達に保証されているのは、苦しみの終わりだけ。幸福が訪れることは約束されていない。奴隷という役目を押し付けられたあなた達の絶望は、生きている限り変化しないの」

 グラースは涙する少女の顎を掴み、無理やり顔を覗き込む。少女はどうにか視線を逸らそうとしたが、グラースは少女の間近に顔を寄せたため、嫌でもその狂気が目に入る。

「それなら、死後に変わるのかしら。肉体を失った魂は、楽園へと向かうのかしら」

 グラースはぱっと、少女の顎から手を離した。翻り、その場でステップを踏み、ここにいる全てに尋ねる。

 誰も答えなかった。何か言えば、きっと死ぬだろうと理解していた。

「私は見てしまったのよ。魂の向かう先に楽園がないことを知ってしまったの」

 グラースは弾むような旋回運動を中断し、時が止まったかのように静止する。

「だから私は来たわ。あなた達の苦しみを消し去りに来た」

 グラースは奴隷たちに手を差し出した。手招きするようだった。

 誰も手を取ろうとはしない。だからグラースは、自ら奴隷たちに近寄った。

 多くの奴隷たちが後退る中、動かない奴隷が一人。その少年は、この状況を、自分の運命をいまいち理解していなかった。そして視力も弱いので、目の前にグラースが迫っていることも知らなかった。

 だから真っ先に、グラースに触れられる。

「より善い世界に、私が連れていってあげましょう」

 グラースがそう呟いた瞬間だった。

 少年が消える。

 シャボン玉が割れるかのように、消滅する。少年は来ていた白色の服だけを残して、この世界のどこにも存在しなくなった。

「ひ、人殺し……」

 一人の少女が、グラースを糾弾した。しかしグラースに気にする様子はなく、それどころか、満面の笑みを少女に返す。

「殺した、というのは語弊があるわね。私は殺したんじゃなくて、彼を治したのよ」

 彼女が手を開くと、その手のひらに赤黒い何かが集う。血や肉といった、人体を構築する全てが圧縮された物質が、グラースの手の中で踊っている。

 しかしそれはすぐに霧散し、何も無かったことになった。

「治癒魔術は肉体の状態を戻す魔術なんだから、戻し続ければ肉体も魂も存在しなくなるわ。つまり、彼は苦しまなかった。そういうことになったのよ」

 グラースが腕を大きく薙ぐと、正面にいた少女と、近くにいた数人の奴隷が消滅する。

「不幸な人生を送った挙句死ぬなんて、可哀想でしょう?だから、その人生をなかったことにすることにしたのよ」

「ひいっっ!!」

 一人の奴隷が錯乱し走った。

 それを見たグラースは、自らの人差し指を噛みちぎり、逃げる奴隷に向ける。

「葬礼術式展開」

 人差し指から血液が噴出され、逃げ惑う奴隷の首筋を掠める。それは、鮮血魔術による血の水鉄砲ではない。グラースの暴力的な修復術式が込められた、人間を消し去る力を持った血の弾丸だった。痛みを感じる時間もなく、着弾と同時にその奴隷が消滅する。

「大丈夫、私の術式は一切の苦痛を与えない。それどころか、快楽を感じるように設定しているわ。だからみんな、安心して」

 グラースの優しげな声色は、却って奴隷たちを混乱させた。皆が死を悟り、逃れようとしたものも血の弾丸によって消滅させられた。

 残ったのは老婆だけだ。逃げ出す力のなかった老婆は、皮肉にもここまでグラースのターゲットから外れていた。

「怖がらないで。貴女が背負った穢れも、全部無くしてあげるから」

 老婆にグラースは優しく手を伸ばす。それが正しい行為だと、彼女は確信しているからだ。

 しかし、その手が老婆に触れることは叶わなかった。

「いいや、無かったことにされるのは貴女ですよ」

 グラース・フレイン・ブリューダーの心臓に、ナイフが生える。

 ソリアの用意したナイフは、グラースの背中から胸元へ、綺麗に貫通した。

「死ね」

 ソリアはナイフを引き抜き、前へと倒れ込んだグラースにもう一度突き刺した。

 何度も、何度も、ソリアはグラースにナイフを振り下ろす。冷たい石のタイルの上に、生温かい血溜まりが広がっていく。

「死ね!死ね!死ね!」

 ソリアは念入りに、しかし変わることのない力強さで、ナイフを刺し続けた。憎しみの籠った眼で、呪いを吐きながら、刺し続けた。

 老婆は慄きながら、ノロノロと逃げた。腰を抜かしていたが、這いずって逃げた。

 逃げようとした。

 ぱしんと音がして、老婆の体が消える。服だけを残して、どこにも見えなくなる。

「いたいわ」

 ソリアに馬乗りにされながら、グラースは呟いた。

 気づけばソリアは、突き飛ばされていた。五メートルは吹っ飛び、ソリアは勢いよく壁に衝突する。

「あなたは、リアちゃんのところの子ね。あの子がこういう手段に出るとは思えないのだけど」

 のそりと、グラースが立ち上がる。

 遅れてソリアも、血を吐きながら立ち上がった。

「私の意志で、ここに来ました。貴女を殺す、そのために」

 ゆらゆらと、ソリアが揺れる。ナイフを構えた両腕の血管が、赤黒く浮かび上がる。

「魔術……?」

 グラースは驚きを隠せなかった。その現象は、鮮血魔術の副作用そのものであったからだ。

 基本的に血統によってのみ継承される魔術を、奴隷のソリアが使えるはずもない。しかし、目の前の彼女は魔術を行使している。あまりにも、不可解だった。しかし、ソリアはその理由を語らない。

『鮮血術式:擬似展開』

 ソリアの両腕が、真っ黒に染まる。鮮血魔術によって肉体が最適化されたのだ。

「では、やりましょうか」

 ソリアは刺すように鋭い目つきで、グラースを捉える。

 それが合図だった。

 魔術師同士の決闘の火蓋が、今切られた。

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