第15話 棚上げ
グラースとの対談後、アルマに呼ばれ、私は食事を振る舞われることになった。そんな気分ではなかったのだが、名目上はアルマに謝罪をしにきた立場であるので、厚意を無碍にすることはできない。私はソリアをアルマの使用人に預け、ダイニングルームへと向かった。
彼女をこの場所で一人にさせるのは少々心苦しかったが、仕方がない。私とソリアが、屋敷の外で同じ食卓を囲むことはできないのだ。
「眉間に皺を寄せてばかりいると、運気を逃すと聞く。予定通りに話を進められたのだから、そう不機嫌になることもないだろうに」
アルマは私の顔を見て、開口一番に言った。
「交渉は見事に決裂しましたよ。上手く行ったのなら、こんな表情はしていません」
「いいや、上手くやっている。むしろ奴隷の引き渡しにグラース卿が応じていたら、それこそ問題ではないか」
アルマは見透かすように笑った。確かに、兄が売りつけた奴隷がグラースに殺されていなければ、この策は破綻するのだ。
「仰る意味が、よくわかりません」
しかし私は、しらばっくれた。グラースを罠に嵌めたと、馬鹿正直に肯定する理由も見当たらなかった。認めたくなかった。
「……尤も、グラース卿には弱みが多い。どちらにしろ、失脚は免れなかっただろうがな」
私の言葉も無視して、アルマは喋る。全てお見通しだぞと言いたげな様子だったが、この件で彼もそこそこに損をするのだから、強がりがすぎると感じた。
口論の直後だからだろう。どうにも苛立ちが抑えきれない。
「どういうつもりなのですか」
グラースと取引していたのはまだいい。権威と権力が他の六賢に劣るエヴァイン家の不甲斐なさもあるからだ。だから、理解できる。
しかし、グラースが落ち目だとしれた瞬間に切り捨て知らぬフリをする、この浅ましさ。この男に恥というものはないのか、と怒りがこみ上げてきた。
「と、いうと?」
アルマは不思議そうに首を傾げた。私の言葉が不足していたのもあるが、しかし、苛立ちの理由くらいは察してもいいはずだ。
「どうしてそう、平然としていられるのですか。アルマ様はグラース様と随分仲が良かったようですが、思うところはないのですか」
アルマの片眉が上がる。
後ろに控えていたユリアナが、小声で私を呼ぶ。喧嘩を売るなと、そう言いたいのだろう。しかし、自らの利益しか頭にないこの男が、国に利益をもたらせるとは思えない。
それなら、一言言ってやるべきだと思った。
「哀れだと思うよ」
遅れて、アルマが私の質問に答える。どうも、他人事だった。
「責任は感じないのですか。毎月あれだけの奴隷が殺されているのです。アルマ様も、裏でグラース様がやっていたことは知っていたはずでしょう」
私が間髪入れずに尋ねると、アルマは「ああ」と肯定した上で、姿勢を正した。
「しかし私は、彼女がどうしても売れ残りを欲しがったから譲っただけに過ぎない。だからグラース卿が何をしていようと、どうなろうと知ったことではない」
「知ったことではないって……他人の命をなんだと」
「君の母親も、戦争では多くの人間を殺したはずだ。敵兵も殺したし、奴隷を特攻させもした。だが、リアンシェーヌ嬢はそれを責めたりはしてこなかっただろう?それと同じさ」
故人を引き合いに出され、私は動揺する。
母はかつてカリア領から千に近い奴隷を買い入れ、連合国への侵攻に利用したと聞く。アルマはそのことを掘り返しているのだろう。
戦時中の母の活躍は、あまり知らない。鮮血魔術の才能がない私は軍事教育から遠ざけられてきたし、物騒な内容で好きでなかったからだ。しかし、ここで断言できることはある。
「国の方針に従って殺すことと、個人の思想によって殺すことは違います」
「違わないさ。どちらも人殺しだ。そもそも、ネメジス卿は評議会の一員なのだから、命じる側の人間ではないか。殺した数だけで言うなら、グラース卿よりもずっと多いだろう」
「それは違う」と咄嗟に返しそうになったが、具体的にどう違うのか私は言語化できなかった。
時代が違う。立場が違う。支持者の数が違う。異なるところは多くあったが、それでも言葉が出なかったのは、母が殺人者であることを否定できなかったからだろう。
「無遠慮だったな。謝罪しよう」
押し黙った私を見て、アルマが謝罪した。頭を下げることはなかったが、気を遣われたのは分かった。
「いえ……」
頭に上った血液が、徐々に下がっていく。エヴァイン家とカリア家は協力関係にあるのだから、言い争っても仕方がない。一度冷静になってしまうと、もう口論を続ける理由はなかった。
ひどい徒労感が、私の方に重くのしかかる。
用意された昼食は、きっと上等なものなのだろう。が、どうも飲み込むのに時間がかかった。
「ところでリアンシェーヌ嬢、教会の運営に興味はあるか?」
アルマの皿には、一切れのキッシュが残っている。私がのんびり食べているので、彼が暇になって話題を振ってきたのだと分かった。
「きゅ、急な話ですね」
「本来ならリアンシェーヌ嬢の聖女就任に合わせて委任するつもりだったのだが、事態が急転したからな。許せ」
私は噛みきれない肉を水で無理やり流し込み、アルマに向き直る。
「グラース卿がいなくなれば、枢機卿派はカリアの教会の大部分を取り壊すだろう。汚職の象徴を残すわけにはいかないと、な。しかしそれはカリアの医療機関の壊滅を意味しているし、何よりカリアの経済を衰退させてしまう。下手な介入をされる前に、君の名義を使いたい」
カリア領の教会は、グラースが乱立させたと聞く。麻薬の流通が制限されていないことを利用して、中毒者に半端な治療を施して搾取している、というのがソリアの言だ。
「身から出た錆ではないですか」
「やけに他人行儀じゃないか。カリアの麻薬を嗜好品として嗜む輩は、どこの領地にも一定数はいる。中毒症状がひどくなったら、教会に行って治してもらう。それがカリアの文化なのだよ。そんな領地の教会が取り壊されたとなれば、悪影響は私の領地だけにとどまらないだろうな」
受けるべきか否か、直ぐに判断を下すことはできなかった。カリア領の教会の腐敗は、アルマが麻薬の取り締まりをしていないことに起因している。恐らくアルマも、麻薬売買で一定の収益を上げているはずだ。
私が教会の管理者になったところで、その状況が改善されない限りは実りのある改革の実現は難しい。それならいっそ、人権派に潰してもらった方がいいのではないか。
「私の独断で決められることではありません」
逡巡の結果口からこぼれたのは、至極真っ当な、しかし逃げの一手であった。私にはまだ経験も知識もないし、権力も現状はない。ならば私が決めるべきでは、ない。
「ふむ。しかしエヴァイン家にやる気があろうとなかろうと、名前は貸してもらうぞ。これは君たちが持ち込んだ厄介ごとだ」
やや強い語調だった。淡々とした話し方であるのは変わらないが、節々にわずかな怒りが見える。
「これはグラース様個人の問題で———」
「支援を打ち切ってもいいのだぞ。大教会への牽制ができなくなるのは痛手だが、それだけだ。今のエヴァイン家に、以前のような肩入れをする理由はない」
食うように言葉を被せたアルマに、私は冷や汗を流すことしかできない。このように直接的に脅されるなんて思っていなかったからだ。
「エヴァイン家にも蓄えはあります。アルマ様との取引がエヴァイン領の利益にならないのなら、それも受け入れましょう」
「……それが、今の当主の方針なのか?私の提案を、君が断ってしまっていいのか?」
咄嗟の反論に、アルマは詰まる。
アルマの言葉は正論で、確かに私に決定権はなかった。兄の側近であるユリアナは、後ろでそれとなく首を振っている。
ああ、つまり。
私は彼に従うしかないのだ。
「断るとは言っていません。ただ、兄を通さずに決めていい案件ではないと言っているだけです」
「そうか。それなら今回は、私が一筆したためよう」
焦って取り繕うと、アルマはつまらなそうに呟いた。それ以降会話はなく、私は胸焼けを堪えながらフォークを口に運んだ。
「リアンシェーヌ嬢は少々奥手すぎるな。志ばかりでは、社会で生き抜けんぞ」
食事会は、アルマの手厳しい評価によって締めくくられる。彼に苦言を呈されたのは、思えば今日が初めてだった。
ああ、もしかして。
母もそうだったのだろうか。抗いたくても抗えない、そんな悔しさの中にいたのだろうか。
今となっては、わからないことだった。
♢
いつからだろうか。悪い人のことが許せなくなったのは。
いつからだろう。過ちを認められなくなったのは。
———幼い頃の話だ。
魔術の練習台として、私には一人の奴隷が与えられた。手も脚も髪もない、片目も潰れている、全身に火傷痕のある奴隷だった。
『この子を治せたら、あなたを劇に連れて行ってあげます』
劇というものに、私はあまり興味はなかった。しかし、剣術や座学よりは幾分か才能があったので、私はやってみることにした。両親に褒められたかったのだ。
彼女の治療は、非常に困難だった。まず、四肢を失ってから時間が経ちすぎていた。傷口が塞がっているどころか、四肢を失う前よりも身体が成長していたのだ。
治癒魔術は、魂に記録された過去の肉体情報を複製し、今の肉体に転写することで成立する。つまりこのケースの場合、成人した人間の肉体に子供の頃の情報を転写することになってしまう。
大人に子供の腕を生やすことはできない。そこで私は彼女を、治癒魔術で逆行……実質的に若返らせることで、腕を生やそうとした。記憶だけをそのままにして、治そうとした。
結論から言うと、失敗した。四肢を治すことには成功したが、彼女は廃人になってしまったのだ。
失敗した理由は主に三つ。魔術行使前と後で頭部のサイズが変わったことと、私の未熟な検診術式では脳という複雑な構造を完全に複製できなかったこと。そして、転写時に発生する情報の劣化を計算に含めていなかったことが原因だった。
ショックだった。彼女の記憶を検診術式越しに知る私は、かなりの時間、思い悩んだ。彼女を救おうとして失敗したなら、まだいい。しかし私は、誰かに褒められたいなんて曖昧な理由で彼女の治療に取り掛かり、魂を殺してしまった。ああそうだ、適当にやったのだ。
私は、その事実に耐えられなかった。
ある時母が、奴隷の死に心を痛めすぎてはいけないと言った。ずうっと落ち込んでいた私を、慰めようとしたのだろう。しかし私は、母に言い返した。身分が違うだけで、どうして同じ人間の命を軽視できるのかと。そんな論調で、私は母をとにかく罵倒した。
八つ当たりだ。
しかし母は、あまり言い返さなかった。悲しそうな顔をして、私の言い分を黙って聞いていた。そうして「その通りね」と呟いて、最後には私に詫びた。
落ち込んでいたはずの私の心は、口論が終わる頃に持ち直していた。
私が正しく生きていない人のことを許せなくなったのは、それからだ。あの日から私は、母や、アルマや、教会の汚点がひどく気になるようになった。違和感を感じたら理由を尋ね、納得できなかったら責めるようになった。
つまりこれは、八つ当たりなのだ。
自分の過ちから目を背けるために、他人を責め立てたのだ。そうすれば私は、相対的に正しい人間になれた。正しい人と見られるようにした。私が起こした過失致死は、単なる力不足の結果と認識されるようになった。私自身もそう、思い込んだ。
そうして私は、過去を忘れた。今ではあの奴隷の名前すら思い出せない。廃人になった彼女が、どうなったのかすら知らない。
でも、一つ言えることがある。認めなければならないことがある。
私の正義は、私を慰めるためだけに存在していたのだと。
きっと私はいつか……母のことも忘れるだろう。失敗を都合のいい正義で上書きするのだろう。だって、今だってそうじゃないか。
聖女なんてなりたくもなかったものを目指す理由なんて、それしかないじゃないか。ねえ。
♢
部屋ではソリアが、立ちっぱなしで待っていた。座ればいいのに、身分を気にして立って待っていた。
「待たせましたね、少し話し込んでしまって」
「アルマ様に何か言われたのですか?表情が優れないように見えます」
ソリアがぐいっと、私に顔を覗かせた。そんなに酷い顔をしていたつもりはないのだが、心配させてしまうのは良くない。
「反省をしていたのです」
「反省、ですか?」
ソリアが不思議そうにしていたので、私は言葉を続ける。
「私はずっと、自分が正しいことをしていると思っていましたが、そうではなかったのだなと」
ソリアはやはり、不思議そうにしていた。しかし、あまり情けない話を長引かせても仕方がない。反省というのは、主張する物ではなく、内で留める物であるはずだ。
重要なのは、この気づきをどう活かすかではないだろうか。
「今晩のオークション……参加してみることにします」
事態が急変した今、グラースが今日のオークションに参加するかどうかはわからない。しかし、それでもいい。この薄暗い環境から、誰かを拾い上げることができるのなら、それで十分だ。
どうせ、私は今日まで奴隷産業に加担し続けてきたんだ。それなら気休めでも、何の解決にならなくても、救える人生があるのなら、その方がいい。
「お嬢様、エヴァイン家の資産を食い潰すようなことは」
「使う機会のなかった小遣いを使うだけです。今日だけは、我儘をさせてもらいます」
ユリアナは納得していなかったが、それでも止まるつもりはない。ここで半端なことをしたら、私は一生口だけだ。だから、進み続けなければならない。
「これ以上、枢機卿には誰も殺させません。目の前の犠牲を、正当化したりしません」
ソリアの手を握って宣言する。それが彼女への報いになると、私は信じた。
「へえ」
握られた手に視線が移る。ソリアはそっけなく、声を漏らしていた。
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