第13話 カリア領

 がたんがたんと馬車は揺れる。森を抜けると徐々に人の数が増え、エヴァイン領の中心街が見えてきた。無駄に広い石畳の道を通ると、道ゆく人々が私たちに頭を下げる。私はそれに手を振って、領民と挨拶を交わした。

「いけませんね。どうも、緊張してしまいます」

 素直に今の心境を口にする。この旅路を共にするのは、私とソリアと御者人と、あと一人。弱音を吐けるのは今の内に、心を落ち着けたかった。

「恐れることはありません。アリオト様がここまで準備を進めてきたのですから、お嬢様はそのレールに沿うだけでいいのです。勝利は確定していると、アリオト様も仰られていました」

 正面に座るユリアナが、窓の外を眺めながら呟いた。念の為と、兄が付けてくれた護衛である。

「いざという時は私がお守りしますので、ご安心ください」

 ユリアナが無表情に呟く。膝の上には片手剣が乗せられていて、いつでも抜刀できる準備が整っていた。

「そう。それなら安心ね」

 言い聞かせるように、心にもないことを呟いた。ユリアナとの付き合いはそこそこに長いが、雑談を交わせるほど仲良くもない。同じ鮮血魔術師である兄や父の同調者なので、反りが合わないのだ。

 とはいえ、私のことを命懸けで守ってくれる彼女を、邪険にしたくはない。

「さっき出たばかりだというのに、もうカリア領に入るのですね。」

 隣に座るソリアが、ふいに言葉を漏らす。何を焚いているのか、外からは甘い香りが漂ってきていた。確かにこれは、エヴァイン領ではあまり嗅ぐことができない匂いだ。

「あまり嗅がない方がいいですよ。お体に障ります」

 鼻を鳴らしていたら、ソリアに窘められた。恥ずかしくなって、私は遮光カーテンを閉める。

「首都の隣にある領地とは思えない惨状です。薬に頼る人々がこれほどまでに多いなんて」

 カリア領では、麻薬の取り締まりがほとんどされていない。栽培も流通も違法であるはずなのに、公共の場で販売すらされている。売人が他の領地に移ることを嫌ってか、この土地は王政からも見放されている。

「枢機卿が建てた教会が中毒症状の中和を引き受けているので、その影響でしょうね。薬物治療はカリア領の収入源にもなっているので、取り締まりに後ろ向きなのでしょう」

「最悪ですね」

 枢機卿がカリア領に教会を建てているのは知っていたが、単なる人気取り程度にしか捉えていなかった。そこまで考えが回らなかった自分が嫌になる。そもそも私は、今まで枢機卿を熱心な人とすら思っていたのだから、盲目が過ぎるというものだろう。

「枢機卿はここで私が止めます。必ず」

 今回私は、人を貶める行為に加担する。枢機卿は悪人だが、私たちのやり方は正攻法ではない。

(正しさだけでは世界は変えられない、か)

 兄の言葉を思い出す。やはり好きにはなれないが、それでもこれは、私がやらなければならないことだ。

「そうですね。ここで、止めましょう」

 ソリアが私に手を重ねた。冷たい指先が、指の隙間に絡まる。

 感じていた不安は、いつの間にか亡くなっていた。

 ♢

 アルマ伯爵の住むカリア邸は彼によって十年ほど前に建て直され、今ではカリア領の最西部に位置している。王都にはその広大な領地をぐるりと囲う壁があるのだが、アルマはカリア邸をあえてその壁の出入り口に隣接させることにより、屋敷の警備と区画管理を画一化させたそうだ。故に、カリア邸はまるで監獄のような機能的な見た目をしていた。

「カリア邸へようこそ、リアンシェーヌ嬢。この間は不躾なことをしたというのに、そちらから来てくれるとは喜ばしい限りだ」

 アルマは馬車を降りた私たちを、自ら歓迎する。その後ろには制服姿の男たちがずらっと並んでいて、まるで軍隊のようだった。しかし、ここに訪れるのは何も今日が初めてではない。だから私は、極めて平静にアルマに会釈した。

「先日は契約を果たせませんでしたから、当然です。奴隷の治療も、手の届く限り行うつもりです」

 アルマには兄が前もって、カリア領に向かうことを伝えていた。私たちの目的は奴隷の買い戻しを請求することであるが、アルマに隠蔽されても困るので、名目上の来訪の目的は「先週の詫び」である。

 私が部屋に閉じこもって治療を放棄したことを利用したというわけだ。なんだか複雑な気持ちである。

「ふむ、それは助かる。そこの彼女のことも、気に入ってくれたようで何よりだ」

「リアンシェーヌ様には、大変に良くして頂いております。これも伯爵様のご教授の賜物です」

 アルマの視線がソリアに向く。多少の慇懃無礼さを感じなくもないが、彼女は丁寧にお辞儀をした。

「教授?私がか?そんな立派なものを施していたのなら、お前は脱走などしとらんよ」

「その度は大変なご迷惑を……」

「全く、その面の厚さは変わらんな。リアンシェーヌ嬢に迷惑をかけてはくれるなよ」

 アルマの嫌味に、ソリアは苦い顔をした。元主人と元奴隷となれば自然な会話であるのだが、少々意外だ。アルマは奴隷と真っ当なコミュニケーションなんて取らないと思っていたのに。

「失礼した。彼女にはかなり手を焼かされたからな。その癖いい場所に落ち着いたのだから、因果とは奇妙なものだよ」

 失礼したと言いながらも、ソリアへの嫌味が止まることはない。もっともランクの低い店とはいえ、ソリアはそこでエースをやっていたというので、思うところがあるのだろう。

「ソリアさんは優秀な子ですよ。心配する必要もないくらいには」

「それはよかった。アリオト殿には、奴隷が欲しくなったら言うように伝えてくれ。彼とは今後も、良い取引を続けていきたい」

 今のエヴァイン家が、奴隷の売買に関わるかどうかは怪しいところだ。連合国の瓦解で奴隷兵の需要はほとんどなくなっているし、売りに出せるような奴隷の在庫もない。

 兄も奴隷に興味がないだろうし、アルマが期待するような取引はもう発生しないだろう。

「では、そのように。ところでアルマ伯爵に内々の話があるのですが、後でお時間をいただいてもよろしいですか」

 早速、本題に入るべくアルマに提案する。私に腹芸の経験はないので、できることといえば今日までに暗記した台本をそのまま読むことだけだ。忘れないうちに、言うべきことを伝えたかった。

「ふむ。中で話そうか」

「お気遣い感謝致します」

 アルマは表情を変えて、私を屋敷へと案内した。石造の内装は要塞のようで、独特の威圧感がある。あまり柔らかくないカーペットを進むと、やや狭い客室に入れられる。

 流石にソファの方はかなりの高級品で、腰を下ろすと身体が沈んだ。ソリアも座らせてあげたいところだったが、他人の敷地なので、ユリアナの隣に控えさせる。間も無くして、私たちは話し始めた。

「買い戻したい奴隷がいるのです。どうやら以前お譲りした奴隷に、尊い血が紛れ込んでいたようで」

「ほう。事実なら大問題だな。血液検査はネメジス卿が直々に行なったと聞いているが、いや、そもそもどこでその話を」

 アルマは顎元に手を当てながら、私に尋ねる。奴隷商にとって、執行官の介入は最も避けなければならない要件の一つだ。彼にとってこの件は、かなり胃が痛くなるような話だろう。

「ソリアさんに治療を施しているとき、偶然話題に上がったのです。その日に負った傷が、一時間もしないうちに治ってしまう奴隷を見たと。万が一のことがあってはいけないと調べてみたところ、その奴隷の名前が以前アルマ伯爵にお譲りしたものと一致しまして」

「彼女がか……信ぴょう性はそう高くない話だと感じるが」

「念の為、調べたいのです。元は連合国の戦争捕虜ですから、血に術式が混ざっていてもおかしくはありません。検診術式の使用上、本人に魔術師である自覚がなかった場合、検査からあぶれる可能性はありますからね」

 じっと、疑るようにアルマが私を見つめる。

「検診術式は肉体の異常を確かめるためのものだろう。自覚がなくとも、血の方に特性があれば気がつくのではないか」

「検診術式の本質は、魂に刻まれた肉体の情報と現在の肉体の情報の差異を比べることにあります。術式の使用経験がなく、血も薄いという場合、見落としが出ることはあり得ます」

 これは嘘ではない。私が検診術式によって血液検査をする場合、肉体情報単体で判別できる術式は、身体構造を作り変える鮮血術式くらいだろう。それ以外の術式を判別する場合、記憶の再生という副次効果で本人の認知を確認することになる。つまり、『本来の血液検査』よりも確実性で劣るのだ。

 六賢を務めた母ならば、本人が術式に無自覚でも判別はできるのかもしれないが……

「そういうもの、か。まあ、たいした手間ではない。所属がどこか、すぐ調べよう」

 怪訝な視線が解消されたわけではなかったが、アルマにリスクを踏んで断る理由もない。ポジションからして、面倒を表沙汰にしようとはしない……と兄は言っていた。

「いえ、その奴隷の今の所有者は、アルマ伯爵ではありません。しかし今の所有者が問題でして、表沙汰にしないためにはお力添えが必要なのです」

 アルマは今、私と枢機卿のどちらが聖女に就任しても利益を得られる状況だ。故に、枢機卿に明らかに分がある現状でも、様子見を決め込んでいる。しかし、強制執行という明確なリスクがあるなら話は別だ。

 血液検査の見落としがあったという前例が生まれれば、アルマグループへの調査が入る可能性がある。アルマが処罰される可能性はまずないが、商売道具が一時的にでも使えなくなるのは彼にとって大きな痛手だ。私と枢機卿の正面衝突を避けるために、アルマはひとまずは術式の流出を隠蔽してくれるはずだ。

「なるほど。つまり、今の所有者というのは」

 アルマも察しがついたのか、苦い顔をする。私は彼が答えを言う前に、先んじて言葉を発した。

「はい。今は叔母様が」

「私がどうしたのかしら」

 場が、凍りつく。

 客室の扉の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえたからだ。ぎいっと、扉が開いて、一人の修道女が入ってくる。

 いや、修道女ではない。格好こそ一般的な修道服であったが、母によく似た顔立ちと、金髪と呼ぶには色素の濃い、茶色がかった前髪には明確な見覚えがあった。

「ぐ、グラース様……!?」

「叔母様呼びのままで構わないわよ?リアちゃん」

 やけに馴れ馴れしく、枢機卿グラースは私に微笑んだ。なんの断りもなしに、付き人も連れずにその長身はこちらに向かってくる。

「再会は復活祭の日になると思っていたのだけれど……巡り合わせというのは奇妙なものね」

 気がつけば、グラースは目と鼻の先の距離に立っていた。

「グラース卿。勝手な振る舞いをされると困る。部屋で待っているように伝えたはずだが」

「私の噂話が聞こえたから、ついね。でも、私を差し置いてリアちゃんに着くのは感心しないなあ」

 硬直する私に代わって、アルマが顔を顰める。

「次の聖女には、私の方が相応しいと思うのだけれど、どうかしら」

 ねちっこい喋り方で、グラースはアルマをなじる。

「それを決定するのは私ではない。事情は理解したが、巻き込まないでくれ」

「わわっ。太客の私にそんなこと言うなんて、感心しないなぁ」

 直接的な脅しにも、動じることなくアルマはグラースを睨んだ。

「リアンシェーヌ嬢に暫くこの部屋を貸すことにしよう。あとは、当事者同士で話すといい。奴隷の検診は、急を要する問題ではないしな」

 静かにアルマは立ち上がり、私を見下ろした。引き留めるべきか否か、少し悩む。

「コウモリさんは嫌われてしまうわよ」

 妖艶な表情で、グラースは呟く。

「……少なくとも私に、リアンシェーヌ嬢を切り捨てるつもりはない」

 判断に迷っていたら、引き留める間もなくアルマは部屋を後にした。

 突然の状況に決断が追いつかず、私はつい、後ろの二人の様子を確認する。どちらも、妙に冷めた目をしていた。

「あらあら」

 グラースは扉の方を見つめながら、名残惜しそうに声を漏らした。

 しかしすぐに、ソファに倒れて満面の笑みで手を重ねる。

「まあ、些事というものでしょう!それよりリアちゃん、聖女候補が二人も揃ったことですし、談笑を始めましょうか」

 天真爛漫な彼女の姿に、私は唾を飲む。願ってもない状況であるはずなのに、私の動悸は治る気配がなかった。

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聖女になんてなりたくなかったのに 糸電話 @itodenwa

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