第12話 犠牲

 枢機卿が奴隷の売買に纏わる証拠は、案外すぐに見つかった。いや、そもそも枢機卿の悪事の足跡は、私たちの目の前に最初から存在していた。

 奴隷契約の制度の中に、自分が売った奴隷の現在の所有者を調べ、買い戻しを請求できるというモノがある。これは、貧しさなどで一時的に奴隷になった者や、親に売られた子どもが、市民に戻ることができるようにするための制度だ。

 エヴァイン家も昔は前線指揮を担っていたため、兵士としての奴隷を所有していた。終戦に伴ってそのほとんどは売りに出されてしまったが、その契約書はまだこちらの手元に残っている。奴隷協会に申請すれば、情報を開示させることができた。

 エヴァイン家がかつて所有していた奴隷兵の数は、一千人に迫る。十年以上も前の話なので、今ではその多くは死亡、もしくは神聖騎士団の所有となっているが、いかんせん数が多いので、カリア領に流れついた奴隷も少なくなかった。最終的な所有者の欄に、枢機卿の名前が記されている奴隷も、複数見つかる。

「これは思ったよりも、事態は深刻そうですね……」

 調査中にいくつか、想定外のことがあった。彼女の名前が複数の契約書に載っていたこともそうだが、一番の問題は「姓が違う」ことだ。

 ———グラース・フレイン・ブリューダー。

 枢機卿は、血縁上は私の叔母にあたる。私の記憶では、術式を保管する貴族でありながら伴侶はおらず、領地も保有していなかった。書類を一目見た時、私は枢機卿がフレイン家に入籍したのかと思ったが、どうやら違う。

 調べてみれば枢機卿はフレイン家……しかも教皇フィロスと養子縁組が結ばれていた。登録日はつい一週間前。母が亡くなって、間も無くしてからのことだ。

 親子にしてはあまりにも歳が離れすぎているが、意図はわかる。衰弱したエヴァイン家を続投するよりも、実績のある枢機卿を聖女にさせたいのだ。教皇と枢機卿が協力関係にある以上、私が指名される可能性はまずないだろう。

「でも、ここで挫けるわけにはいきませんよね」

 私のやるべきことは、どちらにしろ変わらない。枢機卿の非道から奴隷を守り、ソリアの友人を助ける。その動機の一つに、家の利益が加わっただけだ。むしろ、見逃せない理由が増えて、何よりじゃないか。

 少なくとも、枢機卿が奴隷を買い漁っている事実は確認できた。法令に違反した行為ではないが、その動機と目的が教会倫理に反していないか追及する必要がある。

「死亡届が出されてる……」

 枢機卿が買い取った奴隷には、一つの例外もなく、購入日から一ヶ月後に死亡届が出されていた。市民として解放されているなら、解放済みであると表記されるはずなのに。

 しかも、直近に枢機卿が買い取った奴隷の売り手は……。

「リアンシェーヌ様、顔色が良くありませんが、大丈夫ですか?」

「え、いえ、大丈夫ですよ」

 ソリアの心配に、私は笑みを返す。私を頼ってくれたソリアの期待に応えるためにも、ここで情けない様を見せるわけにはいかなかった。

 前回のオークションは、5日前。事実確認ができた以上、彼女の友人を急いで助けに行く必要があるが。

(まだ生きていると見るのは、難しいのかもしれない)

 この死亡届は、事務的に提出されたようにしか思えないのだ。購入して一ヶ月後に殺しているのではなく、その月に殺した奴隷を書類にまとめて、いっぺんに提出しているとしか考えられない。

 しかも、ソリアの証言を聞く限り、枢機卿が奴隷を殺しているのは、購入日当日だ。

「みんな死んでいるんですね。全く、よくやります」

 ソリアが書類を覗き込んできて、言った。私は咄嗟に隠そうとしたが、見られてしまったものは隠せない。

「そ、その年で字が読めるなんて、ソリアちゃんは熱心ですね」

 話をずらして誤魔化してみるが、ソリアは反応を示さなかった。死亡の事実が示された奴隷契約書を見て、押し黙っている。

 もしかしてソリアの友人の名前があったのかと、少し不安になり、そして。

「リアンシェーヌ様、気に止む必要はありませんよ。もしも私の友人が死んでいたとしても、仇討ちができるなら、意味はありますから」

 私が取り繕うより先に、ソリアは私を慰めた。後ろからきゅっと、抱きしめられる。

「私、ダメですね。無責任なことばかり言っています」

 まだ生きているよと、そう言って励ましたいのに、まるでそう思えなかった。罪悪感という名の錘が、私を捕らえて離さないのだ。

 だから、後ろ向きなことを言ってしまう。

「よかったら、手伝いましょうか?調べ物を一人でするのは、大変でしょうから」

「事実確認はできたので、心配いりませんよ。ソリアちゃんは……本棚の本でも取って、気長に待っていてください」

 ソリアにこれ以上の気苦労はかけたくない。気を使ってくれるのは嬉しいが、休んでいてほしかった。

「命令ならば応じますが……何もせずにただ待つだけというのは、私も歯痒いものがあります」

 ソリアは寂しげに、後ろへ下がった。いや、その表情にはもっと暗い、湿ったものがあった。

 どうするべきかと、私は悩む。どうも、共感してしまったのだ。だからもう、誤魔化すのをやめようと私は思った。

「ねえ、ソリアちゃん。枢機卿は、何のために奴隷を殺しているのでしょうね」

 枢機卿の振る舞いは、あまりにも奇妙だ。彼女は人格者として振る舞い、布教にも熱心な人物が、あまりにも非人道的な行為に手を染めている。趣味にしてはあまりに大規模で大胆で、私の理解の範疇を超えている。

「さあ。人殺しが趣味なのではないでしょうか」

 ソリアは、枢機卿の思考など考えたくもないようだった。しかし、枢機卿の様子の当日の様子が知れたのは、考察の材料の一つになってくれる気がする。

「頬に触れて、その奴隷を消し去ったんですよね。殺す行為そのものに愉悦を感じているなら、もっと趣味の悪い殺し方をすると思うんです」

「それではその魔術行為に、他の目的があるということでしょうか」

 一定のスパンで奴隷を買い続けているのだから、継続的に人間が必要になるような、明確な用途があるはずだ。

 生きていると考えるのは希望的観測かもしれない。それでも、まだ可能性はある。

「私は貴族ではないので、あまり詳しくないのです。あまり役にはたてないかもしれませんが……調べ物を手伝わせてはいただけませんか?」

「もちろんです。実は私も、一人で調べるのは無理があるって思ってたんです」

 手が届く距離にいるのに、見ていることしかできない歯痒さは、私も知っている。だから振り向いて、ソリアに仕事を振った。

「お任せください」

 ソリアが自信ありげに、顔を上げた。


 ♢

 現在のエヴァイン邸は、かつての屋敷が全焼したのもあって家格の割に蔵書数は多くない。しかし、それでも父と母は一流の魔術師だ。書斎の本棚の中身は半分以上魔術にまつわるものであり、禁書とされるものですら目に入る場所に置かれていた。

「リア。調べものは順調かい」

 どこから声が聞こえて、私は本を取り落とす。車椅子に座った兄が、穏やかで読み取りにくい笑顔を浮かべていた。

「に、兄さん。いつからそこに」

 部屋の狭さに関わらず、音もなくいきなり現れたので、私の心臓は激しく動揺した。ドアが開いた形跡もないし、その容態で動き回っているのも不可解だった。

「最初から、さ。それよりも、一つお願いがあるんだ」

 最初からこの部屋にいた……?それなら、書斎入る時に気が付くはずのに。

「明後日に、カリア領でオークションが行われるのは知っているね。そのタイミングでアルマ伯爵に接触して、奴隷の買い戻しを申請してほしい」

 私の動揺もよそに、兄は淡々と話し始めた。まだ脳内は混乱の中にあったが、仕事の話となれば腑抜けてはいられない。私は本を拾い上げて兄に向き直る。

「構いませんが、急な話ですね」

 情報収集のためにも、オークションには元々顔を出すつもりではあった。現場で調べたいことがあるし、運が良ければ現行犯を押さえられる可能性もあるからだ。

「ソリア君の探し人は、僕の探し人でもある。死亡届が出される前に、無理矢理にでも交渉の席につかせたいんだ」

 出されるにはあまりにも唐突で、遅すぎる情報だった。それでも表面上は落ち着いていられたのは、これが予期されていた展開だからだろう。

「買い戻しに応じるとは思えませんが、何か作戦があるんですか」

 念の為私は質問する。予想が外れていることを祈って。

「ソリア君は枢機卿に買い取られた奴隷が、魔術師だって証言しているんだろう?虚言の可能性が高いとしても、術式の流出を嫌うアズレアの法曹界が放置するとは思えない。執行官に掛け合えば、枢機卿には血液検査を命じられる」

 術式の管理がされなかった国は、例外なく悲惨な末路を辿ってきた。非術師による統治国家の中で歴史上最大の規模を誇った連合国も、最終的には非術師と魔術師による内紛で崩壊している。故にアズレアは、術式を持つ平民が発見された場合、即座に執行官を派遣し術式を保護してきた。

 たとえ虚言であろうと、執行官は絶対に動く。

「当然、枢機卿は血液検査に応じられない。となれば枢機卿は術式の私物化をしたとみなされ、執行権によって処罰される。それを回避するには奴隷の殺人を証明するしかないけど、そうしたら今度は魔術師殺しの構成要件にひっかかる。つまり枢機卿は、どう動こうとも法廷に向かわざるを得ない」

 兄は私が持つ本を注視しながら言った。

 確かに、兄の言うとおりにすればきっと、禁術指定の抵触を証明するよりも、余程楽に枢機卿を罪に問えるだろう。

 だが、どうにも気に食わない。

「兄さん。無礼を承知で聞きたいことがあります」

「なんだい」

 ずっと気がかりだったことがあった。ただの脱走奴隷に過ぎないソリアを兄が買い取った理由が、どうにも不明瞭なのだ。

 私がソリアを助けた理由は、明け透けに言うなら、目の前に一人現れた彼女を見捨てられなかったからだ。他の奴隷を見捨ててきた私がソリアだけを拾い上げたのは、そんな自分都合のものでしかない。

 しかし、兄は違う。兄はソリアの話を聞き、他の奴隷が周りにいる中で、彼女だけを買うことに決めている。その挙句、私のところに案内しているのだ。まるで彼女だけを囲い込むかのように。

「調査の途中で、兄さんの名義で伯爵に売られた奴隷を見ました。最初から、枢機卿に買わせるつもりで売ったのですか」

「そうだね」

 核心をついた質問に、兄は恥じる様子もなく頷く。

「枢機卿を失脚させるために、売りつけた奴隷が殺されるのを今日まで待っていた、ということですね」

 兄は、不貞腐れたように前髪を弄った。

「察しの通りさ。協力者の魔術師を奴隷としてカリア領に送りつけた。見事彼女は任務を全うし、ソリア君をメッセンジャーとして送ってくれたというわけさ。証拠は手元にあるから、彼女が魔術師であることの証明はいつでもできる」

「悪事を食い止めるために悪に手を染めては、本末転倒ではないですか。このやり方は法に触れていますし、何より人一人を犠牲にしています。ソリアちゃんだって、友達を助けるためにここまで来たのに!」

 私が追及すると、兄は背もたれに寄りかかった。

「手をこまねいていればそれだけ死体が増える。教皇猊下の支援を受ける枢機卿を、教会内部から失脚させるのは無理があるとは思わないかい」

 言い返すことができず、唸る。実際、奴隷の殺人が罪にならない以上、枢機卿が禁術指定に抵触していることを私の力で証明するのは極めて困難だった。

「六賢になりたいと、前に言っていたね。正しいことだけでは世界は変えられないよ」

 そういえばそんな夢を、前に語ったことがあったか。最近は色々なことがあったので、すっかり忘れていた。

 我ながら、大袈裟なことを言ったものだ。

「そうして変えた世界に、どれほどの価値があるのですか」

 兄の判断は、家長としては望ましいものなのかもしれない。でも、そんなことを続けていたら、私たちの心まで腐ってしまう。迎合するわけにはいかなかった。

「まあ、なんだ。リアの正しくあろうという姿勢は、称賛されるべきだと思う。きっとそれは聖女として求められるモノだろうし、僕のやり方が嫌なら、それでいい」

 私が放心していると、兄はじっと私を見つめてきた。

「でも今回は、やり遂げてもらうよ。ここまでした以上、僕に立ち止まるという選択肢はないからね」

 打って変わって真剣な眼差しに、私は困る。私がここでなんと言おうと、後の祭りでしかないからだ。

「これ以上の犠牲者を出さないためです。納得したわけではないですからね、兄さん」

「そうかい」

 寂しそうに笑う。しかし、投げかけるべき言葉はなかった。

「では、そろそろ行きますね。ソリアちゃんを待たせているので」

 沈黙に耐えかね、私は兄から目を背けた。

 書斎には外部に見せられない資料がいくつもあるので、ソリアは部屋に置いてきている。私は役立ちそうな本をいくつか抱えて、部屋を後にしようとした。

「一人でその量を運ぶつもりかい?貰うよ」

 気安くいうが、兄は車椅子だ。無理はさせられない。

 断ろうかと思ったら、兄は私が撮ろうとした本を数冊とって膝に置き、器用に車輪を回しながら先行する。

「ああ、ちょっと待って」

 これ以上の無理はさせられないと、私は先回りをして扉を開けた。暗い廊下に、書斎の明かりの光が伸びる。

 そこに立っていたソリアと、目が合った。

「やあソリア君、昨日ぶりだね。聞いてたのかい」

 絶句する私に代わって、兄がソリアに問いかける。彼女は首を振って、一言。

「リアンシェーヌ様に荷物を運ばせるわけにはいかないので、ここで待っていたのです」

 と、呟いた。影に隠れて、表情は窺えない。

「はは、そんなに張り切る必要はないさ。今まで大変な思いをしてきた君にこれ以上苦労をかけさせるなんて、僕も心が痛む」

 兄は乾いた声で笑った。

「そうは問屋が卸しません。領主様、そちらは私に運ばせていただけませんか?」

「……なら、頼もうかな」

 猜疑的な視線を向けながらも、兄はソリアに本を手渡した。ソリアはそれを丁寧な所作で受取り、胸元で抱えた。

「こんなものは、苦労にも入らないと思いませんか。私の友人は、全身ボロボロの状態でやってきて、ゴミのような扱いをされた挙げ句に死んでいきましたし、ね」

 皮肉であるのは、傍から聞いていても明らかだった。声色に、確かな怒りを感じるのだ。

「辛い話だね。僕も、その子が報われていることを祈るよ」

「兄さん、その言い方は酷すぎませんか」

 白々しい物言いに、私は思わず苦言を呈した。兄はそんな私を横目で見て、肩をすくめる。

「お邪魔みたいだから、僕は帰るよ。ふたりとも、頑張ってね」

 兄は車輪を回して、器用に翻った。引き止めようかとも考えたが、今ソリアちゃんを放っておくわけにはいかない。

「ソリアちゃん……私」

 手を尽くすと言ったのに、結果はこれだ。期待させるだけ期待させて、結局は何の成果も得られていない。枢機卿の罪を暴くと約束したが、これからやることといえば、単なる謀殺だ。

「何も仰る必要はありませんよ。少なくとも、私は私の意思でここにいるのですから」

 ソリアは私が集めた本の題目を確認しながら、淡々と言葉を並べる。無理をしているとしか考えられなくて、私はソリアの顔を覗き込んだ。

「思えば彼女は、自分が死ぬと確信を持っていたように見えました。最初から、そのつもりだったのなら、色々と腑に落ちるんです」

 笑っていた。奇妙にも、ソリアの口角は歪に持ち上がっていた。

「カリア領には、私も連れて行って頂けるのですよね」

 眼光は鋭く、正面だけを捉えている。一体どんな心境なのか、私にはよくわからなかった。

 エヴァイン邸の廊下はやけに静かで、足音ばかりが響いていた。



 二度日が昇って、全ての準備が終わる。

 カリア領のオークション開催日に重なるように、私たちはエヴァイン領を出立することになった。私は汚れひとつない純白のドレスを、ソリアは質素な侍女服を。二人を乗せて、緩やかに馬車は出発する。エヴァイン領の風景が、今動き始めた。

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