第11話 禁術指定
建国直後のアズレアでは、魔術による犯罪が世に蔓延っていた。当時は法規制が進んでいなかったこともあり、特に精神魔術(精神を操作する魔術。現代ではフレイン家と王家のみが保管している)による犯罪は、社会秩序に著しい混沌をもたらしたという。そこで王家は、特定の魔術を評議会の許可なしに使用した場合に術者を拘束、処刑できると公布した。この法律は禁術指定と呼ばれ、現代でも固く守られている。
時代が経過するにつれて、禁術指定は多くの魔術に適応された。臣民の命を守るためであったり、貴族間での公平性を保つためであったり、適応理由はさまざまである。しかし、アズレア国語辞典での禁術の定義はこうだ。
『その使用によって被術者の尊厳が著しく損なわれる魔術のこと』
現代で手放しで使用できる魔術は鮮血魔術くらいで、治癒魔術も医療目的以外の使用は禁じられている。例えば、治癒魔術の一種である検診魔術には『記憶を読む』という副次効果があるが、その効用を目的に魔術行使をすることはできない。記憶を読むという行為は、被術者の尊厳を著しく傷つけるからだ。
だから、私もその法律を遵守し、道徳的な魔術行使を心がけている。
♢
時間は少し巻き戻る。時刻は三時、ソリアがアルマの下から逃げ出して、私の部屋に訪れてすぐのことだ。
「ところでリアンシェーヌ様は、どこで私の名前をお聞きになったのですか」
話の合間で、ソリアは私に尋ねた。それは、彼女にとって何の気無しの質問だったのかもしれないが、それでも返答に困る。
「アルマ伯爵から話を———」
「伯爵様は私の名前を知らないはずです。あの方は奴隷に情がうつらないよう、所有物の名前は聞かないようにしているはずですから」
反射的についた嘘は、即座に見破られた。そして彼女は人差し指を口元に近づけ、考えるような仕草を取る。
「……精神魔術、というやつでしょうか。魔術の中には口を軽くさせたり、無意識を操ったりすることができるものがあると聞きますが」
「そんなことはしていません!ただ、治癒魔術の副次効果で……相手の記憶が少し見えてしまうんです。プ、プライバシーはちゃんと守っているつもりなので、安心してください」
私が慌ただしく言い訳をすると、ソリアは目線を上げる。真っ暗な、殺気すら感じるかのような眼差しだった。
「少しって……どこまでですか」
当然の疑問だった。
精神とは人体において最も神聖な領域だ。勝手に頭の中を覗かれて気分が良くなる人間はまずいない。
「断片的な情報をいくつか拾えるだけなので、本当に詳しいことは何も知りません。見た内容を他人に言いふらすことも禁じられていますし、これからも頭の中を覗いたりするつもりはありませんからね」
後半の内容に偽りはないが、前者は嘘だ。私はソリアが奴隷になるまでの人生にほとんどを追体験させられていた。しかし、見てしまったものを忘れることはできないので、私はさらに嘘を重ねる。見ていないことにした方が、互いに幸せであるはずだからだ。
「そんなに取り乱さないでください。頭の中を見られるだけで信頼を得られるなら、安いものです」
ソリアは私を笑って許した。ここまで何度も嘘をついてしまっているので、胸がいたむ。
「むしろ、私も今の言葉でちょっと安心しましたよ。殆ど何も説明していないのに、二つ返事で引き受けられたので、実は怖かったんです。事情をわかっていただいた上で賛同してくださったんですね」
「違いますよ。ソリアちゃんの覚悟を信頼したんです。嘘にしては、切羽詰まった様子でしたし、もっとやりようがありますから。記憶を見てしまったのも、最初に検診をした一度きりなんですよ」
もっとリラックスできるように、私はソリアに手を重ねた。すると彼女は照れくさそうに頬を赤らめる。
「今ので安心が吹き飛びました」
「なんで!?」
ちょっと大きな声が出て、私はすぐに声を潜める。こんな夜更けに騒がしくしたら、使用人が部屋に入ってきてしまうかもしれない。そうしたら、脱走奴隷のソリアがどうなるのかわからない。
「……リアンシェーヌ様は、本当にお人好しがすぎます。その様子では、悪い人にすぐ騙されてしまいますよ」
ソリアはため息をつきながら、手を引っ込めた。
「私が心変わりすることだってあるんです。追い詰められれば嘘もつきますし、裏切るかもしれませんよ。その時になって、後悔するかもしれません。本当に、いいんですね」
真剣な眼差しだった。納得できる部分もあったので、それでソリアが安心できるなら、やってもいいと思った。
「そこまで言うなら……」
ソリアの頬に、手を近づけようとして、思い出す。
彼女の記憶。人生。買われてからの生活を。
「いえ、やめましょう。道徳的じゃありません。そんなことをしては、信頼関係も築けませんしね」
ゾッとするものがあって、私はすぐに考えを改めた。そもそも、禁術指定というのは極刑ものの法律だ。奴隷のソリアに訴えを起こす力がないとはいえ、安易に破るべきものではない。今は六賢の庇護も弱まっているし、尚更だ。
「ああ、やっぱり」
ソリアは何度目かの、冷ややかな視線を私に向けた。見透かすような、そんな表情だった。
「気が変わったら、いつでもおっしゃってください。私はいつ見られてもいいように、心の準備をしておくので」
「私は本当に、記憶を見るつもりはないんですよ」
「そうですか」
ソリアの前髪が斜めに垂れる。私の顔を覗き込んだからだ。
彼女の美貌が、初めて怖いと思った。
「そういえば、話の途中でしたね。カリア領での出来事について、伝えたいことがあるのですが、いいですか」
「ぜひ聞かせてください。真偽を確かめるにも、話を聞かなければ始まりませんから」
ソリアが強引に話題を転換したので、私はその温情にあやかり、パンと手を叩いた。記憶がらみの話は本当に嫌だったので、助かる。
「枢機卿は、カリア領に週に二度ほど訪れます。彼女は治癒魔術を保有しているので、貧困層が多く住むあの土地で魔術を用いて布教活動をしているそうです」
「平民から厚い支持を受けているとは、聞いています。何度か会ったことがありますが、かなり熱心である印象を受けました」
枢機卿の人柄は、ある程度知っている。かつての政争で縁が切れてはいるが、親戚でもあるので付き合いもまあ、長い。布教に熱心で、柔軟性があり、仕事にも積極的。若干嫌味だが、上層部に立つ人間の中では、一番話が通じる人だったはずだ。
「……枢機卿は、カリア領で売れ残った奴隷を、全て安値で引き取っています。オークションの落札記録なのですが、読んでいただけませんか」
ソリアは腰元の服の隙間から、一枚の書類を取り出した。そこそこに上等な紙質で、ほんのりいい香りがする。
「多いですね」
記録の中では、枢機卿が落札した奴隷は12人。しかし全て最低額で落札されている。傾向としては多いのが老人、次に障害を持つ者……その次が子どもだ。
買い手があまりつかないだろう奴隷を、積極的に購入している。
「お陰でアルマは、うちのオークションで売れ残りはでないと調子付いて宣伝していますよ」
「なるほど……それで」
最低価格で落札しているとはいえ、ここまでカリアに金を落とす人間はそういないだろう。奇妙な話だが、聖女派閥のアルマを引き入れるための行為だと考えれば、まあ納得はできる。
「枢機卿に買い取られた奴隷は皆、その日にどこかに消えています。一度に数十人単位で買っているのに、連れて行く場面を誰にも見られていないんです。だから……馬鹿みたいな話かもしれませんが、私たちの間では枢機卿に買われた人間はその場で食べられてしまう、なんて噂すら立っています」
確かに、定期的に領地に訪れ大規模な買い物をしているのに、輸送の過程を目撃されていないのは奇妙だ。数からして、輸送は組織規模のものになるはずだが、それならば目撃者がいないのは、ますます奇妙だ。
「それで、私は友達が売りに出されると聞いて、どうにか助けようとオークションに忍び込んだんです。私は稼ぎ頭の一角なので、仮に失敗しても許される自信がありました。そこで、見たんです」
ソリアは急に、手を前に突き出した。
「こうやって顔に触れると、触れられた人がいなくなるんです。魔術……なのでしょうけど、距離が離れていたので術式内容まではわかりません」
にわかには信じられない話だった。人間を消滅させる魔術は太古に禁術指定され、国内では術式の継承すらされていないからだ。そもそも血統的に、枢機卿は治癒魔術と鮮血魔術しか使えないはずだ。
「あの行為は、間違いなく禁術指定に抵触しています。それを知りながら枢機卿との取引を継続しているアルマ伯爵も、共犯者として処罰することができるはずです」
私の思考も他所に、ソリアは言葉を続けていく。事実であるなら確かに処罰できるかもしれないが、奴隷相手の魔術行使に評議会が動くかどうかはかなり怪しいところだ。教皇猊下が評議会で枢機卿に全面的に味方をするなら、訴えを起こしても承認されない可能性が高い。
「消えてしまった人間が生きているのかは、わかりませんが……それでも止めなければならないんです。全ての奴隷が、諦めずに生きた結果、最後に行き着く先があんな場所だなんて許せません」
私がしばらく黙り込んでいると、ソリアは力強く私を説得した。その在り方に、どうも覚えがあって、私は困った。
「お願いです。リアンシェーヌ様。どうか、枢機卿の凶行を止めてください。信じてください……」
ソリアが地面に這うように頭を下げようとする。そんな姿は見ていられなくて、私はソリアの両肩を掴み、その所作を止めた。
「命をかけた嘆願に、何も調べず戯言と吐き捨てる愚行を犯すつもりはありませんよ」
もともと、断るつもりなんてない。私はずっと、弱者が虐げられたままのこの世界に、嫌気がさしていたはずだ。だから、せめて自分はそうならないように、誇り高く在らなければ。
「安心してください!私がちゃんと調べて、その罪を暴いて見せますよ」
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