第10話 隷属関係

 

 ソリアは、何をするでもなくベッドの陰でじっとしていた。私が扉を閉めて近づくと、ソリアはようやく口を開く。

「おはようございます。リアンシェーヌ様は早起きなのですね」

「一人にしてしまってごめんなさいね。家族に迷惑をかけたから、謝りに行きたかったの」

「私に謝罪は必要ありませんよ。施しを受けている立場なのですから」

 ソリアはしゃがみ込んだまま、顔を上げて私に言葉を返した。

「ソリアちゃんの所有権、兄さんが買い取ってくれていたそうです。だからそんな風に隠れなくて大丈夫ですよ」

「そうですか……領主様が。先日は無礼な態度をとったと言うのに、寛大な方です」

 ソリアと兄が昨日、何を話していたのかはよく知らない。おそらく私に言ったように、教会の不正の内容について語ったのだろうが、検診術式で彼女の人となりを把握している私と違って、兄にとってソリアは初対面の奴隷だ。どうして私の部屋に送り込む気になったのか……私を元気づけるためと言っていたが、それであればもっと他にやりようがあったはずだ。

 興味はあるが、今考えることでもないか。せっかく朝食を部屋まで運んできたのだから、一度テーブルを囲んで、打ち解け合うことが先決だろう。

「朝ごはんを用意したんです。よかったら一緒に食べませんか」

 恩着せがましくないだろうかと、少し心配しながら、持ってきたプレートの中身をソリアに見せる。彼女はその中身に一瞬興味を示したが、徐々に冷ややかなものへと変わり、最後には顔を背けられる。

「貴い身分の方が食べるものを、私が食べるわけにはいきません」

 私の提案を、ソリアは拒絶した。

「その……私にソリアちゃんを奴隷として扱うつもりはありません。然るべき手続きを踏んだら、市民としての地位を用意するつもりです」

「どうして私に、そこまでしてくれるのですか」

 ソリアは俯いたまま、私に尋ねた。

「あなたはいつも酷い状態で来るので、ずっと気がかりだったんです。しかも誰かのために、リスクを負って私に会いにきました。だからこれまで苦しんだ分、幸せになってほしいなって」

 嘘偽りのない、自分の本心だった。貴族という恵まれた身分に生まれたからこそ、苦しみの中でもがく人を救わないのは怠慢だ。

 安心させようとソリアに微笑んでみせると、彼女は怪訝な表情を浮かべる。おかしなことは、言っていないはずなのに。

「娼館には、私よりも酷い目に遭っている人がたくさんいます。その中には、客に粗相をした私を守ってくれた人もいました。もし私が、その人を買い取って欲しいと言ったら、リアンシェーヌ様はどうするんですか」

「できる限りのことはします。乗りかかった船ですから」

「……そんなことしていたら、キリがありませんよ」

 奇妙な沈黙が流れる。なんだか騙されたような気分だったが、どうにもソリアは、私の対応に納得がいかないようだった。

「リアンシェーヌ様も、それはご存知のはずです。そうでなければ、あなたは手当たり次第に奴隷を買い取って、解放しているはずですから」

 ソリアの漆黒の眼が、困惑する私の表情を捉える。

「そしてそれは正しいと思います。あなたの前に偶然転がっていた人だけが救われるなんて、不平等ですし納得できません。奴隷という身分に落ち、それでも生きようとする人たちが、あまりにも報われない」

 私はどう返せばいいのかわからなかった。難しく考えず、楽しく過ごせばいいと、無責任なことを言いたかった。しかしそれは、何の反論にもなっていない。

「リアンシェーヌ様。私はみっともなく主人から逃げ出した挙句、リアンシェーヌ様におねだりまでしているのですよ。ですから私のようなものには、単に食えと命令すればいいのです。そうでないと、置いてきたみんなに私が顔向けできません」

 その言葉に、ようやく腑に落ちる。仲間を置いてここまで来たことに、ソリアは負い目があるのだ。だから私がいいと言っても、幸福な生活を送ることを受け入れることができない。

「ソリアちゃんは、優しい子ですね」

「卑しい身分であるのに、つまらない矜持を捨てられないのです。もう私には、これしか持つものがないので」

 それを持とうとする心そのものが、ソリアの優しさの証明であるのではないだろうか。だから私は、それを踏み躙らないように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「では、ソリアちゃんに私の友達となることを命じます。そういう格式ばった話も二人の時は禁止です。これも命令なので、文句はありませんね」

 今の私に、この隷属関係からソリアを解放する手立てはない。無理やり自由を与えたところで、彼女は自責の念に駆られてしまうだろう。

 だから、この関係のまま、友達になるのだ。少しずつ彼女が、自分の幸せを考えられるように、より近いところで、支えていけばいい。

「奴隷と友達になると言うのは……」

「二人きりなら、問題はないでしょう?」

 ちょうど、政治に関わらない友達が欲しいと思っていたのだ。同年代の女の子と話す機会というのは、よく考えればかなり貴重だ。

 何だか、私にとってもいい提案な気がしてきたぞ。

「それでリアンシェーヌ様が満足でしたら、従います」

 私がウキウキしていると、ソリアは呆れたように笑った。少し恥ずかしかったが、彼女の笑顔が見れたことは、私にとって偉大なる一歩であること間違いない。

「では、食べましょう!!うちには国内でも随一の料理人が雇われているんですよ。お母様は食べることが趣味だったので、節制趣味のお父様もこれだけにはお金を使うことを許していたんです」

 この笑顔が失われる前に、このご飯を食べさせてしまおう。彼女が納得できなくても、無理やり幸せにしてやるのだ。

 プレートにはサラダとスクランブルエッグ、付け合わせのハムとじゃがいもが乗っていて、主食にはクラッカーが用意されている。レモンのジャムやバターが別皿に添えられているので、クラッカーは甘味としても機能し、舌が飽きることがないエヴァイン家自慢の朝食メニューだ。

「ほら、早く食べてください。美味しかったらちゃんと感想も言ってくださいよ?」

 私より先に食べ始めることに抵抗があるようだったが、命令してしまえば、ソリアは逆らえない。矜持を持っているからこそ、前言を撤回したりはしないだろう。

 私はハムをフォークで突き刺して、ソリアの口元に近づける。

「では、いただきます」

 ソリアは嫌がりながらも、私の意図を察したのか諦めて口を開けた。

「……もぐもぐ。確かに、美味しいですねこれ」

「そうでしょうそうでしょう」

 ソリアは顔を顰めながらも、ハムを一切れ取って二度、三度と咀嚼する。そして徐々に表情が解けていき、最後にはきらりと瞳が輝いた。

「口の中で雪のようにとろけるこの食感……溢れる肉汁が唾液で解けて、咀嚼の必要がほとんどありません」

「うんうん」

 気に入ってくれたようで何よりだ。料理人を雇った母の嗅覚が認められて、私も鼻が高い。

「お野菜もかなり新鮮ですね。しかもドレッシングに水気があまりないので、野菜本来の瑞々しさが際立っています」

「うーん、食レポが……うまい!!」

 感想を求めたのは私だが、あまりにも具体的だ。料理の特徴を的確に比喩し、解説している。幾度となくお茶会に参加しお世辞を繰り返してきた私でも、ここまでの言葉は出てこない。

「ちゃんとした感想を述べろと言われたので、当然です」

 無表情にソリアは言ってのけた。

「リアンシェーヌ様も、早く召し上がってください。しばらく何も口にしていないのではないですか?」

「そうですね、そろそろ私もいただきましょう」

 ソリアの態度はやはりまだ堅い気がしたが、普通の人間関係でも会ってすぐに打ち解けられるわけではない。だから私も、彼女の配慮をそのまま受け取った。

「友達と一緒に食べるご飯は美味しいですね。ソリアちゃんも、そう思いませんか?」

 ふと気がついたことを、ソリアちゃんにも共有してみる。すると彼女は、ジトッとした視線を私に向けた。

「人が良すぎますよ……とても、心配になってしまいます」

「むむむ、それはまずいです。私が出来るってところを、これからたくさん見せてあげないといけませんね」

 これからソリアちゃんの頼み事をちゃんと叶えてあげないといけないわけだし、いいところを見せて安心させてやる必要がある。そもそも昨日なんて酷い状態だったし、イメージの改善は急がれるところだろう。

「やはり、心配です」

 私の決意も他所に、ソリアは小声で呟いた。

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