第7話 幕間:追葬する英雄譚2
夢は続く。私の理解を置いて、加速し、加速し、加速していく。坂道を転がる車輪のように、一人では止まることができない故に。
事態を聞きつけた神聖騎士団に保護された私達は、六賢塔に招かれ、そこで両親の死を知らされた。いきなりのことだったので、特に悲しくもなく、驚きもしなかった。きっと誰も共感できないだろうけど、姉様のことをどう説明しようか悩んでいた私にとって、それは気休めだったのだ。
姉様の身元は陛下が引き取ることになり、私は六賢の一人、アルカイド・ラグレイスに引き取られることになった。鮮血魔術を継承するラグレイス家はエヴァイン家と親戚関係にあたるため、私たちの身元を引き取る権利があると彼が主張したからだ。
姉様と離れ離れになるのは、私にとって耐え難い苦痛だった。今の姉様は、一人でご飯を食べることすらできないからだ。だから私は、姉様と同じところに連れて行ってと、王宮の使用人に頼み込んだ。
「そんなことを仰らないで。聖女様のご病気は、必ず陛下が治してくださるでしょうから」
使用人たちは、張り付いたような笑顔で私を励ました。離れ離れになるのは寂しいが、治癒魔術師としても名高い陛下ならば、姉様の症状も治せるかもしれない。だから私は、眩む意識を振り払い自分に言い聞かせる。不安で、気持ちが悪くて、何も考えたくなかったから。
日の当たらない、涼しい部屋だった。窓の外を見下ろせば、長い影が街に伸びていて、もし落ちてしまったらと思うと身体が震える。だから私は、お行儀よく、ベッドの上に座っていた。
「まあ、災難だったな。連合国も負けが混んできて、手段を選ばなくなってきたんだろうさ」
アルカイドは、この寒い中薄着で、平民のように薄いシャツを纏っていた。好青年ではあるのだが、茶色い顎鬚が生えていて、あまり清潔感はない。しかし、体格はかなり立派で、やはり剣士として優秀なのだろうと想像できる。
「そう、ですか」
「とはいえ、君は敵将の一人を討ったんだ。今日からは英雄として、胸を張って生活してくれ」
価値観の差だろうか。身内の不幸について慰めることもなく、アルカイドは、私を褒める。そんなもの私にとって名誉でもなんでもなかったが、神聖騎士団の長としては、評価しないわけにはいかないらしい。
「質問があるのですが、よろしいでしょうか」
「そう畏まらず、好きに喋れ。一時的とはいえ、今は俺たちは家族だ」
「姉様は今、どうしているのでしょうか。聖女を退任させられたと、噂を耳にしたのです。いろいろな事があってショックを受けているはずなので、落ち込んでいないか心配で」
姉様は今、知能のほとんどを失い、コミュニケーションを取ることすら難しい状況にある。その決定そのものは納得せざる負えないが、王宮での生活に苦しい思いをしていないか心配だった。
「陛下の意向で、術式の保管する仕事に従事することになったはずだ。今のグラース・エヴァインに聖女の仕事を務める能力はないからな」
アルカイドは無精髭を撫でながら、淡々と語った。予想だにもしなかった彼の言葉に、私の思考は数秒停止する。
「な、ななな、何を言ってるんですか。あ、あなた、何を」
私は思わず立ち上がり、アルカイドに詰め寄った。術式を保管する仕事とはつまり、妊娠と出産である。蘇生術式の後遺症で言葉すら理解できなくなった姉様に、悍ましい行為を強制させているということだ。
「術式の保管は、貴族に課された最も優先するべき義務だ。そう驚くことでもないし、悲観するのも王政への冒涜だぞ?」
「詭弁を垂れないでください……!教会の象徴たる聖女をそのように扱うなんて、信徒達も黙っていませんよ」
「外部に漏れなければ、問題にはならない。猊下からの承認も受けているそうだし、騒ぎを起こす者こそ不信心なんじゃないか?」
アルカイドはニヤニヤと笑うばかりで、私の怒りの一ミリも伝わっていないようだった。
「おいおい、俺の機嫌はとったほうがいいぜ。陛下の決定に意見できる人間なんて、六賢以外にはいないんだからな」
「それなら、私が媚び諂ったら、姉様を助けてくれるんですか。ねえ!」
私が叫ぶと、部屋に飾られて観葉植物の葉が大きく揺らいだ。するとアルカイドは大笑いを始め、私の頭にポンと手を乗せる。
「取引をしようじゃないか。俺の言うことをちゃんと聞けるなら、お前の姉を助けてやってもいい」
「取引……?」
「俺の騎士団に入れ。その魔術、その才能。上手く使えば、一千年続いたこの戦争をも終わらせることすらできるだろう」
分厚く大きい、大人の手。それが私の髪をかき乱し、視線が合うように頭を固定してくる。
「俺が信じられないなら、それでもいい。お前自身が騎士団で成り上がり、六賢に至ればいいんだからな」
そこで私はようやく、この男がどうして私を養育する気になったのか理解する。この男は単に、私を楽に使える武器か何かだと思っているのだ。
そして悔しいことに、その判断は間違っていない。
「それなら……もう一つ。条件を付けさせてください」
「ははっ!なんだ、言ってみろ」
「陛下に謁見する機会を用意して欲しいのです。もしそれが叶うなら、騎士団にでもなんでも入ってあげます」
目の前の男が嘘偽りない言葉を吐いているとしても、終戦を待っていたら姉様が傷物にされる未来は避けられない。姉様を救う手立てがあるとするなら、国王陛下に直談判し、自らの有用性を示す他ないだろう。
「……あまりいい結果にはならんと思うがな。まあ、明日にでも場を設けてやろう」
これは賭けだ。しかし、賭けなければただ負けるだけである。
血統の保管をそれほど重要視しているなら、私という人間の身体は、彼らに取って人質足り得るはずだから。
謁見の間は、思いの外質素な作りであった。血のように赤いカーペットが、真っ直ぐに玉座まで伸びていて、両脇には銀色の甲冑が並べられている。シャンデリアは天井を照らすだけに留めていたが、白く差し込む日光のせいで暗くは感じない。ただ、ひたすらに広く、もの寂しい空間だった。
玉座に座るのは、翼の生えた銀髪の少年。聖王シャグラン・シャイン・アズマリス。齢は1000を超えていると聞くが、その相貌はむしろ幼く、少女と言われても信じてしまいそうなほどの愛嬌に包まれていた。
両脇に控えるのは四人の男女、現存する六賢達である。右に立つのは見知った男、アルカイド・ラグレイス。その隣に立つのは私と同じくらいの背の少女……名前は確かルミナス・フレイン・アズマリスだったか。
左に控えるのは、二つの頭が生えた男。マリエル教の教皇にして開祖、フィロス・フレイン・ブリューダーだろう。片方の頭は若々しいが、もう片方は枯れ木のように置いていて、触れれば崩れ落ちてしまいそうだった。噂には聞いていたが、少々不気味な姿だった。
残る女は、女……でいいのだろうか。彼女には皮膚も体毛も存在しておらず、赤と黄の混じった汚らしい液体を全身から汚らしく撒き散らしている。右腕が二本、左腕が一本。身体のあちこちに剥き出しの目玉が生えていて、乳房は8個。頭は縦長で一メートルほどの高さがあった。消去法で考えれば、彼女がルミナス・フレイン・マリーエルであるはずだ。
目前のそれは正に魑魅魍魎であったが、私は極めて平静を装い、陛下の前で膝をついた。
「よく来てくれたね。アルカイド君から話は聞いているよ。私の決定に不満があるそうじゃないか」
単刀直入に、陛下は私の真意を問いた。下手なことを言えば殺されてしまうのではないかと、右手の震えが止まらない。
「僭越ながら、その通りでございます。陛下がお決めになった姉の処遇に、どうしても納得できないのです」
「それで?」
「姉は、この国の民に尽くし、多くの利益をもたらしてきました。多くの病と争いから人々を救い、国民からの支持も厚いと聞きます。そんな人物にただ子を産むことを強制させるのは、あまりにも報われません」
陛下は欠伸をしながら、その開いた翼を僅かに縮ませる。その視線もどこか上の空で、陛下は退屈そうだった。
「確かに、倫理は守るべきものだね。効率だけを重視するなら、アズレアは国という形を取る必要もないわけだし、尤もな意見だ。グラース・エヴァインの献身は、この国に大きな利益をもたらしてくれたと、僕も思っているよ」
「でしたら何故……」
その金色の瞳が、初めて私を捉えた。恐怖で体が硬直し、言葉が詰まる。
「君、グラースを蘇生する時に、頭以外の部位を使わなかったようじゃないか。魂は血に宿るんだから、それじゃあ治癒魔術は正しく機能しない」
急な話題転換に私は驚き、意図が分からず、言葉を待つ。姉様が後遺症を背負った責任は確かに私にあるが、ならばこそ、姉様へのアフターケアは重視されるべきだろう。あんな目にあったのだから、少しの休息くらいは許されるべきだ。
陛下が焦ったい喋り方をするので、私の方から意見を言おうかと口を開きかけた時。思ってもみない言葉が彼の口から飛び出した。
「あれはグラース・エヴァインではないよ。ガワだけうまく繕ったみたいだけど、中身はまるで別物だ。魔術規定の上では、彼女は単なる魔法生命体に過ぎない。つまりどう扱おうと倫理には反さないというわけさ」
姉様が姉様じゃない……?いや、確かに蘇生直後の姉様の様子は普通ではなかった。しかし、それは、あまりにも。
「それは極端が過ぎます!確かに私の蘇生は完璧ではありませんでしたが、それでも姉様の血と魂の一部が今の姉様に宿っています。使い潰していい理由にはなりません!」
「うるさいなあ。捨てるには惜しいから使おうという、クリーンな僕の発想が理解できないかぁ。人間ってのは無駄遣いが好きで困るよ」
「人は、使うものでは……!」
あんまりな陛下の物言いに、私は思わず立ち上がった。しかしその瞬間、まるで体を大きな手で押さえつけられているかのような重圧が私を襲う。
「黙りなさい、ネメジス嬢。あなたの行いは禁術指定の2と3、魂の汚損と複製に反しています。それを追及しない陛下の優しさに、まず感謝するべきでしょう」
教皇フィロスの実像が、無感情に私を窘める。するとフィロスの老いた虚像は、目を血走らせ激しく頭を揺らし始めた。
『やはり殺すべき異端!神聖たる器を穢すなど、看過できない大罪である!俺よ、今すぐに殺すのだ。それこそが神が意思、我が意思、死!死!死!』
一つの身体に二つの頭。乖離した彼らの相貌は、明らかな破綻を抱えていたが、それを指摘する者などこの場にいない。フィロスの実像は虚像の意思を受け取り、王であるシャグランの意見を求めた。
「……とのことですが陛下、殺してもよろしいでしょうか」
「ダメに決まっているだろう。僕が認可してるんだから、この子は無罪だよ。そもそも君だってたまに似たようなことしてるじゃないか、まったく」
『不敬!不敬!』
フィロスは肩を竦め、暴れる虚像を右手で押さえる。そんな二人を見かね、ルミナスはあざとく頬を膨らませた。
「そうですよぉ!エヴァインの生き残りを殺すなんてもったいないこと、しちゃダメです!器に欠陥があっても、中身を変えちゃえばまだ使えるんですからぁ」
ぶんぶんと腕を大きく振りながら、ルミナスは二人を責め立てる。するとマリーエルがその巨体を僅かに動かし、枯れ木のような左腕を彼女へ近づけた。
「それは勿体ないわ。彼女をフレイン家に招いたら、血の形が変わってしまうでしょう?今は耐え忍ぶ時よ」
化け物のような見た目のマリーエルだが、私を庇ってくれるようだった。しかし、ルミナスはそんなマリーエルに、両手で作ったハートを向ける。
「でもでもマリエル様。こいつ無礼です!せめて嬲りましょう!」
「そうねぇ。可愛いあなたが言うなら、中身の調整くらいはしておきましょうかねぇ」
マリーエルがルミナスに向けた手を引っ込めて、私の方に身体を伸ばしてくる。その急な手のひら返しに、私は慄き後退った。
「はあ……何でうちの役人たちはこうも考えなしばっかりなんだろう」
「陛下の身内贔屓の結果じゃないか?ちょーっとノリが激し過ぎて、俺みたいな新参は居心地が悪いぜ」
そんな私を他所に、陛下とアルカイドは他人事のように雑談を始めていた。化け物の三本腕がこちらを襲おうとしているのに、興味の一つも向けていない。
「ああ、怖がらないで。何もとって食おうと言うわけではないのよ。ただ、見える世界が一つ増えるだけ。それだけなの」
三本腕が私の腕を掴もうとしたので、我慢できずに私は魔術を展開する。帯剣は許されていないので武器も何もないが、それでも、抵抗の手段は私に残されていた。
鮮血魔術で指先の形状を変形させ、内骨を刃物のように加工する。この化け物の急所がどこにあるのかはまるで分からないが、上手く当てれば殺せるはずだと、私はその刃を———
「戻れ」
構築中の鮮血魔術が、「何か」によって掻き乱される。変形途中だった私の指先は気づけば元の形状に戻っていて、目の前にいたはずのマリーエルも玉座の横に立っていた。まるで時間でも巻き戻されたかのような、そんな神業だった。
「よし、みんな静かに。そもそも今日は彼女の嘆願を聞きに来ただけなんだから、まずはそれについて決定しようじゃないか」
陛下が仕切り直すように手を叩く。仕組みはまるで分からないが、様子からして陛下が、私たちに魔術をかけたのだろう。
「まあ、あの魔道生命体は、完全ではないがグラースの術式を保管している。聖女として運用できる可能性を考慮して、術式保管の任に着かせる計画は見送ろうじゃないか」
嫌な言い方だったが、私の要求は通っている。そもそも、こんな目に遭って今更反論する気にはなれなかった。私が何をしようとも、彼らは力づくで私を従えることができるのだから。
「ただ、代わりにネメジスちゃんには、エヴァイン家に一任していた仕事の全てをやってもらうよ。聖女の仕事も国防も、君の仕事だ。上手くいかないようなら権限は没収するし、アレへの対処も改めさせてもらう。いいかな」
「はい。寛大なるお言葉に感謝いたします」
私が頭を垂れると、陛下はにいっと笑う。
「それなら君は、今日からエヴァイン家当主だ。期待しているよ、とてもとても、ね」
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