幕間1:ネメジス・エヴァインの序章

第6話 幕間:追葬する英雄譚1

 夢を見た。

 雛が木の上の巣から落ちて、助けを求めて鳴いていた。私はそれを拾い上げ、怪我を治して押し上げる。優しい子だなんて言われたので、私は誇らしくなって、見栄を張って、自分にできる良いことを目一杯やってみた。だから私の夢は、お医者さんだったのだ。

 家の後継には兄様が、聖女には姉様が、エヴァイン家の人間の将来設計は、最初からすべて決まっている。自由なのは私だけで、夢を見ていたのも私だけだった。

「その力で、みんなを助けてね」

 誰かが、私の背を押した。


 パチパチと、屋敷の回廊が燃えている。拍手のように、ただ燃えている。

 歴史あるエヴァイン邸を燃やすのは、連合国の兵士たち。戦争では魔術師の数が勝者を決めるので、四大貴族の一角を担うこの家を、彼らは卑怯にも闇討ちしに来たのだ。

 私は、剣なんて握ったことがなかった。だから、真っ先に向かっていったのは兄様だった。

 きっと兄様は、英雄だった。真っ先に立ち向かって、真っ先に死んだ。兄様は英雄だった。

「こんなところで死んでは駄目よ。貴方には、やるべき事があるのでしょう?」

 私はただ、部屋の隅で息を潜めていた。廊下には火が回っていて、外にはたくさんの敵がいた。姉様は逃げようと言ったけど、私はそんな気になれなくて、崩れかけの屋敷に留まっていた。

「貴方には夢があるんだから、立ち止まってはいけないわ」

 逃げるには十分な時間があったなと、今更になって後悔する。しかし、もう遅い。据えてが既に、手遅れなのだ。

 ゆっくりと、扉が開く。私は咄嗟に、ベッドの陰に隠れた。

「……聖女グラース・エヴァイン、であってるかな」

 入ってきたのは1人の剣士だった。目は四つあって、背筋は大きく曲がっていて、まるで鬼のようだった。

 姉様はチラリとも私に視線を向けず、開口する。

「はい。いかにも。ところで、私はこの後どうなるのでしょうか」

「死んでもらう」

 姉様は、簡潔な返答に頰を引き攣らせた。しかし、それでも姉様は対話を諦めない。

「なぜ?連れて帰れば、治癒魔術師を産める母体が手に入ります。私はまだ、生きていたい」

「殺しても構わないと言われたんだ。だから殺す。君たちはそう、弱き者であるように見えて、実のところ、とても強いから」

「あなたの方が、ずっと恐ろしく見えますが」

「私は私の器を知っている。だから器に見合った身体を用意し、皆を安心させているんだ」

 四つ目をぎょろぎょろと動かしながら、剣士は血に染まった剣を重そうに構えている。

「君のその細い腕に、どれほどの神秘が詰まっているのか。ああ、恐ろしい。恐ろしい」

 ぶつぶつと呟きながら、落ち着きなく剣士は手を振るわせていた。

「私に戦う力はありません。治すことしか、私には」

「それを恐れず、何を恐れろというのだ!命のあり方を指先一つで変えてしまえるのだろう?何て、何て冒涜的なんだ!」

 剣士が剣を振り上げる。明らかに冷静さを欠いていて、今にも姉様を殺そうという様子だった。

「違います!治癒魔術は肉体を元の状態に戻すことしか」

「うるさい!!」

 剣が振り下ろされる。鮮血が舞う。姉様の首が、こっちに転がってくる。

「ひっ!」

 私は、悲鳴を押し殺すことすらできなかった。いや、ベッドの陰なんて隠れた内にも入らないのだから、悲鳴を上げようと上げまいと変わらないか。

「怖がらせてしまったね。君は次女、ネメジス・エヴァインだろう。知っているよ、聞いている」

 剣士の四つ目が私の身体を捉える。恐怖のあまり、指先一つ動かせない。開いた口が塞がらなくて、唇が渇いていく。

「治癒魔術を使えるんだってね。私を私ではない何かに変えてしまえるんだろう。恐ろしい、恐ろしい」

 視線を逸らせば、姉様と目が合った。その瞳に光はなく、揺らぐこともない。姉様はもう、生き物ではないのだ。

「痛い……」

 気がつけば、私の胴体は切り裂かれていた。止め処なく溢れる血は、私に熱と冷たさを静かに教えてくれる。

 早く、治癒魔術で治さないといけない。そうでないと死んでしまう。

 しかし、この状況、この火の海の中で、少しばかりの延命をすることに、一体どれほどの意味があるのだろうか。

『貴方には、やるべき事があるのでしょう?』

 ああ、姉様。そんな目で私を見ないでください。私はそれほど、熱心ではないのです。立派な風に、見られたかっただけなのです。

 だから、ああ……

 望まなくても、身体は生きるために勝手に動く。血に宿る術式が、私を生かそうと稼働し始める。ゆらゆらと溢れた血が蠢き、私へ還ろうと戻ってくる。

「やはり恐ろしい。心臓を貫かれても、まだ生きている。恐ろしい、恐ろしい」

 四つ目の剣士は発作的に苦しみ始め、頭を掻きむしる。悠長なやつだと、私は思った。姉様のことはあんなに急いで殺したのに、それより幼い私のことは舐め切っているのだ。

 私の中に、血が還っていく。魔術の出力を上げる上で、心臓だけは早急に再構築しなければならない。他の外傷の修復は、後で時間をかけて行えばいいのだ。故に今、私が最も行うべきことは。それは……

『鮮血術式展開』

 再構築した心臓は、肉体に血液を循環させる機能を有していない。ただ血液を、術式を増産させるだけのハリボテであった。しかし、それで構わない。魔術の影響を最も受けやすい物質は、血液であるのだから。

 剣士に指先を向け、そこに集う血管全てを統合させる。準備は整った。あとはここに、血液を流し込むだけだ。

「怖いなあ」

 剣士は急に平静を取り戻し、躊躇わず剣を私に向ける。その剣閃は、私の認知を飛び越え、凄まじい速度で迫ってきていたが、その剣が届くことはない。

『貫け』

 体内で過剰に生成された血液が、偽りの心臓によって押し出される。血が疾るのは、一本道。血管という砲台に乗せられた私の術式は、光速に迫る速度で指先から射出された。

 ———パンッ!!

 爆音の後に起きたのは、建物の倒壊。雲をも穿つ鮮血は、剣士の胴体に容易に風穴を開けた。しかし、私の方も無事ではない。人間一人を貫ける血圧を受けた血管は反動で弾け飛び、腕はありえない方向にへし折れている。

「お前……よ、よくも!」

 剣士の方も、死んではいなかった。胸には頭ひとつ分の穴が開いていて、肺の方も無事ではないだろうに、怒りの形相で私に吠える。

 もう一度、もう一度だ。剣士は唯一の武器である剣を落っことし、無視できない深さの傷を負っている。後一撃、当てれば勝ちだ。

『穿て』

 偽りの心臓も、射出台も破損が激しく使い物にならない。残された私の武器は、ここにぶち撒けられた血液だけだ。その術式に、残された魔力を全力で注ぎ込む。

 剣士の取った手段は、ステゴロである。剣を拾い上げることを諦め、手刀にて私の首を落とそうとしていた。

 しかし、その足元には、私の血液が池のように広がっている。私の方が、百早い。

 血液も私の肉体であるのだから、変質させられない道理はない。原始の時代、鮮血魔術は肉体を変質させる魔術ではなく……血を操る魔術として使われたのだから。

 火事場の馬鹿力というやつだろうか。血液の一滴一滴に、触覚があった。その全てが手足のように、自由に動いてくれた。

 血液は即座に、槍の形を取り……。忌むべき敵を足元から頭まで串刺しにした。

「勝った」

 そう、勝った。四つ目の剣士は、無様に血を撒き散らし、汚らしい肉塊に変わっていた。周囲には敵兵が何人もいたが、私が腕を振るえば、すぐに死んだ。司令塔を失った兵隊は無様なもので、バラバラな方向に逃げていった。

 気分がいい。人を殺していると、なんだかとても、気が紛れる。運動とか、嫌いだったけど……今はとても、とても気持ちがいい。

「姉様、兄様、見てますか!殺したよ!私が!仇を取りました!」

 気がつけば私は一人、死体の山に立っていた。これできっと、天国に行った兄姉も喜んでくれる。

『あなたは、優しい子ね』

 貫かれた心臓も、切り裂かれた胴体も、気づけば元通りになっていた。興奮も治って、だんだんと熱が引いていく。

『その力で、みんなを助けてね』

 ふと、思い出した言葉があった。気づけば私は屋敷からずいぶん離れたところにいて、それがひどく恐ろしかった。

『貴方には夢があるんだから、立ち止まってはいけないわ』

 ああ、そうだ。こんなことをしたって、きっと誰も、喜んではくれない。私があそこで、立ち止まらなければ、姉様はきっと死ななかったのだから。

 燃える瓦礫から、人間を探すのは途方もない作業であった。そもそも、人の形をしているものが見つからなかった。

「そこに居たんですね」

 姉様の頭を見つけて、私はほっとする。身体の方は見つからなかったが、それでも姉様の首元に血を垂らした。

『蘇生術式展開』

 少しずつ、姉様の体を復元していく。それは少しずつ、少しずつ膨らんで行って。元の大きさの人間に戻った。

 ドクンドクンと、新造された心臓が飛び跳ね、体が痙攣する。私が肩を揺すってみると、姉様は眠り目をこすりながら起き上がった。

「姉様……!」

 姉様はじっと私の顔を見て、ベタベタとほっぺを触った。それから赤ん坊みたいに無邪気に笑って、私の膝に倒れる。

「よかった。本当に……私、もう、一人になっちゃうんじゃないかと思って」

 安心して、嬉しくて、言葉も喋れなくなるくらいで、涙が止まらなかった。だから、姉様に慰めて欲しくて、私は言葉を待つ。

「あー?」

 姉様は呆けた。その声色は、どこか欠けていた。瞳の中にまるで知性を感じなくて……姉様は私の涙を指先で拭って、「きゃはは」と笑った。

「姉様。私、私がやったんですよ。悪い人たちは全部私が」

 何かの間違いだって、そう信じたくて。私は自分がやったことを、ひとつずつ報告していく。きっと、褒めて欲しかったのだろう。

 瓦礫から熱が引いて、雨が降り始めるまで、ずっと私達はそうしていた。

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