第2話 夢は輝きに満ち

 翌週、ソリアは再び私の検診に引っかかった。前回ほど酷い有様ではなかったが、それでもペースが早い。

 なんでもソリアは、アルマグループでも最下層の格安店で労働を強いられているようだ。贔屓目抜きに可愛い彼女がそんな場所で働かされているのは少し不思議だったが、アルマ曰く、どんな店にも看板娘は必要であるとのことだった。全く、反吐がでる。

 しかし、そんなやつの仕事の手伝いをしている私もまた、同類なのかもしれない。

 ソリアの剥き出しの背中に触れる。一度深いところまで魂の情報を収集しているので、あの不快な記憶を見せられることはなかったが、手のひらに伝わる温い感触は、容易に私の心を傷つけた。

「先週は、その、突き飛ばしてしまってすみませんでした」

 一つ念じれば、一瞬で治すことができるような軽度な病だった。しかし私は、流し込む魔力量を抑えて、ソリアに話しかける。

「お気になさらず。私のような下賤な身に慈悲を下さっていること、とても感謝しているのです」

 ソリアは抑揚のない声で私に視線を向ける。当然のことながら、私への印象は良くないようだった。

「そんなに自分を卑下しないでください。あなたは立派にーー」

 そこまで言って、私は言葉を詰まらせた。立派、とはなんだろうと、言葉の意味がわからなくなったのだ。少なくとも私は、彼女の仕事内容が立派なものだとは思えなかった。

「立派に、頑張っています」

「……それが気休めになるのは、私の方ではありませんよ」

 ぼそりとソリアは呟いた。私の励ましはかえって彼女の機嫌を損ねてしまったようで、返答もおざなりだ。

「ありがとうございました、リアンシェーヌ様」

 打って変わって、ソリアは礼儀正しくお礼を述べて、私の前から退いた。きっと昨日の対応を、アルマのやつに叱られたのだろう。不憫だと思った。けれど、何もできなかった。

 ソリアを買い取ることはできるが、それで救えるのは彼女だけだ。問題の解決にはならない。

 ───本当に?

 去っていく彼女にかけるべき言葉を、私は見つけられなかった。

「アルマ様、もう少し、この子達の労働環境を改善することはできないのでしょうか。こうも毎週、年頃の少女が悪いものをもらってきているというのは、気の毒でなりません」

 私の言葉に、アルマが髭を撫でる。

「改革が必要であるとは、私も考えてはいる。しかし採算の取れる手段がなかなか見つからないのだ。客に無償で治癒魔術をかけるわけにもいかないだろう」

 意外にも真面目な返答が返ってきた。しかしそれは善意によるものではなく、商売人としての合理であるように聞こえる。

「リアンシェーヌ嬢には劣るが、私も何人か治癒魔術師を雇い入れてはいる。うちの最上級店舗では病の予防と防止に努めているつもりだ」

「それは……知っています。ですが彼女のような店で働く人間は、そのような待遇を受けられてはいないでしょう」

「その通りだ。だからリアンシェーヌ嬢に依頼をしているのだよ」

「……怠慢なのではないですか。奴隷とはいえ、同じ人なのですから、良心をもって保護するべきでしょう。彼女たちの生活は、その保有者である者が保証しなければならないのですから」

 私が少し強く言うと、アルマは肩をすくめた。

「これでも大切に扱っているつもりなのだがな」

 苦笑いしながら、アルマは後頭部を掻いた。

「まあ、改善案を考えておこう。他でもない、リアンシェーヌ嬢からの要望だからな」

 物分かりが悪い子供を言い包めるかのように、アルマは言葉を並べる。結局のところ、彼にとって奴隷というのは、ただの消耗品にすぎないのだ。それはきっと、この国の人間の多くが共有する価値観でもある。

「そんな顔をしないでくれ。リアンシェーヌ嬢のおかげで、少なくとも私の奴隷たちは健康に過ごせている。まず君は自らを誇るべきだ」

 本気なのか、おべっかなのか。どちらにしろ良い気分ではなかった。

「私は、当たり前にやるべきことをやっただけに過ぎません」

 この男の商売に加担する行為だとしても、治療を取りやめる理由にはならない。今はただ、救える命を繋ごう。

 それが私にできる、最善のはずだから。

 ソリアの暗い、冷たい眼差しに、私は気づかないふりをした。


 アズレア王国には、六賢評議会と呼ばれる合議制の統治機関が存在している。三人の王族と血統・魔術ともに優れた三人の貴族によって構成されたこの機関は、千年前にアズマリス家によって考案され、アズレアの最高権力として現代まで引き継がれている。

 エヴァイン家は評議会への参入資格を持った四家の一角であり、母も二ヶ月に一度、議会に参加する。しかし、合議制を取っているのは形だけで、議会では王族が絶対的な発言権を有しているらしい。

 それでも、希望はある。国王に直談判できる機会なんて、そうそうないものだ。私がこの国の、エヴァイン家の腐敗を改善する手段は、手の届く距離にあった。これほど運に恵まれた人間は、きっと他にいないだろう。

 あとは私が、どれだけ本気になれるかだ。何が「物差しを用意しなければならない」だ。そんな顔をする前に、もっとあがいてみるべきだと、私は思う。

 脳裏に過るのは、一人の奴隷の姿。幸福な日常から、絶望に叩き落された少女のことだった。いや、彼女だけではない。自分の目に映る世界だけでも、この世界は絶望に満ち溢れている。

「お母様」

 アルマとの仕事が終わって、すぐに母を呼び止めた。

「私、六賢を目指すことにします。誰よりも正しく、誰からも認められる人になります」

 そう言われたから、そうするわけではない。私はただ、母を否定したかった。あんな顔で後悔して、諦めて、馬鹿みたいだと思ってしまった。

「だから、腐ったこの国の全部を、私が壊してやりますから、大船に乗った気持ちでいることですね」

 私は母に指さして、言ってやった。我ながら性格が悪いことをやっていると思った。それでも、黙っていることはできなかったのだ。

 すると母は、吹き出した。それから「頑張りなさい」と言って、私の頭を撫でる。

「さては、本気にしてませんね!」

 私がぷんすか怒りを露わにしてみると、余計に笑う。付き人のベンジャミンも失笑していて、私は非常に遺憾だった。

「熱心なのはいいことです。しかしお嬢様、六賢への道は厳しいですよ。御坊ちゃまも努力していることですし、ね」

 ベンジャミンは、尤もらしいことを言ってみせる。しかし実際、兄の存在は私の野望を阻む大きな障害だった。

「わかってます」

 遠くで、カンカンと木工大工みたいな音を鳴らす男たちがいる。息を荒げる金髪の好青年と、片手で木刀を振り回す黒髪の武人。私の兄、アリオト・エヴァインと、父ドゥーべである。

 窓から身を乗り出して、庭園の方を睨む。兄はだらだらと額から血を流しながら、木刀を構え、父の攻撃を捌いていた。六賢への推薦資格を得るために、兄は父からラグレイスの魔術と剣術を文字通り叩き込まれているのだ。

「ちょっと行ってきますね」

 私は窓を飛び越えて、庭園を走った。父はこと魔術に関して容赦がなく、母の治癒魔術があるからと、何度も兄を再起不能にさせている。あんな様子では、またすぐに倒れてしまうだろう。

 風を切る音と打ち合う音が交互に響く。その剣閃は残像すら残さず、鍔迫り合いの瞬間に数秒姿を表す。全体重を乗せた兄の一撃を、父は片手で凌ぎ弾き返す。押し退けられた兄は重心を崩し、追撃に対応できなかった。高速の突きが、兄の鳩尾に入る。堪らず兄は嘔吐し、庭園の芝を汚した。

「兄さん……!」

 私は兄を庇うように間に入り、治癒魔術を展開する。治癒魔術は病よりも怪我の治療に向いている。単純な裂傷や骨折などは、修復箇所と手段が明確であるため、検診術式をスキップして直接魔術をかけることができるからだ。

「あ……うぅ、すまない」

 兄は呻き声を上げながら、悔しそうに涙を浮かべていた。見た目よりも酷い怪我だ。肋骨が数本折れているし、足の腱も切れている。何より、出血量が多すぎた。私がすぐに魔術をかけたから大事には至っていないが、これではいつ死んでもおかしくない。

「お父様。やりすぎではないですか」

「お前を信頼している」

 答えになっていなかった。そもそも私がここに来たのはついさっきで、兄の怪我はそれ以前に負ったものである。それに、これはただの暴力だ。

「……お前は戦を知らん。いや、一生知り得ないだろう。だから剣士として必要不可欠なこの儀式を理解することができない」

「今この国は平和です。確かに戦に備えることは重要ですが、そう急ぐことはないでしょう」

「六賢には武勇が必要だ。そしてアリオトは六賢にならなければならない」

 父の木刀には、黒ずんだ血液が付着していて、まだら模様のシミが不気味だった。

「起きろ。もう傷は癒えただろう」

「は、はい。お父様」

 父が凄むと、兄は無理に立ちあがろうとした。

「ダメです!今日は兄さんには休んでもらいます」

 私の治癒魔術はまだ終わっていない。命に関わるような重要器官の修復こそできているが、折れた骨はそのままだし、それに……

 兄は、震えていた。

「必要なことだと、今説明したはずだ。エヴァイン家の方針に逆らうというのか」

「します。このままでは兄さんは折れてしまいますから」

 私はキッパリと、自分の意思を宣言した。それがどんな結果をもたらすとしても、父の凶行を見過ごすことはできなかった。

「……良いご身分だな」

 私に向けた言葉ではなかった。その視線の中には、震える兄の姿が映っている。

「ほら、いきましょう。全部を治すには、少しかかりそうですから」

 私は兄をおんぶして、屋敷へと向かった。別にその場で治療しても良かったのだが、小言を言われると嫌だし、父と兄をこれ以上一緒に居させるわけにもいかなかった。

「すまない、リア……」

 兄は恥ずかしげに謝った。私の肩を掴む手に、僅かながら力が入る。

「でも、父さんが正しいよ。僕はもっと、強くならないといけないんだ」

 まったく、助け甲斐のない人だ。お礼もなしに、文句を垂れるなんて。

「今は、そうかもしれませんね」

 ここはもう、言ってやらねばならない。兄のしょぼくれた顔を見るのは、いい加減飽き飽きだった。

「でも、六賢には私がなるので、兄さんの頑張りは今に無駄になっちゃいますよ」

「はは!リアも冗談とか、言うんだな……」

 派手に笑うので、私は兄を落っことしそうだった。でもカッコつけたいので、手放さない。

「応援するよ。夢はきっと、大きいほうがいい」

「言われるまでもないですね」

 私は思い切り胸を張って、兄を背負い直した。

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