エージェント緑畳繁晴

たたみや

第1話

「いんきんたむしですなあ」

「どこ見て言ってんだジジイ! いいから右手のささくれを見てくれよ!」

「ジョークなのに」

 エージェント緑畳繁晴りょくじょうしげはるはとある中山間地域に病院を開いている老医者だ。

 ハゲ頭で口ひげとあごひげがすごい、いかにもな老医者である。


 対する患者は大柄太めの男で地域の林業に従事しており、商品の薪割りをしていた時にささくれが刺さってしまったらしい。

「どれどれ見せてみてくれ。この赤く腫れたところだな」

 繁晴の診察が始まった。

「細かいのがまだ残っとるな。場合によっては傷を開いて取り除かねばならんがいいな?」

「ああ、とっととやっちまってくれ」

 患者がそういうと、繁晴はすぐに手当てを済ませてしまった。

 熟練の技術が光る。


「傷口は絆創膏を貼って包帯で巻いておくから、風呂にはつけんようにな。あと酒もやめとくように」

「へいへい、こんなんどうってことないのによ。労災だ労災だって」

「労災隠しとへそくり隠しは犯罪じゃぞ!」

「へそくりは別にいいだろ! むしろ隠すもんだし。まあ確かに、社長から労災だから診てもらうんだぞと念を押されたな」

「社長がそんな風に言ってくれてるってのに、産業医は何やってんだ!」

「お前だよ! この町はここしか病院ないんだから」

 この地域は正直限界医療が進んでいる地域だ。

 他の病院を受診しようと思うと町から遠く離れる必要がある。


「えーと、佐伯裕太朗さえきゆうたろうさんね」

「はい」

「ワシの人生の中で『ゆうたろう』と名の付くものにロクな奴はおらなんだ」

「ド偏見じゃねえか! 全国の『ゆうたろう』さんに謝れ!」

 繁晴のしょうもない独白に裕太朗がキレる。

「この後ってさ、ただの診察なんだろ。若者相手なんだしちゃちゃっと済ましてくれよ。そのカルテって奴もさー、ミミズがほうたような字で適当なこと書いてんだろ?」

 などと四十代中盤の男が供述している。

 周辺住民の中では確かに若いのかもしれないが。

 地域の過疎化は住民の精神にもある種の問題をきたすのだろうか。


「若者らしく、か」

「ああ」

「へい彼氏~、何歳? どこ住み?」

「ああ、俺が悪かったよ! 普通にやってくれ」

 ついに裕太朗のほうが心折れてしまった。

「じゃあ、お休みの日は何をされているのかね?」

「こんな田舎にいてもしょうがないからな。都会へ繰り出すぜ」

「ふーぞくおじさんっと」

「おいジジイ! カルテに何書いてやがる!」

 裕太朗が繫晴を止めようとする。

 もしかしたら図星なのかもしれない。


「そんならじいさんはどうなんだよ? 趣味とかあんの?」

「昔は人気声優のラジオを良く聞いとった。じゃが耳が遠くなった今は……」

「もう聞いてねえのか?」

「補聴器つけて聞いとる。なんなら映像つきのも見とる」

「ドハマりじゃねえか!」

 裕太朗の振りに対して見事に繁晴が答えて見せた。


「でもさ、それちょっと信じがたいんだよね。証拠見せてくれるか?」

 裕太朗が意地悪そうな顔で繁晴に質問する。

「ねるねるねるねをご飯によくかけて食べるんですよ。ドヤ、わし今時じゃろ?」

「何となく言いたいことは伝わって来たんだけどさ、もし俺が全く分かってなかったらどうしてたんだよ?」

「老人の戯言だと思って聞き流してくれ」

「そういう所はきっちり老獪なんだな」

 老人としてのスキルをいかんなく発揮する繁晴を見て、裕太朗が感心していた。


「あれじゃな、独身同士話が合ったな」

「じいさんも独身なのか?」

「実質独身みたいなもんさ。妻には先立たれ、子供たちは家を出てから一度も顔を見せんしな」

「マジかよ!」

「今日はしがないじいさんの相手してくれてありがとうな。嬉しかったよ」

「じいさん」

「これは良かったら受け取ってくれ。お礼じゃ」

「じいさん、この薬って?」

「患部に腫れやかゆみが出たときにだな」

「だからいんきんたむしじゃねえつってんだろ!」

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エージェント緑畳繁晴 たたみや @tatamiya77

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