物語の箱
朝飯抜太郎
物語の箱
2014年2月10日 6時10分頃
真田妙子は、自宅近くの砂浜のゴミ拾いをしていた。町内会が主催するボランティアイベントの一環だった。
そこで、妙子は、その箱を拾う。
砂浜からの帰り道、町内の知り合い何人かと出会い、拾った箱を見せている。
箱は寄木細工のようで、幾何学模様が何種類も散りばめられていた。木製のようだったが表面にはツヤがあり、色もカラフルだったと、妙子の知人は言った。
箱の中身は、誰も見ていない。
2014年2月10日 7時50分頃
真田家の長女、真田
景が「それ、どうしたん?」と聞くと「海で拾った」と妙子は答えた。
景が「汚くない? ばい菌とか」と言うと、「だから、こうして洗ってるんやん」と妙子は言った。
それきり景は何も言わず、用意された朝ごはんを食べて、大学に通学するため家を出た。
父親である真田隆之とは会っていない。彼が寝室のある2階から降りてくるのはもっと遅い。寝ているのではなく、朝5時に起きて、仕事を始めている。彼は、地元で有名な〇〇建設の相談役であった。出勤は自由で、通常午前中から在宅で働いていることが多かった。
2014年2月10日 11時10分
真田隆之が自室で死んでいるのが発見された。
死因は頭部挫傷。凶器は灰皿。部屋が荒らされており、部屋の金庫が空いていた。昼ごはんの相談をするために自室を訪れた妙子が発見。通報。
2014年2月13日 17時20分頃
町内の別の家で空き巣に入ろうとしていた武市翔真(21)が現行犯逮捕された。
同日、真田隆之の殺人についても自供。警察は両方の事件について捜査を行い、余罪を追及し、武市翔真を強盗殺人および空き巣で立件した。
2014年4月10日 16時21分頃
帰宅した真田景が、妙子の姿が見えないことに気づいたが、買い物にでも出ているのだろうと気にせず部屋に行く。
真田家の子供たちは全員が家の合い鍵を持っていた。
2014年4月10日 19時13分頃
妙子がいないことに、真田家・次女 真田 凛華が不審に思い、近所に住む真田隆之の弟・真田
真田晃と、その息子龍二が近所を捜索するが見つけることはできなかった。
2014年4月10日 21時42分頃
真田晃が警察に連絡。交番の巡査らに捜索されるも発見されず。
その中で、駅で電車に乗る妙子の目撃証言があり、妙子が自分で家を出た可能性が示唆される。
2015年9月10日 21時42分頃
1年が経過しても、妙子から連絡はなかった。
真田家の子供たちは、真田晃が後見人として引き取った。
2017年6月24日 13時15分頃
真田景から依頼を受け、私立探偵として、私は旧友である妙子の調査を開始する。
よく私のことを覚えていたね、と言うと、真田景はバッグから取り出したスマホを差し出して見せた。妙子が残したスマホの履歴で最も新しいのが私だったという。
意外だった。私は妙子と仲は良かったが、親友と言うほどではなかった。お互い、クラスのカーストでは下の方、ぽっちゃり体型でマンガ好き、そんな共通点に親近感を感じて、良く一緒にいただけだ。
私には未だに連絡をとる友達はほとんどいないが、彼女は違うと思っていた。彼女は早くに結婚し、子供をもうけ、しっかり稼ぎのある旦那と幸せに暮らしながら、地元のボランティアの仕事など精力的に活動していたはずだ。
「母を探して欲しいんです」
真田景は、美しかったが、どこか陰のある女性だった。
気にさわったら、ごめんねと前置きをして、どうして、いまさら? そう聞くと彼女は、箱が、と言った。
「あの頃、父が死んでから、母は少し人が変わったようでした。いつもぼんやりしていて、会話も心ここにあらずって感じで……病んでいたんだと思います。無理もないと思うし、私も余裕がなかった。だから、いなくなってしまったとき心配したし寂しかったけれど、どこかで元気でいてくれたらそれでいいと思ったんです。冷たいですよね」
そんなことはないよ、と言えなかった。私は、彼女の気持ちがわかるようでわかっていない。
「でも、最近、あの箱のことを思い出して。もしかして、あの箱が。バカみたいな妄想なんですが、あの箱があの母をさらっていったような気がして」
とにかく、もう一度会って話したくなったのだと景は言った。
心にそれだけの余裕ができたということなのか。
「お願い、夕子おばさん。料金はちゃんと払います。お母さんを探してください」
私は依頼を受けた。
真田景に情が湧いたわけではない。
私も妙子の事が気になっていた。
2016年2月24日
T県のS町を、妙子と思わしき人物が訪れている。
妙子は梶と名乗り(梶は妙子の旧姓)、S町の民宿で、住み込みで働き始める。
2016年7月29日
妙子は民宿をやめ、姿を消した。
妙子を雇っていた村上夫妻は、妙子について概ね好感を持っていた。
町から電車で40分のS市で、妙子はボランティア活動をしていた。
病院が主催する、心に傷を持った人々が集まるワークショップでその手伝いをしていた。参加者の何人かから、彼女が箱を持っている姿が記憶に残っているという話を聞いた。
彼女はいつもその箱を持って話を聞くと、涙を流して離せなくなった参加者に箱を渡した。箱を持つと、何だか安心した気持ちになり、話をしやすいのだとその元参加者は言った。
1992年2月
その箱は、Y県に住む木工作家
南木は三人の孫へのプレゼントとして箱を作った。
そして、その夜に死んだ。
2000年1月
それなりに有名だった南木の作品は、家族により処分され、箱もまた孫により転売された。
2017年9月12日
F県F市で、箱を用いる宗教団体についての逸話がネットの掲示板に記載される。
妙子についての調査が手詰まりだったこともあり、調査に行く。
そこで、思いがけずあっさりと、妙子と出会った。
妙子は薄く微笑むように私を見て言った。
「久しぶりねぇ」
「そうやね」
妙子の姿は以前と大きくかわらず、服装も上品ではあったが、高そうでもなく普通で、宗教団体と言う言葉とはかけ離れた姿だった。
だが、妙子の座るソファの後ろの棚には、あの「箱」が置かれていた。
私の視線は箱に注がれていた。それに妙子も気づいていた。
「夕ちゃんも、気になる?」
そう言って、後ろの箱を手に取り、膝の上に置いた。
「気になるね」
「そう。みんな、この箱に惹きつけられるんよ。何なんやろうねぇ」
妙子はそう言って、また微笑んだ。
私は少し、その余裕に苛ついた。真田景の陰のある眼を思い出した。
「妙ちゃん、もしかしてやけど」
妙子は首を少しかしげる。そう、たまに少女のような振る舞いをする女だった。そして、それが許されていた。私は、それが好きではなかった。
「旦那さん、殺した?」
2014年2月10日 4時10分頃
武市翔真は真田家に侵入し、書斎を物色しているときに、起きてきた真田隆之と鉢合わせし、とっさにその場にあった大理石の灰皿で隆之を殴り倒した。
だが、そのとき隆之は死んでいなかった。
無力化した隆之に金庫を開けさせ、現金を奪った後、もう一度、隆之を殴り、殺したという。
しかし、武市翔真は殺すつもりはなかったと供述したという。
「私も、武市翔真は殺すつもりはなかったのではないかと思ってる。普段の彼の評判からすると、彼は滅茶苦茶ビビりやったから」
ふうんと妙子は相槌をうつ。この余裕は何なんだろう。私は続ける。
「夕ちゃん。隆之さんは、優しかった?」
妙子は微笑みながら、首を振った。
「厳しい人やったよ」
「厳しすぎやろ」
隆之は妙子にとって良い夫ではなかった。真田景の話によると、彼は家では絶対君主のように振る舞い、妙子を召使のように扱った。娘にも同じように厳しかったが、血を分けたからなのか、甘い所があったという。景は、両親のどちらとも好きになれず、距離をとった。隆之は景に厳しく接したが、距離をとられると近づいてはこなかった。
妙子は金銭的にも時間的にも隆之に支配されていた。外面のために町内会やPTAや、会社の様々なイベントなど、様々な活動に妙子を巻き込んだが、彼女自身の自由な活動は制限された。そして、たちが悪かったのは、面倒な役を引き受ける真田隆之の周囲からの評判は悪くなかったことだ。
妙子は男の見栄に振り回され、子供からは見捨てられ、人生を食いつぶされた。
私も同じだ。早くに離婚し、知人の紹介で飛び込んだ私立探偵と言う仕事は、母子家庭には辛すぎる仕事だった。激務の中で、私の子供との心もも離れて言った。
「証拠はあるん?」
「ない」
「ほな、あかんやん」
「別に私は警察やないしな。でも景ちゃんは気づいてるで。昼になるまで、お母さんがお父さんの部屋に入らないのはありえないと知っているから」
隆之はルーティンを持っていた。朝7時のコーヒー。朝10時に朝食。全て妙子の仕事だ。
その日だけ、なぜ妙子は11時になって部屋に入ったのか。
「そうかぁ。気づいてたんやね、あの子」
私は悲しくなった。少なくとも景が期待していたものは、ここにはない。
妙子が箱を撫でた。それは、ごく自然な、癖のような仕草に見えた。
私はそこから目を離せなかった。
なぜ、妙子は隆之を殺したのか?
絶好のチャンスだったから? 強盗が入り、夫が殴られている。完全犯罪が可能だ!……そんなことを普通思うだろうか。
普通なら、そう思っても、警察や救急車に電話するだろう。
なぜ、なのか。
箱があったから、じゃないのか?
非科学的な妄想に私は囚われているだろうか。
普通の主婦が、人を殺し、姿をくらました先で、人を惹きつけて、宗教団体まで作るなんてことができるわけがない。
あのとき、真田景の依頼を引き受けた時。私は妙子ではなく、妙子を変えたものに興味を持っていた。そして、真田景も、そうだったのではないかと思っている。妙子ではなく、妙子を導いた箱を探したいと思ったのではないか。
「その箱、何が入ってるん?」
私は衝動を抑えきれずに聞いた。私も見たい。その中身を。
うふふ、と妙子は笑った。中学の、あの彼氏ができたと、私に告げたときのように。
妙子は箱の模様を指で押した。思った通り、それは秘密箱だ。一定の手順で木を動かすことで、開くようになっている。
「どうぞ」
あっさりと、妙子が私にみえるように差し出したそれを、私は食い入るように見つめた。
そこには。
そこには、何もなかった。
私は手を箱に入れて、探った。何もない。
「何もね、ないんよ」
「うそ……」
妙子は笑う。
「夕ちゃんは変わってないねぇ」
箱には何もなかった。
夕子はどうして。
「夕ちゃん、隆之さんが死んだのは何時?」
「……警察は、朝5時から9時の間って」
「私が隆之さんを殺したのは5時よ。全然起きてこないから気になって開けたら、倒れてたの」
「え? でも、妙子、6時に砂浜で……まさか……隆之さんを殺してから、砂浜に行ったの?」
「うん。ボランティアは私がやりたくて始めたんだから、それだけどうしてもやっておきたくて」
殴られたような気持になる。
妙子は人を殺してから砂浜に生き、ゴミを拾っていた。そして箱を拾った。
そして、箱には何もない。
「みんな、物語が大好きなんやねぇ……私にはよぅわからんわ。私が隆之さんを殺したのはね。今なら届くなあって思ったからよ。あの人、背が高いでしょ。それが頭を打ってはいつくばって、隣に丁度良いくらい硬いものがあったから……」
それからの記憶はない。
私はいつの間にか家に帰っていた。
真田……梶 妙子の行方は知らない。
真田景には見つからなかったと報告をしよう。結局、私達の欲しいものは見つからなかった。
私のこれからも、やはりわからないままだ。
物語の箱 朝飯抜太郎 @sabimura
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