あの日もみぞれがふっていた。

みかんねこ

永遠に失われた機会。


 ザァァァァ…………


 外では雨と雪の混じったみぞれが降っており、気温は下がる一方である。

 3月に入ったとはいえ、まだまだ春は始まったばかりだ。


 時刻は15時を少し過ぎた頃ではあるが、悪天候の為薄暗くどことなく陰鬱な空気が漂っている。

 こういう時は否が応でも、この家の住人が自分しかいないと認識させられる。




 カチ…カチ……カタカタ……


 マウスとキーボードの打鍵音だけが鳴り響く。



「はぁー……」


 手を止めて大きなため息を吐き、天井を見上げる。



 締め切りが近い仕事が幾つかあるのだが、どうも集中しきれない。


 原因は分かっている。




 ……くそ、こんな天気の時は嫌でもあいつ等の事を思い出しちまう。

 もう10年以上経つというのに、まだ俺は呪縛に捕らわれたままだ。


 忘れるべきだ。


 もう、忘れてしまい前を向くべきなんだ。


 だが、忘れたつもりになっていても、みぞれが降る音を聞くとどうしようもなく心が



 ずっと前に止めたはずの煙草が欲しくなる。

 勿論買い置きも無いので吸う事はできないのだが。



 ……コーヒーでも淹れるか。


 ここらで気分転換が必要だろう。

 最悪さっさと寝てしまって、早起きして仕事を進めた方が捗るかもしれない。


 そう思い立ち上がった時、玄関から声が聞こえた。



「おじさーん! おじさんの可愛いカノジョが遊びにきたよー!」


 カノジョじゃねーよ!


 あのボケカス、なんつーことを玄関で言いやがる……!

 近所のオバさんに聞かれていたらまた通報されちまうダルォォォ!?


 居留守すべきか……!?


 玄関に向かう事を逡巡していると、少女は更に声を張り上げる。


「おじさん、いるのは分かってるよォー!? 開けろ! 美少女警察だ!」


 ドンドンドン!


 玄関が叩かれる。



「あぁもう! あいつはッ!」


 放っておくとえらい事になりそうだ、一刻も早く奴の口をふさがねば……!



 ドスドスと走り、玄関を開ける。


「お! やっと来た! ……ってなんか顔色おかしいけど、何かあったの?」


 顔を合わすなり、馴染みの少女が心配そうに言う。

 ……そんなに顔色おかしいのか。


「……とりあえず入れ、近所に誤解されるだろ」


「うへへ、お邪魔しまーす」


 もうすっかり慣れた動きで靴を脱ぎ、リビングに向かう少女。


「……はぁ」

 あいつはこっちの事情なんてお構いなしだな……。




 彼女はソファに座り、鞄からクッキーを取り出しはじめた。


「今日はねー、チョコチップとー……───」


 先日貰ったクッキーを美味しいと言ったところ、毎日持ってくるようになったのだ。

 流石に毎日食うと余計な肉が付きそうなんだけど、断るのもちょっと悪い気がする。

 難しい。


「……コーヒーでいいか?」


 どうせ一休みするつもりだったのだ、多少はお喋りに付き合ってもいいだろう。


「……ほんと今日はちょっと変だよ、おじさん」


 彼女の言葉は聞こえない振りをした。




 ザァァァァ…………




 みぞれはまだ降り続いている。



 コポポポポ……


 ミルで挽いたコーヒー豆にお湯を注ぎ、抽出する。

 部屋に香ばしい香りが漂い、心が少しだけ落ち着く。

 不思議とこの匂いを嗅ぐと穏やかになれる。


「んで、おじさん何か悩み?」


 ぼりぼりとクッキーを齧りながら、ずばりと踏み込んでくる少女。

 彼女の辞書には駆け引きと言う単語は存在しない。


「……悩みと言うか。みぞれが降る音を聞くと少し昔を思い出すんだよ」


 誤魔化しても喋るまで追及されるだけだと、俺はこれまでの付き合いから知っている。


「ほほう、その感じだとあんまり良い思い出じゃないみたいだね」


 興味があります!という顔でこちらを見ている。

 ……これは喋るまで帰らない顔だ。


 はぁ……。

 溜息を一つ。


「言っておくが、面白い話じゃねぇぞ?」


「おじさんが面白い話をしたことなんてあったっけ?」


 こいつ……!


「ンな事言うなら何も話さねぇぞ?」


 俺の怒りを感じ取ったのだろう、彼女は慌てて頭をさげた。


「ごめんなさい! すごく興味あります!」


 ……はぁ。

 再び溜息。


 俺はソファから立ち上がり、ドリップし終えたコーヒーを手に取りマグカップに注ぎながら話し始めた。


「昔、婚約者がいたんだよ」


「……ほう?」

 いきなり視線が鋭くなる少女。


 俺は気にせず話を続ける。


「彼女は同じ会社の同僚だった。仲は良かったと思うよ。……ある日、彼女は女友達と遊んでくるって言って出かけたんだが、向かった先で事故にあったんだ」


 忘れたくても忘れられない、あの日の事はよく覚えている。


「……事故」

 興味本位で聞き出したことを後悔しているのだろうか、申し訳なさそうな顔をしている。


「そう、交通事故さ。割とよくあるカーブを曲がり切れずって奴だ。あの日は今日みたいにみぞれが降っていたから、スリップでもしたのかもしれないな」


 コーヒーを一口飲む。

 苦みと酸味がバランスよく口に広がり、豊かな芳香が鼻孔を満たす。


「その事故で、婚約者は帰らぬ人になった。だけど、それだけじゃなかったんだ」



 あの時の感情は何とラベルすればいいのか今でも分からない。

 どす黒く、苦く、痛い。



「車に同乗者が居てね。そいつは俺の親友だったんだ」



「……ん? おじさんの親友って……男の人?」

 首をかしげる少女。



 何で分かるんだよ。



「そうだ」


 短く答える。






「……浮気?」

 少女が眉間に皺を寄せ、ポツリと呟く。


 まぁ、そう思うよな。

 俺もそう思ったし。

 女友達と遊ぶって言ってたのに、アイツの助手席に乗っていたって事はそういう事なのかもしれない。


 だが。


「分からん。そいつも一緒に死んじまったからな。もう、その疑問に答えることが出来る奴はいないんだよ」


 そう、その問いの答えを知る機会はもう永遠に失われたのだ。


 婚約者に浮気されていたのならば、怒って婚約破棄だけで済んだだろう。

 死んだだけなら、悲しむだけで済んだだろう。


 だが、納得できないまま逝かれたら、俺はどうしたらいいんだ?


「それからずっと俺は消化不良だ。真実を知る機会は失われ、俺はずっとモヤモヤしたままだ。逃げるように仕事を辞め、地元に帰ってきて……最近はあんまり思い出さなくなってきたが、それでもこんなみぞれが降る日はどうしても思い出しちまう」




「……親友と恋人を一度に色々な意味で亡くしちゃったんだね」



「……まぁな。我ながら女々しいとは思うよ」



 クッキーを1枚手に取り、齧る。


 抑えられた甘みが口に広がる。

 ……俺の好みの味だ。


「旨い」


 そんな俺を見て、柔らかく微笑む少女。

 大人びた表情におもわずドキリとする。

 まて、こいつはまだガキだぞ。


「色々腑に落ちたよ、おじさん。不景気そうな顔も、人との関わりを出来るだけ避けようとするその姿勢も」


 ぐいと身を乗り出し、彼女は続ける。




「怖いんでしょ? また裏切られるのが」




「……ッ」



 思わず息を飲む。

 そう言う気持ちがないとは言えない。



 だって、嫌じゃないか。

 辛くて苦しいじゃないか。



「大丈夫、私は裏切らない! おじさんに受けた恩は必ず返す! 例えおじさんが間違った事をしても、私はおじさんの味方をするよ」



 彼女はそう言って笑い、胸を張る。



 不覚にも目頭が熱くなる。

 ……こんなガキに見透かされ、その上嬉しくなってしまうなんて不覚だ。



「……悪い事してたら止めるのが普通じゃないか?」

 照れ隠しで突っ込む。



「ふふん、止めるのは誰でもできるでしょ。そういう時に味方になってくれる人こそ、本当の友達なんだよ」


 朗らかな笑みを見て、なんとなく可笑しくなる。



 言っている事は無茶苦茶だ。


 無茶苦茶だが。




 嬉しいものだ。




「……ありがとよ」


 小さく、答えた。






 いつしかみぞれは止み、雲の切れ目から太陽の光が見えていた。


 春は、近い。

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あの日もみぞれがふっていた。 みかんねこ @kuromacmugimikan

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