ささくれ
洞貝 渉
ささくれ
「いいか、これはお前のために言っていることなんだぞ」
頭に乗せられた大きな手が、無遠慮に左右に動かされ、首ががくんがくんと動く。
笑顔を張りつけたまま、聞いているのか、ちゃんと理解しているのか、と言葉を続けるので、絞り出す声ではいわかりましたと答える。
なあなあ、と笑みを含んだ落ち着きのない軽薄そうな声音で指のささくれが声をかけてきた。
オレを消す方法、知りたくないかあ? 簡単なことだぜ、なあ?
和やかな雰囲気の家族が横を通る。張りつけた笑顔ではない、もっと自然な笑みの親と、楽し気にしている子どもが今日の夕飯について話している。
何が食べたい? ハンバーグがいい! そう、じゃあハンバーグにしようか。ハンバーグ、作るの手伝うよ! あら、それは助かっちゃう。じゃあ、今日はみんなでハンバーグ作ろうな!
頭の手が肩に移動する。
「宿題が終わったら、塾の課題。それが終わったら予習復習をしてから今日は英会話の日だったな」
はい。
「しっかりやれよ。全部お前のためなんだから」
はい、わかりました。
「無理だって、どうせお前じゃ、できねーよ」
数人分の笑い声が弾け、その分だけ教室内が少しにぎやかになる。
「夢見るなって。お前のためを思って言ってやってるんだぜ?」
「そうそう、わざわざ親切に忠告してやってるんだ、ありがたく思ってくれないと」
おい、聞いてるのか、ヘラヘラ笑ってないでなんとか言えって。笑っていた一人に小突かれて、よろめきながら、そうだね、そうだよねとかすれた声で返す。
なあなあ、と笑みを含んだ落ち着きのない軽薄そうな声音で指のささくれが声をかけてきた。
オレを消す方法、知りたくないかあ? 簡単なことだぜ、なあ?
すぐ隣で固まっていたグループが、歓声をあげた。小馬鹿にしたような暗い感情が見え隠れする声音ではなく、心から喜びを表現したような様子で賞賛の言葉が飛ぶ。
えー、すごーい! やったじゃん! おめでとー! あ、ありがとう、本当、嬉しいよ!
「あんま調子乗るなよ? 他の奴だったら笑って流すんじゃなく、ドン引きされてるところなんだからな。少しは自分のこと自覚しろ?」
うん、そうだね。
「しっかりしてくれよ。全部お前のために言ってんじゃん」
うん、わかったよ。
「なんでこんな簡単なこともできねーんだよ」
罵声が飛んで、デスクに拳が叩きつけられた。声になり切らない声ですみませんと絞り出す。
すみませんじゃねーんだよ無能が。お前本当にゴミだよ、ゴミ。社会のゴミ、消えてくんねーかな、マジでさ。すみません。いや、だからすまんで済むなら警察要らないわけ、わかる?
なあなあ、と笑みを含んだ落ち着きのない軽薄そうな声音で指のささくれが声をかけてきた。
オレを消す方法、知りたくないかあ? 簡単なことだぜ、なあ?
オフィスの中で、目をきらきらと輝かせる新入社員たちが、覚えたての仕事を意気揚々とこなしているのが目の端に見える。真剣なまなざしをPCに向け、緊張とやりがいを周囲に発散させつつ、時折小さく雑談をしては笑顔になっていた。
罵詈雑言を正面から受けながら、ささくれに向かって問いかけてみる。
教えてくれ、どうすればいい?
おお、やっとその気になったのか。なあに、簡単なことさ。今までため込んだもん、全部ぶちまけてやればいいだけだ。
ぶちまける? 全部?
ああ、全部だ。簡単だろ? 抑えるよりも、ずっと楽だし簡単だ。
おいこらなにぼんやりしてるんだかすおまえだよおまえにいってんだよこののろまがごみがおれのきちょうなじかんつかいやがってこのどろぼうくずごみかす……
「やってられるかよ」
すっと周囲が静かになる。罵詈雑言も、小さな雑談も、キーボードをたたく音さえも消えた。
「もう無理だ。やってられない。全部止めだ」
停止したオフィスの中で自分のデスクへ行き、かなり前から用意してあった退職届を取り出し、罵詈雑言マシーンのデスクに置いた。さっきまで顔を真っ赤にしていた男がポカンと間の抜けた顔をしている。
カバンを持ってそのまま会社を後にした。
そのまま家に帰り、死んだようにこんこんと眠る。スマホは電源を落とした。
数日間、食事とトイレ以外眠り続け、その次には食べまくった。肉、魚、野菜、目についたものを食べて、食べて、満腹を感じるまで目いっぱい食べまくった。
スマホを解約して使っていた電話番号を捨て、新規に契約しなおす。
ふと、空が青いことを認識した。
そういえば、空ってこんな色だったのか、と。
これでいいか、ささくれ。
長年指に居座ったそいつに声をかけてみたが、返事が無い。
見ると、指は綺麗な状態で、ささくれの一つも無いのだった。
ささくれ 洞貝 渉 @horagai
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