叫んだあとはゴールド()ラッシュ

ritsuca

第1話

 花盛りにはまだ早いかもしれないが、で始まる挨拶を聞くのもそろそろ両手でも数え切れなくなってきたかもしれない。毎春の恒例行事、観梅会での社長挨拶を右から左へと聞き流して、荻野は思う。

 荻野と阿賀野は高校の同級生だ。興味の方向性が近かったので同じ大学、同じ学部に進学した――と阿賀野は思っているようだが、実際には少し違う。荻野は阿賀野の目を通して語られる物事を知るのが、とても楽しかったのだ。遠方の別の大学でなくて良いのか、と家族には訊かれたが、阿賀野とともに地元の大学に通ってよかったと、地元を離れて就職した今は思う。とは言え、荻野は結局、阿賀野の目を通さなくても面白いと思えるものを見つけたし、そのために大学院まで進学したのだった。

 学部を卒業してそのまま就職した阿賀野の後を追って就職した会社は、地元志向の阿賀野が選んだだけあり、地域密着で地元を愛し、愛されている会社だった。がゆえに、時々不可思議な行事がある。

 3月は、観梅会。この日は表向き、臨時休業日としてアナウンスし、取引先との約束なども入れないようにするが、実際には午前中に各部署で棚卸をし、昼から午後にかけて、市内の梅林に赴いて梅を眺めての宴会だ。疫病禍の影響もあり、ここ数年はそれぞれ配られたペットボトルを手にそぞろ歩いて解散、だったのだが、今年からは再開することになった。

 ほぼ毎月行われる行事の準備はその年度と前の年度に入社した社員が担当する。前年のノウハウを受け継ぐと同時に近い世代同士で交流を深めてほしい、との意図もあるのだが、今年は荻野も手伝いに回っている。ここ数年、宴会としての開催のノウハウは一切積み上げてこなかったので、宴会としての担当経験者も補佐をしてくれ、との指示が入社10年以内の社員たちに対して下されたのは春のこと。入社時期が最近の者から順に担当していって、今回は荻野の年度の番だった。

 事前準備から片づけまで、お店での宴会よりも若干手間のかかる観梅会の記憶は、手間がかかった割にあまり記憶に残っていない。なので会場の梅林に着いてから、荻野はちょくちょく首を傾げている。

 別の部署の同期と談笑しながら、時折視界にその姿を収めては、なんだか面白いな、と思っていた阿賀野も、何度見ても首を傾げているのでさすがに心配になってきた。ちょっと、と同期の輪を離れて、荻野の肩をつつく。


「ああ、阿賀野か」

「寝違えた?」

「え?」

「や、首、ずっとこうだから」


 こう、と傾げている様子を真似してみせると、そう? とさらに深くなる。そうだよ? と逆向きに傾げてみせれば、そうか、と途端に普段の姿勢に戻る。


「いや、寝違えてはいないんだけどなんだろう、こう、引っかかってる感じがして」

「鮭の骨でも刺さったか?」

「じゃなくて、こう、落ち着かない感じ、指の端にできるやつみたいな、なんだっけ」

「ああ、さかむけ?」

「え?」

「さかむけだろ、指の端っつうか爪の周りがこう、剥けてくるやつ」

「いや、ささ……ささ……なんだっけ」

「ささ? 酒?」

「なんで酒。いや、なんだっけ、ささなんとかじゃないっけその剥けてくるやつ」

「荻野さん、ささくれできてるんですか? 絆創膏要ります?」

「そう、それ! ささくれ! あ、いや、できてない。大丈夫」

「あー、ささくれか」


 「ささくれ」の四文字を思い出すのにうんうん唸っていたら、通りがかったのか、後輩がすい、と会話に入ってくる。やっと思い出せた、ありがとう、と感謝を伝えても、後輩はそのまま動く気配がない。

 どうしたのか、と見やれば、会話に入ってきたときよりも不安そうな表情を浮かべている。おや、と阿賀野と目配せして、どうした、と荻野は声をかけた。


「いえ、すみません、荻野さんがささくれみたいに気になることがあると仰っていたのは、何か手配が足りていないものがあるからでしょうか……」

「え、あ、いや、ごめん、僕にも思い出せなくて……」

「そうなんですね、実は私も何かを忘れているような気はしたんですが、でも特に準備品とかの不足はなかったので一体何が足りていないんだろうって思ってて今日朝からずっとささくれみたいに気になってて……」

「あー、お二人さん。あの、さ、たぶんそれ、これじゃない?」


 なんだっけ、と揃って首を傾げる二人の眼前に、開催通知に記載されていなかった会費の推定額――毎月のイベントの会費は大体2,000円と相場が決まっている――をぺらっと差し出して、阿賀野は苦笑した。普段徴収されているお茶代だけでは賄えなかろうと気になってはいたのだ。受け取ってもらえれば、これで気兼ねなく飲み食いができるというもの。

 直後、上がった叫び声に、はらりと花弁が散った。

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