第2話 開戦③


 この世界の大半の魔術師は魔軍の一員として国家に従事する。そしてその他大半も魔術大連に所属し、魔術師でなければ解決できない様々な事態の解決や魔物の対処を生業としている。

 だが、魔術が可能とする強大な戦闘能力は必ずしも人を守るためだけに使われるものではない。時には人そのものに向けられることもある。

 人と人の争いに魔術を用い、敵を殺すため、対象を滅ぼすために力を振るう存在が傭兵魔術師であり、魔術師の大半からは忌避され疎まれる存在である。

 

 その中でも、最強と謳われた男がいた。

 南の大陸で起こった数か国を巻き込む大規模な戦争に参加し、戦争の原因となった二か国をたった一人で滅ぼした男。

 『覇国はこく』という、恐怖の象徴と化した傭兵魔術師。


「俺が見込んだ参加者の中で、最も勝者に近い男だな。魔術師としての才覚でいえばエナリス・ハーバルシャットに軍配が上がるが……『戦って生き残る』ことにおいて、コイツに並ぶヤツはいねェな」


 魔術大連によるシーカーの選抜にあたっても、エナリスと並んで優勝候補として見込まれた最強の男が、ついに参戦する。

 崩れた天井から差す月光を全身で浴びながら、まるで王族のパレードのような優雅な歩みでこちらに近づく『覇国』。ゼンの目から見れば隙だらけの動きだが、相手は傭兵魔術師として遥か格上。油断は僅かたりともできない。


「ダブラン・ジオ……本当にナインロイヤルに参加していたのか……」

「俺は会話が好きだ」


 唐突に、ダブランは語り出した。敵を殺すことを主目的とするナインロイヤルにおいて一切必要ないはずの敵との会話を、彼は自分の身を守ることすらせずに悠々と行ってみせる。

 先ほど相対した第一の敵、エナリスと同様だ。

 自身の勝利を、全く疑っていない。


「傭兵だからといって戦うことが好きなわけじゃないし、酒や女には飽きてる。無駄を切り捨てる考え方も嫌いだ。……おい後輩ちゃん、何が言いたいか分かるか?」


 発砲音が鳴る。

 会話の内容を一切耳に入れず、最短の動作で弾を込めて引き金を引いた。拳銃として持ちうる最低限の機能のみで放つ、魔術的な効用のないただの銃撃。左腕が欠損した状態であっても、口を器用に使い時間のロスを防いだ。

 無論、それでも魔術的な防御がなければどれだけ鍛えていようと人に対しては無類の殺傷能力を誇るそれを、ゼンは躊躇なくダブランに向けて放った。

 これで殺せるとは思わない。だが、弾丸を防御する方法を見極めればどのような防御能力を持っているかが分かる。手段を見極めさえすれば、後はいくらでも対策すればいい。アバターであるサクヤの式録があれば、十分に対応可能だ。


 結果として、ダブランは一切防御をしなかった。

 代わりにダブランを守ったのは_____弾丸。

 遥か遠方より飛来し、発射されたゼンの弾丸に寸分違わず命中した、規格外の狙撃精度を持つ弾丸による、である。


「_____は?」

「弾を_____撃ち落とした⁉」


 ゼンは即座に周囲を見渡す。

 今の狙撃は、先ほどサクヤの頭部を狙い、そしてゼンの左腕を吹き飛ばしたものと同じものだ。それを防ぐために、二人は必死に射線の通らない場所を探していたのだ。

 ここは廃工場の室内。外から狙える場所は、ダブランが降りてきた天井の穴以外にない。天井の穴には誰もおらず、その先に広がるのはイブラを照らす夜空のみ。


(いや、まさかこの室内にいるのか⁉ 気配を消して潜伏して___)

「正解、そして不正解だ、後輩ちゃん」


 無防備なダブランの足が二人の目前にまで近づく。

 以前として、その立ち姿に戦闘の形跡はない。

 それどころか、武器すら持っていない。


「会話に応じず速攻、これは正解だ。あわよくば殺せるし、情報も得られる。実に合理的で正しい。不正解なのは、情報収集後の考え方だな」


 ダブランが話している間にも、何度も魔力によるエコー探知を仕掛けている。しかし、廃工場の室内には三人以外に誰もいない。銃が放たれた形跡もなく_____どれだけ考えても、銃は天井の穴から入ってきたとしか言いようがない。


(間違いなくダブランのアバターによる攻撃だ。まさか狙撃した銃を曲げる能力が? いや、だとしたら俺が発射するより先に撃たないと間に合わない。俺が撃つタイミングまで完璧に予測して狙撃を合わせた……のか⁉)

「これはナインロイヤル、この世界における最上級の殺し合いだぜ?」


 ここまで来て、反撃しない道はない。

 ゼンに続き、サクヤも反撃として蹴りを放つ。

 アバターとして常人の数十倍に高められた身体能力から繰り出される蹴り。魔術師がどれだけ防御していようと、生半可な防御魔術など纏った魔力だけで貫通してしまう。

 しかし、結果は同じく。

 

 _____遥かより飛来する凶弾。


 それはまたしても寸分違わずサクヤとダブランの間に割って入り、繰り出されたサクヤの右足を吹き飛ばした。


「_____え」

「『敵が目の前にいるから警戒する』_____そんな生ぬるい半端者アマチュアな考え方じゃダメだぜ」


 引き伸ばされた時間感覚が、ゼンを突き飛ばすように動かした。

 右足を失い転倒したサクヤを抱え、枯渇しかけた魔力を気合でひねり出し『煙幕』を発動。気配探知を振り切るそれを拡散させた後、瞬時に廃工場の建物から離脱した。

 自分たちでは、ダブランに勝てない。

 狙撃に用いる手段も分からず、無防備に近づく本人シーカーにすら手が届かない。仮にエナリスとの戦闘がなく万全の状態であっても、成す術がない。

 勝てないなら、逃げて機をうかがう。傭兵として、当たり前の考え方だ。

 なんとか死角に隠れ、大量出血が始まったサクヤの右足の止血処理を済ませる。大量の血が通う大腿部の失血は数分で失血死する可能性がある。そしてアバターであっても、肉体を欠損する痛みには耐えられない。


「う___ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「耐えろサクヤ、ここで逃げ切らないと死ぬぞ」


 ゼンもまた左腕を欠損する激痛を精神力だけでは抑えられなくなってきていた。既に失血による意識の混濁と呼吸不全が始まっており、体温の低下も著しい。重心が傾いた影響で歩くことすらおぼつかない中で、必死にサクヤの処置を済ませた。

 だが止血をしたところで、痛みは消えない。

 そして、サクヤはまだ戦いに慣れていない、幼い少女であることに変わりはない。

 ゼンが左腕を失っただけで酷く混乱していた彼女が自身もまたその欠損を味わえばどうなるかなど、考えずとも分かる。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!」

「…………っ、くそ」


 左腕を失い魔力が尽きかけた自分シーカーと、身体を欠損しショック症状によって完全に混乱状態に陥り戦闘不能となった味方アバター

 そして_____目の前に再び現れた、勝つことのできない敵。


「勝てないから逃げるってか」

「……悪いかよ」

「さっきの戦い方も見てたぜ。あのおっかない炎の嬢ちゃんとの戦いからな」


 つまりダブランは、最初からこうして横槍を狙っていたということ。

 恐らくはサクヤが街を駆け抜ける気配を察知し、それに反応して第一勢力が追いかけ始めた瞬間から、ずっと。

 自分たちは、勝てない敵に最初から狙われており、生き残れる可能性は微塵たりともなかったのだ。

 

「自分一人じゃ嬢ちゃんには勝てないから、時間を稼いでアバター同士の戦いに結果を委ねたな。傭兵としては正解だが_____参加者シーカーとしては不正解だ」

「…………!」

この戦いナインロイヤルはな、勝率の高い戦いをするもんじゃねぇ。戦い方を押し付けて、敵に何もさせず、一方的に蹂躙した方が勝ちだ。イカれた魔術師に、バケモノじみて強いシーカーの式録……『勝てる可能性』なんてのは、いくらでもひっくり返されちまうんだからな」


 ダブランの言うことは、正しい。

 通常、戦いとはお互いの手札が割れているものだ。使用する武器や地理的条件に左右されることはあれど、という原則は戦争の基本である。

 だが、ナインロイヤルは一騎当千の猛者たちが集う魔窟。

 魔術師たちも生半可な存在ではなく、召喚されるアバターは規格外である。たった一人で国家規模の戦争の行方を変えうる怪物が、十八人も集う。

 戦いのルールが、根本から異なる。

 先ほどの戦闘でも、圧倒的に有利だったエナリスがサクヤが突如覚醒した式録によって敗北を喫したではないか。

 こんなことは、当たり前なのだ。


「さて後輩ちゃんよ、このまま終わるか?」


 狙撃のタネも分からず、頼みの綱であるサクヤも既に意識が飛びかけている状態。

 逆転の糸は_____


「奇跡的な逆転劇なら、今のうちだぞ?」

「…………一つ、訊いていいか」


 ゼンは拳銃を落とし、代わりに問うた。

 ダブランはそれを、既に勝ち目を見失い諦めたのだと判断した。


「あんたは……最強であることを、誇りに思っているか?」

「……いいや」


 死にゆく敵勢力の、最後の問い。

 それに答えることを手向けとして、とどめを刺す。

 少なくともダブランは、そのつもりだった。

 

「だが、最強であるからにはそれに見合う仕事をし続けなきゃならん。誇りを持っていようがいまいが、だ」

「それは、なぜなんだ」

「プロだからだ」


 誇ることも見せつけることもなく、淡々とダブランは語る。


「俺は最強の傭兵として世界に刻まれ、憎まれ、そして敬意を抱かれる存在だ。ならば最強として敵を殺し続けることが、この世界で俺が果たすべき責務だ。だから俺は雑魚の戦いはしない。最強として悠々と殺し、油断をしながらでも敵を滅ぼす」

「……すごいな」


 その言葉が、最強の傭兵からもらった最上の手向けであると悟る。

 薄れかけた意識の底でその言葉を深く胸に刻み_____

 ゼンは、前を向いた。


「俺にも……そう戦う覚悟ができた」

「……ほう?」

「俺は、勝たないといけない」


 そして、腰に収めていた細く小さな金属の棒を取り出す。

 触れると込められた魔術が発動し、棒は瞬く間に美しく変形した。

 無骨で芸術性のない___だが滑らかに光を反射する、剣へと。


「ずっと、使いたくなかった」

「……マジか、お前」

「俺の力じゃないし……もらいたくなかった。こんなものを使うくらいなら死んでやるって、そう思ってたんだ」


 ゼンは立ち上がる。

 そして、傭兵となってから肌身離さず身に着けていたマントを脱いだ。今やボロボロの布地となった、自身にとっての誓いと表したマントを。

 少年の口元が_____綻ぶ。


「ああ、でも。_____もう、どうでもいい」

「……いい。そうだ、最高だ……!」

「勝たないといけない。あの世界に、俺は行かないといけない。だから……!」


 剣が、ゼンが、光を発する。

 ダブランの目には、ゼンの中から湧き出す力の源が見えていた。

 シーカーに与えられた、シーカーとアバターを視認する能力。ダブランから見た場合、ゼンは緑色に、そしてサクヤは赤くなっていた。

 だが今、その色彩は変わりつつある。

 加速度的に、ゼンの色が赤色へと、変わりつつあったのだ。


「使いたくないものも使って、迷いも全部捨てて_____今、アンタに勝つためだけに、全部出し切る」

「そうだ、来い!」

「悪く思うなよ、最強」


 アバターの色がシーカーと異なるのには、いくつか理由がある。

 例えば魔力の量。例えば身体能力。

 例えば_____式録の有無。

 

 ゼンが剣を振った。

 ダブランを切るためではなく、あろうことか欠損した自身の左腕の傷口を。

 初め、それは自傷行為に見えた。実際に剣は傷口を抉り、止血したはずの腕から再び血が噴き出す。

 しかし、噴き出す血は瞬く間に別のものへと変化していた。

 湧き上がる光。左腕を包んだそれは次第にあふれ出る血と混ざりあい_____ゼンの左腕そのものと化していく。

 欠損した腕が、再生していた。

 明らかな魔術の行使。しかし、ゼンの行動にはいかなる『陣』『言』『掌』も含まれていない。魔術を発動せずに行われた、魔術的な効用。

 

 すなわち、式録の力。


「今から俺は_____理不尽なやり方で勝つぞ」

「ハハァッ! かかって来い___後輩!」


 続けざまに剣でサクヤを切りつけ、同様に再生。右足が戻ると同時に痛みが引き、サクヤの混乱が収まる。


「あ……れ? 足が、治って___」

「戦うぞ、サクヤ」


 再び剣閃が煌めき、地面を抉った。途端に地面の形が変形され、土砂で形成された腕がダブランを襲う。

 だが、ダブランには届かない。届く寸前で届いた弾丸が土砂の腕を吹き飛ばし、そのまま威力をほとんど落とすことなくゼンの胴体を貫く。

 性格に心臓を狙った弾道。圧倒的な速度で貫通した弾丸はゼンの心臓を破壊し、そのまま大量出血によって絶命に至らしめるはずだった。

 だがゼンはこれを予測し被弾より先に自分を切りつけていた。そして被弾と同時に再生を開始し、倒れる寸前に心臓の再生に成功する。

 異常なほど正確な狙撃であり、そのタネは未だ理解の及ばない神業と言えよう。だが、撃つからには狙撃手がいる。

 三度の狙撃経験から、ゼンは既に狙撃手の位置を見つけていた。


「見つけた……北の方角の丘上からか。どんだけ距離があると思っているんだ」

「はは、心臓を撃っても死なねぇのか。こりゃ参ったな_____アレク」


 元米国海兵隊上級曹長、アレクセイ・シルバ。

 アバターとして召喚された今では、ダブランによる完璧な采配の元、超遠距離から敵を狙撃する砲台としての戦略を取っていた。

 通常の狙撃銃の射程を遥かに上回る、八キロメートルの射程距離。

 そこからの、弾丸一発を狙った狙撃を可能にする、神業すら超えた狙撃技術。

 人間の技術力で可能な芸当ではない。確実に式録の力が関わっている。

 ダブランとアレクセイは魔術による念話で会話しながら、目の前で目覚めた怪物_____式録を使うシーカーという、常識外の敵への対処を開始する。


『頭を一撃で潰せば、再生しなくなるんじゃないのか』

「バカ言え、心臓が治るなら脳だって治るさ』

『絡繰りはあの剣か。あれを破壊すれば可能性は……』

「それもない。あれは間違いなく式録だ、剣は関係ねぇ」

『……式録だと? アバターしか持ってないんじゃないのか?」

「いや、それももうどうでもいいさ」


 確実に手にするはずだった勝利を逃してもなお、ダブランは上機嫌だった。


「倒せるはずだった敵が復活して、そして俺の作戦が効かない相手になりやがった。_____最高だろ、こんなの!」


 彼は最強の傭兵。

 気ままに殺戮する、自由気ままな死神。

 だからこそ、彼は愛するのだ。

 自分がこれから殺すものを。自分でも、殺せないかもしれないものを。

 自分の前からも失われないものを、この男は愛している。


「名前を……名前を教えてくれ、後輩」

「ゼン・オルテオラだ、ダブラン・ジオ」

「ゼン。感謝する」


 ダブランは羽織っていた高級革のコートを脱ぎ捨てる。

 露わとなったのは、鍛え上げられた肉体。

 そして、ホルダーに収められたリボルバー。ゼンのそれよりも一回り大きな、大型の拳銃を器用に持つ。

 ダブランもまた傭兵であるが故に、使用する魔術は決まっている。


 兵装魔術。

 恐らくはゼンのそれよりも遥かに精度の高いそれを、容赦なく放ってくるだろう。


「さぁ、殺し合おう! 言っとくが___」

「あぁ、邪魔はさせない」


 背後で不安そうに見上げるサクヤを振り返り、ゼンは強く言い切る。


「俺たち二人だけで、戦おう」

 

 

 * * * *



「あなた……なぜナインロイヤルに参加しているの?」

「不思議かしら? 魔術師たる者、誰もが栄誉を目指すものだと思うのですけれど」


 相対する第一と第三。

 学院において先輩にあたるエナリスと、一つ年下の代のリーリルト。

 本来であれば学生が参加するはずのない殺し合いの儀式に二人が参加できる理由はただ一つ。

 両者ともに学生の域を超えた『大魔術師』であるからだ。


「あなたが参加できるなら、私が参加できない道理はありません。そして参加したからには_____殺し合うしかない、そうでしょう?」


 リーリルトが使用する魔術は『氷結』。

 エナリスの対極にあたる、冷気と氷塊の支配者。

 エナリスよりも遥かに強大な魔力を纏った氷の剣が生み出され、弾丸の如き速度で射出されるそれを、アバターの男が叩き落とした。

 それを見て、リーリルトは余計に笑みを深める。


「先輩、あなたにならこの程度簡単に払えるでしょうに。いつもみたいに、その炎で私の氷を解かせばいいでしょう? それができないってことは……弱ってるんですね? らしくもない」

 

 対となる能力の両者が相対した場合、勝負は魔術の出力がものを言う。いつもであれば出力で勝るエナリスが氷の生成速度が間に合わないほどの攻撃で一気に勝負がつくのだが、これはナインロイヤル。学院内で行われる模擬戦とは、条件も前提も違う。


「先に言っておきますけど、弱ってるところを狙ったからといって卑怯者扱いはしないでくださいよ?」

「…………はぁ」


 続けて繰り出される、大量の氷塊生成による質量攻撃。氷はただ当てられるだけでもその硬度故に相応の攻撃力を持ち、そして一度飲み込まれれば凍結によって身動きが封じられる。対処するには生成される端から全て破壊するか、完全に溶かすしかない。

 だが魔力が尽きかけ炎が生成できない今、アバターの身体能力による氷塊の破壊でしかリーリルトの魔術は対応できない。シーカーの攻撃をアバターが防ぐならば_____敵アバターの攻撃を防ぐことは、できない。


「おい、アイツはどうするんだ」

「……どうしようもないわね」


 リーリルトのアバター、イグナティオは未だに笑みを浮かべたまま動かない。式録の能力によっては一瞬で殺される追い詰められた状況の中、エナリスは必死に頭を動かし、


「……無理だわ」

「は?」

「え?」

「降参。私、今のあなたには勝てないわ」


 あろうことか、両手を上にあげたまま壁際に座り込んでしまった。


「…………えっと…………先輩?」

「魔力ないし、アバターの能力も分からないし。おまけにこっちのアバター役立たずはまだ式録使えないし」

「おい全部言うな結構気にしてんだから」

「で、そっちのアバターは得体が知れないし。どうせ私なんて何もできないんだから、清々しく降参しておくわ」


 リーリルトも唖然としたままその場に座り込んでしまう。


『もっと努力なさい。あなたが死に物狂いで鍛えても、私がもっと鍛えてまた圧倒してあげるから』


 そう言ってプライドをへし折ってきたかつての傲慢な姿はどこへやら。

 目の前にいるのは、本当にエナリスなのか。

 エナリス・ハーバルシャットとは誰よりも強くて傲慢で、自信家で、決して負けることのない絶対的な存在ではなかったのか。


「……なんか言いなさいよ。今なら馬鹿にしてもいいわよ? さっきまであんなに饒舌に煽ってたのに、なんで私が降参したら黙っちゃうのよ」

「…………はぁ」


 リーリルトは理解した。

 エナリスは絶対的な存在でもなく、自身の成長の延長線上にいる目指すべき存在でもない。

 年齢の対して違わない、まだ学ぶべきことの多くある、才能に溢れたただけの少女に過ぎないのだと。

 不可能とすることがあり、それを簡単に諦められる、分別のついた人間なのだと。

 

「…………私も、やる気なくしました」

「……は?」

「ここで先輩は殺せますけど、それじゃあ私が勝てなさそうな他勢力には勝てませんし」


 リーリルトはちらりと、この廃工場敷地内に放った監視用の使い魔から送られてくる情報を受け取る。

 その目に映るのは、戦闘を開始したゼンとダブラン。

 エナリスの炎を無効化してのけたアバターに、遥か先から狙撃を撃ち込んでくるアバター。

 ナインロイヤルは、遂に魔境じみたその本性を曝け出しつつある。

 たかが学院内の天才ごときが生き残れるかどうかは、かなり怪しい。


「どうせならここは引いて、先輩に強そうな勢力を潰してもらう方が私も戦いやすいですし」

「…………あなた、意外と繊細だったのね。もっと直情的かと」

「私のことバカだと思いましたよね⁉」


 今、この混沌と化したナインロイヤルの戦場において。

 この空間だけが、二人が過ごした学院内での雰囲気を漂わせていた


「……でも、タダじゃ引きません。別に私が戦わなくたっていいんですから」

「まぁ、そうなるわよね」


 少女の代わりに、二人の男が前に出る。

 筋骨隆々としたエナリスのアバターに比べて、リーリルトのアバター、イグナティオは背丈こそあれど肉付きが豊かとはいえない。

 しかし、アバターの強さは決して筋骨で決まるものではない。

 戦いは、式録のみが左右する。


「頼むわよ」

「今回で挽回するさ」


「お願いね」

「あぁ、これが戦うということか。君の騎士カバリエロになると約束しよう」


 踏み出す魔人たち。

 即座に姿を消した両者を、エナリスとリーリルトはギリギリのところで目で追えていた。

 建物の壁を使い跳躍し、ぶつかり合い、そして再び跳躍。

 拳と拳がぶつかり合う音が何重にも響き、衝撃音が間断なく二人の耳朶を打つ。


「あはははァ! すごいな僕たち、もしかして空を飛べるんじゃないのか⁉」

「飛ぶのは無理だがな! すごいってのは共感するがね」

「それにしても、あなたも体術を? 随分と洗練された動きだ」

「それなりに経験があったものでね。お前さんも中々じゃないか」

 

 軽口を叩きながらも、目で追えないほどの激しい攻防を続ける。蹴りの一発が廃工場の煙突をへし折り、折られた煙突をそのまま手に持って敵に叩きつける常識外の戦闘。地面を打ち付けた際の衝撃で舞い上がった瓦礫を足場として跳躍し、予測のできない角度から敵に襲い掛かる。常人離れした身体能力と反応速度があるが故に可能とする技を、両者一歩も譲らずに披露し続ける。


「いや、僕のはズルだ。ちょっと工夫をしていてね」

「ほう?」

「格闘技ができる自分にだけさ」


 奇妙な言葉から、男は瞬時に推察する。

 式録。アバターに備わった、規格外の異能力。

 先ほど戦ったサクヤのように、何もない場所に武器を生み出すことができるのならば、今更炎を出したり氷を出したりで驚きはしない。

 

(式録の力か。それにしては大人しめだが……能力にも色々差があるもんなのか?)

「ああ、これは弱い使い方をしているからね」

「……心が読めるのか。さてはメンタリストかい、兄ちゃん」

「今のは自分をメンタリストにだけさ。便利だろう?」


 主なき戦いを続けるイグナティオは、今度は両手を合わせ_____何もない場所から、突如トランプカードを生み出す。器用にカードを操り、初めは一枚しかなかったカードがいつの間にか両手に三枚ずつ、計六枚が出現する。


「僕は元々マジシャンでね。ちなみにスペイン出身さ」

「スペインか、いいな。トマト祭は中々に刺激的だった」

「僕は名前の通りレオン出身で別に行ったことはないけどね。フランスに行ってマジックを披露したことならあるけど」


 出現した六枚のカードを宙に放ると、カードからまた新たなカードが生まれ、イグナティオの頭上に数十枚のカードが舞い散る。増殖したカード群は自由落下せずにイグナティオの周囲を回転し続け、やがて手のひらに収まると最終的に一枚のカードへと戻っていた。


「僕たちがもらう力、『式録』にはあっちの世界でどんな風に生きたかといったことが強く反映されるようだ。職業、思想、人生経験、性格……そういったことが、この世界での強さに繋がる」


 手で握るとカードが消え、代わりに手の上にはシルクハットとステッキが生成される。コミカルに『ポンッ!』と音を立てて現れたそれらを器用に振り回し、イグナティオは宙に立つ。

 

「僕の式録は『魔法の演舞マジックスター』」


 強き敵に敬意を表し、イグナティオも本気を出す。

 帽子を振ると、中から飛び出した数百枚のトランプカードが一つの生物のように宙を飛び回り、男を囲った。

 男は迷うことなくカード群を殴りつけ脱出を試みるが、宙に浮いた薄いカードは僅かたりとも動かない。打撃の瞬間、あらゆる衝撃が消えたかのように穏やかに止められる。


「僕はマジシャンだ。そして僕の式録は、僕ができると思ったマジックを、なんでも実現できる」


 自分自身の技能を格闘家やメンタリストへと変化させることも、宙に浮くことも。

 帽子からカードを取り出すことも、全てイグナティオであれば可能なマジックだ。

 アバターとして強化された今のイグナティオならば、そんなものは実現できて当然である。

 第七世界を生きた証が、彼らの武器となる。

 それが、式録の力である。


「人を惑わせ驚かせた僕の人生を力に変えて_____あなたと戦おう!」


 高らかなる宣戦布告。

 男もまた、その顔に喜色を浮かばせる。

 さらなる闘争に、胸の高鳴りを感じ、二体のアバターがぶつかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ナインロイヤル 八山スイモン @x123kun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ