第2話 開戦②
エナリス・ハーバルシャットが構える。
炎の生成と圧縮、その極致。
工場地帯を覆っていた炎が一瞬にして消え、その両手に包まれた小さな火球へと全てが注がれる。御しきれないほどの熱が発せられ、制御するエナリス本人を除いた周囲が瞬く間に溶岩の池へと変貌する。
放たれれば最後、工場地帯そのものが消し飛ぶほどのエネルギーを圧縮し、そして解放する。回避不可の破壊攻撃が放たれるまで、残り四秒。
炎が凪ぎ冷えていく空気を感じながら、ゼンも勝負を決する構えを取る。胸ポケットから取り出した、複雑な紋様が刻まれた弾丸を装填する。装填と同時に強烈な魔力の猛りがゼンの体を駆け巡るが、それらを完全に制御し切り、全てを拳銃に込める。
トリガーに指をかけると同時に拳銃から伸びた光が、宙に複雑な紋様を描き出す。
拳銃に刻まれた陣だけでは足りない『陣』を補うための、一時的な外付けの陣を取り付けなければ、この術は発動できない。
傭兵魔術師、ゼン・オルテオラが使用する兵装魔術の秘儀。仕留める対象を決して逃がすことのない、必殺の魔術。
込められた術は『加速』『増強』『槍』『腐食』『分解』『振動』『呪戒』『壊壁』『爆裂』『波動』『渦巻き』『黒鉄』『推進』『旋回』『隠匿』『劣化』_____
そして、術が放たれる。
魔術の最後の工程である『言』を言い放つと共に。
「
圧縮から解き放たれた巨大な火球が膨張する。ただ一人の敵、ゼンを飲み込むためだけに、地上に生まれた太陽のごとくあらゆるものを焼き尽くす。
「_____
火球に向かう、ただ一つの弾丸。
指先ほどの細さしかない銃口から放たれたにも関わらず、術によって弾丸そのものの構造が変化し、その大きさは人間の頭ほどの大きさにまで巨大化していた。
弾丸は火球に衝突すると同時に火球の表面をドリルのように削り始めた。火球それ自体が一つの巨大な魔術生成物であるが故に、『魔術によって作られたあらゆるものを崩壊させる』効用を持った弾丸によって、存在そのものが否定され崩壊しているのだ。
火球の膨張が押し込まれる弾丸によって止められ、大量の炎が散らされていく。
同時に術自体が壊れていき、火球そのものの維持すら困難になるだろう。
「させ、ない!」
だが、エナリスは術を行使し続ける。術が崩壊し炎が散らされるよりもさらに早く、さらなる炎を込めて火球を巨大化させ、あろうことか弾丸を押し返し始めた。
「化け物、かよ……!」
放たれた弾丸は一度放って終わるのではなく、使い手であるゼンが制御可能なように光の線が作られている。弾丸を押し返す勢いの火球に対抗するため、弾丸の勢いをさらに強める術を何度も放ち、さらに弾丸の勢いを高めた。
「ハァァァァァァァァァァァッッッッッッッ!!!!!!」
「オオオオオオォォォォォォッッッッッッッ!!!!!!」
双方、術にさらなる魔力を込めるべく声を上げる。猛る声それ自体が『言』としてさらなる魔術の出力をあげる効果を発揮し、火球はさらに熱を高め、弾丸は火球を削る速度をさらに上げる。
拮抗はしなかった。
出力を高めた弾丸によって火球の外殻が綻び、ひび割れた箇所から大量の炎が漏出していく。
しかし、火球の崩壊よりもさらに早く、弾丸が膨張に飲み込まれていく。
炎に包まれても尚効力を発揮し続ける弾丸は内側から火球を崩壊させんと術自体を食い破り続けたが、エナリスは崩壊と同時に火球を膨張させることで無理矢理術の崩壊を無効化していた。
ゼンにとっては切り札であった
(_____勝てない)
(勝った_____!)
_____その、寸前にて。
盾が、顕現した。
「盾……⁉」
「…………⁉」
誰の手にも握られていない、その盾を投げたのは。
「この盾浮けるんだ⁉ 間一髪でセーフかなぁ⁉」
「朔夜⁉ なぜこっちに」
「話はあと!」
宙に浮いたまま火球を受け止めた盾を握り直し、朔夜は炎に真向から対峙する。
ありふれた盾に追加して翼のような豪華な装飾が加えられた盾は単にその堅牢さで炎を弾いているだけではない。盾の周囲には薄い光が展開され、明らかに炎を喰っていた。
火球から伸びた炎の線がゼンを喰らおうと伸びてくるも、それらは光の壁に当たった瞬間、まるで糸が
「この盾……まさか式録を?」
「なんか急に使えるようになったの! 急に、頭に使い方が沸いてきて!」
「いや、それよりもあのアバターの男はどうした⁉ 戦ってたんじゃないのか⁉」
「あのおじさんなら……」
「ここにいるぞ」
盾を構える朔夜に向かって、アバターの男が飛びかかる。ゼンを守るために突然飛び出したために、アバターの男も朔夜の意図が読めず妨害が遅れていた。
ゼンは咄嗟の判断で火球を朔夜に任せ、残された余力の全てをかけてアバターの男の足止めに徹する。
「
「ぬ……」
常人に当たれば半身が吹き飛ぶほどの威力の弾丸を手で受け止めても、その肌に傷がついた様子すらない。超高密度の魔力が壁となっているため、肉体に当たる頃には威力の大半が削られてしまう。
だが、それでいい。
「……っと、気分の悪い銃弾だな。頭を打ったみてぇだ」
術の効力は
アバターの男は魔術を使用していなかったが、肉体そのものが膨大な魔力の塊であるが故に
無論、一発では効果などたかが知れている。すぐに態勢を立て直した男は主の術を阻もうとする朔夜を止めるために駆けだす。
間髪入れずに
「はっ、俺をここに留めるつもりか」
「行かせ、ない、ぞ……!」
「無理するな。もう一発も撃てないはずだぜ」
既にゼンは切り札を切っている。大量の魔力を消費した代償は重く、既にゼンの意識は朦朧とし始めていた。
過剰な術の行使は肉体に負荷をかけ、鼻血が止まらない状況が続いている。熱から身を守っていたとはいえエナリスの炎に長時間晒されたことで体内の水分も枯渇しており、脱水症状を引き起こしている。
何度も引き金を引いた右手の指先は過剰に魔力を込めた影響で一部が疲労骨折しており、まともに引き金を引ける状態ではない。
それでもなお、ゼンはやめない。
「何がそこまで……お前を戦わせる」
「……別に」
震える左手が、装填するはずの弾丸を取りこぼす。
もう、銃は撃てない。もう、この男は止められない。
それでも尚、少年は言葉を紡いだ。
「母さんが見たものを、俺も見たい。戦う理由も生きる理由も、それだけだ」
そして装填すらせず銃口を男に向け、引き金を引いた。
『
現代兵器で言えば『フラッシュバン』に相当する魔術であり、人の目が許容しきれないほどの光を浴びせて視界を奪うだけだ。
アバターの身体能力強化は膂力だけでなく五感にも及ぶ。
だが、生物としての本能的な部分はそのままだ。視力が強化されたからといって、視認可能な光量が増えるわけではない。
「チッ……!」
「朔夜!」
これでもう、ゼンは全てを使い切った。
あとはもう、背中を預けることしかできない。
「後は_____頼む!」
正に、ゼンが光を放った時。
朔夜の盾がエナリスの炎を、全て喰らい尽くした。
「あり得ない…………いや、その盾は……まさか式録の力なの?」
ゼンが目くらましに使った閃光は、それを背にしていた朔夜を背後から照らす形となった。見上げるエナリスに、朔夜の顔は後光によって視認できない。
だが、その偶然による光の差し方が_____自身の術の全てを喰らった眼前の存在を見せつけるかのように、エナリスは感じた。
「これが…………アバター…………!」
エナリスもゼン同様、切り札を使い果たしている。保有する魔力量はゼンを代わらない故、既に限界に近い消耗をしていた。
加えて、長時間炎を緻密に制御し続けるために集中し続けたことで気力も損なわれており、全てを出し尽くしたエナリスは既に意識が飛びかけていた。
辛うじて膝を突き上を見上げるのが関の山であり、もはや追撃を仕掛ける余裕も_____これから自分に襲い掛かるであろうアバターに対処するほどの余裕もない。
(ダメ…………立て、立て、立て……!)
ここで対処できなければ、死ぬ。
そして、負けてしまう。それが何より、エナリスにとって恐ろしい。
(命なんて、くれてやるから……!)
充血した目から血が零れそうになるほどに体に負担をかけてでもなお、エナリスは立ち上がった。
(ここで、勝たせて!!!!!)
同じタイミングで。
火球の対処を終えたと判断した朔夜は見下ろした先にいるエナリスを真っ先に殺すべきであるというアバター本来の役目を忘れ、後ろを振り返っていた。
「ゼン!」
ゼンが崩れ落ちるのと、閃光が収まり男が突撃してくるのは、同じタイミングだった。咄嗟に手に持っていた盾を男に投げつけ、自身は崩れ落ちたゼンを抱える。
盾はそれ自体がまるで意思を持つように男の前に立ち塞がる。巨大な火球すら喰らい尽くした盾を前に、男は臆することなく拳を突き出し_____
次の瞬間、盾は男の攻撃を受け止めることもせず、打撃の威力をそのままにゼンを抱えた朔夜もろとも吹き飛んだ。
「きゃあああああああ⁉⁉⁉」
「…………なんだ? 本当にあのおっかない盾なのか?」
思わぬ無抵抗を訝しむも、男は真っ先にエナリスへと駆け寄る。
もはや立つこともできないほど消耗したエナリスを抱え、ゼンたちと距離を取った。
「すまない、あの嬢ちゃんを抑えきれなかった」
「…………彼に勝てなかった私の責任よ」
「いや、あの坊主には勝ててた。問題は、あの盾だ」
「いっ……たたた」
「朔夜……それは、式録か?」
吹き飛んだゼンと朔夜は浮いていたはずの盾に下敷きにされ、瓦礫に埋もれている。炎に囲まれていたゼンにとっては、瓦礫から伝わる夜の冷たさが心地よく感じる。
「うん。私、ようやく自分の力が分かったわ」
朔夜は盾を自分の手に戻すと、次の瞬間には盾は消えていた。式録によって具現化された、魔術的な効用を持つ盾である。
「私の能力は、こんな風に武器を生み出せる。それも、普通の武器じゃないよ」
消えた盾を再び顕現させる。やはり盾は手に持たれることもなく宙に浮き、所有者である朔夜の思う通りに動かすことが可能のようだ。
「私たち、戦った時に最初に受けた攻撃があの女の子の炎だったでしょ? そしたらこんな風に、炎に適応した武器を生み出せる」
「……敵に適応した武器を、生み出す式録だと?」
「そう。それが私の式録_____
今ここに、真に第七のアバターは目覚めた。
己の力を知り、戦う術を得た。
彼女はもはや、第七世界で平和に生きた女子高生、西織朔夜ではない。
第七のアバター、サクヤ・ニシオリである。
「これがあれば、あの子の炎は怖くない。あの怖いおじさんはまだ力が使えないみたいだし……」
「いや、いい」
サクヤが言いたいことを理解し、ゼンはなんとかサクヤに貸された肩から離れる。既に最低限の治癒魔術を自身に施し、意識を保って歩ける程度には回復している。
「これ以上はお互いに決め手がない。炎には対処できても、あのアバターの男に適応した武器はまだ作れないんだろ」
「……うん。あのおじさん、あんまり私を攻撃してなかったし、『適応』が発動していないみたい」
「戦っている最中に、あの男が式録に目覚めたら形勢逆転するかもしれない。ここは大人しく引いた方がいい」
式録の使い方とアバターとしての戦い方は理解したサクヤだが、それはあくまでその場の戦闘の話。最終的な勝利を目的とした戦略眼は、ゼンの方が優れている。
建物の屋上から広場を見下ろし、エナリスを抱えた男もまた戦闘を続ける意思がないことを確認した。
「分かったわ。ゼン、一人で立て_____」
ナインロイヤルは、殺し合いの儀式である。
参加者は、十八名。しかし、振るわれる力の総量を考えればそれは『戦争』と呼ぶにふさわしい。
それが『戦争』ならば。
戦闘を終えた瞬間、それが最も危ない瞬間であることを理解すべきだ。
「伏せろ、サクヤ_____!!!」
サクヤの頭蓋が位置していた座標を、風が通り過ぎる。
弾丸の形をした、死の風が。
_____血飛沫が、舞った。
* * * *
「…………なんだ?」
「まぁ、これだけ派手に戦ってれば来るとは思っていたけど」
建物の陰に身を潜め、男に抱えられたエナリスは今しがたゼンとサクヤを襲った狙撃を警戒する。
「横槍でしょ。超遠距離の狙撃が来るとは思ってなかったけど」
「狙撃って…………この世界にも
「私も実物を見たことはないけど……有名な傭兵魔術師が使うって聞いたことがある。魔術も使わずに隣の町すら狙撃できる銃を、持っているらしいわ」
「傭兵、ね」
男は万が一の狙撃に備え、可能な限り遮蔽の多い場所へと移動する。これが他の勢力からの横槍である場合、戦闘を続けていた自分たちの居場所が補足されている可能性もある。一刻も早く、その場を立ち去る必要があった。
_____逃げるところを、見られていなければの話だが。
「こんばんは」
凛とした声が響く。
人の気配のない無機質な工場違いには似つかわしくない、華やかで華麗な仕草と共に、第三のシーカーはエナリスと男の前に立ち塞がる。
「正々堂々…………不意打ちさせていただくわ」
リーリルト・タイランド―ル。
エナリスに対抗心を燃やす、第三シーカーの少女。
そしてその前に歩み出た、アバターの青年。
イグナティオ・レオンが、帽子を脱いだ。
同じ頃、建物から降り身を潜めたゼンとサクヤ。
「ぐっ…………っ」
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私の、せいで」
「お前のせいじゃない」
常人ならば意識を失うほどの激痛に耐えながら、ゼンは適切に処置を行う。
サクヤを庇うために突き出した左手は、すんでのところでサクヤを屈ませ、死角からの凶弾を回避させることに成功した。
しかし、ゼンの左手は間に合わない。左腕の肘から先が凶弾によって吹き飛ばされ、凄まじい速度で掠めたことによる摩擦熱によって切断面は黒く焦げている。
目にしているだけのサクヤですら絶叫を必死で抑えつけているような壮絶な傷を、負った当人であるゼンは激痛を意思の力だけで抑えつけ、最低限の処置を済ませる。傷口の拡大を防ぎ、血流を無理矢理組み替えることで左腕を失ったことによる影響を最小限に済ませる。傷口が炭化したことで失血が免れたことが、不幸中の幸いとなった。
「…………悪いがこれ以上は……げほっ、歩けそうにない」
「だ……大丈夫。私が抱えて走るから」
「移動ルートは俺が指示する。万が一狙撃されても大丈夫なように、あの盾を展開して頭と心臓だけは守り切れ。それから……」
「もういい、喋らないで……お願いだから……!」
サクヤは既に涙を堪えられていない。
突然異世界に召喚されてしまった困惑も、突然の闘争と暴力の応酬にも、あれだけ巨大な火球にも臆さなかったサクヤも、今回ばかりは違った。
傷跡。
一歩間違えれば自分が同じ状況となり、ともすれば命を失っていただろうという強い実感。
”死”が近づく感触を、サクヤはこの時初めて目の当たりにしたのだ。
「…………分かった、逃げるのはやめよう」
「え……なんで……?」
「その状態のお前に、命は預けられないよ」
ただ逃げるだけでも、戦うことと同様に、あるいはそれ以上の冷静さと判断力が必要だ。逃げた先に敵が待ち構えている場所に逃げ込むわけにもいかず、追跡を撒くのには心理戦に勝つ判断力が必要となる。
恐怖に身を竦めたサクヤに、任せられることじゃない。
左腕を失い戦闘能力を消失しても、冷静さを保てる、そんな異常性を持った自分でなければ、切り抜けることはできない。
「俺たちだけじゃない。戦ったあいつら……エナリス・ハーバルシャットたちも、今頃漁夫狙いの別勢力に追いかけられているだろう。工場地帯には、別の勢力が大勢集まる」
既に気配を遮断するための結界は消えている。ナインロイヤルのルールである以上、横槍を入れる者たちも最低限の結界くらいは張ってくれるだろう。
「誰かが結界を張り直したら……その結界に隠れてこの狙撃をやり過ごす。その隙に逃げよう」
「う、うん……分かった」
「……それに、最悪の場合は、俺が」
言葉は、続かなかった。
「よぉ」
建物の屋根を破り、彼は降り立った。
破られた屋根から差す月明りが、彼を暗闇の中に照らし出す。
その帽子の奥から覗いた眼光。
それを、ゼンは知っている。
「…………最悪だ」
「悪いな、後輩ちゃん」
ダブラン・ジオ。
第二のアバターにして、世界最強の傭兵魔術師。
死神が、降り立った。
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