第2話 開戦①


 第七のアバターの召喚と、街を自由に駆け抜けた自由な行動。

 二人がイブラ東部の灯台にて手を取り合った時。

 第八を除いた第一から第六までの勢力、その全てがその尋常ならざる気配を感じ取っていた。


「巨大な気配が隠す気もなく街を行き交ってる。威嚇のつもりか、それとも……」

「素人なんだろうさ。随分とまぁ、可愛らしい嬢ちゃんを引いちまったな」


 第一勢力。エナリス・ハーバルシャットは、この時既に付近の高台を占拠しイブラ東部を見下ろしていた。遠見の術をアバターの男にも適用し、遥か彼方より敵勢力の動きを正確に観測する。

 ナインロイヤルに参加するシーカーは、『魂の書』との契約時に番号による『印』を体に刻まれる。これにより、シーカー同士が相対した際には互いの番号を即時に確認することが可能となる。

 これは遠くから確認される場合でも同じであり_____つまり、シーカーは自分がシーカーであることを隠すことができない。肉眼でお互いを視認することが可能となった場合、そこに戦わずに通り去る選択肢はなく、遭遇即戦闘が基本となる。

 さらにアバターもシーカーと近い距離に居続ける必要があり、アバターの気配は消すことができない。強大な魔力を持つため隠匿の許容限度キャパシティをオーバーする上、本人も魔術の心得がないため気配を消すことができない。

 つまり、シーカーもアバターも隠れることはできない。

 彼らに、戦いを回避する選択肢はない。


「じゃあ、行くわよ」

「早速か? 狙っている勢力は他にもあるぞ」

「炙り出しにちょうどいいじゃない?」

「横槍が怖くないのか?」

「ええ。だって負けないもの」


 十代の少女が、敵を殺すことにも自信が狙われることにも一切の躊躇いを見せずに戦場に降り立つ。

 その表情に一切の気後れも、恐れもない。

 高台の手すりからふわりと身を乗り出し、エナリスは風に身を任せた。

 何の魔術も使わず、頭から落ちたのである。

 傍から見れば自殺行為にしか思えない振る舞いですら、月明りに照らされた彼女の美貌故に宙を舞う女神を思わせた。


「ほら_____助けなさい」


 それが当然とばかりに、エナリスの体が地面の僅か手前でふわりと止まる。

 太く逞しい腕が華奢な体を支え、アバターの男が苦笑を浮かべる。


「俺がサボったらどうするつもりだったんだ」

「あなたを殺すわ。そして、他のシーカーを殺してアバターを奪えばいい」


 シーカーは通常、アバターには勝てない。保有する魔力が文字通りの意味で桁違いであり、強力な魔術を用いても基本的な防御能力のみで防がれてしまう。

 一般的な魔術師であれば。


「殺せるのか、俺を」

「当然よ。だって_____ほら」


 エナリスが男にそっと手を差し出し、その胸に手を置く。

 そして、僅かに力を込めた。

 

「_____ッッッ⁉」


 瞬間、男の体が吹き飛ぶ。踏ん張ることの効かない強力な衝撃波が放たれ、砲弾が炸裂するかのような衝撃が高台の崖を崩壊させた。

 並の魔術では纏う魔力によって術そのものが消滅させるアバターの防御を用意に貫通し、血反吐を吐くほどのダメージを与える。

 その異常な魔術の出力故に、エナリス・ハーバルシャットは『大魔術師』の名を冠するのである。


「もう一度言うわ。私、負けないもの」

「……こりゃ参ったな、どうも」


 身体中を巡る衝撃に顔を歪めながらも、立ち上がった瞬間には平然とした顔を取り戻した男のアバターは、エナリス同様一才の迷いを見せない傲慢なる面持ちで闘争へと臨む。


「私たちは第一の勢力みたいだし_____」


 エナリスが再び男に担がれ、超人的な跳躍と共にイブラの街へと躍り出た。


「初戦は私たちが制するのが、縁起ってものよね」



 * * * *



「…………っ。早速か」

「私も……なんか嫌な感じがする」


 第七を関したシーカー、ゼン。

 そのアバター、朔夜。

 二人が手を取り合い互いの名を呼んでから僅か数秒後、強大な気配が迫る。

 隠す気もない圧倒的な気配を感じ取り、アバターが_____こちらに気づいた敵勢力が接近していることを悟ったゼンは、場所を変えるべく朔夜の手を取る。


「敵が来た。開けた場所まで移動するぞ」

「敵……? 私たち、戦うの?」


 昨夜の移動については、既にアバターとしての身体能力を熟知している故問題ない。大抵のアバターは前世(つまり第七世界)の肉体とのスペックの違いに混乱するのだが、それに対して昨夜は一瞬で適応してみせた。

 人格的にもかなり安定しており、取り乱す素振りは見せない。突然飛び出した時は暴走などの危険性を考慮していたが、その心配はないようだ。

 

「そうだ。敵は俺たちを殺しに来る。死にたくなきゃ……元の世界に帰りたければ、お前が持っている力を見せてみろ」

「力? 確かに、すごいジャンプできるけど……」

「それじゃない。『式録しきろく』が何か分かるか」


 朔夜は一瞬頭を捻り思考を巡らせ、脳の片隅にいつの間にか刻まれていた式録の情報を読み解く。

 屋根の上を飛び回り、二人が到着した場所は海岸に近い廃工場。都市西部の再開発に伴い放棄されたその場所は、一切の明かりを灯さない廃棄区画である。

 かつての工場がそのままになっており、建物の一角はゴミや廃材で埋もれている。違法投棄の現場となっているそこで、ゼンはホルダーに収まっていた拳銃を取り出す。


「拳銃……!」


 元いた世界においては特別な暴力の意味を持つその道具を見て、ゼンの言葉を信じきれていなかった朔夜も一気に表情を引き締める。ゼンは弾丸を込めることもせず、代わりに魔力を込めてトリガーを引くことで魔術を発動させる。


閉ざせ、隠せ、覆えオスクラ


 拳銃はそれ自体が魔術において『陣』の役割を果たし、トリガーを引く行為が『掌』に相当する。あとは詠唱を行う『言』のみを唱えればトリガーを引くだけで魔術が使用可能であり、魔術の過程を大幅に省略し高速の発動が可能となる。

 ゼンが放った魔術によって、廃工場一帯の闇が覆われていく。広がった闇はやがて晴れていったが、一帯に巨大な『膜』を張っていた。

 ナインロイヤルの監督役によって定められたルールの一つに『開催地に住まう魔術とは無縁の人民を傷つけてはならず、守らねばならず、己を隠さねばならず』というものがある。

 つまりイブラは単に戦場というだけであり、そこの住民を巻き込む行為は禁じられている。無論、魔術を用いた戦闘行為を一目につく形で行なってはならず、行なってしまった場合は敵勢力ではなく監督役によって処分が下される形となる。それは強大極まる魔術大連を敵に回すも同然の行為であり、絶対に破ることのできないルールである。 

 故に、魔術の心得のない者が入れず、視覚・聴覚を分断する膜を作ることで戦闘の余波を拡散させない結界を作ることは、ナインロイヤルにおける戦闘の基本となる。

 それはルールを守ってナインロイヤルに参加する善良な魔術師であることを示すと同時に_____結界を認識可能な魔術師に対する、宣戦布告の意図ともなる。

 

「どうだ、式録は使えそうか」

「ええっと、多分これが式録で合ってる、と思うんだけど……」


 先ほどから朔夜は必死に手を合わせて何かを虚空に作り出そうとしている。シーカーであるゼンには式録の情報が与えられないため、漠然と式録を発動する準備だと思っていたのだが……


「なんか、上手く使えない」

「……は?」

「なんか使えないの! 何か出せるらしいんだけど、それが出せない!」


 朔夜の泣き言と同時に、結界を通り抜け現れた強い気配。

 目を背けることができないほどに強烈なそれに、ゼンと朔夜も会話を中断する。

 ゼンの目に、こちらに歩み寄る二人に関する特別な『印』が映った。溢れ出る魔力にも負けずにこちらに突きつけられるは、『1』の数字。

 対する者の目にも、『7』の数字が映る。


「初めまして、ごきげんよう」


 エナリス・ハーバルシャット。

 事前情報の段階でも、このナインロイヤルにおける屈指の実力者だと明らかになっていた大魔術師。使用する魔術もその実力も、ゼンは知っている。知っているからには、対策も当然用意している。

 用意があってもなお拭えない、強者に対する恐怖と畏怖。

 遥かな高みに座す、強き魔術師。

 その苛烈さに、ゼンは汗を垂らしつつも、己を律する。そんなゼンの心を一切気にすることなく、エナリスは優雅な挨拶を行う。


「私のことは既に知っているだろうから、あなたの名前が知りたいのだけど」


 その有り様は、傲慢ながらも一切の慢心はない。

 この時、既にゼンは仕掛けていた。足に仕込んだ魔道具を通してあらゆる魔術の過程を自動で省略する機構を起動させ、地面を伝って敵の足をこの場に縛りつける術を発動している。

 だが、一切の効力を発することなく、術が消え失せた。

 側にいた男の発する異常な魔力の圧によって、術そのものが霧散してしまっていた。軽うじて一本だけエナリスの足元に届いていたのだが、エナリスが仕込んでいた自動の防御魔術によって弾かれてしまっている。

 不意打ちに対する完全な防御。搦手すら、一手たりとも許さない。

 圧倒的な強者たるその姿勢に、ゼンは潔く敬意を表した。


「ゼン・オルテオラだ」

「教えてくれてありがとう、ゼン・オルテオラ」


 その美しい微笑みに、ゼンは電撃のようなものを感じ取った。

 常に身を置いたあの世界で_____戦場で何度も感じた、危険を感じ取るこの感覚。

 絶対に回避しなければならない何かが、来る。


「それじゃあ_____戦いましょう」

「後ろに跳べ!」


 不意打ちの仕返しとばかりに、ゼンが1秒前まで立っていた場所から火柱が上がる。その高さは五十メートルにも及び、一瞬にして大量の熱が解放された衝撃によって廃工場の一角が崩壊する。

 人一人が生み出したとは思えない、巨大なる豪炎。

 肌に吹き付ける熱が、ゼンと朔夜に否応なしに『死』を思わせる。


「これが『天炎てんえん』エナリス・ハーバルシャットの魔術か……」


 その魔術に、難解なことわりはない。

 理解の及ばぬ智慧があるわけでもない。

 ただ単に、炎を生み出し操る。ただ、それだけのこと。

 ただそれだけのことだが、それは術の仕組みのことであり、術の『量』と『質』を見た場合、エナリスのそれはもはや性質すら異なるものへと変化する。

 通常の魔術師の場合、第七世界における火炎放射器の火力と同程度の炎しか生み出すことができない。十分な殺傷能力はあるが、対魔術師戦闘において強力な術であるとは言い難い。

 だが、エナリスのそれは最初の一撃として放たれた炎だけでも戦艦の巨砲に匹敵する威力を誇る。回避が間に合ったとはいえ、僅かに離れただけで凌げる炎ではない。

 ゼンは事前に炎対策として、拳銃に数十に及ぶ真空の壁を生み出す術を仕込み、それを咄嗟に起動させることで熱を防いでいた。

 

「これが……魔術」

「本当に、式録が使えないんだな?」

「うん。式録が何なのかは分かるけど、使うことだけがどうしてもできない」

「悪いが、逃げることはできないぞ」


 ゼンはエナリスの隣に立つ男に目を向ける。

 エナリスの炎も大概に強力であるが、男が放つ圧力は別物だ。次元が違うと言ってもいい。エナリスの脅威が霞んで見えるほどに、男は危険な存在であった。


「あの女魔術師は俺がなんとかする。お前は……朔夜は、あの男を俺たちから引き離してくれ」

「あ……アイツも、私と同じ……?」

「強そうだけど、。臆さずに戦っていい」


 アバターに与えられる魔力は、九体のアバター全員で均一である。

 女子高生だった昨夜と、筋骨隆々とした男であっても保有する魔力量は同じであり、身体能力に差がない。

 差になり得るのは式録の能力、そして戦闘技能のみ。拳では、決着がつかない。

 故に、アバターの戦闘とは頭脳戦であり、心の戦いである。朔夜にも可能性があった。


「あなたは……ゼンは、どうなるの」

「あいつと戦う」


 自分が『残鍵ギアー』であることは知っている。

 魔術大連に選ばれた魔術師たちに比べれば、比べることすらできないほど矮小な存在であることも自覚している。

 だが、勝たねば生き残れない。

 ならば、どれだけ大きい存在だろうと、勝たねばならぬ。


「俺が、エナリス・ハーバルシャットに勝つ」


 その宣言を、エナリスも聞いていた。


「聞こえたわよ、傭兵」


 ゼンの装備、そして使用した魔術の癖から、即座にゼンを傭兵であると看破して退けた。それが歳の違わない少女の推察力だと、誰が想像できよう。


「あなたを、殺すわ」


 大魔術師が、牙を剥いた。



 * * * *



「さて、主たちが戦い始めたわけだが」


 エナリスの炎を避けるため、男のアバターがやや離れた位置に立つ。

 対峙する朔夜の前に悠々と、一抹の恐れを感じさせることもなく。


「嬢ちゃん、前世ではまだ学生だったか? 大変なことに巻き込まれちまったな」

「……前世って呼ぶのね。あなたも私も、死んだってこと?」

「いや、死んでねぇしここはあの世でもねぇさ。だが_____死ぬ可能性は高いな」

「…………!」

「俺や嬢ちゃんみたいなのが九人召喚されて殺し合う。生き残る確率は九分の一だ。俺の主はバケモンみたいな嬢ちゃんなわけだが、そっちは……どうだろうな」


 この男は明らかに慣れている。

 命をかけること。死ぬかもしれないこと。理不尽に戦わされること。

 根本的に何もかもが違う世界においても通ずる理を、この者は理解しており、朔夜は理解できない。年齢からしても、場数が違うことが明確だ。

 自身がゼン以上に危ない状況にあることを、朔夜は落ち着けた頭脳で悟る。


「で、どうする? 大変不本意ながら……今から嬢ちゃんを、殺さなきゃならねぇわけだが」

「確かに、おじさんの方が強いかもしれないけど」


 戦うことについて、朔夜が知っていることは少ない。武器など持ったことはなく、他者に暴力を加えた経験もない。

 だが、


私たちアバターの身体能力は誰であっても同等。そうでしょ?」

「……ほう」


 華奢な朔夜の体型からは考えられないほど力強く地面を蹴り、男へと飛びかかる。地面がひび割れるほどの踏み込みが生み出す速度は、速度に比例した威力を生み出す。

 まともに当たれば石造りの家屋が一撃で倒壊するほどの膝蹴りを、男が交差させた両手で受け止める。巨大な金属塊同士が衝突したかのような重々しい音が鳴り、ゼンが張った結界の膜を震わせた。

 

「よく分かってるな。俺の腕力も、嬢ちゃんの細い腕の腕力と変わらない、つまり殴り合いじゃ勝負はつかないってことだ」


 朔夜に体術の心得はない。学校で習った柔道が関の山であり、護身目的の体術を習った経験もない。術理など関係なく、向上した身体能力を活かし無理矢理超高速の連撃を叩き込む。だが、反応速度が向上している男もそれらを難なく捌いていくため、有効打とはならない。


「あなた、元軍人かなにか? びっくりするくらい落ち着いてるわね……!」

「おかげで体術はこの通りだ。素人の嬢ちゃんなんざ、全く怖くねぇな」

「うっざい!」


 時には建物を跳び回り飛び散った巨大な瓦礫を投げつけ、時には足場を破壊し宙に浮いたところに飛びかかる。身体能力にものを言わせた、術理の存在しない無茶苦茶な攻撃だが、アバターの戦い方としては。身体能力の向上度合いは本人たちにも想像がつかないほどであり、生半可な体術が身体能力の高さに追い付かないことが往々にして起きる。故に朔夜の戦い方は強大な力を宿したアバターとしては、偶然ながらも適切なものであったのだ。

 無論、それは男の方も承知の話。

 両者共に目的が合致するからこそ成立する戦いである。

 それすなわち_____シーカーの戦いのために、アバターを食い止めること。


「さて、俺ん方の嬢ちゃんと、そっちの灰色の坊主……どっちが勝つかな?」


 朔夜はやや離れた位置で湧き上がる、鉄すら溶かすほどの熱気に目を向けた。


「ゼン……どうか無事でいて……!」



 * * * *



 自分より強い敵とは、何度も戦った。

 数十人がかりで取り囲まれ、飽和攻撃を浴びせられたこともある。

 何の装備もない状態で魔物が住まう危険地帯を三日三晩歩いたことも、敵の砲撃が飛び交う戦場を一週間以上行進し続けたこともある。

 それら全てを踏み越えてきたからこそ、ゼン・オルテオラは十代の年齢で業界に名を馳せる傭兵魔術師となったのだ。

 そんなゼンが、持ちうる技術力と経験に裏付けされた高い判断力を用いても尚、エナリス・ハーバルシャットという敵にとっては、逃げ回るだけの赤子に過ぎない。


「言っておくけど、別に油断なんてしてあげないわよ?」


 エナリスが力強く踏みつけると同時に、ゼンが立っていた場所から火柱が噴き出す。炎の直撃を受けるなど論外、地面が溶けたマグマを僅かに浴びることすらできない。

 かつて炎を吐く巨大な魔物と戦ったこともあり、その時は発熱器官の場所を特定しそこを破壊することで攻略可能であった。並の魔術師では近づくことすらできない相手を、ゼンは倒すことができる。

 その魔物と比べても、エナリスは規格外であった。人の域を明らかに超えている。


「でも、本気ってわけでもないんだろ」

「本気じゃなくても勝てるもの。それとも……本気になって欲しいの?」


 その笑みが美しいと、感じずにはいられなかった。こちらの生殺与奪を握る圧倒的な上位存在からの、慈悲と無慈悲の混ざった笑み。

 強き者にのみ許される、傲慢な笑み。

 既に、ゼンはエナリスの炎に取り囲まれている。背後に聳える巨大な炎の壁に逃げ道を奪われ、遮蔽となる建築物は軒並み焼き払われている。攻撃魔術も高密度の炎の鞭によって払われ届かず、エナリスの攻撃は当たらずとも余熱だけでゼンの体力を奪っていく。

 これだけの炎を出しても尚余裕を下さないところからして、本気を出せば工場地帯ごとゼンを焼き尽くすことができるのだろう。それをしないのは言葉通り、そこまでのことをしなくても勝てるからだろう。


「さすが魔軍大将の娘だ。俺とは、生まれ持ったものが違うのかな」


 ひたすらに戦い、理不尽に晒されもがき続けなければならない、自分とは。

 だが、弱者の皮肉とも賞賛とも取れる言葉を前に、エナリスは尊大な笑みを崩した。

 代わりに浮かべたのは_____憤怒。

 

「ああ、そう……」


 そして、失望。

 渦巻く炎が猛々しく揺らめく形から、静かに渦を巻く落ち着いたものへと変化する。魔力は精神と強い結びつきを持つが故に、精神状態の変化は魔力の形へと色濃く反映されるのだ。

 一見すれば脅威が和らいだようにも見える変化に、ゼンは全身を強張らせる。

 動きを止めたように見える炎の内側に、先ほどよりも遥かに猛々しく渦巻く炎が存在することに気付いたからだ。

 炎には焚べる薪が必要だ。魔術師の起こす炎には魔力だけでなく、当人の心が必要である。燃え上がるような情念のない者に、これだけの炎は生み出せない。

 これほどの炎を、これほどの情念、思念、あるいは怨念を持ちながらも、それらを完璧に制御し、細く薄く束ねるためには、一体どれほどの技量が必要だろうか。


「……悪い。未熟な発言だった」


 一瞬にして炎の魔術の深奥を見抜き、その本質を朧げながらも理解したことで、エナリスの強さの底を理解したゼンは年の変わらぬ少女に心から敬意を抱いた。

 いずれ、殺さなければならない敵だ。そして自分よりも強く、どんな手を使ってでも滅ぼさなければならない存在だ。

 それでも、この瞬間だけは。

 自身と年の変わらない、自身と同等か、それ以上に何かを積み上げてきた存在にふさわしいものを捧げたいと、そう思えた。

 思わぬ真っすぐな誠意に、エナリスも怒りを鎮め困惑する。


「素直に謝るなんて……調子狂うわね」

「あんた、


 直感で感じ取っただけの情報であり真偽は定かではない。だが口に出したことでエナリスの反応を見ることができたのは、収穫だったと言える。

 

「普通なら地面を溶かすほどの熱なんて出せないし、これだけの規模なんて無理だ。でも、あんたの炎は桁違いに密度が高い」


 答えは、炎の形にある。

 渦を巻く炎。その構造は単に大量の炎が噴き出しているのではなく_____線になるまで圧縮された超高密度の炎が渦を巻いた際に発生する余熱が、巨大な炎のように見えているだけに過ぎない。

 圧縮された炎は発散を求めて圧力を高め続け、さらなるエネルギーを生み出す。だが、高まり続ける圧力に耐えうるほどの圧縮を維持するには、尋常ならざる炎の操作精度と集中力がいる。

 生まれ持ったものなどでは、決してない。身が焼けるほどの努力と覚悟でしか達成し得ない、圧倒的な技量。

 エナリス・ハーバルシャットの姿が、ゼンにとってより大きなものへと変化した。


「まぁ、私の炎の性質が分かったところで……あなたに攻略法なんてないでしょう?」

「確かに俺じゃその炎を突破できない。できることといえば、こんな風に」


 ゼンを追随する炎の鞭を躱しつつ、懐から取り出した球体を三つ放り投げる。

 炎とぶつかると同時に弾けたそれは、大量の煙を吐き出しゼンの姿を眩ませた。


「煙幕……逃げられるとでも?」

「晴らせるものならな」


 炎を活かした爆発で煙を吹き飛ばそうとするも、煙は散っていかない。本来なら風によって流れるはずの煙が、エナリスを中心として滞留し続けている。

 それに、これは普通の煙ではない。微細ながらも魔力を伴った煙であり、魔力の探知能力を著しく阻害する効果を有している。強大な戦闘力を持つ魔術師相手に、視界と魔力の感知能力の両方を奪うことができる、特殊な煙幕。


「なるほど、兵装魔術ってことね」


 兵装魔術。

 傭兵魔術師の一部が使うとされる、完全な実戦重視の魔術。

 一部の魔術師からは『俗物』として忌避される、魔術の価値を戦闘能力のみに特化させた下法であり、そこに系統立ったマニュアルは存在しない。

 魔術には『系統』と呼ばれる、術理の原点から伸びる理がある。魔術師は自身の得手不得手から自分だけの『系統』を見極め、系統に沿った魔術を学ぶことで術理を身に着け、様々な魔術を手にする。

 例としてエナリスの場合は『炎』が系統であり、炎を使用、あるいは操作することに特化した魔術を手にすることで尋常ならざるほどの炎の操作精度を手に入れたのだ。

 だが、ゼンが修めた兵装魔術はそれらの系統を一切見ずに実利のみを重んじる。系統がなくバラバラのため術理の習得ができておらず、術の精度は通常より遥かに劣る。現在使用している滞留する煙幕も『煙』『風』『遮断』といった三つに分かれる系統の魔術を無理矢理合わせた術であるため効力は弱い。もし系統に沿った魔術を習得し術理を極めていれば、エナリスの炎を風で吹き飛ばすことも、どこまでも広がる煙で姿を眩ますことも、気配を完全に消して逃げおおせることもできただろう。

 だが、全ての効果が中途半端であるが故に、エナリスの炎を妨害することは一切できず、煙はエナリスの半径十メートル程度に留まり、そして気配の遮断も具体的な位置をぼやかすに留まる。

 魔術師によっては、この侮辱的な魔術を見た途端に怒りを露わにすることもあるだろう。


「もう一回言うけど……別に油断なんてしてあげないわよ?」


 だが、ゼンはエナリスを相手に既に十分以上時間を稼いでいる。

 炎で逃げ道を塞ぎ、余熱だけでも蒸し焼きにされる熱に晒されながらも炎の直撃だけは避け、あわよくば銃を使った魔術でこちらに攻撃を挟んでくる。弾丸が込められている時もあればない時もあり、どんな手段を使ってくるか読むことができない。

 実力で言えば遥か格下。しかし、勝負においては決して負けることがない。

 そんな魔術師がどれだけ厄介な存在か、分からないエナリスではない。


(彼の戦略は正しい)


 今、追い詰められているのがどちらなのか、エナリスは理解した。


(アバターは誰であれ同等の身体能力を持つ。つまり殴り合いじゃ決着はつかない。勝負を決めるには……絶対に式録の力が必要)


 ゼンのアバターである少女は、見たところ未だ式録の力を引き出していない。

 そしてそれは、エナリスのアバターの男も同様なのである。


(まだ戦いは拮抗しているけど、どちらかが式録の力を使い出せばすぐに決着が着く。もしあの女の子が先に式録を使えるようになったら、私のアバターは負けるわ。つまり……)


 今、一対一で相対しているこのタイミングで。

 この第七のシーカーを、確実に倒しきらなければならない。

 兵装魔術を駆使し圧倒的な実力差をものともしない、この敏腕の傭兵に。


「私と変わらない年でしょうに。すごいわね、あなた」


 今度は、エナリスの番だ。

 時間をかける暇はない。まだ時間があると考える、その傲慢こそがこのナインロイヤルにおいては命取りになりうる。

 自身を囲う煙幕のさらに外側から炎の膜を生み出し、煙幕を全て燃やし尽くすことで無理矢理煙幕を突破し、建物の屋上からこちらを窺うゼンを見据える。

 少女が発するとは思えないほどの苛烈な殺意を感じ取り、ゼンは構える。

 次が、正念場だ。


「次で、り切る」

「_____来い」


 _____同刻。


「あっ」

「ん……?」


 僅かに離れた位置で相対する朔夜に、異変が生じた。


「…………使えるように、なったかも」


 

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