口うるさい幼馴染み

かなぶん

口うるさい幼馴染み

 中学二年の夏休み最終日。

 そこから坂下さかした賢人けんとの生活は一変した。

 一ヶ月も経たず話題性をなくした事故の後遺症か、成長を止めた右腕。

 不思議と不自由はないものの、目を引く歪さは手袋で隠しても賢人の気を晴らさず、親を含めた周囲の腫れ物に触れるような対応が、増して少年の心をささくれ立たせていく。

 荒れた言動が目立ち始め、孤立したなら、なおさら苛立ちは収まらない。

 それは中学三年になっても変わらず、周囲との距離は広がるばかり。

 自暴自棄になったところで、不良と名高い相手にぶつかっても、

「てめぇ、どこ――ちっ」

 相手が賢人と知るなり、掴んだ胸ぐらを突き放して背を向ける始末。

 いっそ殴り合いにでも発展させてくれればいいのに。

 その代償で二度と立ち上がれなくても構わない。逆に清々するだろう。

 こんな自分など――。

 激情に任せて、去ろうとする肩へ手を伸ばす。

 だが、

「ちょっと! 何してるのよ、賢人!」

 甲高い少女の声に賢人の身体が大きく震えた。

「……つばさ

 振り返ったなら、そこには幼馴染みの遠野とおの翼が腰に両手を当てて立っていた。真っ直ぐ向けられる怒りに、内心で怯みつつ、

「うるさい! お前に関係ないだろ!!」

 負けじと叫んだだけなのに、周囲の目が賢人へ向けられた。遠巻きの目はどれも恐れを含んでおり、それは背を向けていたはずの不良にも宿っている。

 気味が悪い――汲み取った感情に思わず右腕を押さえた。

 手の方は手袋の厚みで誤魔化せても、成長した左手ではどうしても余る腕の細さに、自分自身でも思う。何度も思ってきたことを、今日も。

 ――気持ち悪い、と。

「っ!」

「賢人!」

 逃げるように、否、事実逃げるつもりで駆け出す。さしもの幼馴染みも、右腕と違ってよく育った歩幅には追いつけないと知っていた。同時に、走りには追いつけなくとも、見透かされている目的地で待ち構え、説教を食らわせてくることも、賢人はよく知っていた。



 夏休みの終わりを境に変わった周囲とは違い、何一つ変わらなかった翼。

 いや、周囲が遠巻きにしてくるためか、昔よりも口うるさくなったと感じる彼女が、賢人は正直苦手だった。同い年なのに年上ぶるところも、賢人と同じく兄弟がいないくせに主導権を握ろうとしてくるところも、何もかも。

 唯一人、変わらず接してくれることを嬉しく思わせてくれないところも、また。

 それでも待ち構えられたなら、逃げるのを諦めて座り込み、始まる説教を聞き流すのは、今や賢人の日課となっていた。全くもって面白くもない日課だが、持論全開に披露される翼せんせーの「本来あるべき中学生の姿」講座は、寝るのに最適だった。

 だから今日も、いつもと同じように寝腐ってやろうと思っていたのに。

「……ねえ、そろそろ止めたら? もうすぐ夏休みなんだから」

「…………」

 始まりはいつも通り。途中から、翼がそんなことを言い出した。

 ――中学三年の夏休みがどれだけ貴重か。

 そこから派生したのは、いつものような”誰か”ではなく、明確に”賢人”を指した、忠告にも似た説得。

「アンタだって、いつまでもこのままでいいなんて思ってないでしょ? いい加減、不貞腐れてないで自分の人生を生きなさいよ」

「…………」

「腕の一本や二本、違ったところでアンタ自身はそのままなんだから、何も変わらないんだからさ。目を覚ましてさっさと――」

「るせぇな……」

「なんだ、起きてたの」

 どうやら寝ていると思われていたらしい。

 だからと言って、今回ばかりは聞き捨てならなかった。

 翼の言葉はよりにもよって、賢人が何より触れて欲しくない部分を評価したのだ。

 ――くだらない、と。

 この腕のせいでどれだけ惨めな思いをしたか、知らないはずがないのに、そんなものと言わんばかりの声音は、到底許せるものではなかった。他のことならいざ知らず、この、全ての元凶である腕のことだけは、軽々しく言われたくはない。

「……お前に、何が分かるんだよ」

 他にも言葉はあっただろうが、怒りを抑えてはこれが限度。

 しかし、

「何って?」

「っ!」

 呑気な聞き返しに、膨らんだ怒りをバネにして起き上がる。

「お前に、俺の何が分かるんだって言ってんだよっ!!」

 一つ吐き出せば次から次と出てくるのは不平不満。

 何一つ変わらない翼と変わってしまった自分、それなのに変わらないとお前が言うのか。変わったことを嘆いている自分を見ているくせに、見てきたくせに、その嘆きすらないかのように、なかったことのように――……。

 翼が説いてきた「本来あるべき中学生の姿」を鼻白んでいた賢人だが、その実、それは賢人が思い描いていた中学校生活そのものだった。

 だからこそ無関心を装いながらも突き刺さっていた翼の言葉に触発され、行き場を失った恨み辛みが、翼個人を標的にしていく。自分でも相手が違うと分かっているのに止められない。

 ――なのに。

「ふーん。あ、そ。残念だけど、全部的外れ。だって、アタシはアンタよりもアンタが分かっているんだもの」

「はあ!?」

 賢人の悪感情の全てを真っ向から受けた翼は、ケロッとした顔で事もなげに言う。

 開いた口が塞がらない賢人へ、翼は追い打ちを掛けるように笑う。

「って言うか、アンタこそ分かってる? お前に俺の何が分かるって台詞ってさ、自分のこと分かって欲しい構ってちゃんが言う台詞なんだよ?」

「なっ!?」

「だって、実際に分かってたらどうすんの? それこそ、相手が自分のこと本当に分かってないなんて分からないのに」

「…………」

 禅問答のような問いかけに言葉が詰まる。

 いつだって優勢の翼は、畳みかけるようににっこり笑って言った。

「そうね。じゃあ、試しに例の現場に行ってみたらいいわ。アンタが無意識に避けているあの場所に。気づいてた? 家から学校まで、あの場所を通ったら早いのに、アンタはあの日以来、ずっとあそこを避けて通ってるって。もちろんアタシは知っていたし、その理由も分かっているけどね」

 そうして最後に「さてと。地雷を盛大に踏み抜いたし、しばらくは会わないでおきましょ。それじゃあ二学期の始業式で、また、ね」と言い残した翼。

 何もかもを見透かしたような背を見送り、賢人はしばらく呆然としていたが、

「クソッ」

 誰に当てたかったかも分からない悪態をついては、翼が言っていた”例の現場”へ足を向けた。


* * *


 夏休みの間、翼は宣言通り、本当に賢人の前に姿を現わさなかった。

 別段、それで困ることは何もないのだが、居心地はすこぶる悪い。

 認めるのは悔しいが、たぶん、きっと、あれでもやっぱり、何も変わらない翼の存在は、賢人にとって一種の清涼剤の役目を果たしていたのだろう。

 茶化す存在のいない日々は、自室にいても息苦しい。

 ただ少しだけ、良くなった、と言えなくもない変化はあった。

「おはよう……」

「あ……おはよう、賢人」

 なんとなく口にした挨拶に、戸惑いながらも返ってくる家族の声。

 翼と話していない反動なのか、突発的に始まった、あるいは再開した挨拶は、今も奇妙な距離感を保ったまま続いていた。

 居心地は依然として良くない。が、気持ちは以前より軽くなっている。

 その理由もやはり――分かっている分、突き放すようにカレンダーへ目を向ける。

(……そういや、夏休みも今日で終わりか)

 不意に、今日なら行けるかも知れないと思った。

 中三の夏休みをここまでだらだら過ごす奴がいるのだろうかというくらい、だらだら過ごした最終日。今日、この日ならば……例の現場に行けるかも知れない。

 夏休み前、結局行けず仕舞いだったあの場所へ――。



 翼への意趣返しか、それとも礼のような気持ちか。

 判然としない思いを抱えたまま、賢人は去年と同じ夏休み最終日、あれ以来一度も訪れて来なかった事故現場へ向かう。

 夏休み前、翼に掛けられた発破は、目的地に辿り着く過程で萎んでいた。

(いや、違うか、あれは。萎んだというより……)

 ここ最近の中では比較的涼しい日にも関わらず、賢人の顔を多量の汗が伝う。

 眩しい日差しに景色が解けて歪む。

 一歩、あの場所に近づこうとする度に、足が重くなる。

 手が冷たくなる。

 特に、成長を止めた右腕が。

 ともすれば熱中症に罹ったような感覚だが、賢人には直感があった。

(違う。……たぶんこれは……恐いんだ)

 長い夏休みの間、周囲の目を気にせず過ごしていたためか、夏休み前は気づかなかった自分の異常に、賢人は翼の言葉を思い返していた。

(アイツが……翼が分かっていて、俺が分かっていない、俺のこと……それを知るのが恐い。この反応は、そういうことなんだろう。けど、なんでだ……?)

 理解できない。

 そう思っていた目が、久しぶりにその景色を捉えた時。

 賢人は自分と周囲――そして翼の存在ことを理解した。


* * *


 始業式が終わった午後。

 なんとなく、いつも翼が説教をするベンチに腰かけた賢人は、現れた幼馴染みの姿に一瞬息を詰め、そして毒気が抜かれたように笑った。

「お前……なんだって浮いてるんだよ」

「あ、やっぱり浮いてるんだね、これ」

 久しぶりに見た制服姿の翼は、地面から少しだけ浮いた場所で、前と変わらない――一年前と何も変わっていない顔で笑った。

「おじさんとおばさん、引っ越したよ」

「うん、知ってる。夏休み前に賢人があそこに行こうとしたのを見て、ようやく決心がついたみたい。でもまさか、賢人があそこに行った日が、引っ越し当日とは思わなかったよ」

「生活が一変した日だから、同じ日に変えたかったんだってさ」

「そっか。……言えた義理じゃないけど、新しいところでも仲睦まじく、少しでも楽しく幸せでいてくれたらいいね」

「なんだよそれ。一人娘のくせに素っ気ない。二人が知ったら泣くぞ」

「んー、そうだねぇ」

 伸びをすれば、そのままくるりと宙返り。

 どこまでも呑気に映る姿に賢人は呆れ笑い、疲れ切った深呼吸を一つ。

「で? 結局お前は何なんだ? 幽霊なのか? それとも、俺が見てる幻?」

「さあ? それはアタシにも分かんない。アタシが知っているのは、アタシは遠野翼っていう女子中学生で、アタシが見えるのは賢人だけってことくらいで……死んだっていう実感もないからさ」

 賢人への説教とは違い、完全に他人事のように自分を語る翼。

「なんだよそれ」

 他に言える言葉もない賢人の脳裏に過るのは、彼女の生前の姿。


 一年前のあの日。

 何でもない晴れた青空は真上にあって。

 複合施設前の広場で偶然会った二人は軽い立ち話をして。

 そして――真っ赤になった。

 気づけば賢人は病院のベッドの上。

 翼は……とても少なかったらしい。

 彼女と分かる痕跡が、とても。

 何があったかは分からない。

 ただ、全てが混乱していた。

 その内に、賢人が翼を視るようになった。

 事故に巻き込まれた、それしか知らない、憶えてもいない賢人が。

 賢人が視る翼は、事故の惨状を知っていた。

 賢人の忘却のことも、それでも完全には忘れていないことも。

 彼女の棺には、申し訳程度の変色した布きれが納められたことも。


「分からない、けど……そうじゃないかなって思うことはあったんだ」

 そう言ってベンチに座る賢人の前で、先ほどよりも高く浮き、そして景色に薄く透け始めた翼は、ふわりと微笑む。

「幽霊だろうが幻だろうが、アタシはいつか消えて、賢人だけがここに残るって。それなのに……アタシのせいで、そのまま投げやりになられたら嫌じゃない?」

 もう少し周りに目を向けてみれば分かることだった。

 問題は成長の止まった右腕ではない。周囲が恐れたのは、腫れ物のように扱ったのは、死んだ幼馴染みを生きていると思い込み、狂ったように怒鳴り散らす賢人の姿。

 死者が見えるにしても、その関係性は周囲にも近すぎて、誰も何も言えなかった。

 言えばもう一人、近い関係の相手を失うかもしれない、と。

「ほら、みんな、賢人のことが大好きだから」

「……よくもまあ、そういうことを恥ずかしげもなく言えるな」

 そこまで大袈裟ではなくとも、つまりはそういうことだったのだろうと思えば、ムズ痒さを感じてしまう。一方で、翼の死が余計に周囲をそうさせたとも言える。

 生前はそうでもなかった翼の、死後のカリスマ性に何とも言えない顔になれば、自称賢人を分かっている幼馴染みは死のイメージからかけ離れた笑みで言う。

「まあ、だからさ。アタシが言うのもなんだけど、人間、いつかは死ぬものだし、どうせならそれまで楽しく生きていたいじゃない? だから、アンタはこれから、もっともっと楽しく生きてってよ。アタシの分、なんて考えずにさ」

 付け足したのは、賢人が気負わないようにか、それとも本心か。

 人を分かった気でいるくせに、自分を分からせるつもりが欠片もない様子の翼はそう言うと、賢人が口を開くより先に宙へ溶けていった。

「……本当に最期の最期まで、勝手なヤツだな」

 ――お褒めにあずかり光栄です。

 おどけたそんな幻聴に、賢人は「褒めてねーよ」と小さく笑った。


* * *


 ――春。

「よお!」

 賢人が気軽に右手を上げた先には、不良で名高かった小柳こやなぎ和聡かずさが校門の陰で呆然としていた。

「し、信じられねぇ……なんだって俺が、こんな進学校に入学してんだよ」

「そりゃまあ、頭の出来が良かったんじゃねぇの?」

 縁あって連むようになったついでに、己の志望校へ巻き込んだ現友人へ、事もなげに賢人は言う。

「意味分かんねぇ。確かにお前のこと、中三になっても誰も、そっち方面では心配してねぇとは思ってたんだよ。どう見たってヤバいのはお前の方なのに、なんで俺の方ばっかり進路相談のヤツに絡まれるんだって……」

「まあまあ。お陰で俺はお前という友だち連れて、ここに来れたわけだから、めでたしめでたしで良くね?」

「良くねぇよ! どーすんだよ!? 進学校だぞ!? 俺の頭でついていけるか?」

「大丈夫だろ。あ、コツコツやんのが苦手なら、またウチで合宿するか? そうすりゃ、息抜きの時間でゲームだってなんだってできんだろ」

「止めろっ! 思い出させるな! 勉強で絞められ、ゲームで心身共に破壊される日々なんか、ただの地獄だ……」

 ぐったりする一方の和聡に、賢人は”地獄”と評された日々を薄らと思い出す。

 完全に出遅れた息子の高校受験のため、本業の傍ら異常なほど熱を入れて懇切丁寧に勉強を教えてくれた父と、完徹でも生きていける方法と共に期待作の新作ゲームソフト――のデバック作業を無限提供してきた母と。

 あの日々があったからこそ、ぎこちなかった関係が一気に解消された、そう思えば賢人にとっては良い思い出であった。

 天国と地獄。そう表するに相応しい、相反する少年たちの苦悩と微笑。

 そこに加わるのは――

「ま、賢人ん家って、実際、ヤバいからね」

 二学期の始業式に消えたはずの翼。

 あの日の翌日、気まずそうに再び姿を現わした彼女は、呆然とする賢人に向かって、「いや、昨日は本当にこれで終わりだって思ってたんだけど……なんか違ったみたい」と照れつつ笑い――今もこうして、賢人の前に度々現れていた。

 以前と違うのは、浮けるようになったことと、賢人からも姿を隠すことができるようになったこと。

 そして、

「言いがかりは止めろ。どこにでもある普通の一般家庭だろうが」

「どこが一般家庭だ、どこが……って、いるのか?」

「ああ。丁度そこに」

 賢人が翼を指差せば、和聡が目を細めて見ようとする。

「……ちょいと賢人さんや。和聡ちゃんに言っておくれよ。高校生男子が中学二年生の女子の胸をじっと睨みつけるもんじゃないって」

「――だとさ」

「お前、そういうことは早く言え」

「良かったな。危うく胸に顔を埋めるところだったぞ。んなことになったら、末代まで祟ってやるところだって」

「言ってないんだろ、どうせ」

「おお、言ってないよ、和聡ちゃん! すごいすごい! 正解を祝して、賢人の幼馴染みポジションを進呈しよう!」

「――それは丁重に辞退する」

 こちらも縁あって、連むと同時に翼の存在を”そういうモノ”として受け入れた和聡に、賢人と翼の二人は「何故!?」と見事なハモりを披露した。が、当然ながら和聡には賢人の声しか聞こえておらず。

 こうして、二人の少年と、一人の少女――を自認する”何モノか”の生活は、新しい舞台を得て幕を開けた。

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