新妻。あるいは心のささくれ剥き女

黒味缶

結婚

 別にそこまで好きと言うわけではないけれど、この人といると居心地がいい。そんな理由で結婚を決めた。

 割れ鍋に綴じ蓋。合わぬ蓋あれば合う蓋あり。

 そんな言葉があるように、自分のささくれに無関心な俺には、他人のささくれだろうと剥きまくる女が合っていた。


「本当に私で良かったの?」


 婚姻届けを出した帰り道、妻となった女は隣を歩く俺を覗き込むようにしてそう言う。


「お前だから良いんだ。居心地だけは、最高にいいから」

「嬉しい」


 甘えるように腕に抱き着く様子を見れば、ただのいちゃつく男女だろう。もちろん、その側面もある。


「ねえ、結婚したからもう逃げられないのよ?」

「知っている」

「ふふ……ねえ、報告に行きましょうよ?式は上げない分、報告に。そうね、田中君夫婦の所はいきたいわ。理沙ちゃんね、あなたが初恋だったのよ?気づいてほしくてあなたを馬鹿にし続けてたけどね」


 あるけれど、こいつは半ば人の世で生きる妖怪みたいなやつだ。近づいて話をすればこいつ化け物と理解するし、俺はそれをかくまう狂人ということになるだろう。


「馬鹿にされてたことすらお前に指摘されないと気づかなかったけれどな」

「でも気づいたときあなた泣いたじゃない?ああ、たのしみ。あなたが気付かないうちに傷ついた分、他の人も傷つけていきましょうね?」


 こいつは容赦なく心のささくれに手をのばし、それを剥き取る。他人の分も、俺の分も。そして自分の分も。気づかずに済ませられる傷を、本物の傷と痛みに変える事だけがライフワークの妖怪女だ。


「あとは私の両親と、あなたの両親と……そういえばあのあたりにまだ吉田君住んでたはずよね」

「……吉田の所にも顔を出すのか?」

「ええ。……捨てられるまでは、仲良くしてたもの。報告ぐらいしないとね」

「そうか」


 かつて自分を弄んだ男の元へ行くという妻は、俺を見る。そして、うっとりと目を細めた。

 妻は自分と俺の心のささくれに、手をのばす。


「もしかして、私が吉田君と会うの、嫌?」

「嫌みたいだな。あまり自覚はないが」


 チクリとした痛みと共に、心のささくれが一つ剥かれる。

 こんな女だが、それでも過去の男と会うのを許容できない俺に気づかされる。


「なら、やめておいてあげる。ふふ、嫉妬してくれるんだぁ♪」

「二度と会わないで欲しい」

「……じゃあ、自分からは会わないようにしようかな。人妻になったんだものね」


 今までどこがどう痛むのかわからなかった心が、確かにちゃんと生きて痛がれるとこいつが教えてくれる。

 こいつはこいつで、他人や自分の心が痛む瞬間に命を見出して安心できるという厄介な性質を持っているから、俺が痛がるのを喜ぶ。


「そうだな。そうしてくれ」


 嫉妬部分のささくれを剥かれて、ずきずきと痛みながらも好意を自覚する。

 こいつ以外は誰かを好きになった事すら気づかなかった。痛みすらしない些細なささくれで放置してしまっていたから。

 割れ鍋に綴じ蓋。合わぬ蓋あれば合う蓋あり。


 痛みに気づかない男には、痛みに気づかせてくれる女が。

 痛みを見たい女には、痛みを知りたい男が合うらしい。

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