ささくれと百合の話

あげあげぱん

第1話

 そのころ、私は親と喧嘩をしていて、何日も大学の先輩の家に泊まっていた。


 先輩はマンションに一人暮らしで、私が彼女の家に泊まっているのは、そろそろ終わりにしなければならない。いつまでも先輩に迷惑をかけ続けるわけにはいかない。たとえ、私たちが恋人同士だとしても。


 朝食の後、食器を洗って戻った私は、椅子に座る先輩に背後から手を回した。


「先輩、食器洗い終わりました」

「ありがとう。あら?」


 私の手先に先輩の視線が動いた気がする。先輩の背後からでも、彼女の首の動きでそう思った。


「あなた。ささくれができちゃってるわよ」

「ささくれ、ですか?」

「確認してみなさい」


 先輩に言われた通り、私は自分の指先を観察した。確かに、ささくれができている。


「まあ、そのうち治ると思います」

「そうね。ところで、あなたは知っている?」

「何をですか?」

「ささくれについてのトリビア」


 ささくれについてのトリビア……豆知識みたいなことか。


「いいえ、知りません」

「じゃあ、教えてあげる」


 先輩はゆっくりと椅子から立ち上がり、私のほうに体を向けた。そしてのんびりとした動きで人差し指を立てた。


「ささくれはね。どうしてできるのか。その理由のひとつなんだけど」

「はい」

「親不孝がささくれの原因のひとつだと、昔の人は言ったのよ。迷信と受け取っても良いけどね」

「……親不孝」


 ハッキリ言われてしまうと少しモヤモヤしてしまう。そんな私を見て先輩は困ったような顔をした。


「親不孝……というのは言葉が強かったわね。私が言いたかったのは、あなたのご両親にあまり心配をかけてはだめということ。あなたはもう何日も私のマンションに居て、私は嬉しいけど……ご両親はだいぶ心配をしていると思うのよ」

「それは分かります。でも……」


 私はどうしても両親のところには帰ることができないのだ。


「でも……私は両親が許せないんです。両親は私と先輩が付き合うことを良く思ってない。それどころか、私を変だって言ったんですよ。女が女を好きになるのはおかしいって!」


 両親は分かってくれると思ってた。でも、父も母も私のことを分かってくれなかった。だから私は両親と喧嘩をして、先輩の元へ逃げたのだ。でも、今の状態がいつまでも続くことはない。現状維持はいつまでもできない。


「……私は家に戻りたくありません。少なくとも、両親が私のことを認めてくれるまでは」


 そう言った私を、先輩は静かに見つめていた。やがて彼女は言う。


「ねえ、あなたは……」


 先輩は一度呼吸をしてから私に尋ねてくる。


「あなたのご両親と向き合って話し合いはしたの?」

「え、それは……」


 していない。少しの話はしたが、すぐ両親に拒絶されて、私は簡単に理解されることを諦めてしまった。


 先輩は真剣な顔をして私の目を見る。


「私もね。考えていたの」

「何をですか?」

「あなたのご両親に、ちゃんと説明をしに行かないといけないって」

「でも、私は……」


 怖い。ちゃんと話し合って、そのうえで再び拒絶されることが怖い。


「私、両親と話し合うのが怖いです」

「そうね。私も怖いわ。でも」


 うん。先輩の言いたいことは分かってる。


「今のままじゃいけない。ですかね?」

「ええ、そう」


 先輩は頷く。


「ねえ、私とあなたと二人で行くべきだと思うのよ。ご両親の元へ」

「分かります。それは分かるんです」


 でも怖い。怖いから。


「先輩、ひとつお願いがあるんです。そのお願いを聞いてくれたなら、私は両親に会いに行く勇気を持てます」

「……分かったわ。言ってみて」


 私は先輩の目を見て頼む。


「私のことを、ぎゅっと抱きしめて欲しいんです。そうしてもらえたら、勇気が持てます」


 それだけ言って、私はぎゅっと目を閉じた。


 少しの間があった。先輩は何も言わず、そして。


 ぎゅっと、私は抱きしめられた。目を開けると私に密着する先輩の姿があった。凄く心がドキドキして、でも凄く心を勇気づけられた。


「……先輩。ありがとうございます」

「ご両親の元へ向かう勇気は持てた?」

「はい、なんとか。頑張れると思います」

「それは良かった」


 先輩は私からそっと体を離し、私に手を差し伸べた。


「じゃあ、行きましょうか。こういう時は、やる気のある時にやってしまわないと」


 私は頷く。私は彼女の手をとった。


「怖いですけど。行きましょう。二人で」

「ええ、きっと向かい合って話し合えば、あなたのお父様やお母様も分かってくれるはず」


 先輩の言う通りになるかは分からない。話し合いをして、良い結果に転ぶかもしれないし、良くない結果に転ぶかもしれない。だけど、現状から何かは変わると思う。


「話し合いをして、その後のことはその時に考えます」

「ええ、その意気よ」


 私たちは二人で一緒に、私の両親の元へ向かう。先輩が一緒に居てくれるのは、私にはとても心強いことだった。


 先輩と手をつなぐと、彼女の手が綺麗ですべすべしていることを実感する。私の手は指の先がささくれていて、先輩の手と比べると綺麗ではない。


 両親と話し合いをして、話の結果によっては、親不孝は終わるのだろうか? 私のささくれも治ったりするのだろうか?


 全てはこの先分かることだ。

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ささくれと百合の話 あげあげぱん @ageage2023

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