彼氏にささくれ立っている親友は私のささくれなど気付かない

木元宗

第1話


 高三にもなって体育祭にムキになる人なんていないだろうと思っていたら、隣に座る親友が今から人を殺すかのような険しい顔でグラウンドを睨んでいるものだからつい尋ねた。


「どうしたの? 熱中症?」


「木陰にいるのにそんな訳無いだろ」


 親友改め紗希さきは、いつもの泰然さなど微塵も無い鋭い声を寄越し右の人差し指を立てる。頭上で青々と茂る葉を示しているんだろう。今私達はサボりの為、グランドの隅に植えられた木々の足元に座って涼んでいる。紗希さきも私も文系だから、体育祭なんてつまんない戦力外な行事に興味無いのだ。そう昨日まで休み時間や放課後の通話で散々意思共有して来た筈なのだが、何故だかここに来て熱視線。熱って言うか、目で殺す勢いだが。


「だって怖い顔してるから。まさか早く終われと思ってるからって体育祭そのものを破壊してやろうと、乱入でも企んでる訳じゃあるまいし」


「あのクラス対抗リレーの連中にチャリで突っ込んでやろうかと思ってる」


「え思ってるの? やめなよ最悪退学だよ」


「チャリで突っ込まれる奴らの心配はしてないんだな」


「別にクラスメートって死んでも葬式行く間柄じゃないし」


「日常会話で放つ鋭さの言葉じゃないな……」


 そのお陰で萎えたらしく、紗希さきはやっと私を見る。笑わない女優みたいな、誰にも媚びないのに何でも持ってる、凛とした形の顔。体育の時だけポニーテールに結んでいる長い髪が、犬の尻尾みたいに揺れていた。


 私は木の幹に凭れながら、両腕を上げて伸びをする。


「ならどうしたの。私達の出場種目、もう終わってるじゃない」


 欠伸をしていると、紗希さきは前のめりになってグラウンドを指した。


「だから、あれだ。クラス対抗リレー!」


「私達免除だから不参加じゃない。文化祭前に怪我したくないからって」


 滲んだ涙を拭いながらグラウンドを見る。太陽光の直撃を浴び続け、白く輝きながら熱を放つ乾いた土の上に引かれた真白の線に沿い、クラスメートや他クラスの生徒が駆け回っていた。体育も運動も嫌いな自分としては滑稽な光景である。あんな些事さじで育まれる友情だの何だのに価値を見出せない。紗希さきは何にそうムキになっているのかと目を凝らすと、既に走り終えた生徒がたむろしているエリアで人だかりに気付いた。一人の男子を取り囲むように、複数の女子がきゃあきゃあと楽しげに声を上げている。


「ああ、尾形君とうちのクラスの女の子」


 紗希さきは耐え難いようで落ち着き無く手を動かした。


「あいつら尾形がゴールした途端集まり出したんだ。一体何の用なんだ」


 私は耳を澄ます。


「んー……。普通に喋ってるだけじゃ? 尾形君スポーツ万能だし。さっきも一位でゴールしてたしね。クラス対抗リレー」


 紗希さきはじろりと私を睨んだ。


「見てたんなら言えよ」


「あなたこそちゃんと見てなさいよ。彼氏の活躍する種目なんだから」


「見てたよ。見てたらあいつらが尾形に集まったんだ」


「だって最下位から全員抜き去ってバトン繋いだんだから凄いでしょう。私だって声の一つや二つかけたい気持ちになるって」


「お前なら別にいいけれど……」


 紗希さきはモヤモヤとした様子で手を組んだりり合わせたりするが、続きの言葉が出なくてグラウンドを見たまま黙り込む。


 紗希さきと尾形君はいい感じに凸凹なカップルだ。運動音痴だがこと音楽に関しては歌も演奏もそつなくこなす軽音部の紗希と、リコーダーもろくに吹けないし音痴だけれど、スポーツなら何でもってぐらい出来るバスケ部の尾形君。趣味や特技が懸け離れてるからと理解を示さないのでは無く、お互いの長所を素直に尊敬し合ってる、結構理想的な関係。その仲睦まじさは学年でも有名だ。喧嘩をしてる所だって見た事無い。なんだけれど、何やら紗希さきはささくれ立ってる。尾形君の周りの女の子は、まだきゃあきゃあ言っている。それを見ている紗希さきの目は、また険しくなり始めた。


「お前、彼氏いた事ある?」


「ほぉーん恋人持ちマウントですか?」


「違うよ質問だ。たとえばだ。好きな人が周囲に褒めらえている。とても気分がいいな?」


「うん」


「なんだけれど同時に、非常に気分がよくない。何故かささくれ立つ。この理由は何だと思う」


「嫉妬」


「しっと?」


 意味を掴みかねているのか、間抜け顔で聞き返される。漢字変換が出来なかったらしい。


そねんで妬むの嫉妬。尾形君の周りのあの子達が邪魔なんだよ。内心では。自分の彼氏にベタベタ構うんじゃないって。尾形君の事を一番知ってるのは私なのにって」


 紗希さきはいきなり服の下に手を入れられたような顔になって私を見た。だが思い当たる節もあるようで、言い訳したそうな苦しげな様子も滲んでいる。だがすぐに言葉が出ないようで、私は呆れて続きを言った。


「別に悪い事じゃないよ。心って常に複雑だしね。たとえば今の気持ちを円グラフに書き出してみたら、案外色んな事が出て来るでしょ? 暑いとか体育祭ダルいとか、尾形君が一位でゴールしてカッコいいとか、尾形君の周りにいる子達が鬱陶しいとか、質問しといて不都合な事実が暴かれて恥ずかしいし、ちょっと私に対して余計な事言うなよって不満があるとか」


 紗希さきは苦しげに一声唸ると、グラウンドへ目を戻してしまった。図星だったらしい。


 尾形君の周りの女の子はうに散っていて、尾形君も男子の輪に入って談笑している。つまり紗希さきの嫉妬の原因も失せた訳で、紗希はそのまま暫く黙り込んでいると、ぽつりと零した。


「尾形には知られない方がいいな」


「まーあ自分以外の女の子と話してるとイラつくって言われるのはねえ。だから何だよって話だし、ウザいよ」


「ぐああぁ……」


 紗希さきは結んでる髪が乱れるのも構わず、ぐしゃっと頭を抱えて俯く。

 

 対岸の火事である私は、それを眺めながら返す。


「内心は自由だから黙っとけば問題無いよ。秘密の無い人だっていないし、今までだって尾形君が他の女の子と話してる場面なんて幾らでもあっただろうに、ちゃんと黙ってたって事でしょ? 嫉妬だって今まで気付いてなくて、言語化出来てなかったぐらいなんだから」


「言ってない……」


「そう。偉いね」


「自分で言語化も出来ない事を誰かに理解して貰おうなんて思う程馬鹿じゃないさ」


 紗希さきはそれは綺麗に自身を客観視すると、私の意見に納得して顔を上げた。そう、普段の彼女とはこの通り相当理性的で、一緒にバンドを組んでいる私としてもそこは保証出来る。どんなに大きなステージでも部室にいるように落ち着き払って演奏する様をずっと見て来た。だと言うのに、この数ヶ月前から交際し始めたばかりの彼氏一人に、こんなにも心を乱している。


 情け無くて不快だ。


 この三年間クラス内では勿論、軽音部でも同じバンドのメンバーとして過ごして来たが、こんなに動揺するようになったのは尾形君と付き合うようになってからだ。


 いつも泰然。成績が落ちたり、友達と喧嘩したり、珍しく演奏でミスしても、決してそれを表に出さない。八つ当たりのように感情的になるのを嫌う彼女のそういう所を尊敬しているし、言い換えればその平静を保つ為、誰が相手でも同じ形の線を引いて一定以上は気持ちを表に出そうとしない冷めた所がもどかしかった。大人なのは素敵だけれど、もう少し素直になった方が人付き合いも上手くなるし、友達だって増えるだろうに。本当は今隣で見せてるように、喜怒哀楽が分かりやすいんだから。


 なのにいつからだったか、つまり本当に気を許しているのは私だけなんだと気付いて覚えていた彼女の不器用さへの寂しさや同情が、行儀の悪い優越感に変質していたらしい。交際するようになりたかが数ヶ月。それ以前はクラスメートに過ぎなかった彼が、彼女をこんなにも感情的にしている事が心の底から気に障っている。遠慮無く喜怒哀楽出来る相手が増えたという、彼女にとっていい状況が訪れているというのに、全く素直に祝福出来ない。


 彼氏がいた事が無いのに彼女のささくれ立っている理由は嫉妬と即答出来たのも、私が既にそれを覚えていたからだ。


 私は紗希さきの幸せを祈っているが、同じぐらい尾形君に嫉妬している。


 音楽はサッパリな尾形君には分からないだろう。彼女がどれだけ優れたプレイヤーかつ努力家なのか。私は三年間同じバンドでやって来たから分かっている。この点に関してだけはきっと、卒業まで超えられる事は無いだろう。


 尾形君の活躍がよく見えるグラウンドから離れ、高校生活最後の体育祭をサボってまで文化祭でのライブの成功を取った紗希さきの内心を、私が占める割合はまだどれぐらいあるんだろうか。


「キモいな私」


 つい呟いた私に、髪を結び直していた紗希さきがヘアゴムをくわえたまま聞き返した。


「む?」


「喉渇いたから自販機行こうかなって」


 髪を結び終えた紗希さきは、ぱっと表情を明るくする。


「いいな。行こう」


 逃げるように先に立ち上がると、丁度ちょうど尾形君と目が合った。よく見えるように、大きく手を振って来る。彼は私へ接する際の愛想がいい。私が紗希と親しい間柄だからなのと、私がいるとは側に紗希もいるだろうと思っての態度だろう。


 嫉妬から解放されグラウンドへの興味がすっかり失せている紗希さきは気付いておらず、そのまま自販機へ歩き出してしまう。そのままにしてしまえと脳裏に走った悪い考えを押し退け、慌てて紗希を引き止めようと手を伸ばした。握ろうとしている紗希の右手の人差し指が、少しささくれているのに気付く。


「ほら紗希。尾形君手振ってるよ」


「いてっ!?」


 右手を取られた紗希は、痛みに顔をしかめながら慌てて立ち止まった。


「な、なんだよ?」


「ほらグラウンド。尾形君」


「え? あ、ああ。ホントだ」


 紗希は目を白黒させながら何とか尾形君に気付くと、左手を振る。


 私が右手を掴む際、わざとささくれに爪を立てたのは気付いていない。きっと偶然だと思ってる。


 私のささくれにも一生気付かないだろう。ほんのさっきまで嫉妬を知らなかった、純粋な人なんだから。



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彼氏にささくれ立っている親友は私のささくれなど気付かない 木元宗 @go-rudennbatto

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