あの日のささくれ
山岡咲美
あの日のささくれ
ある寒い春。
私はもう使わないと思っていた手袋を取り出した。
「痛っ」
手袋の毛糸が指先に引っかかる。
「あ、爪の横ささくれてる……」
「ハサミで切ると残っちゃうんだよね」
私はそう言うと鏡台から爪切りを取り出し爪の横にあるささくれを切り落とす。
「ついでに爪も切っちゃお」
私は爪を切る。
パチン、パチン、パチン。
きれいに丸く爪を切る。
次は右手。
パチン、パチン、パチン。
「まあ、こんなもんかな……」
ささくれは早めに切り落とす、そうしないと何度も引っかかって血がにじむようになる。
傷が深くなる前にささくれは切り落とさなければならない。
*
「すみません、別れます」
彼の車の中で私は話を切り出した。
「……理由を聞いてもいい?」
彼が静かにそう言う。
彼のその静かなところは好き。
「疲れました」
私は突然嫌になった。
デートの予定を組むのも。
その予定をカレンダーに書き込み何度も確認し準備するのも。
会話も。
食事も。
買い物も。
朝メールをチェックするのも。
来たメールに返信するのも。
彼とする全てがわずらわしくなった。
「うん、わかった」
彼のものわかりの良さは好き。
「困った事あったら連絡して」
優しいのは好き。
「俺の部屋の荷物どうする?」
(考えてなかった……)
気がつくところは好き。
「捨てて……」
わがままで別れるのに荷物送ってとは言いづらい。
「また付き合いたくなったら連絡して」
しつこいのは嫌い。
「じゃ、さよなら」
私は彼の車から降り扉を閉める。
バタン。
*
「ゲーム機どうしよう?」
あまり私のマンションに荷物を持って来なかった彼が置いていった家庭用ゲーム機。
私は興味なかったけど彼はゲームしてほしかったみたい。
(結局彼と居る時しかゲームしなかったな……)
「これ高いのかな?」
私はテレビの横に置かれたゲーム機をのぞき込む。
手の中にスマートフォン。
(連絡したほうがいいかな?)
ささくれは早く切り落としたほうがいい。
でも会うと傷が深くなるかもしれない。
あの日のささくれ 山岡咲美 @sakumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます