【KAC20244】ざらつく心、信じる心

水城しほ

ざらつく心、信じる心

 今日のわたしは朝からずっと、モヤモヤした気持ちを抱えていた。

 自分のワガママでしかない感情を誰かにぶつけることもできず、かといって、そう簡単には取り払う術など見つからない。ささくれだっていく心を、即座に落ち着かせる魔法があればいいのに――見習い魔法使いとして歩き出したばかりのわたしは、ぼんやりとそんなことを思った。


 わたし、エルーナが「王立アーリエ魔法使い養成所」に首席で入学したのは、今から一週間前のこと。飛び級試験にも合格し、二年生へ編入されることとなった。

 養成所は一学年に一クラスしかなく、そして二年生には恋人のアルヴァーンが在籍している。彼は王族の血を引いているものの、わたしとは親同士が親しいために、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。

 だから、わたしは思い上がっていたのだ。アルヴァのことを世界中の誰よりも知っているのは、幼馴染であるこのわたしだと信じていた。ところが入学してみれば、養成所で学生として過ごすアルヴァは、わたしの知っているアルヴァとは全く違う男の子だった。

 王族の彼が平民の学生とも対等に接するのは、養成所に「魔法使いはみな対等」という教えがあるから、わかる。わたしだって一応は貴族の端くれだけど、制服を身にまとっている間は同じように振る舞わなければならない。問題はアルヴァの側ではなく、周囲の学生の側にある。高貴な血を引くうえに端正な顔立ちをしていて、それなのに気さくに振る舞うアルヴァは、完全にみんなの憧れの的で、女子生徒には「アルヴァーン様」なんて呼ばれていて――要するに、非常にチヤホヤとされているのだ。アルヴァが悪いわけではないけれど、彼が微笑みを返すだけでもわたしは面白くない。

 今までに同じようなシチュエーションが、全くなかったわけではない。舞踏会ですっかり壁の花と化すわたしと、自分に群がる他の花たちを全て退けて寄り添ってくれるアルヴァ、という構図は悲しいけれど何度だって覚えがある。そう、アルヴァはいつだって、わたしのことだけを見てくれていた。それなのに、この養成所にいる間は、決してアルヴァを独占することなどできない。

 その不満が自分のワガママだということは、一応わかってはいるつもりだ。同じ空間で卒業までの時間を過ごす級友を相手に、恥をかかせるような態度などとれるはずがない。その空間に恋人わたしが入ってきたとはいえ、他の女子生徒を拒絶なんかすれば、不満の矛先はアルヴァではなくわたしに向くだろう。

 今は同じ家で一緒に暮らしているし、帰宅すれば完全にわたしだけのアルヴァだし、決してわたしをないがしろにしているわけでもないし……わかってる、アルヴァは正しい。わかっているのに、どうしてもモヤモヤしてしまう。

 だって、もしも心変わりしてしまったらどうしよう、なんて思ってしまうのだ。わたしたちは「互いの魔力を繋げあった仲」だけれど、養成所の教えに従い一時的に「貴族」の肩書を捨てているようなものなので、卒業するまでは正式に婚約できない。そもそも想いが通じるまでの間、わたしたちは兄と妹のように接してきたという経緯もある。なので「たまたま幼馴染だったから」選ばれたのではないかと、そんなことを考えてしまう……自分に自信なんか、ない。

 もしもアルヴァの心が変わってしまったら、たとえ相手が平民であろうと、身分の差なんかどうにでもなるのだ。平民として生まれたわたしの母親だって、この養成所で貴族の父親と恋に落ちた。もちろん苦労どころじゃ済まない困難は待っているだろうけど、ひとたびアルヴァが本気になれば、どんな障壁だって乗り越えてしまうに決まっている……そんな妄想ばかりが湧き上がって、アルヴァへの信頼を勝手にどんどん削っていってしまう。もしも取り出して見せることができるなら、今のわたしの心は間違いなくギザギザでザラザラだ。

 ただでさえ落ち込んでいたのに、その落ち込みを悪化させるような事件が起こってしまった。お昼休みに食堂から帰ってくると、教室の机の引き出しに、折りたたんだメモが入っていたのだ。


『お話ししたいことがあります。アルヴァーンには内緒で、放課後に天体観測室へ来て下さい』


 そこに差出人の名前はなく、しかしどう見ても女性の字だった。人目につかない場所へ呼び出して話すことなんて、ロクなことではないだろうけど、これを無視すれば次は何が待っているのか見当もつかない。行くしかない。一緒に帰る約束をしていたアルヴァには、先生に呼ばれたから先に帰ってて、と嘘をついた。


 天体観測室へ行くと、同じクラスのミハンナがいた。窓際の長椅子に腰掛けたまま、笑顔でわたしに手招きをしている。肩口で切り揃えられた美しい金髪が揺れ、窓から射す夕日が彼女の存在をきらめかせた。

 貴族顔負けの品の良さと華やかさを兼ね備えた彼女は、アルヴァと親しい学生のうちのひとりだ。正直に言うと、今のわたしが最も顔を見たくなかった人だ……よりによって彼女からの呼び出しだなんて、もう溜息しか出ない。


「エルーナ、こちらにいらっしゃいよ」

「ありがとうございます」

「敬語なんか使わなくていいの、わたしたちは同級生なのだから。エルって呼んでもいいかしら? わたしのことも呼び捨てで構わないわ」

「わかりました」

「ダメよエル、魔法使いに年齢なんて関係ないの。どうか普通に喋ってね」


 にこやかに話しかけてくるミハンナに、今のところ悪意は感じられない。いったいどんな話が待っているのかは不安だけど、これなら突然ひどい目に合わされたりはしなさそうだ――そう考えて、少し気が緩む。

 しかし、わたしが隣に腰掛けた途端、ミハンナはとんでもない言葉を口にした。


「あのね、エル。わたしね、アルヴァーンのことが好きなの」

「……え?」

「エルは幼馴染なんでしょう? 可愛い妹分がいるって、いつもアルヴァーンから聞いていたわ。だから確かめておきたいのよ、あなたはアルヴァーンのことが好きなの?」


 真正面から投げかけられた問いに、どう答えたらいいのか、迷った。

 素直に好きだと言えば恋敵だと認定されるだろう、だけど嘘をつきたくはない。入学早々に敵を作りたくはないけれど、わたしはアルヴァの恋人なのだから、どのみち避けては通れない……そして、この問いをわたしにぶつけたいのは、きっとミハンナだけではない。これからの学校生活では、こんな出来事が山のようにあるんだろう。アルヴァと共に生きるということは、こういうことの繰り返し。

 わたしの心はギザギザでザラザラだ。泣きたくなる。王城の舞踏会で、アルヴァに取り入りたい人たちから、わざと聞こえるように「田舎貴族」や「平民の娘」と囁かれていた時みたいだ……ミハンナとは無関係な過去の記憶までが混ざり合い、加速度的にささくれだっていく心は、大きく深呼吸をしても凪いではくれなかった。


「ええ、好きよ。わたしはアルヴァのことが好き」


 ミハンナが見せてくれた親しさに、ほんの少しだけ名残惜しさを感じながら……同時に「負けない」という強い感情を抱えて、わたしは自分の想いを告げた。

 するとミハンナはそうよねえと呟き、穏やかな微笑みを浮かべた。


「そうだろうと思っていたわ。きっとアルヴァーンも同じ気持ちで、あなたたちはお付き合いをしているのね?」

「もちろん、そうよ」

「わかったわ、それなら決闘ね」

「けっと……う?」


 可憐に微笑むミハンナの口から飛び出した単語があまりにも物騒で、どういう事なのかが咄嗟には理解できない。わたしの混乱を理解したのか、ミハンナは「しきたりなのよ」と言って笑った。


「この養成所ではね、揉め事の解決方法として『決闘』という手段を取ることができるの。中立な立会人を立てて、授業と同じ形式の模擬戦で戦うのよ。敗者は勝者の命令に従うこと――それは、絶対に守らなければならない誓いなの」


 その内容の激しさに、思わず「なんですって」と厳しい声が出た。だってわたしはまだこの養成所に入ったばかりで、模擬戦どころか戦闘に使えるような魔法のひとつも習ったことがない。ようやく自分専用の魔法具を作り終え、使い方の練習を始めたばかりだというのに……ああ、でも、それは。わたしが二年生としてここにいる以上、何もかもが言い訳にしかならないはずだ。ミハンナは全てをわかったうえで、決闘を申し込んできたのだろう。


「断れば不戦敗、ということですか」

「ええ。その時はエル、あなたからアルヴァーンへ別れを告げて頂戴」


 これは困ったことになった。今のわたしが付け焼き刃で戦闘系の魔法を習ったところで、それを他者に向けて放つということへのハードルは、かなり高いものになるはずだ。かといってこの申し込みを断れば、わたしはアルヴァと離れなければならなくなってしまう……わたしが別れを申し出て、アルヴァが認めないとしても、この養成所を卒業するまでは口をきくこともできなくなるだろうし、同居だって解消になるだろう。それよりも何よりも、こんな下らない理由で、アルヴァが傷付く言葉を告げたくない。こんな馬鹿げた申し出を、抗わないまま受け入れるなんて……勝ち目なんかあるわけないのだけれど、それでもそんなの、絶対に無理だ。

 お受けするわ、と言いかけた。

 だけどその時、突然バタンと音を立て、観測室の扉が勢いよく開いた。


「アルヴァーン……!」


 そこにいたのは、アルヴァだった。ミハンナは目を見開いて驚き、それからわたしに視線を向けて「告げ口したのね」と言い放った。匿名の呼び出しを内緒にしてあげる義理はなかったけれど、それでも黙っていてあげたのに……なんだか、ひどい濡れ衣を着せられている。理不尽だ。


「エルは何も言わなかった。僕がだけだよ」

「感じ取った、って……まさか?」

「ああ。僕はエルに『魔力の糸』を付けているんだ」


 アルヴァはわたしたちの前まで歩み寄り、まるでミハンナを無視するように、わたしの額にキスをした。小さな悲鳴を上げたミハンナが、何度も「ありえない」と繰り返している……完全なる失恋のショックなのか、それともアルヴァの言葉に引いているのか、ちょっと判断しかねてしまう。

 わたしに付けられている「魔力の糸」というのは、互いの魔力を受け入れ合った時にしか繋ぐことのできない、いわば目印のようなもので――アルヴァには、わたしの全てが丸わかりだった。わたしが今どこにいるのか、どんな種類の感情を持っているのか等、魔力を通して得られる情報のすべてが、アルヴァへ筒抜けになってしまっていたのだ。無断で糸を付けることは重大なプライバシーの侵害で、だけど、わたしは嫌だと思わなかった。アルヴァのことを信じているから、何を知られても構わなかった。


「アルヴァーン、あなた、そんな手段でエルを見張っていたの?」

「だって、必ず君みたいな人が現れるだろう? 何の対策もしないとでも思ったの? この僕が?」

「だからって……正気なの?」

「正気さ」


 すっかり怯えたような表情でこちらを見つめるミハンナへ、アルヴァは冷静な口調のまま圧をかけ、反省してもらうよ、と微笑んだ。


「ミハンナ、僕は君へ決闘を申し込む。僕が勝ったら卒業までの間、エルの使い走りでもして貰おうかな」

「あ、アルヴァーンに勝てるわけないじゃないの!」

「君はエルに対して、もっとありえないことを言ったんだ。それがわかったのなら、今すぐエルへの申し込みを撤回して、自分の姑息さをしっかり見つめること。いいね?」


 帰るよ、とアルヴァがわたしの手を引いた。押し黙ったままのミハンナを無視して観測室を出ると、足早に廊下を歩いて行く。


「……エル、ごめん。黙って糸を付けたりして」


 アルヴァは謝ってくれたけれど、別にわたしは怒っていない。こういう事になったのだから、アルヴァの予測は正しかった。だけど先に「付けるよ」と言われていたら、わたしはきっと断ってしまっていた。そう、アルヴァは正しかったのだ。


「アルヴァを信じてるから、平気よ」 


 わたしの返事を聞いたアルヴァは、よかった、とゆっくり息を吐いた。嫌われるのを覚悟していたのかもしれない。それでもアルヴァは、自分にできる最善の方法で、わたしを守ってくれたのだ。

 ありがとう、アルヴァ。感謝の気持ちが伝わるようにと、繋いだ手へぎゅっと力を込めた。 

 ささくれだっていた心は、既に穏やかなものへと変わっていた。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KAC20244】ざらつく心、信じる心 水城しほ @mizukishiho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ