最後の刻 Record3
鈴ノ木 鈴ノ子
最後の刻 Record3
診察の最中に医療用携帯電話がサウンドを奏でた。
患者さんに電話に出る旨を告げてお詫びしながら電話に出ると聞き慣れた交換台の女性の声が、少しだけ切羽詰まっているように受話器の向こうから聞こえてきた。
「交換です。雪島先生、診療中にすみません。県立病院小児科の柏原先生から紹介のお電話です」
「県立病院?繋いでください」
県立病院は80キロ以上も離れたところにある遠方の医療機関だ。十キロ圏内には偶に出張して研修を積みにいく大学病院もあるから、わざわざ掛け離れたこの病院に紹介するとは余程のことらしい。
「お待たせしました、雪島です」
「お世話になります。県立病院の柏原と申します。患者さんを1人紹介させて頂きたいのです。できれば、緊急に受け入れをお願いしたい」
切羽詰まった声だと直感する。
普通の人が聞いた分であれば変わらない話し方と思われるが、同じ職業柄だとその辺りの分別は付くようになってくる。相手の声は同い年くらいに思える。
「お力になれるか分かりませんが、お話を伺いします」
「ありがとうございます。大学病院に相談したところ、神谷教授から雪島先生をご紹介頂きまして相談させて頂く次第です。当院で昨日生まれたばかりの新生児なのですが、先生の研究されている疾患に非常によく似た症状を呈しています。詳しい内容を記した紹介状をFAXしましたので、ご確認を頂けますでしょうか?」
「わかりました。直ぐに確認して折り返しいたします」
「助かります。前向きに検討をお願い致します」
電話を切り患者さんにお詫びして診察を続けていると、外来事務で熟練の腕前を持つ熱川さんがFAXを足早に届けてくれる。普通なら病院間を取り持つ病診連携室が電子カルテに取り込んでくれるのに、余程のことだろうと思いながら受け取り、患者さんの診察の間に目を通して行く。
確かに彼女、いや、妻の姉を苦しめて死へと至らしめた症状によく似ている。だが、合併症や先天性の心疾患などもあって、専門の治療は良くても他の手術が必要不可欠な分野は…とあれこれ思案する。
導き出される結論は『当院では対応困難』
当たり前の判断、設備も人員もいない状況下で無理をすべきではない。
『でも…』
先方でも当院で対応ができないことくらいは分かる筈だ。だが、一縷の望みを掛けてきたのならば、出来る限りのことをしなければならない。なにより、神谷教授が対応困難な医療機関の医師にわざわざ手間をかける様に振り付ける小意地悪をするはずもない。
交換台の事務さんに大学病院の神谷先生に繋いでほしいと頼み込むと、普段なら折り返しになるはずの電話が、まるで待っていたかのように繋がった。
「30分は早く決断できたと思うのよね」
若い女性の声が開口一番そう不機嫌そうに愚痴を溢す。
神谷教授の声で間違いない。確か55歳くらいのはずだが、声は20代、見た目は30代、医師の腕は実年齢以上の化け物じみた実力の持ち主でもある。
「ご無沙汰してます。神谷教授」
「ちー姉でいいわよ。ゆっくん」
和かで懐かしい声、神谷千香、近所に住んでいて私の家庭教師をしてくれたこともある。あの頃はその様に呼び合っていた。年齢差が気にならないほどに馬があったとも言える。
「怖いので辞めときます」
「つまらないわね。で、どうするの、私の手元も紹介状のコピーがきてるわよ」
嬉しそうに弾んだ声が聞こえてくる。
「どうしたら、救えると思いますか?」
「一般的な方法なら…無理ね、東京でもない限りこの限られた医療資源の県では中々に難しいものがあるわ。でも、手がないわけじゃあない」
声がさらに嬉しそうに弾む、この話し方は何かを企んでいるときのちー姉だ。
「もしかして、ちー姉の提唱していたアレ?」
「うん、そう、何年も年月をかけて下地は作ったつもり、きっかけを探していたのだけど…、もし、これを適用できるとしたら、どう?」
「動かせるの?」
「ええ、やるなら血反吐を吐いてでも動かしてやるわ、もちろん、貴方のもだけど。」
「分かりました。いいですよ。やりましょう」
「いいの?」
「うん、ちー姉が言うなら間違いないないし、それに小さな箱の中で戦っている命の頑張りからすれば血反吐くらいなんとも思わないよ、いつだってこの仕事を選んでから僕らはそうしてきたでしょ」
医師という仕事は世間が思っているほど楽ではない。
専門医は、治療、勉強、講習会、などなど、ほぼ休みのない状態で自己研鑽をしていかなければ脱落する世界だ。
「そうね。いいわ、じゃぁ、話を進めていいかしら?」
「ええ、お任せします」
「あら、主治医を務めないの?」
「主治医が全てじゃないことくらい分かってるでしょ?それに、ちー姉が務めるでしょ?」
「ええ、大学病院でないと治療のすべては困難でしょう、だから、担当医は私、そして今回の計画も治療も全責任を負います。誰にも邪魔はさせない」
「うん、微力ながら全力で頑張るよ」
「微力じゃないわ、全力で挑んで」
「もちろん、じゃぁ、柏原先生にはそっちから連絡を頼むね」
「ええ、では、オンライン会議で」
「うん、ありがとう、ちー姉」
「気にしないで、じゃぁ」
電話が切れるとふぅっと一息吐く。
数時間後に外来診療を終え、再び紹介状と追加で送られてきた検査結果などを読み解いてゆく。
患者の氏名は「鹿屋 読子」 、〇〇ベビーではない、きちんとした名前を得てこの世界に生まれ出た新しい生命だ。大切な人を失ってから何年も研究を進めてきた。今度も全力で挑むのみだ。
神谷教授が提唱して、厚労省、保健所、医師会と本人はちょっと、いや、大分揉めている問題がある。
[大型医療機関オンライン大規模連携プロジェクト]
日本中にいる大規模医療機関には、それぞれの分野のスペシャリストがいる。
今は色々な病院を渡り歩かねばならず、手術でなくてもその医療機関を受信しなければならない、それを神谷教授はオンラインで連携し主治医と共に診療を行い、時には診察室を繋いで患者さん・主治医・専門医、で交えながら治療方針を決定、もしくは専門医が手術などを行うシステムを構築しようとしている。
市町村の外れ、小さな総合病院の診察室でも専門的治療を受けることが可能となる。
収益や色々なことで揉めてはいるが、その前例を一旦ここで作ってしまおうとしているのだろう。
できるのか、できないのか?ではない、やるのだ。
当日の夜半、第一回目のオンライン会議が開催された。各部門の専門医が一堂に揃ってそれぞれの治療方針を話し、それをある程度組み上げてゆく。最終的には「治療は可能」という結論へと至った。
翌朝、神谷教授のいる大学病院は緊急の受け入れを県立病院へ通知した。
生まれたばかりの小さな命を秘めた小さな体がしっかりと管理されていたNICUから、最新鋭の設備の詰まった長方形の小さな箱に収められる。専門保育器の中だけが幼い命が生きていることが許されている小さな空間だ。そして熟練の小児救急医の乗るドクターカーで大学病院へと搬送される。
私達のすることはただ一つ、その小さな箱の中から救い出すことだけだ。
最後の刻 Record3 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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