『箱』
八咫鏡 シノ
第1話 ダンボール箱
箱があった。なんの変哲もないダンボール箱が宅配ボックスの中に入っていた。否、『なんの変哲もない』というには一つ語弊があるだろう。それには宛名がなかった。
玄関の監視カメラを確認してみたが、これといって怪しい人物は写っておらず、同じ階に住んでいる佐藤さんと同僚でもある新垣くん、そして宅配業者が横切るだけの至っていつも通りの映像だった。
不気味なそれを私は最初放置した。しかし、宅配ボックスの中に放置している方がずっと私の元を離れずにいるようでゾッとし、一週間後遂にそれを家の中に入れた。
20代も後半に差し掛かろうとする中、恋バナの一つも入ってこないような職場で働いている私に恋人などいるはずも無く、それなりには広さのあるアパートの一室を持て余していた。その中の、何も置かれていない、つまるところ一度も用途を見出すことのなかった空間にダンボール箱を置いた。
私は恐る恐るダンボール箱に張り付いたガムテープに手をかけ、一度で剥ぎ取った。箱を開けると蜜柑のような香りと共に新聞紙が顔を出した。おそらく梱包材代わりとして使われているそれを鷲掴みにし、一握りずつ後ろに放り投げた。
そうしてようやく姿を現したそれは一つの瓶だった。中には黄金色のドロっとした液体が詰まっていた。視覚情報ではそれはおそらく蜂蜜だろう。
それに心当たりがあった私はすぐにスマホを取り出し電話をかけた。
「もしもし新田くん、今大丈夫?」
「はい、なんですか?」
新田くんは私と同じ部署の後輩だ。いつも会社でこれと同じパッケージの蜂蜜で蜂蜜ティーを作っていたので印象深かった。私は彼に事の説明をした。
「はい、それ僕です。この前定期購入してるそのはちみつが届いたんですけど、先輩この前喉が痛そうにしていたので一本お裾分けに。新垣先輩と僕の家で宅飲みした時に渡して貰うようお願いしたんです。まさかそのまま郵便受けに突っ込んでいたとは、、困惑させてしまってすみません」
「わかったよ、ありがとう。大切に使わせて貰うよ」
そう言って私は電話を切った。
「おはよう新垣くん」
「やぁおはよう、今日も早いな」
翌日、出社するとエレベータホールで新垣くんと鉢あった。そのまま二人で到着したエレベータに乗り込んだ。珍しくいつもより早く出社していた彼からいつもとは違う感覚を覚え、それが匂いであることを理解する。
「もしかして新垣くん香水変えた?」
「気づいたか。前のは匂いが強いって少し批判を食らったからな。先週新田を誘って新しいのを選びに行ったんだ。薄いのを選んだつもりだったんだが......」
「いや、そんなに主張は強くないしいい香りだと思うよ。柑橘系だよね」
そこで小さな疑惑が頭に浮かんだ。きっと「はい」か「いいえ」の二択で答えられるほど簡単で、それでいて人生を変えてしまいかねないそれを口に出すのを躊躇い話題を変えた。
「そういえばこの前新田くんから預かったダンボール宅配ボックスに入れたでしょ。宛名書いてなくて怖かったんだからね」
「あぁ、それは......」
箱の中身を覗かないまま処分するかのように。
「以上です。どうでしたか?」
話を終え、私は一息ついた。
「なるほどなるほど、とても興味深いお話でした。それで結末はどうなったのですか?」
私の話を静かに聞いていたヨレヨレのコートを纏った長身とも短身ともとれる男はそう問いかけてきた。
「これでおしまいですけど、」
「確認、なさらなかったのですか?」
「は、はい」
「そうですか」
明らかに男が落胆したのがわかった。しかし男はすぐに立ち上がって、背の棚から一つの箱を手に取り、私と男を隔てているテーブルの上に置き、こう問うた。
「それではどうなさいますか?」
私は卓上に目を落とした。大きなダンボール箱を開けるか開けないか、熟考の末、私は断った。
「なるほど、ここまで来て結局、知ることからは逃げると。その選択、後悔することのないよう」
私が頷くと、男はコートのポケットからキャンディを一つ取り出し、私に差し出した。私はそのキャンディの包装を剥ぎ、口に投げ込み椅子から立ち上がった。キャンディは酸味の強いオレンジ味だった。
そうして私は不気味な男に軽く頭を下げ、店を出た。
おや、こんにちは
お客様ですか?
当店は『箱』屋でございます
当方物語が好きでして、似ているでしょう? 物語と箱
結末を聞くまで自分の思うようにその続きを考えることが出来る
そう、箱の中身を確認するまでと同じように
ですから当方『箱』に関する物語を集めているんです
関わってさえいればどんな箱でも、どんな話でも構いません
その代価としてあなたが今一番欲しているものが入った『箱』を差し上げます
まぁ受け取るか受け取らないかはあなた次第ですが
それでは機会があれば是非お話しを聞かせてください
お待ちしています
そういえば先日、
三億円が入った箱を手に入れたという少年がやって来ましてね、
『箱』 八咫鏡 シノ @taki_me
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