【KAC2024お題作品】絆を結ぶ箱

カユウ

第1話

「あれ……ない。おっかしいな……まさか、落とした?」


 仕事で使っているカバンの中を見るが、あるはずの箱がない。カバンの口を大きく開け、ごそごそと漁るが見つからない。


「3日前に受け取って、紙袋のまま箱をカバンに入れたよな。で、昨日も飲み会に誘われたけど断って、家に帰ってきた。そのときは、カバンの中にあることを確認している。うん、そうだそうだ。それからどうしたっけ?」


 自分の行動を口に出しながら、昨夜の自分の行動を振り返る。いつも通りにカバンを置いて、コートとスーツをハンガーラックにかけた。カバンはいつもの場所に置いてあったし、スーツも記憶通りの場所にかかっている。


「無意識にカバンから出しちゃった?」


 昨日着ていたコートとスーツのポケットの中や、ハンガーラックの下を探すも見つからない。カバンを置いている棚の後ろにも落ちていない。念のためと思ってリビングダイニングに行くも、紙袋や箱は影も形もない。


 どこに置いてしまったのだろうかと、たいして広くもない家の中をうろうろとしていると、絵里が帰ってきてしまった。


「ただいま……どうしたの、いっくん?」


「あ、いや、なんでもないよ。おかえり」


「ふーん」


 特に追求することなく、絵里はキッチンへと向かっていった。


 やっぱりカバンの中に入っているのではないかと思い直し、カバンを置いているところに向かう。カバンの中身を出していると、なんとなく後ろに気配を感じた。何の気なしに振り返ると、そこには右手に包丁を持った絵里が立っていた。


「え、絵里……さん。どう、されました?包丁を持ったままだと、あぶないよ」


 包丁の刃先をこちらに向け、ゆっくりと近づいてくる絵里を刺激しないよう、こちらもゆっくりと立ち上がる。そして、じりじりと後ずさる。無表情でこちらを見つめる絵里に怖気付いてしまったのだ。


 しかし、体の動きとは相反するように、頭の中ではぐるぐると思考が回る。何をしでかしてしまったのか。ここ1ヶ月くらいは飲み会を断って、まっすぐ家に帰ってきているのがよくなかったのか。それならそれで、絵里は口に出して言ってくれるはず。こんな包丁を向けて脅すような真似はしないはずだ。


「ねぇ、いっくん。今日が何の日か、わかる?」


「あ、ああ。もちろんわかってる。今日は絵里と俺の結婚記念日だよ。うちの両親が結婚記念日くらいは夫婦水入らずでって涼香を預かってくれるんだし」


 涼香が生まれて3年。夫婦2人で過ごすことのなかった俺たちのためにと、結婚記念日には両親が涼香を預かってくれる。今回も、絵里が涼香を預けに行ってくれたのだ。


「わかってるんだ?わかっていて、わたしのこと裏切ったんだ?」


「う、裏切る?」


 絵里の口から紡がれた言葉が、予想とはまったく違うことに、混乱が深まる。まったくもって心当たりがない。


 ゆっくりと近づいてきている絵里が、床に置きっぱなしになっていた俺のカバンをチラリと見る。すると、無表情のまま、絵里の瞳から大粒の涙が溢れた。


 俺は慌てて絵里を抱きしめようとしたが、向けられたままの包丁に阻まれ、近づくことができない。そうこうしているうちに、絵里が再び口を開く。


「……いっくん、浮気してるよね。わたしがいるのに」


「浮気してないよ。絵里と涼香がいるのに浮気なんてするわけするわけない」


「じゃあなんで飲み会行かなくなったの?ちょっと前まで毎週のように飲んできてたじゃん。女のためにお金使ってるから飲み会行かなくなったんでしょ」


 たしかに、ある意味で女のためにお金をつかったから飲み会に行かなくなったことは事実ではある。だが、証拠となる箱が見つかっていない今、それを口にするわけにはいかない。


 言葉につまってしまった俺に、絵里が足を止める。


「や、やっぱり……よそに女がいるのね」


「いないよ!」


「じゃあこれはなによ!?」


 突き出された絵里の手に握られていたのは、今朝からずっと探していた箱。手のひらに乗るほどの大きさで、フタの中央にブランドのロゴが刻まれている。


「これをあげる女がいるんでしょ!……ゆ、ゆびわを。いっくんが、指輪を、あげる、女が」


「その指輪は、絵里にあげたくて買ってきたんだ」


「う、嘘よ!……うそ、でしょ?」


「本当だよ。会社の先輩がさ、今度結婚するんだ。で、プロポーズの話になったとき、聞かれたんだよね。どこで奥さんにプロポーズしたんだって。プロポーズしてないって答えたら、今からでも遅くないからプロポーズしろって説教されたんだ。もしかしたら、奥さんは気にしているかもしれないぞって。そう言われたらさ、絵里にプロポーズしてなかったことがすごいショックで。授かり婚だからって言い訳にならないと、後悔したんだ。だから、飲み会を断って、売れるもの売って、お金を用意して。それで買ったんだよね、婚約指輪」


「……う、そ」


「本当だって。俺が調子に乗ってハメを外しまくったのが原因だけど、絵里が結婚するって言ってくれたとき、すっごい嬉しかった。これから先も、絵里と一緒にいられるってなったのが、何よりも嬉しい。順番は逆になっちゃったけど、絵里と一緒にいたいっていう気持ちをちゃんと伝えたくなったんだ」


「……っ」


 突き出されていた絵里の腕から力が抜ける。僕は急いで絵里に近づいて、包丁を取り上げた。そして、反対の手に握りしめられていた婚約指輪の入った箱を、優しく受けとる。


 呆然と立ち尽くす絵里の前で片膝をつき、箱のフタを開ける。そして、うやうやしく差し出すと、真剣な顔で絵里の目を見つめる。


「世界で一番、絵里が好きです。どうか、俺と結婚してください」


 固まっていた絵里にダメ押しとばかりに告げる。


「愛しているよ、絵里」


 絵里は両手で口元をおさえ、先ほど以上にボロボロと涙を流しながら、何度も頷いてくれた。

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