私がグループを辞める理由

白夏緑自

第1話

「本当に辞めちゃうの?」

 空っぽになった箱を眺めたまま、ステージから動けないでいる私に同期の朱莉≪あかり≫が声をかけてきた。

「辞めるよ」

 まるでぶっきらぼうな言い方。どんな感情を込めていいか決めあぐねていたら、透明なまま声が出てしまった。

 


いくつかの照明だけが灯ったステージから私と朱莉≪あかり≫は足を投げ出す。

「ファンの人、いっぱい泣いてたよ。“がじみ”さんなんて、チェキ二十周ぐらいしてた」

 それでも、辞めてしまうのか。批難とは違う意を含んで、朱莉が言う。

「そうだね」

 私はとりあえず頷いてみせる。今日で【天の川シンドローム】を卒業することは何度も彼女へ伝えている。その度に朱莉は悲しそうな顔をする。

 

【無自覚イラプセル】──むじイラは数多ある地下アイドルグループの中でも、長続きしている方だ。メンバーも今年五期生を迎えた。

 私と朱莉は最後まで残った一期生。入ってくる娘を歓迎もすれば、脱退して抜けていく娘たちをそれなりの人数見送ってきた。

 その度に私が引き留めて、朱莉はあえて突き放してきた。そうやって、グループを抜けていく覚悟をはかり、残る意思を見せれば受け入れて、やはり意思が揺るがなければ、私たちは精一杯の花を添えた。


 でも、ついに私もむじイラを抜ける。誰も──

「誰も止める人はいない。って思ってるでしょ?」

「……思ってないよ」

 本音だ。事実だとも思っている。実際、私が運営に脱退の意思を伝えた時は「考え直してほしい」と言われたし、ありがたいことに後輩からも残念がる声が聞こえた。中には朝まで何時間も通話した娘だっている。エゴサすれば、ファンだってずっと私の名前を出してくれているのを知っている。

 私が必要とされる場所。他のどこにも無いかもしれない。失えば二度とは手に入らない楽園がここにはある。


「男とでもできた?」

「違う。そんなんじゃない」

 男がいるのはそっちでしょ。言ってやろうかと、腹から熱がせり上がってきたものをペットボトルの水で押し込む。

 

 知恵も欲も何も持たずにいれば、私は楽園にいられた。だけど、私は知ってしまった。恋をしてしまった。朱莉に彼氏がいることを知って、ステージでの彼女の輝きがそれまでとはまったくの別物だと気が付いてしまった。

 私は、恋をしている朱莉の輝きの方が好きだ。ずっと眺めていたいと思って、だけど、絶対に手に入らないとも悟った。いつしか、私のものにはならない剥き出しの宝石が近くにあることに耐えられなくなっていた。

 これが、私が楽園を出ていく理由。


 朱莉の諦めが良くて、本当に良かったと思う。少しでも引き留められたら揺らいでしまいそうだ。彼女は人一倍、むじイラとそのメンバーに愛情を抱いている。誰か一人辞める度に、朱莉はずっと泣いていた。今日も泣いてくれるだろう。最後の同期だ。思い入れだって、ひとしおのはず。一晩だけでいい。今晩は彼氏と会わず、一人のベッドで枕に顔を埋めて──


 思いっきり泣いてくれ。

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私がグループを辞める理由 白夏緑自 @kinpatu-osi

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